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がんばれ。小沢!敗けるな。一郎!
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2012/07/16 世に噛む日日
自分は、「個人崇拝」というものが嫌いだ。
この世に「生物」として生かされている者は、大なり小なり、ある程度の「修行」を必要としている存在であり、よほどの善行を積まなければ、上のステージには上がれない、要するに「ハンパ者」に過ぎない、と思うからだ。
同じ ハンパ者なのに、ハンパ者がハンパ者を崇めたてまつる・・・ これこそ、愚の骨頂と断ぜざるを得ない。ハンパ者のなかに、いくらか気はしのきいた奴が出てこようとも、所詮は、ハンパ者はハンパ者だ。いずれは、ハンパ者としての馬脚をあらわす。
ヒトラー然り、スターリン然り、毛沢東も金日成も、いずれも「聖人」などではあり得なかった。悪魔のような実行力、精神力はあっても、民衆を塗炭の苦しみに陥れることに躊躇はしなかった。彼らを崇拝の対象にした結果、どれだけの無辜の民が命を落としていっただろうか。
母親が入信していたので、今でも自分は、創価学会の会員である。選挙ともなれば、数多の地区の学会員が、押し寄せてくる。どれほど公明党を批判しても、彼らには通じない。それで、この前来たとき、「僕は『国民の生活が第一』の党員になりますから、もう選挙のことで来ないでください」と言ったら、目を白黒させていた。
しかし、「世界KY大賞」というものがあったら、必ずグランプリを獲得するであろう彼らは、おそらくまたやって来るだろう。創価学会・公明党の強さはここにある。自公を支えているのは、議員の組織力とか地盤とかでは決してない。個々の学会員の「強信力」なのだ。決して舐めてはならない。
創価学会の教義をつらぬく柱のひとつに「師弟不二」というのがある。師の教えには、絶対服従で従わなければならない、と言うのである。で、学会員個々の師は「池田大作」唯一人とされている。ここに「個人崇拝」は、「師弟不二」の教義の実践として、無理やり正当化されてしまう。
よく、「小沢信者」と揶揄される。しかし、自分たちは小沢一郎個人を崇拝しているのではない。小沢一郎の語る「政策」を崇拝しているのである。小沢一郎とて、仏法でいう「凡夫」のひとりに過ぎない。人間としての弱点や、「残念なところ」も兼ね備えているかもしれない。否、その可能性の方が大きいだろう。
しかし、ひとたび彼が政策を語れば、これ以上のものがないというほどの真実性がほとばしる。創価学会が信奉する日蓮の言葉に「法に依って人に依らざれ」というのがある。「法(=教え)に従え、人に従うな」という意味だ。しかし自分が見るところ、この教えを真っ先に破っているのが、創価学会・公明党なのではないかと思えてくる。
自分は、小沢氏の政策を、今のところ、瑕疵がひとつもないと思えるので、支持し、宣揚し、崇拝さえ、する。自分が「小沢信者」だとする所以は、唯一、ここにしかない。ただし、鈴木宗男氏が言うように「TPPについて態度がはっきりしていない」ことには、少々の懸念を抱いている。
とにかく、野田政権を打倒する明確な意思を堅持している限り、今のところ、自分は小沢一郎の政策を支持し、崇拝してゆく。ただそれは、小沢氏個人を崇拝するものではないことをここにはっきりしておきたいと思う。
そんなことを考えながら、岐阜を出発し、滋賀の琵琶湖北岸から福井の小浜・大飯を経て、舞鶴、京丹後と走り、兵庫県の豊岡にさしかかったとき、以下の看板に遭遇した。思念と現実が錯綜し、ドラスティックな結合を遂げたことに、自分のヤワな精神がグラグラと沸騰した、その一瞬だった。
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