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(回答先: 権威主義社会の終焉 投稿者 金十字架 日時 2014 年 7 月 17 日 14:25:15)
あらゆる社会の中に見出される危険視された問題は、
当事者以外は、ほぼ無自覚で無責任なまま、スルーされる事となります
勿論、その原因としてのものにあなた方が注目し、
問題が起きる仕組みさえも理解すれば、それでよいのですが、
あなた方が、そこにただ嫌悪感だけを露にすれば、
そうした社会性のシステムが作動して、
あなた方全体へ「信頼の現れ」として、縛りは増々窮屈になっていく訳です
全てに言える事ですが、危険性の呼び水となるのは、
前にも言いました、自分への信頼のなさ、
そこに生じる無力さが招く無防備さにあります
これに対処する力は、権威にすがる事で得られる訳ではけして在りません
こうした負のスパイラル、堂々巡りから抜け出す為の、
あなた方に本当に必要とされる知識とは、あなた方ひとりひとりに、
自然に湧き起こる感慨を通して理解されねばなら無いのです
"自然な在り方"の中に得られる、独自的な経験による学びが、
何よりも自分への絶大な信頼へと繋がるものであるのです
あなた方の社会では、目に見えないものはそれほど考慮されません
個人のそれぞれが、その表には出されない、
隠し持った無意識的黙考によって、
あなた方が気付いた時には、偶然性を帯びた現実というものとして顕われています
意識せずとも、自分の抱える現在の姿がそのまま、あなたの知覚に感じ得る、
現実としての世界に反映されています
自己の内面から滲み出る感情に気付いていながら、
自分にどうする事もできないと感じて、見ぬフリをし続けていれば、
自分の行動に対して責任どころか、自信すら持てなくなっていくだけなのです
真の積極性とは、何かに闘い挑む様に現れるものでは在りません
それは生命の持つ自然な情熱により、
内面から押し出されていくものであるのです
自己不信に繋がる思考の中では、あらゆる恐怖感情は、
過大視されていく一方にあります
ただし、それは一方で、他者の齎す脅威に、
その感情の原因をすり替えてしまうことで、頑固にその問題と闘う事も出来ます
その為、外側の闘いに意識を持っていく人達は、
自分の中にある理由付けの出来ない怖れに対していつまでも無防備なままです
そしてまた、あらゆる危険性に対して、ただ、ただ、敏感になっていきます
それが権威力にすがろうとする社会へと発展していくのは目に見えて明らかです
そうした人の情動を煽るだけの情報規制の必要性も理解しないままに、
正しい権威などと云うものもまた生まれないことは、
誰もが理解出来るのではないでしょうか
彼らの流す情報は常に、人の自然な在り方と矛盾するものでしたし、
そこに人々は、常に心の衝突事故を繰り返してきました
そのようにして、(実際は自分に原因があるのに)
捉えどころのない人の感情を例えに、あるゆる自然の猛威といった脅威はまた、
"偶発的な外因"によるものとの主張に終始してこれた訳です
事実は、<<人間が発する思考、及び感情の電磁的な実体>>が、
自然界に何ら影響を及ばさない筈はないのです
そして、あらゆる危険性に対しての、「常に備えを」という意識が、
そうした人々の"具体的な"行動力を動員して、先に"電磁的に"、
続いて、目に見える形として具現化されていく訳です
それは自己逃避型の社会の特徴です
謂わば、そうすることで、実際的な問題の根本原因である、
自身が抱える内面の核心に直面することを避け、
触れる事すらせずに済むのです
核施設がその崩壊の現場を逃れようとし続ける姿は、
まさにすべての人々の内面にある、
既成概念が崩壊する"様(さま)"を描いているようにも感じます
- 自然な生命としての性質 金十字架 2014/7/17 17:22:55
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