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権威主義社会の終焉
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投稿者 金十字架 日時 2014 年 7 月 17 日 14:25:15: mfAWtS4GF8MpY
 

権威信仰が極端化していくと単なる力への執着になります

悪魔信仰と云うものが生まれる段階に於いても、
強い力へと憧れを抱いていく過程に於いて、
同様のプロセスが在ったに違い在りません

そしてまた、現在の社会そのものはまた、そうした権威信仰の成れの果てとも言えます

つまり権威者はけして「国民を守る」でもなく、
そこに従属する人々の在り方も、けして救われる事がない、
これはまさに、あなた方の嫌悪する宗教の姿と何ら変わりなく呼べるものです

宗教そのものはその成り立ちは純粋なものですが、
権威的取り巻きが生まれる段階において、権威信仰以外の何ものでもなくなり、
人々はただあらゆる縛りの中で、ごく自然にとは、
神との関係性に目覚めることができなくなります

そこから離れる自由も当然ありますが、人々は逸脱することに怖れを感じる様になります

何故なら、其れがその教理の中に組み込まれているからです

誰もがより素晴らしい国に移りたいと考える、これが自然です

政治家を選んでも、
「誰がなっても同じ、誰がなっても同じや思うて・・」
彼らのこうした本音でこの世界は維持され続けているだけです

それは社会の仕組みを支える、個々人の在り方が原因なのです

あなた方が欲する権威の力とは、一体誰に対する武器なのかといえば、
実際的にはあなた方ひとりひとり、自分自身に対しての脅威でしかありません

何より自分への深い信頼が欠如している為に、
あなた方は他者を巻き込む支配力を欲するのです

当然そこでは、他者への信頼など掻き消えています

こうした社会に、自殺-破壊-願望が蔓延していくのは当然の結果です


全ての死は、個々の受け入れた概念的考えによって、
引き寄せられています

あなた方には常識の範疇にある筈の全ての死の全ては、
ある意味で、自殺行為と看做せることに間違いはないのです

勿論、十分満足した生き方から得られるものに、執着は在りませんが、
それでもそこに幕引きを求めるのは、個人が生前に受け入れた考え方から生じるものです

そうした考え方の枠組みは大概、大衆的な認識の中に生まれ育っていきます

つまり、あらゆる事実と思しき「観察結果」とは、
観察者の意識に従っていると云う事です

ごく微小な実験に扱う数値は、試験者の意識に簡単に左右されます

どんな薬が患者に効くのか、はたまた何割が効かないのか、最先端の医療でさえ、そうした影響から逃れたことはありません

此処で、津波の洪水の様にただ垂れ流されている信憑性といった情報は、
すべて、「既成事実」として、まったく不動の実証に基づくもののように思えていますが、
実際にそれら根拠としてのものは、あなた方がそれを信念として取り込まないかぎり、
何らあなた方に影響を及ぼさないものであるのです

つまりあなた方はそうした知識に対して、あからさまに無防備であるのです

何故なら、あなた方はそうした権威に対して、無力だと信じて居るからです

自身を無価値で、無力だと考えるからこそ、そこに無責任さも生まれているという訳です

故に権威信仰はそこに生まれるのです

あなた方の抱える問題とは、根本的にそうした"創られた"既成事実に対しての、
「怖れを払拭出来ない」という悩ましさから生まれています

肉体的な死別もまたその一つでしょう

しかし、その怖れの原因はすべて自分への、
信頼のなさ(無防備さ)に在ると言えるのです

人が自然な学びの中に成長する中に、間違いは生まれません

あなたが心から信頼すべきは、自然な自分と自然な神との中に結ばれる関係性です

それを目に見える補償がないから信じられない、とする限り、
一角を成す権威に依頼心をもって近づき、
安全を保障してもらおうとするほか考えられなくなるのでしょう

そうした契約で生まれた暮らしは、尚もあなた方の手に依って、
権威はそこに君臨せざるを得なくなります

あなた方にとっての本当の安心感とは、目に見えずとも、
実は、肌に触れ感じるレベルで、エネルギーとして伝わってきているものです

あなたが、そこに本当の安堵を感じて、深く信頼していくことができるようになれば、
あなたは直接、すべてなるものによる愛情及び、自然な知恵と力を取り戻す事ができます

自分に対するいじめともとれる感情を感じたらその都度手放し、
自分の魂への無条件の信頼に意識を会わせます

そうして自分を理解してやる事で、他の不自然な人々の在り方をも理解し、
やがて全体を信頼する事が出来ます

少しずつ築きあげてきたものを組み直すには、
同様の時間をかけて練習を繰り返していく事が大切です
そこに皆が対等に暮らせる社会を取り戻す力が得られます  

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コメント
 
01. 2014年7月24日 06:57:35 : ZucfhcLauc
力信仰かー。
肥大すれば、己の重力に引きずり込まれるの必至の、アレのことか。。。

02. 2014年7月24日 07:30:20 : ZucfhcLauc
支配衝動破壊願望

行き着くとこ唯の自滅
だけならまだしも、
周囲世界を道連れは、後免被る!!

ってのが普通、地球のスタンダード。
今一つの、確認だ。


03. 2014年7月24日 07:46:12 : ZucfhcLauc
世界が、重力の存在の証拠として
未だ錯覚しているモノ、とは。

己の、「自我、エゴ」。
肉体付きがうまく騙されるように、
その特性に
ナニモノかにより

便宜ゆえに仕込んである、

「架空の存在」→重力

無方位、モノポールのジャイロ、ワンピース
参照のこと。


04. 2014年7月24日 07:53:31 : ZucfhcLauc
ニュートンにとっても、未だ仮定、、
だが、肉体付きには(魔垂れ漢字に要約すっと、腐)
悪魔で、公理w

05. 2014年7月25日 04:54:59 : ZucfhcLauc
マニツイタニク

06. 2014年7月25日 05:08:47 : ZucfhcLauc
因みに、重力とは、、
遠心力求心力、質量(として認識可能な、法則)とは、似て非なるものだ。
前者は、後者の断面を垣間見ることをもって錯覚された、或いは創作された
「実体擬き」。

重力には、自我と同様実体がない。
だが、錯覚とは便宜なので、いい仕事をしている。
錯覚と云えども、否定されざる「存在」ではあるのだ。

ただ、宇宙時代には、古い認識(疑似科学)として、背後に置かれるのが
必至である、というだけ。


07. 2014年7月29日 07:28:59 : ZucfhcLauc
純粋な物理学とは、
主観に因らない、ピュアな、法則を
指すだけ。

08. 2014年8月04日 04:37:05 : ZucfhcLauc
we all wanna Revolution,Yes i know,

but…Anyhow,.lol


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