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(回答先: 自己逃避型の社会の特徴 投稿者 金十字架 日時 2014 年 7 月 17 日 16:59:38)
人は自然な彩りを満喫する中に、数々の奇跡的な出会いを体験します
これは芸術性の中に自分を映し込む事によって、
自己実現を目指そうとする人々の特徴とも言えます
そうした中に自分を包み込む存在を感じとり、そこに信頼を置いてきた者は、
外から齎される人づてのあらゆる価値観としての教えにも、
真っ向から自然な疑問を呈していきます
彼らは、あらゆる情報に対して、無防備ではありません
そして自分で納得して得た考えを何よりも大事にします
そして、何が危険で、何が危険でないかを考えるよりも、
優先する考えがあることに気付いています
自分の感性にすべてを委ねていれば(信頼)、
自身の行動全般に満足するところとなります
あるゆるものは、主体性ある自然のままの生き方の中で、
当たり前に育まれていくものでしかないのです
自身を自然と一体と見て信頼して居る中に、
行動に付随する「責任」というものもまた自然と理解していきます
しかしそれは、現代の社会性にキツく言われるような、
「〜しなければならない」と義務的な気負うものでは本来なく、
子供時分の友達との対等な関係性の中に育まれる付き合いの中に、
自然と発散される積極性の中に果たされるものです
つまり、まだ見ぬ社会性とは、自然な遊びの延長上に、
自然な積極性をもって押し広げられ、発展していく可能性として見るものです
それを人類は未だ体験した事がないのです
現代社会に根ざす積極性とは、不自然な教育方法をもって、
改めて外側から子供達に恐怖心を植え付け、
それを克服するよう強いるところから発展しています
当然子供値達はそこに自然な違和感と反発を見せるでしょう
それ以前に、子供達は親や学校から、「危険性から離れる事」を思いやりと称して、
自然な性質である積極的な振る舞いをさんざん不自然に抑え込まれているのです
如何に矛盾した教育方法がとられているか理解出来るでしょうか
そして子供達は自分達の力を完全に封じ込まれていきます
社会に出た大人と称するものは、未熟な子供以下の存在です
自ら積極的に果敢に行動するものが如何に組織に少ないかは理解出来るでしょう
「人前で積極性を発揮する事は危険であり、
普通である事こそが"最善"である」
そのように教え込まれているからです
信ずる宗教の権威の教えや、もしくは気の知れた仲間といった、
あなたの後ろ盾としての取り巻きが、後押ししてくれる事で、
あなたは自分の行動が正しかった、と安堵するようになります
自身の正当な言い分だけを通そうとする中では、
そこに、自然であれば実に当たり前な「自然な内省」を促す事も出来ません
そうした社会の中では、自分の想いを正直に誰に伝える事も出来ず、
消えないままの自己不信の想いは、
自分の心の中に増々膨らんでいくだけとなります
そして、結局、自分のそうした主張を赦してくれる場所だけを追い求め、
ただ自身の庇護を求めるということを繰り返す他なくなります
自然なままであれば、自身の正当性なるものを求める必要性もないのです
さて、自然の生命の本来の性質と云うものが何か判ってきたでしょうか
これを理解する事が、あなたへの自信を回復させ、信頼を深める事に繋がります
これは何も、特定の宗教に関わる個人に宛てたものではなく、
社会全般に言える内容として、提示させていただいています
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