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(回答先: 大江健三郎『燃えあがる緑の木』、胡散臭くグロテスクでんなあ〜 投稿者 藪素人 日時 2012 年 10 月 10 日 21:22:15)
文章がたどたどしくフントに読みずらくてのー。文を書く経験がほとんどねえ専業主婦あたりが書いたような語り口じゃがな、考げえてみるど、小説はすべてサッチャンの口から語られておる。つまりサッチャンっていう男女(オトコオンナ)が書いてわけじゃから整合性は取れているども言える。
じゃが、小説全体は面白くもねければ感動ってえもんも皆無じゃった。大江はんと同じくれえの超エンテリだど、こんな宗教的思弁についていけて興味深いのかねえ。
一口で言ううと、四国の片田舎に心が西洋人になっている集団が住み着いて何かをやっている。登場者たちは日本的なものを思考の土台にするでなく、みな不思議なことに西洋的なものを土台に思考している。日本的なもんはほとんど削ぎ落とされておる。
そんで思うには、大江はん、この頃、ノーベル文学賞を意識していて、外国語に翻訳されても彼らに違和感がねえように初めからコスモポリタン的小説を目指したんでねえのか。このコミュニティの日本人のほとんどが西洋人的なものを思考の出発点に立てるちゅう奇妙奇天烈な小説になってしもた。日本人向けの小説ってえのより西洋人の受けを狙った書き方だね。
『燃えあがる緑の木』っていう表題から、作家の仕上げの仕事どすて、人間の生命力の賛歌みてえなもんを謳い上げるのかって期待したが、とんでもねえな、後味悪りぃ不快感ばかり残る、そすて大きな疑惑を突き付けたまま終わった小説だねえ〜。
下のwiki見て初めて知ったが、矢沢永一はんが、大江はんを麻原彰晃と同じだってええらいこど批判しておる。村上春樹はんも別の人に同じこと言われておるが、この二人怪しいねえ〜、危ねえね〜。
第二部が完成したのが、オーム事件の直前だから、何か象徴的ではあるねえ〜。コミュニティと村人が対立し、ギー兄が衝撃されたあと、このコミュニティに武闘訓練するグループも出てきた。(ギー兄が、二回目の衝撃を受けたことをきっかけにサッチャンはコミュニティに戻り、物語は進んで行くが、やがてコミュニティは分裂し、崩壊して行く…)。
こん作家の時代の匂いを感じ取る”感性”は鋭敏だったのかもネギ。当時何らかのモデルがあった可能性もあるな。
大江健三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
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- Re: 大江健三郎はん自身がオーム的なもんを求めていた気配を感じるのじゃ。 藪素人 2012/10/11 21:21:53
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