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大江はんのもんは読んだ記憶ねえんで、このノーベル文学賞作家ってえものがどないなものか探究したくなった。そんで、これが最後だと言った『燃えあがる緑の木』3部作をムリして読んでみた。読みずれいったらありゃしねえ、途中で何度か分投げたくなったども、筋書だけ大急ぎでたどった。
舞台は主に四国の片田舎での出来事。時は全共闘の余韻の残る時代。ここに広い土地を持ったばあさんが居て、縁があってギー兄さんっていう東大農学部出の男が居ついて農業を始める。その知識を求めて近所の若者も集まってきて「森の会」ができる。ギー兄さんを補佐するのが、ばあさんに拾われて育ったサッチャンっていう両性具有者(半陰陽)じゃ。この小説の主人公と見られる。
サッチャンは小ぶりのペニスと女性の器官を持っている。この女の器官で、ギー兄さんと性行為をする。またアメリカ人の日本研究者とも性行為をする。
いきさつがあって、サッチャンはこのコミュニティから離れ、伊豆の山荘で一人暮らしするが、近所の山荘にいる女の子とも小ぶりのペニスで性行為をする(このペニスは勃起もするし射精もする)。やがて二人っ一組で売春行為にまで至る。グロっぽいのでここで止め。
以上のあらすじは、拙者が最も違和感を持ったところをたどったもんだが、この小説の眼目は別にあるのかもしれん。
ギー兄は、「魂のことをする」ために、この片田舎に居ついたという動機がある。そすてこの兄のもとに集まってくる人たちも多少の宗教心がありそれを満足させたいと思っているように見える。この片田舎のばあさんは、ギー兄にこの土地の伝承や民話を伝えるという触れ込みだったが、それがねえまま、高齢のため逝く(ばあさんは手指から磁気を出して怪我や病気を治す能力を持っていて、ギー兄もこの能力の一部を引き継ぐ)。
ギー兄も時々簡単な「説教」をする。そこで「協会」や「礼拝堂」を作ることになる。メンバーん中には聖書読んだり、その一説を読み上げるもんもおる。こんなことからキリスト教のそれなのか、というとそうでもないらしい。このコミュニティを批判した新聞記事には、「諸教混交(シンクレティズム)」だと載った。
ここでサッチャンに感じた違和感と勝るとも劣らないのが、ここの登場者の大部分が、西洋文学に通じていて、彼らがものを考えるとき、大体西洋文学やキリスト的なものから発想する。思考の出発点はいつもそこからじゃ。日本の古典・近代文学はまず出て来ねえ。
魂のことに関しても、日本古来の神道やインド伝来の仏教はほとんど出て来ねえ。
対象的に出てくるコトバは、「救い主」「受難」「協会」「礼拝堂」「聖書」「顕現(エピファニー)」「再生」「福音書」「アウグスティヌスの告白」「盟約」「十字架の聖ヨハネ」「恩寵」などというキリスト教っぽいコトバのパレードじゃ。
「イェーツ」とかいう詩人も一つの軸になっていて、この詩句は断片的に随所に引用される。「イェーツ」や「アウグスティヌス」らを引用しての際限のねえゴタゴタした記述は宗教哲学でも論じているようじゃが、拙者にはサッパリじゃった。(続くよ)
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