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【正論】拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 民主党にしがみつく剛腕の末路
2011.2.3 03:13 :産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110203/stt11020303140003-n1.htm
最近、某週刊誌の座談会で、小沢一郎氏を支持する民主党中堅議員が「親父(おやじ)は寝首をかきそうな優秀な人間を傍に置かず、次世代を育ててこようとしなかった」とぼやいているのを読んで、以前に同じような発言があったことを思い出した。「彼の欠点はどうしても後継者をつくろうとしなかったことです。権力者が陥る通弊ですが、やっぱり次の人は育てなきゃいけない」
こちらは17年前の発言だが、「彼」とは小沢氏を指すのではない。田中角栄氏であり、発言者は小沢氏である。自らの発言が自らに跳ね返ってくることを、“ブーメラン効果”というそうだが、氏も例外ではないようである。
≪学んだことがもはや通ぜず≫
今回の強制起訴で、小沢氏の政治的影響力はかなり低下するであろうとの観測が広まっている。筆者もそれは避けられないと見る者の一人だが、強制起訴はそれを後押ししたきっかけにすぎず、彼が政治家としての存在理由を失いつつある理由は、別の、より本質的なところにあると思われる。
それは第一に、時代環境が変化していて、氏がその政治キャリアを通じて学んできたことがもはや通用しなくなっていること、第二に、小沢一郎その人に決定的な何かが欠けていること、である。
師匠の田中氏が活躍したのは、右肩上がりに経済が成長するのに伴って公共事業や社会保障などの再分配も拡大し、それが政治の主たる課題と思い込んでいられる、ある意味、幸福な時代だった。
かつて、再分配の規模が拡大する過程で、政治の世界では二つの現象が起こった。政治資金の拡大と、与野党の馴(な)れ合い、すなわち国対政治である。
いわゆる「政治とカネ」の問題が、高度成長期の日本経済の伸長と踵(きびす)を揃(そろ)える格好で拡大してきた側面を軽視してはならない。当時、「政治とカネ」をめぐる問題が起こるたびに、社会党をはじめとする野党は正義を代弁するかのように振る舞った。しかしそうした野党と自民党は、国対を通じて裏取引をするのが常だった。そこではいささかのカネも動いた。
田中氏はこうした政治の現場において、常に要路を占め、存在感を発揮し続けた政治家である。
≪田中角栄譲りの政治とカネ≫
小沢氏が師匠の背中を見て育ってきたのは言うまでもない。民主党内で旧社会党系の議員と親密なのは、55年体制下の国対政治の焼き直しと捉えれば理解しやすい。社民党が小沢氏の証人喚問に反対しているのも、この脈絡で見れば不思議ではない。小沢氏をめぐる「政治とカネ」の問題は、自民党(田中)時代の負の側面を体現しているにすぎないのである。
高度成長は冷戦の恩恵だった。しかし、欧州でこそ冷戦は終わったものの、東アジアではそれが先鋭化しつつある地政学的環境の中で、わが国はかつての再分配至上主義からなかなか抜け出せず、打つ手打つ手を誤るうちに、国富を瞬く間に減少させてしまった。
この期に及んで小沢氏は、国民との約束なのだから、何が何でも再分配を重視したマニフェスト(政権公約)を実現しなければならない、と大見得(おおみえ)を切っている。氏の感覚と手法はアナクロニズム(時代錯誤)以外の何物でもない。その剛腕とやらに期待するのは間違いである。
菅直人首相が強制起訴を利用して党内の奪権闘争を有利に運ぼうとしているのは周知の通りだ。ロッキード事件の時に、三木武夫首相が政権延命のために疑惑を利用しようとした構図と似ている。
≪師同様、権力者の通弊で退場へ≫
あの時は、田中氏と対立していた福田赳夫氏までが三木首相の左翼張りのやり口に不快感を覚え、「反三木」に回ったものだが、現在のところ、民主党に「反菅」の「挙党協」が形成される気配はない。だからといって首相が安泰というわけではない。要するに、どっちもどっちなのである。「小沢潰し」という最後のカードを切ってしまえば、政権はレームダック化するだろう。
さて、田中氏は逮捕されるや、ただちに自民党を離党し田中派(七日会)を退会することによって、却(かえ)って自らの影響力強化に成功したが、小沢氏にはそれができない。民主党議員たる地位にしがみつくことしか政治生命を維持する途がないということである。
ここが、師匠とは決定的に異なるところといわなければならない。何かと毀誉褒貶(きよほうへん)のつきまとう田中氏だったが、直接、接した多くの人が「一度角さんに会えば、誰でも好きになる」と異口同音に語ったものである。
対して、小沢氏の場合は、周辺に屯(たむ)ろした人たちがいつの間にか離れていってしまう。小沢氏にとって子分は使い捨ての消費財かもしれないが、実は子分が親分を見限り、消費しているわけである。今、小沢氏の周辺で気勢を上げている人たちが、一年後どうしているか、見物である。
彼もまた、「権力者が陥る通弊」によって退場しようとしているのである。(えんどう こういち)
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