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(回答先: どん底時代のスティーブ・ジョブズの思い出 (Market Hack) 投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 10 月 07 日 16:20:32)
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/26835715.html
新ベンチャー革命2011年10月6日 No.461
(投稿者)マネジメント・オブ・テクノロジーの専門家、山本さんの本領発揮です。
1.スティーブ・ジョブズ:シリコンバレーの英雄逝く
2011年10月5日、アップル創業者のスティーブ・ジョブズが亡くなったというニュースが流れています。すい臓がんが全身転移して激やせしていましたので、長くはないと思っていました。ある意味、非常にカッコ良い死に方ですが、この死が今後、米国の若者にどのようなショックを与えるのか興味あるところです。
スティーブは激やせし始めてから、おのれの死期を悟っていたはずで、事業に没頭することで死への恐怖から逃れていたような気もします。
ここ数年の彼の活躍は鬼気迫るものがありました。だから彼の夢の実現に向けてアップル社員や取引先の関係者が一丸となったことがアップルを大きく成長させたと思われます。
2.SRIとスティーブ・ジョブズの関係
筆者は1986年より2003年まで16年半、米国シンクタンク・SRIインターナショナルの東アジア本部に所属し、シリコンバレーを50回以上訪問しています。
SRIは60年代から70年代にかけてパソコン(PC)とインターネット技術開発を行なっています。現在のネット接続されたデスクトップPCのユーザーインターフェース技術(ネット接続、マウスクリック、アイコン、カーソル、ハイパードキュメント、マルチウィンドウ、Eメール、ドットコム・アドレスなど)はことごとくSRIで生まれたイノベーションです。SRIの天才研究者・ダグラス・エンゲルバート博士の技術サポートで、70年代初頭、SRI本部に近いゼロックス・パロアルト研究所(PARC)がアルト(注1)というデスクトップ型パソコンを試作しました。
このアルトPC技術の潜在価値を当時のゼロックス経営者は見抜けず、スティーブ・ジョブズに安く売ってしまったのです。スティーブはアルトを仲間のスティーブ・ウォズアニックに商品化開発させて、アップルPC、後のマッキントッシュが誕生するわけです。
筆者がSRIに入所した80年代後半、シリコンバレーのSRI本部内では研究者単位でアップルPCが支給され、PARCの開発したイサネットLANで接続されていました。インターネットが普及する前、SRI米国本社とSRI東京支部の間は、夜間の国際電話回線を利用するアップルのマックネットでプレゼン資料電子ファイルの国際転送を行なっていました。
なお、SRIが60年代末、米国防総省向けに開発したアーパネットのプロトコル・TCP/IPは現在のインターネットのプロトコルに使用されています。
3.シリコンバレーのPC研究者の究極のゴールはアンドロイド(人間型コンピュータ)である
インターネット技術は元々軍事用ネットワーク用(アーパネット)に開発されていますが、開発者の一人である上記、SRIのエンゲルバート博士は60年代からPCをインターネット端末とみなして技術開発していました。そのSRIのエンゲルバート博士やPARCのアラン・ケイ博士やスティーブ・ジョブズなどの本音のPC開発ゴールはナレッジ・エンジニアリング(知識工学)・ツールの構築でした。要するに、彼らシリコンバレー研究者たちは、インターネット・グループウェア環境でソフトウェア開発や新製品開発しようと考えていたのです。
SRIの内部レポートによるとナレッジ・エンジニアリングの究極のゴールはアンドロイド(人間型コンピュータ、Human Equivalent Computer)の開発となっています。だからこの用語をグーグルが借用してスマートフォンのプラットフォームに命名したのです。
アンドロイドの実現の第一歩がネット環境で使う電子ブックであり、PARCの天才研究者・アラン・ケイ博士が60年代末にダイナブック(注2)と命名しています。
上記、アルトPCは元々、ダイナブックを開発しようとして生まれたものですが、出来上がったのはデスクトップPCでした。ダイナブック型PCを世界最初に開発したのは日本の東芝であり、東芝PCダイナブックはアラン・ケイからライセンスしたPCブランド名です。
ところで、電子ブックを世界最初に開発したのはアップルではなく、我が日本のNTTです。NTTは80年代末に世界初の商用デジタル通信網ISDNの端末用に電子ブック・プロトタイプを開発しており、続いて東芝がほぼ同時期にノートブックPC・ダイナブックを世界最初に商品化しています。その後、インターネット時代が到来し、アップルやアマゾンが日本勢に追いつき、追い越したという日米の技術覇権競争の歴史があります(注3)。
ところで、米国が軍用のインターネット技術(アーパネット技術)を無償開放してデジタル通信網の世界標準にしたのは、NTTのISDNが世界標準になるのを妨害するためだったのではないかとみなせます(注4)。
このような対日技術戦略を構想し実行するのは、本ブログのテーマ・米国戦争屋のネオコン系米国技術覇権主義者(ラムズフェルドなど)です(注4)。
なお、上記、米国戦争屋およびそのロボット・悪徳ペンタゴン日本人の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。
4.スティーブ・ジョブズはシリコンバレーの夢をある程度、実現して逝った
スティーブは、90年代半ば、マイクロソフト・ビル・ゲイツ(アンチ米戦争屋の欧州寡頭勢力系の起業家)(注5)の登場で、一時、苦境に追いやられ、アップルPCは、マイクロソフトのウィンドウズPCにシェアを奪われてしまいます。
SRI時代の筆者は90年代半ばまでアップルPCを使っていましたが、ウィンドウズPCが主流になり中途で、アップルPCからウィンドウズPCにチェンジせざるを得ませんでした。
したがって、スティーブに代表されるシリコンバレー住人にとって、ビル・ゲイツは天敵なのです。
今のところ、故・スティーブはアイパッドやアイフォンでマイクロソフトを蹴落として、復讐を果たして逝ったわけで、悔いはないのではないでしょうか。
シリコンバレーでビル・ゲイツを目の敵(かたき)にしていたのが、スティーブと並んで、ジム・クラーク(世界で初めてインターネット商用化に成功した起業家)です。彼の開発したネットスケープ・ナビゲーター技術はビルに奪われたわけで、その恨みは半端ではありませんでした(注6)。要するに、今ではPCでインターネットを動かすのは、先行したジムのネットスケープではなく、後発のビルのMSエキスプローラであり、くやしながら、こちらが世界的に普及しているわけです。
ビルの野望はシリコンバレー制覇でしたので、ヤフー買収を虎視眈々と狙ってきましたが、これまではジムが阻止してきました(注6)。ところが、2011年10月6日の報道によれば、マイクロソフトはまたもヤフー買収を検討しているようですが、スティーブが死んだので、今がチャンスとでも思っているのでしょうか。
そのマイクロソフトも今は、ビルが去っているので、スティーブが死んだ今は、マイクロソフトのヤフー買収が今後、どのような展開になるかは不透明です。いずれにしても、ジム・クラークの今後の動きに要注意です。
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