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(回答先: 原発とテレビ@/妖精が運んだ安全神話/新聞もエール/番組や中継で(しんぶん赤旗) 投稿者 gataro 日時 2011 年 9 月 27 日 21:49:27)
原発とテレビA/「テレビの父」の”野望”/米国の危機感/世論封じ込め
「しんぶん赤旗」 2011.09.23 日刊紙
ドキュメンタリー「報道の魂」(TBSテレビ)で4日深夜、「その日のあとで〜フクシマとチェルノブイリの今」が放送されました。チェルノブイリの今を伝え、福島の原発事故の実態に迫る番組です。この中に節電のCMが入りました。出どころは経済産業省です。原発が今のままでいいのかと問う番組に平然とはさみ込まれた、原発を推進してきた経産省のCM。原発のメディア戦略の一端がのぞきます。
アメリカがねらう日本への原発導入で結びついたのが、日本テレビ社長だった正力松太郎氏でした。日本のテレビ誕生を告げる放送予備免許第1号が決まったのは、1952年7月。獲得したのは、意外にもNHKではなく、日本テレビでした。
日本テレビ沿革史『大衆とともに25年』は、「4年有余の長きにわたって悪戦苦闘を重ねて」きた結果であり、正力氏は「テレビの父」と誇らしげに記しています。
米国の危機感
メディア研究者の松田浩さんは「正力ひとりの力であったかのように書かれていますが、そうではなかった」といいます。
1950年代は、アメリカとソ連の思想戦略や核開発競争が絡み合って始まります。
51年、アメリカのムント上院議員が「共産主義者に対するたたかいにおいて、アメリカが持っているテレビが最大の武器である。…『アメリカのビジョン』を海外に建設する必要がある」として、ドイツと日本をあげています。
松田さんは指摘します。
「戦後の民主化の中で、共産党に指導された民主勢力の影響力が広がっていくことにアメリカは危機感を持ちます。警察官僚出身で、反共的親米的な正力のテレビ網開設構想は、対日思想戦略のパートナーとして格好の支援対象でした。こうしてアメリカの後押しもあって、正力は公職追放を解除され、また免許を獲得できるわけです。政府から独立して存在していた電波監理委員会が7月末での廃止を前に、その最後の仕事として日本テレビを選んだ。吉田首相が事前に網島電波監理委員長を呼びつけ、同局への免許を指示していた事実は、今日では広く知られています」
世論封じ込め
53年8月、アイゼンハワー米大統領が「アトムズ・フォー・ピース=原子力を平和のために」と演説。水爆実験を成功させたソ連に対抗してのものでした。翌54年3月、アメリカが実施したビキニ水爆実験で第五福竜丸が被ばくし、原水爆禁止運動が広がっていきます。
正力氏のもとで、実際に動いたのが柴田秀利専務でした。「毒をもって、毒を制する」と著書(『戦後マスコミ回遊記』)に記しています。原子力の平和利用を大々的に宣伝することで、原爆反対の大きな世論を封じ込めようとねらいました。
正力氏がアメリカの「対日心理戦」と深く関わりあっていた事実については、CIA文書をもとに有馬哲夫・早大教授が『日本テレビとCIA』で明らかにしています。 (つづく)
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