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福島の高校教師 「子供守れない」 と退職
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東京新聞「こちら特報部」8月6日 :日々坦々
福島の高校教師 「子供守れない」
(東京新聞「こちら特報部」8月6日)
福島県で一人のベテラン高校教諭が先月、退職した。
原発事故後、被ばくを避けるように生徒らに再三指導していたが、管理職から「動揺を与えるな」と注意された。被ばくの不安を抱えつつも、仕事の事情などで避難できない県民が大半という現実。そこでは「被ばく」という話題そのものへのいら立ちが募っている。高校教諭が直面したのも、そうした無言の壁だったのだろうか。 (篠ケ瀬祐司、中山洋子)
「危険を知りながら、子どもたちへ伝えられない自分に耐えられない。彼らが被ばくするのを見ているのもつらい」
福島第一原発から約六十キロ離れた県立福島西高校(福島市、生徒数八百七十一人)を退職してから一週間足らず。宍戸俊則さん(48)は苦しげな表情を浮かべ、同校を辞めた経緯を語り始めた。
宍戸さんは原発事故発生直後はできる限り、表に出ずに過ごした。
新学期が始まると、生徒らに「健康を害する恐れがあるから教室の窓を閉め、マスクをした方がいい」と呼びかけた。顧問を務めたソフトテニス部の屋外練習も最大二時間に限るようにした。
だが、初夏になり気温が上がると、生徒たちは窓を開け始めた。「嫌がる生徒もいたので、閉めるよう大きな声を出したこともあった」と宍戸さんは振り返る。
五月二十日、宍戸さんは同校の教頭から「不安をあおるようなことを言ってはいけない」との指導を受けた。宍戸さんが「マスクをするように言ってはいけないのか」と尋ねると、教頭は不安をあおらないようにと、繰り返したという。
「生徒にマスクをする理由を聞かれれば、危険があるからと説明せざるを得ない。『不安をあおるな』とは『危険だと言ってはいけない』という意味と理解した」。宍戸さんは悩んだ末、六月上旬に退職を決意した。
「管理職は県側から言われて私に指導をしたのだろう。学校から圧力を受けたのではなく、県からだと思っている」
県の対応については、原発事故直後から疑問を感じていた。三月十五日の高校の合格発表は屋外であった。「県が決めた以上、校長は従うしかない。体育館は避難所になっていたので、発表は外ですることになった。放射線量は高かった。しかし、警告はなかった。傘も差さずにやってくる子どもたちを見て、本当に申し訳なくなった」
たしかに県は危険の広報に消極的だった。
「県は放射線量が高い時に『安心』を強調する学者を呼び、その話はマスコミを通じて繰り返された。結果的に多くの県民が被ばくした。住民も被ばく後の不安を認めると、いたたまれなくなってしまう。だから『不安がっていては暮らしていけない』と言うしかない」
宍戸さんは来週、北海道に居を移す。県が発表した五日午前十時の福島市内の放射線量は毎時一・一マイクロシーベルトとまだ高い。
「生徒をおいて、自分だけ安全な所に逃げていいのか、という引っかかりはいまもある。生徒たちには不安があったら手伝うよ、不安は表現してもいいんだと伝えた」
宍戸さんの目に光るものが浮かんだ。
宍戸さんが勤めていた福島西高校は先月下旬からグラウンドの表土を削り、新たな土を入れる工事が進められている。
同校の井戸川方志教頭は「(宍戸さんに)長袖を着てマスクをつけるように言ってはいけない、と指導したことはない。授業内容が手薄になっているという苦情が生徒や保護者から入っていると伝え、話の仕方や授業時間の使い方に気を付けてほしい、生徒に動揺を与えないように、という話をした」と説明する。
「宍戸さんは教員会議で放射線量が高いと指摘していた。それぞれの物差し(判断基準)で高い低いはあると思う。しかし、学校としては文部科学省の基準で判断するしかない」(同教頭)
文科省は四月十九日、子どもの年間被ばく線量限度を二〇ミリシーベルト(毎時三・八マイクロシーベルト)と規定。同校は限度を下回っていることを確認し、屋外での体育を再開した。文科省は五月に「年間一ミリシーベルト以下を目指す」としたが「努力目標」にすぎない。
一方、県は六月、教育委員長名で各市町村や県立校あてに熱中症予防に関する通知を出した。
通知には「放射線の影響から夏服の着用を控える傾向が見られるが、そのことによって引き起こされる熱中症や心身のストレスによる体調不良を予防するように」「窓を開けて活動しても差し支えない」などとある。
県教育庁では「長袖を着たりマスクをしたりしてはいけないとの指導はしたことはない」(学校生活健康課)と、強制でないと説明するが、県からの通知と違うことをするのは容易ではない。
文科省では福島では校庭の表土除去も始まり、学校での被ばく線量が低減されていると強調。
今月初めには、福島県内で年間被ばく線量が一ミリシーベルトを超える学校は「ゼロ」と発表した。ただ、この線量は学校で過ごす八時間のみの推計だ。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの佐藤幸子さん(53)は「結局、文科省の二〇ミリシーベルト基準に従う学校が多い。これが現場の被ばく予防の取り組みをはばんでいる。本心では、安全と思えない場所で教育活動をさせられている先生はほかにもいる」と語る。
学校現場では放射能汚染を話題にすることがはばかられる“空気”が広がっているという。ネットワークに参加し、被ばくを学んでも「学校では口にできない」という教師も少なくないという。
七月下旬から、二人の子どもを連れて札幌市のサマーキャンプに参加している福島市の父親(37)も「福島では放射能が怖いと言えない空気がある」と漏らす。三月に県外へ一時避難した知人から「戻ってきて、周りから白い目で見られている」と打ち明けられた。
「逃げたくても逃げられない人たちが、危険を直視できないでいる」
実際、被ばく予防の話をしていて、親戚に「うんざりだ」と言われたこともある。「その親戚もマンションを買ったばかりで、どこにも行けなかった。福島で働き続けるしかなく、震災直前に生まれた赤ん坊に『おれんどご生まれて悪かったな』と謝っていた」
その気持ちも痛いほど分かるだけに、周囲にはそれ以来、もう何も言えなくなっているという。それと同じ構図はいま福島の教室にもある。宍戸さんはこう話した。
「学校には、みんなと同じでなければいけないという“同調圧力”がある。男子は弱さを見せたくない。女子はファッションの面からも、自分だけマスクをしたり、窓を閉めたりはしにくい」
<デスクメモ> 「半年もたてば、世論も変わる」。毎日新聞に載った電力総連出身の藤原正司参院議員(民主)の言葉だ。福島では事故を苦に数人が自ら命を絶ち、「原発離婚」という現象も生まれた。将来への不安は語り尽くせないだろう。孤立させてはならない。この議員がうろたえる世論の変化を生み出したい。 (牧)
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