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広島原爆の日:「脱原発」被爆地も苦悩
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110807k0000m040083000c.html
毎日新聞 2011年8月6日 22時50分
広島は6日、東京電力福島第1原発事故後初めての「原爆の日」を迎えた。原子力への国民の不安が広がるなか、ヒロシマのメッセージが注目されたが、平和宣言は「脱原発」に触れたものの踏み込まなかった。被爆者の間でも原発に対する考え方に微妙な差があることや、政治に翻弄(ほんろう)されるのを回避したいなど、被爆地のさまざまな思いが絡み合った。
◇平和宣言は踏み込まず
松井一実・広島市長は平和宣言で、国民の原発不信を指摘し、エネルギー政策転換を政府に要求したが、脱原発については「主張する人々がいる」と述べるにとどめた。
今回の宣言には初めて公募の被爆体験談を盛り込むことにし、体験談を選ぶため、被爆者を含む委員会(10人)が設置された。議論は非公開だが、原発についても意見が交わされ「核と人類は共存できない」という文言を盛り込むよう提案があった一方、いっそうの安全管理をした上での原発容認を示唆する意見も出たという。松井市長は宣言骨子を発表した2日の記者会見で「原発は国の政策だ。(市民の)意見も割れている」と説明した。
過去の平和宣言も、核実験や核兵器など軍事利用は厳しく批判してきたが、原発に反対する姿勢を示したことはない。
被爆者でもあり、戦後初の公選市長を務めた故浜井信三氏は53年、「(原子力が)殺戮(さつりく)と破壊のために使われるか、全人類共同の福祉のために使われるか」が人類の岐路だと言及、平和利用への期待を語った。同年12月にはアイゼンハワー米大統領が国連で「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」と題して演説、日本での原発導入の契機にもなった。
「核廃絶運動」を支えてきた平和団体も一枚岩ではない。6日閉幕した原水爆禁止日本国民会議(原水禁)系の広島大会の初日、「3団体としては『核兵器廃絶』『被爆者援護』の課題で共闘します」「それ以外の課題は会場内ではご遠慮ください」と書かれた冊子が配られた。脱原発の原水禁▽原発推進を掲げる核禁会議▽電力総連なども加盟し、スタンスは「凍結」中の連合−−の3団体の共催という形をとったからだ。
原水禁副議長の西尾漠・原子力資料情報室共同代表は「核兵器廃絶の一点で協力してきたが、限界が見えた。福島では労働者が危険な作業を強いられており、労組も声を上げてほしい」と言うが、大会で連合幹部は踏み込んだ発言をせず、核禁会議は別に集会を開いて「資源を外国に依存する中で原子力は重要」とのアピール文を採択した。
一方、9日に原爆の日を迎える長崎市でも、福島原発事故を受け、平和宣言で原発にどう言及するか、田上富久市長を委員長とする起草委員会(18人)で激しい議論があった。
被爆者ら多くの委員は「脱原発」を盛り込むよう主張したが、市長は慎重姿勢を示し、最終的に「脱原発」には触れずに「原子力に代わる再生可能なエネルギー開発の必要性」を訴える内容に落ち着いた。
長崎市最大の企業は三菱重工長崎造船所。年間生産額約4600億円(08年)のうち53%を発電プラントが占め、高木義明文部科学相(長崎1区)をはじめ、同労組出身の市議、県議は計10人を数える。
平和宣言の骨子を発表した7月28日の会見で、田上市長は「(宣言は)市民代表として言える最大公約数」と説明。「直線的にいく(すぐに原発をなくす)と産業や市民生活に混乱を起こす。原発をなくすロードマップも示されないなかで『脱原発』の思いだけが先行するのは本意でない」とも語り、産業界への配慮をにじませた。
広島市長を91〜99年に務めた平岡敬さん(83)は、福島原発事故後、「原発を『必要悪』として容認してきたのは、誤りだった」と悔いを語っている。広島平和宣言の体験談公募に応じた被爆者の岡田黎子(れいこ)さん(81)=広島県三原市=は「来年は、原発も核兵器も人類の滅亡につながることを、自分の主張として世界に発信してほしい」と注文した。【樋口岳大、下原知広】
◇首相、政治利用を控え
菅直人首相は平和記念式典のあいさつで「原発に依存しない社会を目指す」と改めて「脱原発」に言及したが、目新しい表現は「(原発の)安全神話を深く反省する」という程度だった。文案策定を主導した政府高官は「式典は犠牲になった方々の慰霊の場で、原発の話とはしゅん別すべきだ」と政治利用を意識的に控えたと明かす。
首相周辺にはあいさつを政治的アピールに利用すべきだとの意見もあり、与野党議員の間では一時「広島の式典を利用して首相が『脱原発解散』に踏み切るのではないか」との臆測も流れていた。 踏み込みを避けた首相だが、「脱原発」を次期政権にも引き継がせようとする思いは強い。首相は式典後、昨年のあいさつで創設を表明した「非核特使」の被爆者8人と懇談した。「兵器としての原爆と、発電としての原発は異質なものだが、放射能を出す危険性ということでは共通の部分がある」と指摘。海外の政府首脳や市民に幅広く被爆体験を伝えたこの1年間の活動報告を聞き、「私が責任を持つ間はもちろん、今後の政府も引き継ぐよう全力を挙げる」と退陣後を意識した言葉が漏れた。
その後の会見では「原子力に大きく依存してきたエネルギーの将来目標を白紙から見直し、(原発)依存度の低減を段階的に進める。内閣として中間的な方向をまとめ、私のあいさつと一致している」と述べ、自身の「脱原発」発言と、政府のエネルギー・環境会議による原発依存の低減方針に矛盾はないと強調した。【高橋恵子】
◇各国「核兵器とは別問題」
式典には昨年より8カ国少ない66カ国と欧州連合の代表が参加したが、各国代表は「核兵器と原発は別問題」との認識で共通していた。福島原発事故後という事情を特別視せず、脱原発派も原発推進派も「『核』の是非」に踏み込まなかった。
国民投票で原発再開を拒否したイタリアのバッターニ駐大阪総領事は「(福島の事故で)原発の安全性に疑念が高まった」と投票結果を分析したが、「日本が戦後復興に原子力を利用したのは仕方ないこと。原爆と混同すべきでない」との考えを示した。
「脱原発法」が成立したドイツのオルブリッヒ駐大阪総領事も「核兵器は廃絶すべきだが、原発はエネルギー問題。他国が口を出すことではない」との立場だ。
一方、原発推進派のロシアのベールイ駐日大使は「フクシマは自然が原因だが、ヒロシマは人為的な惨事だ」と違いを強調。原発大国フランスのジャンビエ・カミヤマ駐京都総領事は「新たな核保有国を生まないためにも、必要とする国に原発技術を輸出して監視下に置くことが大切だ。それが最終的に核兵器廃絶につながる」と説いてみせた。
主要な核保有国である米英仏は初出席した昨年に続き、そろって代表を送った。米国からは昨年、ルース駐日大使が出席したが、今年は「スケジュールの都合」で日本におらず、ズムワルト首席公使が臨時代理大使として参加した。昨年は欠席した長崎市の式典へも同氏が出席する方向で調整中という。【村瀬優子、五十嵐朋子】
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