投稿者 上葉 日時 2010 年 3 月 05 日 07:44:35: CclMy.VRtIjPk
米国は本当に民主主義国家と言えるか フロンティアスピリットが行き着いた先で起きたこと JBpress(日本ビジネスプレス)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2895
映画の中の世界
米国は本当に民主主義国家と言えるか
フロンティアスピリットが行き着いた先で起きたこと
2010.03.04(Thu) 竹野 敏貴4代目にして初の黒人大統領、バラク・オバマ氏を選出することで、人種差別という大きな壁を一つ、突き破った米国だったが、国民皆保険を目指す医療保険制度改革は困難を極めており、越えるべき壁はまだまだ数え切れないほどあるようだ。
■米国人の中にあるフロンティアスピリットとは
この国では、ネオリベラリズム(新自由主義)による過度の自由放任が近年の経済混乱をつくり出した根本的原因だと言われようと、規制を嫌う多くの経済人たちはケインズ主義的政策には否定的である。
先進国で最も高い銃犯罪件数を世界中から責めたてられても銃を手放す気はさらさらない。冷戦時代には、共産主義という思想、システムそのものを悪と見なし、恐怖の赤狩りを平然と成しうるほどの国だった事実もある。
こうした米国人の心の中には「他人から指図は受けない。自力で人生は切り開いていくものだ」という考えが少なからずある。敬虔なキリスト教徒も多いのだが、その宗教的扶助精神に克って、自立していこうとする彼らの根源は、この国の始まりの頃の必須アイテム「フロンティアスピリット」が埋め込まれたDNAにあると言っていいだろう。
17世紀になって、祖国での生活に様々な理由から別れを告げ、北アメリカ東海岸に大挙手ぶらで押し寄せたヨーロッパ人たち。
18世紀半ば、北米大陸における占有権をかけ英仏間に勃発したフレンチ・インディアン戦争で勝利した英国だったが、その際、英国軍の一員として戦い自立心に自信を持ったアメリカの移民たちが、1776年の米国独立まで突っ走ることになり、自分自身まで追い出されることになってしまう。
■開拓者たちを守る救世主となった騎兵隊
19世紀に入り、「本国」ヨーロッパでの変化に追われて「新大陸」地域での植民地支配に急速な衰えを見せ始めたスペイン、ポルトガル、フランスといった国から、カリブの一部を除きほとんどの地域で独立が達成されていった。
そうした中、北米でも大きな壁になっていたミシシッピー川以西を米国が買収することで、いよいよ本格的に「自分の土地」を求めて西へ西へと進む米国人の『西部開拓史』(1962)が記されていくことになる。
もちろん、この「開拓」という表現は、白人の目から見た文明の押しつけを意味し、進取の気性に富んだ自分たちが文明を広めていくという「明白なる運命」に基づき進められるものであった。
そんな地で新たな人生を求める者にとっては、フロンティアスピリットという積極的かつ自立的な開拓者精神が頼りだったが、進む先には、大自然の驚異と「インディアン」の襲撃という試練が常に待ち受けているのだった。
1855年に設立された騎兵隊は、そんなフロンティア(最前線)の人々を守ることを使命としていたが、西部劇ではいつもどこからともなく救世主のごとく現れる有難い存在でもあった。
見つけた者勝ちの原則で広大な土地の所有者を決めていくという「ホームステッド法」という法的根拠まで開拓者に与えられては、その地に以前から住んでいる「インディアン」と勝手に名づけられた先住民たちの既得所有権などあるはずもなかった。
■抵抗を試みて逆に大量虐殺された先住民たち
もっとも、17世紀初め、ヴァージニア植民地に入植した時の指導者ジョン・スミスが、たびたび、先住民女性『ポカホンタス』(1995)に助けられたり、フレンチ・インディアン戦争でもフランス軍が先住民と同盟を結んで戦っていたりして、当初は少なくとも先住民の側には露骨な敵意はなかったはずだった。
しかし、元来土地を個人が所有するという概念そのものに欠けていた彼らから、ヨーロッパ的所有概念を使ってその地を「正当に」略奪していったものであったことは、ニューヨークのマンハッタン島がわずかな物資との交換でオランダ人が「獲得」したという事実が雄弁に物語っている。
白人の大義の下では、第7騎兵隊のカスター将軍のように先住民を大量殺戮しても英雄視され「野蛮なインディアン」たちは居留地へと追いやられるのが常で、抵抗を試みても大量の銃を持ち合わせる移民たちの前に先住民の武器はあまりにも無力だった。
1950年代までの映画、特にドンパチを売り物にするB級西部劇では、さも当然のごとく先住民「インディアン」を悪役というダシとして使ってきた。そこまで一辺倒ではなく先住民サイドの映画もある、という声もあるが、そんな作品でさえあくまでも同情的というレベルでの「上から目線」であることがほとんどだった。
■白人たちのナショナリズムに火をつけた「アラモの戦い」
米国そのものがベトナム戦争で疲弊し、楽観主義ばかりでは通用しなくなった1970年前後に始まったアメリカンニューシネマの時代になると、同じカスター将軍を茶化しながら否定的に描く『小さな巨人』(1971)といった作品も登場するようになる。
ただ、後に米国大統領選に打って出るトム・ローリンが監督主演した『明日の壁をつき破れ』(1971)のような映画が厳しい現実を訴えてみても、先住民を押し込めた「インディアン」居留地では、差別そしてそれに基づく生活苦はいかんともし難いものがあった。
家族を養うために自分の命を売る『ブレイブ』(97)の主人公のような絶望的な状況も珍しくない。
よく映画に登場する「インディアン」であるアパッチ族やコマンチ族は、アリゾナ、テキサスあたりが故郷だが、その地がまだ独立直後のメキシコ領だった19世紀半ばには、フロンティアの南西端として、米国の白人たちが、先住民とメキシコ人という2者との戦いを繰り広げていた。
そんな中、『アラモ』(1960)の砦でデイビー・クロケットをはじめとしたフロンティアの英雄たちがメキシコ軍に全滅させられたことが白人たちのナショナリズムに火をつけ、「アラモを忘れるな」のスローガンの下、1846年に始まった米墨戦争を勝利に導くことでメキシコからテキサスを獲得した。
その流れの中でカリフォルニア、アリゾナといった現在の米国南西部地域をすべて獲得することに成功し、いよいよ太平洋岸への道が開けることになる。 当時、ただの広大なる荒地に過ぎなかったその地も、獲得の翌年に「ゴールドラッシュ」に沸いたカリフォルニア、20世紀初めには石油産業の中心地となったテキサス、とわずか半世紀の間に米国の経済発展に大きく寄与したことを見れば、メキシコにとっては実に大きな損失だった。
■時を同じくした大陸横断鉄道とスエズ運河の開通
そうは言っても、その時点では西部は白人にとって「未開の地」ばかり。冒険心に富んだ『遥かなる大地へ』(1992)進んでいく彼らにはフロンティアスピリットが原動力であり続けたのだ。
産業構造や奴隷制度への依存度の違いによる分裂から勃発した史上最大の内戦、南北戦争も、共和党アブラハム・リンカーン大統領の北部が勝利することで南北の分裂は何とか食い止められた。
一方で、リンカーン大統領は1862年には太平洋鉄道法を制定し、大陸横断鉄道建設を促進して東西の融合をも進めていた。
そして、『アイアン・ホース』(1924)、つまり「鉄の馬」と先住民から呼ばれた重厚なる蒸気機関車が『大平原』(39)を東西に貫通する大陸横断鉄道が1869年に完成することで、ついに太平洋にまで勢力圏の達する大陸国家へと米国は変貌していくのだった。
『80日間世界一周』(1956)のフォッグ氏一行は完成間もない頃にその鉄道で大陸を横断するという設定になっているが、同じ1869年にはスエズ運河も完成しており、世界を旅することに革命的変化が起きた年だった。そもそも、ジュール・ヴェルヌがこの小説を書いたのもそれらの完成のニュースからヒントを得てのことだった。
■急速な工業化で大資産家が続々と誕生する
その後の急速な工業化が国力を大いに高め、瞬く間に世界一の工業国にまで上り詰めるほどの急成長を遂げた米国では、鉄鋼王アンドリュー・カーネギー、鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルト(ホイットニー美術館創設者の曾祖父)、鉱山王マイアー・グッゲンハイムといった名だたる大資本家、大富豪が生み出されていく。
まさに資本主義の急伸期となるが、その一方で腐敗に満ちた政治が幅を利かせる、作家マーク・トウェイン言うところの「金ぴか時代」(金メッキ時代)を迎えることになる。
彼らはその後も米国の名士として名をとどめ、慈善家としてそして美術品コレクターとして名を馳せることになる一方で、そこで働く労働者に対する処遇はとても慈善や芸術の精神とはほど遠い現実があった。そんな労働環境の悪さから『地の塩』(1953)のような労働運動が生まれてくることになる。
そして1890年、遂にフロンティアラインの消滅が宣言される。西海岸まで「文明」が行き着いたというのである。
しかしその意味するところは国内での消滅であって、以後ラインは海外へと移動していくことになる。早々に1898年には、キューバ・ハバナ湾に停泊中の戦艦メイン号が爆発したことを契機に、「メイン号を忘れるな」とのスローガンの下、米西戦争を仕掛けて楽勝を収め、スペインをカリブ海から追い出すことに成功、カリブの要衝キューバを独立扶助するように見せかけまんまと保護領化してしまう。
■イエロージャーナリズムに煽られ膨張続けた米国
さらにはスペインの持っていた太平洋航路の要衝であるフィリピン、そしてグアムをも手に入れて太平洋からも締め出してしまうという早業に出たのだった。
セオドア・ルーズベルトから「他国のために戦う使命」という大義が米国民には示されていたが、スペインからの「解放」後もフィリピンに居座るなど膨張主義の意図は明白であった。
この時、マーク・トウェインやカーネギーのように政策を批判する者も少なからずいた。
しかし、映画史上の最高傑作とも言われるオーソン・ウェルズ監督主演作『市民ケーン』(1941)のモデルとも言われる新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストなどが発行していたイエロージャーナリズムと呼ばれる扇動的記事にあふれた新聞により世論は膨張主義を支持する方向へと進んでいくのだった。
続いて、コロンビアに内乱が勃発したことを見ると、間髪入れず、当時その一部であったパナマに独立扶助を持ちかけることにより介入、パナマ運河の権利を手にすることに成功する。
同時にキューバにはグアンタナモ基地なる巨大軍事拠点をも築き、先に獲得していたハワイも含め、用意万端、1914年の運河完成によりカリブ海を通じて大西洋太平洋間海路が貫通すると、第1次世界大戦後のワシントン会議を経て、いよいよ太平洋国家として本格的なアジア・オセアニア進出へと向かうのだった。
44.西部開拓史 How the west was won 1962年米国映画(監督)ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォード、ジョージ・マーシャル
(出演)キャロル・ベーカー、ヘンリー・フォンダ、ジョージ・ペパード
(音楽)アルフレッド・ニューマン
1830〜80年代までというまさに西部開拓史そのものの時代を駆け抜けた、先住民に同情的な一家の3世代にわたる物語をオールスターキャストで描いた作品。“良心的な” 米国の白人が思い描く西部開拓史はこんなものなのだろう。
それまで、観光記録映画専用だった大画面方式「シネラマ」を初めて劇映画で使用した作品で、日本では、テアトル東京とOS劇場(大阪)で上映された。以後その2館は、長い間大作映画鑑賞のメッカとなった。
45.ポカホンタス Pocahontas 1995年米国映画(監督)マイク・ガブリエル、エリック・ゴールドバーグ
(出演)アニメーション映画
(音楽)アラン・メンケン
ポカホンタスとは、17世紀初頭、ジョン・スミスをはじめとしたヴァージニア植民地の入植者たちと友好関係にあった実在の先住民女性の名前である。後に、キリスト教の洗礼を受け、ヴァージニア植民地の宣伝のため訪れた英国で後半生を送ることになる。多くの逸話はスミスの回顧録によるものだ。
1990年頃から息を吹き返したディズニーの劇場用アニメの1本で、『アラジン』(1992)、『ジャングル・ブック』(94)など、歴史的、国際的なテーマの作品が多いにもかかわらず、常に「ディズニー作品は白人至上主義」という批判にさらされ続けている。
この作品にしても、明らかなる「上から目線」で、ジョン・スミスとの関係なども白人に都合のいいように話が改竄されているとの声が大きかった。
46.小さな巨人 Little big man 1971年米国映画(監督)アーサー・ペン
(出演)ダスティン・ホフマン、フェイ・ダナウェイ
1876年、「インディアン討伐」で名を馳せたカスター将軍率いる第7騎兵隊がシャイアン族・スー族連合に殲滅させられたリトル・ビッグ・ホーンの戦いは、白人の米国西部開拓史において、カスターを悲劇のヒーローに押し上げるものだった。しかし、本作ではその戦いで唯一生き残った121歳の男の述懐から、これまでの英雄像は崩されていく。
先住民と白人の間を何度も行き来し、サイドを変えながら西部開拓時代を生き抜いた男という設定が、映画に多くの視線を持たせ、決して一辺倒ではない西部開拓史を語らせる。コミカルでありシニカル、しかしそのテーマは実にシリアスである。
47.ブレイブ The brave 1997年米国映画(監督主演)ジョニー・デップ
(出演)マーロン・ブランド
(音楽)イギー・ポップ
本作の監督主演で自らも先住民の血を引く人気者ジョニー・デップから友情出演を依頼されたマーロン・ブランドは、かつて『ゴッドファーザー』(1971)でアカデミー主演男優賞を獲得した際、多くの映画に見られる「インディアン」の不適切な描写に抗議して受賞拒否したことがあった。
その頃から、映画界での先住民への認識に変化が見られるようになり、ついには『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990)のケヴィン・コスナーのようなフロンティアラインに出向いた白人が自ら先住民へと同化していくことを描いた作品も登場、その作品がアカデミー賞を独占するということも起こるようになるのだった。
48.明日の壁をつき破れ Billy Jack 1971年米国映画(監督主演)トム・ローリン
『地獄の天使』(1967)で傍若無人の暴走族に独り立ち向かう先住民の血を引く男ビリー・ジャックを演じたトム・ローリン。以後全く違った設定ながら5作品でビリー・ジャックを演じたが、その代表作が本作である。
『許されざる者』(1960)のオードリー・ヘップバーンや『燃える平原児』(1960)のエルヴィス・プレスリーなどが先住民と白人の「混血」という役柄を演じているが、どれもテーマのみならず作品の雰囲気が重い。
それに比べ、トム・ローリンの作品はその設定といい見てくれといいB級アクション映画そのもので、とかく軽視されがちだが、逆にそんな深刻さを表に出さないタッチで先住民の心情を伝えているところがいい。
49.アラモ The Alamo 1960年米国映画(監督主演)ジョン・ウェイン
(出演)リチャード・ウィドマーク、ローレンス・ハーヴェイ
(音楽)ディミトリ・ティオムキン
哀愁を帯びたテーマ曲「遥かなるアラモ」はブラザーズ・フォーの歌で日本でも大ヒットしたが、そういったセンチメンタルな味というより、タカ派ジョン・ウェインの面目躍如といった感じの保守的なヒロイズム映画である。
メキシコ、サント・アナ政権の暴政に、自由と正義を守るために立ち向かい、独立を願うテキサス開拓民たちのため、デイビー・クロケット(映画ではウェインが演じた)、ジム・ボウイといった英雄たちが戦った実話を映画化したものだ。
しかし、当時のテキサスはスペインから独立したばかりのメキシコ領。カトリックが多数を占め、奴隷禁止国であるメキシコにとって、2万人にも膨れ上がったプロテスタントで奴隷支持者の米国開拓民の存在は当然のごとく大きな問題だった。
50.遥かなる大地へ Far and away 1992年米国映画(監督)ロン・ハワード
(出演)トム・クルーズ、ニコール・キッドマン
(音楽)ジョン・ウィリアムス
フロンティアライン消滅宣言後の19世紀末にアイルランドから米国に入植してきた男女を、当時実際に夫婦だった2人の若手人気俳優が演じた。
西部開拓も末期となると、移民も至るところで飽和状態となり、既得権者たちが後からやって来る移民たちの入植を防ごうとするようになる。
そんな時、ワイオミングで起きた「ジョンソン郡戦争」は初期に多く入植していたWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の既得権者である牧場主たちが、新たにやって来る東欧系移民をガンマンを雇って殺戮排除しようとした事件で、『天国の門』(1980)でも描かれていた。
「シェーン、カムバック」で有名な『シェーン』(1953)も同じ歴史的背景の中での物語である。
「新大陸」は先住民の権利を奪った入植者たちの国だが、その中でも先行した既得権者が大きな顔をして、新たな移民を認めようとしないというのは、今のヒスパニックに対する姿勢でも全く同じである。
51.アイアン・ホース Iron horse 1924年米国映画(監督)ジョン・フォード
(出演)ジョージ・オブライエン
52.大平原 Union Pacific 1939年米国映画
(監督)セシル・B・デミル
(出演)バーバラ・スタンウィック、ジョエル・マクリー
大陸横断鉄道が開通するまでを描いたこの2作にも描かれている通り、工事夫たちは時に「インディアン」の攻撃を受けることがあった。というのも、線路が「インディアン」居留地を通り抜けることが稀ではなく、ただでさえ無理やり押し込められているその地までも侵略されると先住民たちが感じたためであった。
車社会となった現代の米国では、大都市部の地下鉄や近距離コミュータートレイン以外では、鉄道は貨物用と言えるほどに旅客列車数は少ない。たまに走っている長距離便の大陸横断や縦断列車も、とにかく時間がかかるし、よく遅れる。
『大陸横断超特急』(1976)の主人公のごとく、わざわざ暇をつくるために列車に乗るか、日本の鉄道マニア的「乗り鉄」でもない限り、時間をもてあましてしまうほどに、この国は広くまた列車は遅い。新幹線の登場する日(?)が待ち遠しい。
1.(再出)80日間世界一周 Around the world in 80 days 1956年米国映画
サンフランシスコから大陸横断鉄道を使って東海岸に向かう途中、「インディアン」の襲撃を受け、執事パスパルトゥーがさらわれ火あぶりにされそうになるシーンが、この映画の米国でのクライマックスシーンとなっているところが、いかにも1950年代の娯楽映画らしいところである。
53.地の塩 Salt of the earth 1953年米国映画(監督)ハーバード・J・ビーバーマン
(出演)ウィル・ギア
ニューメキシコの鉱山での労働運動を描いた社会派ドラマで、今見てみるとその主張はさほど急進的には見えないが、赤狩り華やかなりし頃の米国で発禁となった映画である。
第2次世界大戦後、枢軸国から共産国へと仮想敵国を絞り直した米国が、映画産業という目立つものにターゲットを絞り共産主義者狩りを行った際、この映画の監督ハーバード・J・ビーバーマンやエドワード・ドミトリクなど10人が非米活動調査委員会から召喚された。
ところが、委員会の期待する証言をしなかった彼らは、6カ月から1年の実刑を科せられ、さらにその後の映画界での仕事に著しい制限を受けることになる。
彼らは「ハリウッド・テン」と呼ばれたが、その1人、脚本家のダルトン・トランボはそんな逆境をくぐり抜け『ローマの休日』(1953)などの有名作品で偽名を使い仕事は続けていたことが後年判明している。
紆余曲折のこの映画の歴史を監督自らが綴った「ある映画の歴史 地の塩」が65年に出版され、日本でも1977年にようやく迎えた映画の初公開に合わせて翻訳が出版された。
54.市民ケーン Citizen Kane 1941年米国映画(監督主演)オーソン・ウェルズ
(出演)ジョゼフ・コットン
(音楽)バーナード・ハーマン
多くの歴代映画ベストテンで第1位に選ばれている、話法的にも映像手法という意味でも極めて完成度の高い作品で、オーソン・ウェルズ25歳の時のデビュー作である。
映画完成時まだ存命中だった新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストを明らかにモデルにしていたことから、ハーストがあの手この手を使って上映阻止を図ったため、上映館数は極めて少なくなり興行的には惨敗した。
ハーストの名前は、死後次第に忘れられていったが、1974年、左翼過激派SLA(共生解放軍)に誘拐された孫娘のパトリシア・ハーストが、いつの間にかSLAの一員となって銀行強盗に加担していることが分かり、犯罪被害者が長時間犯人と過ごすことにより過度の同情や好意を持つようになるという「ストックホルム症候群」の実例としてクローズアップされたことで、再びその名がメディアを賑わすようになった。
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