http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/415.html
Tweet |
(回答先: <反日は虚報>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(1) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 11 月 13 日 11:54:04)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51682339.html
「ジャーナリスト同盟」通信 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(2)
から、下記を転載投稿します。
<ひやり快速電車>
帰国当日の11月12日に東京にも大陸からの黄砂が襲来しているとの報道があった。前日の天津では、確かに強風で地下鉄工事現場などの砂塵が勢いよく舞い上がって、昼間でも灰色がかっていた。1日かけて日本列島に届いたのであろう。大陸と列島は気象面で直接つながっているのだ。
いやなニュースも国会から届いていた。国会議員歳費1割削減を打ち出した民主党の岡田克也幹事長方針に対して、なんと同党議員が大反対して押しつぶしてしまったというのである。
日本の財政事情は国会議員報酬と議員定数の半減を求めている。1割削減でお茶を濁すことなど公人に許されることではない。それでいて、たったの1割削減に民主党はNOというのである。政権交代した同党も、これでは自民党と同じ金権議員ばかりだった証拠である。小沢や鳩山を批判できようはずもない。野党議員全ても、である。大反対したという森とかいう女性議員も、金権の典型政治屋といえるだろう。有権者はより賢くならねばならない。
日本の前途は、政権交代してもお先真っ暗ということになる。実質、無政府状態といえよう。11月13日の横浜でのAPEC首脳会議、日米首脳会議などで菅直人は、課題の多いTPP参加を表明、新たな火種を持ち込んだ。財官閥に操られた自民党並み以上の政権を裏付けた格好である。財閥と官閥の政治路線は、より戦前回帰を印象付ける。
北京に旅立った11月1日もそうだった。品川駅に到着する成田空港駅行きの快速電車が相当遅れているではないか。あわてた。幸い、1時間遅れの電車に乗ることが出来て助かったのだが、パキスタン航空は出発2時間前、出来れば2・5時間前の到着を乗客に要請しているため、大いにあわててしまった。
日本の鉄道は時間通りが人気の秘密となって久しい。人々が鉄道の時間を厳守すれば、約束の時間に着くことが出来るというルールが壊れているのである。原因は人生をあきらめた市民の飛び込み自殺である。これが蔓延している社会に変質している。以前の日本ではない。
バブル崩壊と20年以上の借金財政によって年金や福祉などが崩れてきている。格差社会の隅に追いやられた市民は、生きる希望を失っている。精神が病み、健康に生きられなくなっている。中曽根バブルに遠因がある。中曽根は、世界平和研究所などという謀略研究機関を主宰できる立場にはないのである。
菅内閣がネオコン政権よろしく尖閣諸島海域での中国漁船拿捕と船長逮捕という強硬手段による領有権問題の表面化させたことで、この日、ロシア大統領のメドベージェフが北方領土を訪問した。隣国とのトラブルは決まって日本がマッチを吸う。右翼化を物語っている。
<重い役目>
今回の中国訪問には、トランクに重い荷物が詰まっていた。1年前の北京は大雪だった。寒くて震え上がった。しっかりと冬支度した分、荷物が膨らんだ。外交学院日本研究所に10数冊拙著を献本する必要もあった。本はかなり重いものである。もう一つ大事な土産も用意した。
粉ミルクである。明治粉ミルクである。幼児向けの粉ミルクが、今の中国で大人気と知ったからである。粉ミルクの知識などない。妻もわからない。若い子育ての母親に聞いて確かめ、それを4缶用意しての旅立ちだから、荷物が重くなってしまったのだ。歩いて10分足らずの距離を車を利用した。
心配は北京空港の外に出るまで続いた。麻薬犬がミルクと麻薬を勘違いして缶を開けられたら、全ておしまいである。犬の中にもいろいろいるだろうから、という素人の不安である。結果はうまくいった。ほっとした。見事に目的を達成したのである。これで数カ月、安心して成長する幼児がいると思えば、少しばかりいいことをした気分である。
そういえば、成田空港の免税品店にも明治粉ミルクが積まれていた。いまや人気の日本商品なのだ。この会社の株式を知らないが、恐らく中国人によって高くなっているだろう。
<パキスタン青年>
パキスタン航空機は日本人と中国人、それにパキスタン人がほぼ3分の1を占めていた。以前のように団体の観光客は見られなかった。隣席のパキスタン青年がしきりに声をかけてきた。日本滞在8年という34歳のシャヒド・マムード君は、日本で夫を亡くしたフィリピン人女性と結婚、家も建てたと話してくれた。
父親の病に駆け付ける途中とのことだった。そのせいか機内でもイスラム教の礼拝を繰り返した。敬虔なイスラム教徒だった。だから腐敗そのものの祖国への愛着はなかった。逆に「日本はすばらしい」と連発するほどで、穴があったらもぐりたかったほどである。
「イスラム教を守らない指導者と国民。みんな自分のことしか考えないパキスタンに期待するものは何もない」と決めつけた。「祖国で仕事を始めようとしても騙されるだけだ」とも吐き捨てた。その点で「中国はいい道に入っている。これからよくなる」と語った。パキスタン航空について「今は国営。民営化しないと駄目だ」とも言っていた。彼は群馬県北群馬郡の住人だった。
<タン麺で歓迎>
北京空港には外交学院の学生2人が出迎えてきてくれていた。彼らは出国手続きを終えて出迎え出口に出てゆくと、学生の方から声をかけてくれた。昨年講義をしていた学生だからである。ありがたいことだ。大学が車を提供してくれていた。前回もそうだったが、多くの学生は巨大過ぎる北京空港が初めてである。勉強が忙しくて空港に足を延ばす余裕などない学生たちなのである。
学校に着くと、そこに筆者を呼んでくれた日本研究センター所長の苑崇利教授が宿舎の国際交流センター入口で待っていてくれた。荷物を下ろすと、近くのおいしいタン麺の店に案内してくれた。
今回の訪問は夏に中部大学に滞在していた苑さんと東京で会ったさい、筆者から「1年ぶりの北京訪問をしたいものだ」と希望を述べたことが、いうなればきっかけとなった。
今年は2度も上海を訪問した。万博にも行くことが出来た。拙著「台湾ロビー」(データハウス)を翻訳した上海国際問題研究所の呉寄南さんが、わざわざ万博入場券を郵送してくれたからである。「無駄にしては失礼なので必死の思いで訪問した」のだが、同じく北京にも「行きたい」と思い詰めていた。時間の余裕も出来たからである。
日本にいるだけで息がつまりそうな日本を脱出、自由な気分にさせてくれる第二の故郷のような中国友好の旅は、筆者の精神を蘇らせてくれるからである。
11月になれば航空券も安くなるだろう、との計算も働いた。したがって、今回は余裕のある北京訪問計画となった。あらかじめ他の友人にもメールで声をかけることが出来た。信頼できる苑さんが間を取り持ってくれた。中国政府の頭脳機関の中国社会科学院日本研究所や中日関係史学会との交流も予定に入った。
むろん、外交学院では学生らへの講義や討論座談会も計画された。楽しい予定は、それこそ久方ぶりの天津訪問も具体化、追加することが出来た。
菅官内閣の対中緊張外交の表面化も、筆者の旅に味付けしてくれた。
2010年11月13日13時40分記
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
- <中国社会科学院日本研究所>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(3) 五月晴郎 2010/11/14 11:39:05
(2)
- 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(4)(5)(6)(7)(8) 五月晴郎 2010/11/20 19:46:51
(0)
- 尖鋭化する「太田述正・言論」、実に結構です (uedam.com) 五月晴郎 2010/11/14 12:25:24
(0)
- 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(4)(5)(6)(7)(8) 五月晴郎 2010/11/20 19:46:51
(0)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK99掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。