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(回答先: <ひやり快速電車>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(2) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 11 月 13 日 15:47:30)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51682603.html
「ジャーナリスト同盟」通信 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(3)
から、下記を転載投稿します。
<中国社会科学院日本研究所>
北京入り2日目の11月2日、中国政府の頭脳集団で知られる社会科学院の日本研究所を訪ねた。思えば、こことの接点は20年近く前になる。宇都宮邸の観桜会である。平和軍縮派の巨頭で知られた宇都宮徳馬さんが、神奈川県大和市の自宅に親しい政治家・新聞記者などを招いた席である。東京の中国大使館の館員の多くも招待していた。そこで知り合った趙さんが北京に戻ると、この日本研究所で勤務したからである。
観桜会には三木武夫、鈴木善幸、河野洋平、土井たか子ら平和主義・リベラル派が姿を見せていた。大使館からはバスで大使以下の館員が大挙して押しかけた。この時である。厚木の米軍基地から飛来した戦闘機の轟音に仰天させられた。今も続いているのであろうか。ここにいる善良な市民の全てが平和主義派になって当然だろうと気付かされた。
軍閥が支配したころの重厚な建造物の一角に日本研究所があった。北京大学留学中の息子・春樹に案内させて趙さんの事務所を訪ねたのが最初だった。当時はべら棒に安かったタクシーを利用した。その後に、何度か研究所主催のシンポジウムに参加する機会に恵まれた。
前任者の所長時代は、北京滞在のおりに時間を見つけて交流してきた、との経緯があるが、ここのところその機会が少なかった。久しぶりの訪問となった。
日本研究所は立派に改装されていた。便所だけではない。会議室や事務所も申し分のないものだった。Q字型のテーブルには一人ひとりマイクが備えられていた。従来のように声をからす必要などなかった。
北京五輪を機会に道路・建造物の装いを一新させた北京である。北京を知らない日本人は少なくなったはずだが、それでもこうした研究機関の内部までもが衣替えしたことには気付かないだろう。
<バスで会場へ>
日本研究所に行くのには地下鉄が便利であることが判明したのだが、苑教授が案内役に指名してくれた学生の可君は、パソコンで交通事情を調べてくれていた。大学近くのバスに乗れば一直線だという。切符は1元程度である。日本円で15円と安い。カード利用だと、もっと安いらしい。
ともかく公共交通が安いのが中国のすばらしさだ。日本のJRのような高額料金に慣らされている人間には、なんともうれしい。しばらくすると、可君が席を確保して椅子に座らせてくれた。時間は午前9時前である。渋滞時間が過ぎたとはいえ、北京の交通事情はよくない。しかし、バスは優先して走れるものだからそんなにいらつくことはない。タクシーではないのだから。
もう記憶から遠ざかっているのだが、過去の日中間のきしみの時、日本語を使う中国人はバスなどで日本語を話すことを止めたほどだった。それこそ「反日」の雰囲気が市民の間に立ちこめていたからである。
今回はどうか。全くその気配を感じることはなかった。「反日」報道は虚報なのである。筆者は大声で可君とおしゃべりした。彼は自身の研究課題について質問してきた。かれこれ4、50分のバス旅行に問題などなかった。
<日本の権力構造の正体を講演>
日本人の多くも日本の権力構造を知らない。いわんや外国人はなおさらであろう。鳩山内閣と民主党代表選挙での小沢一郎発言でも、一般国民はわかっていない。マスコミが報道しないからである。
講演で筆者は中国で初めて官僚支配の日本・官閥という言葉を紹介した。どの程度理解してもらえたものか不明だが、日本の権力構造を理解しない限り、日本の実像をつかむことは不可能なのだ。そのことに警鐘を鳴らした。
戦前の権力というと、軍閥と財閥であるとされた。日本軍国主義は軍財閥によるものと理解されてきた。占領軍は従って、財閥と軍閥を解体した。しかし、実際には官閥こそが権力行使の主体だった。官僚である。官僚制度・官僚機構こそが権力構造の主役なのである。
日本の官僚は明治時代になって確立した。そこへと政商が群がった。政商は権力を掌握する官僚と一体化して財閥へと変身してゆく。この財閥と官閥の特徴というと、それは天皇制ともう一つが超大国との同盟である。後者は、戦前は大英帝国である。その力で日清・日露の大戦に勝利した。いまNHKが、国民を洗脳しようと躍起になっている竜馬や「坂の上」ではない。
第二次世界大戦では、ヒトラーのドイツと同盟を結んで敗北した。誤れる戦略は官閥によるものである。朝鮮半島や大陸侵略は財閥の意向を官閥が強行したものと理解すべきだろう。日本軍国主義の震源地は官閥と財閥である。
敗戦で軍閥と財閥は解体されたが、官閥はそっくり生き残った。ここの点が、官閥も成敗したドイツと日本の落差なのだ。怪しげな右翼主義の震源地である天皇制が存続した理由なのである。
<「橋のない川」を読め>
日本の諸悪の根源を天皇制と教えてくれた人物は、宇都宮さんである。目から鱗が落ちた瞬間だった。皇国史観から離脱できない日本も官閥が生き残ることで、現在も尾を引く。「日本は天皇を中心とする神の国」との妄言を吐いた総理大臣は、小泉内閣の前の森喜朗であった。
天皇制を勉強しないと日本は見えてこないのだ。その格好の教材を友人弁護士が教えてくれた。「橋のない川」である。作者は住井すえさん。92歳で第7巻をまとめた。日本文学の最高峰といっていいだろう。中国の魯迅に匹敵する。女流文学者の慧眼にはあきれるばかりだ。表は差別問題を取り上げているが、裏は天皇制を裸にして批判した最高傑作である。
官閥や財閥が嫌う作品に違いないが、この「橋のない川」こそが、民衆から生まれた見事な政治思想文学といっていい。これを一部呼んだ人物は、今回の旅の中で一人いた。ほとんどの日本研究者は知らなかった。
日本文学を研究している田さんには、後に電話で伝えた。翻訳を薦めた。
<93回目の訪中>
今回の講演内容は、初めてのことである。何人の研究者が理解できたか。しかし、ここがわからないと、鳩山内閣が打ち出した官僚主導の政治から民意・政治主導の政治の中身もわからない。鳩山の日米対等論・アジア重視・東アジア共同体構想も。また、小沢と鳩山が検察とマスコミに叩き潰された理由もわからない。
この小沢―鳩山体制を内側から崩壊させた松下政経塾の正体も分析不能である。菅内閣で松下財閥率いる政経塾が実権を掌握していることも理解できない。
財閥が主導するTPP参加に意欲を示す菅官内閣、財閥減税と大衆増税を目指す菅官路線も。
会場には40人近い研究者が話を聞いてくれた。若手の研究員も多数いたので、筆者が何故に中国を訪問しているのか、という理由も明かすことにした。誤解を生じさせないためだ。ジャーナリストとして93回目の訪中は筆者のみである。あと7回だ。出来るだろうか。格安航空機が飛んでくれることを祈るばかりだ。
遠因は大平正芳担当記者になったこと、宇都宮さんと生涯交流したことである。目標は100回。中国国家旅遊局の張西龍君に「生きている間に中国に100回来てください」といわれたこと、ただそれだけのことである。理由のない理由なのだ。「100回目に北京でお祝いの会を開く」というのだが、現在彼とは連絡がない。
すると、どうだろう。新任の李所長が「私が餃子パーティーを開く」とうれしい約束をしてくれた。
<意外な出会い>
東北大学で経済を勉強したり、学生に教えたりしているというベテラン研究者の張さんは「日本を理解すればするほど日本がわからなくなる」「日本は民主主義の国というけれど、本当に民主主義の国なのか」と疑問を呈した。
彼ら日本通からすると、全ての日本マスコミが中国の「反日デモ」と連日、繰り返し報道することに対して「おかしい」「不思議だ」と感じているのである。集団主義と民主主義は相いれないのだから。
この場で司会をしてくれた副所長の王君が「以前会いました」と声をかけてくれた。そういわれると、確かにどこかで会ったような気がする。しかし、一体誰だろう?名刺を交換して、ようやく思い出した。東京で若い中国の新聞記者数人と数回勉強会をしていたことがある。北京に戻っても何度か交流していた。彼はそのメンバーの一人だった。温和で性格がいいのが、彼の持ち味だ。
記憶が戻ると、改めて人生の奇縁を感じざるを得ない。かつての日本での新聞記者訓練が、今花開いているのである。筆者の話に耳を傾けてくれたに違いない。
李―王正副所長のいる間に、また来る機会が訪れるだろう。他にも親切な日本通がいるのだから。
昼食弁当を食べながら質問を受けた。弁当を食べながらの質問会は、ここの以前からのもので変わりなかった。ただし、弁当の容器や中身は一段と上等になっていた。
帰路は可君にお願いして地下鉄を利用した。バスに乗り、次いで地下鉄に乗る。これぞ新聞記者魂がまだ温存されている証拠である。午後1時過ぎの地下鉄は、ほぼ満席状態だった。もちろん、日本マスコミが喧伝する「反日」の雰囲気を感じることはなかった。
「そこは北京だからだ」と反論する向きもあるだろう。しかし、「反日」が事実であれば、首都にもその片鱗を感じることがあるはずである。反前原・反菅内閣・反政経塾は存在しても日本人いじめは存在しない。誰しもが安全に旅をすることが出来るのである。
2010年11月14日8時45分記
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- 尖鋭化する「太田述正・言論」、実に結構です (uedam.com) 五月晴郎 2010/11/14 12:25:24
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