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(回答先: アメリカの対日政策の第3期の今、日本人で正義の士は誰か (uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 16 日 15:01:26)
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9046
冷戦勝利後、1995年にアメリカは「金融帝国」として浮上した
投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月16日(土)12時05分33秒 通報 編集済
こんにちは、皆さん、植田です。
本日の為替レート。
ドル(円)81.42-81.46▲ +0.17(円安)(16日、5:48)
9月15日に日本政府・日銀による2兆円の円売り介入があった82円を突破して、今週は81円が定常値になりました。
昨日は、ニューヨーク市場では、一時的に、80円台に入ったようです。
あさってからの東京市場も、いよいよ80円台か、という地点にきました。
こういう現状を押さえながら、戦後日本の対米従属問題の経済篇です。
14日に、冷戦前と後では、アメリカの日本経済に対する姿勢が変わった、というところまで来ました。「輸出主導型の起源と、冷戦前と冷戦後の日本経済の位置」。
そこで、今度は、冷戦後の状況を見てみましょう。
アメリカはいかに日本経済にアプローチしてきたか、です。
大別すると、この問題は、2つに分けることができます。
1 日本だけをターゲットにするアプローチ。
2 アメリカの世界戦略(グローバル経済戦略)の一環として日本経済に対する要求。
これまでの議論を振り返ってみると、(このホームページを立ち上げてからの経済問題の話題です)、どうやら1の問題に限られていたと思います。
で、これは簡単です。
アメリカは日本に構造改革をせよ、と迫った、と。
具体的には、輸出主導型経済を転じて、というか、アメリカに輸出攻勢をかけなくても日本経済が成長できるように内需拡大をせよ、と。パパ・ブッシュ政権時代の日米構造障壁会議から、クリトン政権時代の日米包括会議、そしてブッシュ・ジュニア政権時代の「日米年次改革要望書」。
これらについてもまだ結論がでるまでに充分に論じ切られていませんが、今、2の問題が浮上しました。
アメリカの「帝国」国家としての経済戦略の問題です。
日本経済だけをターゲットにする対日戦略としてのアメリカ問題ではなく、世界帝国としてのアメリカの国際戦略問題です。
これゆえに、日本経済の構造要因(輸出主導型、官僚主導型問題)とは別に、アメリカ経済に内在する日本経済の富への必需がある、という要因です。
これは何か?
そこで非常に参考になるのが、水野和夫の『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』です。
ここにアメリカ経済自身に内在する構造要因から、日本の経済の富を必需する背景が説明されています。
たとえば、
「〈フェルドシュタイン・ホリオカ・パラドックス〉が存在し、豊富な日本の貯蓄が日本国内で使われていては、貯蓄不足の米国としては困る。そのために米国は〈帝国化〉し、各
国に金融の自由化を求めるなどして、各国の内政をも動かしてきたのである。」p.102
水野氏によると、アメリカが「金融帝国化」したのは1995年です。
まさに冷戦後、です。
冷戦時代は、国の総力をあげてのソビエト共産圏との戦争でした。総力とは、軍事力、経済力、情報力、大学力、資源力、衛星国との関係力、外交力、文化力、などなどです。
これらの総力戦が始まったのは1946年3月5日。チャーチルのアメリカ・フルトンのウェストミンスター大学での「鉄のカーテン」演説からでした。
演説の内容の抜粋がここにあります。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~takane/lecture/kokusai/data/ironcurt.htm
冷戦が終わったのはドイツでは1989年11月9日のベルリンの壁の崩壊。
ソビエト連邦が解体したのは1991年12月5日、ゴルバチョフの書記長の辞任。
ここからアメリカはポスト・冷戦に向かって舵を切り始めます。
その姿勢が明確に示されたのが、水野氏によれば、クリントン政権下でのルーピン財務長の就任。
「日本では95年に戦後が終わり、時代の大きな区切りとなったが、米国ではそれ以上のことが起きていた。すなわち米国にとって95年は、実物経済の時代が終わり、金融経済の時代の幕開けを画する年だった。金融経済が実物経済を凌駕し、かつ外国のマネーを米国のために自由に使うことができるようになり、米国の意図が国境の外まで及ぶようになった。いわば米国の〈金融帝国〉化元年だった。
ドラッカーが89年に指摘した〈資本の移動によって、動かされ、形作られるグローバル経済〉を、95年に米国政府は明確な意図をもって構築しようとしていたのである。・・
95年に財務長官に就任したロバート・ルーピンがとった〈強いドル政策〉は、世界のマネーを米国に一端集中させ、その後再び世界に配分するシステム(マネー集中一括管理システム)であり、米国はそれを年々進化させていった。」p.30
すなわちポスト冷戦のアメリカの新しい国際戦略は、金融界での「帝国主義化」でした。
その政策が、ひたすら、例えば日本経済からその貯蓄を奪え、という行動になります。
それに日本最大の銀行である郵貯を民営化して、その貯蓄を合法的にアメリカに流せ、ということになりました。
ちょうどここに、小泉純一郎氏の、国会議員としての生活の全部を賭けた「財投改革」の構想がはまりました。そして郵貯を改革するのが、財投改革の生命線だ、と。で、小泉氏の構想では、これぞ、2009年8月の衆院選挙の民主党に先駆ける「脱官僚」でした。
見事な日米の合体です。
小泉氏の「脱官僚」が、アメリカの金融帝国化戦略と、まるで〈神の手〉が打ち合わせたかのように、ピッタリと合致しました。
続く。
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