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(回答先: 検察の主観性の問題 (uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 16 日 15:03:17)
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立花隆の『田中角栄研究・全記録』
投稿者:ウエダ 投稿日:2010年 9月11日(土)19時09分30秒
こんばんは、皆さん、植田です。
1982年に出た立花隆の『田中角栄研究全記録・上』(講談社文庫)の初めのところをちょっと拝見してみました。
田中角栄は、どこで、いかなる犯罪をおかしたのか、と。
で、田中角栄氏が首相になった状況を解説する箇所に、立花氏のロッキード事件への言及がでてきました。
「8年の長きにわたった、史上最長の政権、佐藤時代は終わりを告げ、田中時代のスタートは、国をあげて歓迎された。日本列島改造と日中国交回復が田中内閣の目玉商品だった。前者は、長い高度成長期が生んだ社会的歪みの諸懸案を一挙に解決してくれるものと幻想され、後者は、その前年の電撃的な米中会談によって、中国問題に関しては世界の孤児になりそうだという日本人のあせりを払拭してくれた。かくして、田中内閣の支持率は、日中国交直前には、62%という記録的な数字(朝日新聞による)になった。
今にして思うと、彼はこの得意の絶頂期にロッキード社からワイロ受け取り工作をしていたことになる。」P.98
立花氏は、田中角栄・有罪の確信者です。
木村喜助氏の『田中角栄の真実』を見ると、ロッキード裁判でも立花氏は傍聴を続け、時には、立花氏の見解が検察を動かすところもあります。
立花氏にとっては、田中角栄は、判決前から、有罪でした。
ところが、木村氏の『田中角栄の真実』を見て、私は、ロッキード事件に関しては、角栄氏は、5億円を受け取っていない、と思い始めています。
メディアの報道だけでは、私も立花氏と同じように、角栄のことだから、もらっていただろう、と思ったことでしょう。つい先週まではそう思っていました。
こういう時は、担当弁護士の記録も、しっかりと目にしてみるものです。
木村氏の、角栄・無罪弁論に、私は説得されつつあります。
角栄氏の人格の問題ではなく、5億円をもらったのかどうか、という点だけの問題としてです。
さらにここから次に行きましょう。
もし、角栄氏が5億円をもらっていなかったとしたら、ロッキード裁判はどうなるのか。
角栄氏が死んだから、もういいのだ、ということで終わりなのか。
もし角栄氏が無罪であるとしたら、立花隆の『角栄研究』はどうなるのか。
これは、立花氏は、どこから角栄・有罪の証拠を得たのか、ということになります。
もし証拠がないのであれば、どこから角栄・有罪の「思いこみ」を形成したのか。
事は、立花氏だけではありません。
私には意外でしたが、立花氏は非常に謙虚でした。
「たしかに、『文芸春秋』11月号の〈田中角栄研究〉の与えたインパクトは大きかった。しかし、そのインパクトの大きさは、その論文のプロパーではなかった。背中に荷物を目いっぱいに積んでようやく立っているロバの背に、ワラをもう一本乗せただけで、ロバがひっくりかえることがある。私はただ、最後の一本のワラを乗せる栄誉になっただけにすぎない。」P.4
まあ、それが栄誉だったのかどうか、今後、見解が変わっていくことも予想されます。
私は、ここは、広瀬隆の『持丸長者』の出番であろう、と思います。
田中角栄がそれほどの「犯罪者」とイメージされた背景には、角栄氏一人を追及しただけでは理解が到達できない、日本社会の深い「構造」問題がある、と。
それは明治政府がつくりだした「政商」なる存在がキー・ワードであろう。
立花氏の研究は、すでに日本人の意識の中に出来上がっていた「政商=悪」の伝統的コンセンサスを背景にして、受け入れられた「栄誉」ではなかったのか、と私は思います。
解明すべきは、「政商」とはいかにして登場してきたのか、です。
私の予想では、もちろん、政商は、社会全体としての自由市場経済などありようはずがなかった明治時代の律令システムが生み出したもの、ということです。つまり、明治政府が立ち上げた日本資本主義は、律令システムの中でしか動くことが出来ない以上、政府権力と結びついてしか、企業活動は成り立たなかった、と。財閥、と呼ばれるレベルの経済活動においては。
戦後の自民党の金権政治は、この戦前の「財閥=政商」のイメージを背景にして、生まれてきたものである、と。
それは、自然理性人ではなく、権威に依存してしか動くことのできない律令理性人が、西洋近代社会の挑戦を受けた時、経済の領域では、そうなるしかなかった当然の形態であったのだ、と。
権力が資金を収集し、分配するシステム、です。たとえば、土建業、と。
そして田中角栄は、うまいこと、このシステムの中心の座を射止めた、と。
だから、実際に彼が何をやったか(ロッキード事件)とは関係なく、すでに角栄=悪、という図式が出来上がっていた、と。
田中角栄という人物を判断するには、したがって明治以来のこの国の経済成長史の全体を考慮にいれる必要があるだろう、と私は思います。
立花隆の「角栄研究」は、その意味で、まだ断片です。
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