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安倍首相は、米国には従属し、韓国に対しては、逆ギレ対応しているのでは、
とても世界の信頼と賞賛を得られない !
自公政治家・NHK等が隠蔽・誤魔化す、日中戦争の深層・真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/01/16より抜粋・転載)
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1)韓国政府は、何より、慰安婦の被害者の尊厳と、
名誉を回復しなければならないと、肝に銘じた !
2)韓国政府:普遍的な人権問題・慰安婦問題は、
人類の歴史の教訓である !
3)孫崎享氏:日韓合意、韓国の見直しを非難する安倍首相
の方が異常で非常識だ !
4)従軍慰安婦問題の合意内容について、日韓が、
公式な文書を交わしていない !
5)韓国は、日本に対して、慰安婦少女像の撤去を確約していない !
6)慰安婦少女像の撤去実現には、日本政府が、新たな
韓国政権と新たな約束を、取り付けるしか、方法はない !
以上は前回投稿済みです。以下はその続きです。
7)安倍首相は、トランプ大統領の行動は非難しないが、
韓国に対しては、合意の見直しを、激しく非難している !
これ以上のダブルスタンダードはないと言ってよいだろう。
韓国では大統領選挙があり、韓国の主権者が新しい大統領を選出し、その新しい大統領が、これまでの外交についての見直しを行っているのである。
たしかに外相合意に「最終的かつ不可逆的に解決」の文言はあるが、日本政府が、最ももこだわっている、従軍慰安婦少女像の撤去についての、確約も取り付けていない合意が、「最終的かつ不可逆的に解決」する、決め手になるわけがないのだ。
8)日本政府が、あいまいな合意をしているから、
問題が解決していないのだ !
このようなあいまいな合意をしているから、問題が解決していないのであり、日本政府が、韓国政府を激しく非難していることは、孫崎氏が、指摘するように「異常で非常識」であると、言わざるを得ない。孫崎氏のような識者が日本に残存していることが日本の救いである。
為政者のなかにも鳩山友紀夫元首相のように、真にアジア諸国との友好関係構築に真摯に取り組む人物が存在したが、第2次安倍政権発足から5年の時間が経過して、日本のアジア諸国との関係は著しく劣化してしまった。
9)安倍首相には、近隣諸国と積極的に友好関係を
構築しようとする意志が、見えない !
健全な友好関係を構築するには、相互の信頼と尊重が必要不可欠であるが、安倍首相には近隣諸国と積極的に友好関係を構築しようとする意志がまったく感じられない。
安倍首相は東京五輪開催に異様なこだわりを示してきたが、五輪を大切にしたいと思うなら、隣国の韓国で開催される五輪も大切にするべきだろう。その韓国で、この冬に冬季五輪が開催される。
10)安倍首相は、韓国五輪の成功に、全面的な協力をするべきだ !
安倍首相は、平昌に飛んで行って、韓国五輪の成功に全面的な協力をするべきだろう。
それを、韓国で政権が代わり、2015年の日韓合意では問題の真の解決を得られないとの見解が示されたことに立腹して、五輪出席をボイコットするというのは、あまりにも子供じみた対応である。
米国のトランプ大統領が米国が署名したTPPからの離脱を決めてTPPを迷走させているのだから、同じ論理で考えれば、訪米もトランプ大統領の訪日も断るべきではなかったのか。
11)安倍首相は、米国には従属し、韓国に対しては、逆ギレ対応しているのでは、
とても世界の信頼と賞賛を得られない !
米国に対しては、米つきバッタのような対応を、恥も外聞もなく展開しつつ、韓国に対しては、逆ギレ対応しているのでは、とても世界の信頼と賞賛を得ることなど不可能である。
北朝鮮との対応にしても、圧力の一点張りでは解決の糸口も掴めない。
拉致問題を解決すると公言しながら、問題解決に一歩も近付いていない。
北朝鮮の核放棄が前提条件だと言うが、そもそも、NPTの体制が、「究極の不平等条約」なのである。
―この続きは次回投稿します―
(参考資料)
米英中国などやマスコミが隠すが、日中戦争の発端を仕掛けた主体は ?
T.米英中国などやマスコミの ウソ宣伝を見破ろう !
1、中国の主張・「盧溝橋事件は日本が仕掛けた」 への反論
中国側の文献が示す“中国共産党の謀略"説 :渡部昇一教授の主張
日中戦争の発端となった昭和十二(1937)年七月の盧溝橋事件は、中国では「七七事変」とも呼ばれ、教科書で特に詳しく記述されている。自民党政権は、反論を国民に教育してこなかったし、国際的な啓蒙も怠ってきた。中国・韓国は、自論を、徹底的に国民に教育し、国際的にも啓蒙を徹底的に数十年間実行してきた。
(1)中国の教科書記述
中国人民教育出版社の「中学歴史教科書」は、こう書いている。
「1937年7月7日夜、日本侵略軍は北平(北京)西南の盧溝橋に進攻し、長い間からもくろんでいた全面的な侵華戦争を開始した」「7日夜、日本軍は盧溝橋北側で盧溝橋進攻を目標とした軍事演習を行った。
彼らは一人の兵士の失踪を口実に、苑平県城に入って捜査することを理不尽に要求し、中国守備軍に拒絶された。
日本軍はすぐさま苑兵県城に向けて攻撃を開始した」(明石書店「中国の歴史」より)
侵略の機会をうかがっていた日本軍が、兵一人の行方不明を口実に中国側に無理な要求を突きつけ、断られたため、全面的な侵略戦争に突入したという書き方である。
東京裁判でも、元北京市長の秦徳純証人が同じような"日本軍挑発"説を主張したが、事実は全く異なる。
日本では、戦後の実証的な研究により、最初に誰が撃ったか分からない「謎の発砲」があり、原因不明のまま偶発的に日中両軍が衝突したという「偶発」説が有力になった。(原因については、”歴史を考える1”を参照)
(2)冷戦終結後の研究で 中国共産党の謀略が濃厚と判明 !
盧溝橋事件について、最近の日本側の研究では、逆に、「中国側が事件を起こした」のではないか、という疑惑が深まっている。
事件に詳しい秦郁彦氏は、最初の謎の発砲が中国軍側から行われたことをうかがわせる事実を、二十九軍の第三大隊長をしていた金振中の手記から突き止め、昭和六十二年十月、久留米大で開かれた国際政治学会で発表した。
金振中はその後、中国共産党軍に身を投じ、金振中の上官だった第百十旅団長の何基?も事件後、中国共産党軍に転じている。
このころ、中国共産党北方局第一書記をしていた「劉少奇」は、北京の図書館に勤務しながら、地下工作を指揮していたといわれる。
国民政府の第二十九軍にも、副参謀長の張克侠をはじめ、多数の共産党員やシンパが潜伏したことが、戦後の「中国側文献」などで判明している。
また、事件直後、北京大学の構内と思われる通信所から延安の「中国共産党軍司令部」に宛てて、「成功した」という意味の電報が打たれた事実が、元日本軍情報部員の「証言」で明らかになった(平成六年九月八日付産経新聞)。
当時、日本政府も、蒋介石総統の率いる国民政府も、「衝突を望んではいなかった」のである。“衝突を望んでいたのは、旧ソ連のコミンテルンと中国共産党だった”のである。真相はなお不透明な部分があるが、盧溝橋事件は、「中国共産党の謀略」によって起こされた疑いが極めて濃厚になってきている。
少なくとも、日本軍が仕掛けたということは、「絶対にあり得ない」ことである。 中国当局はまず、秦氏らが調べた中国側の文献をきちんと読み直すべきである。
2、銃弾を放ったのは中国共産党工作隊
(コミンテルンの子分)だ !
(菅沼光弘元公安調査庁第2部長の主張)
1935年7月、コミンテルン第7回大会で、反ファシズム人民戦線戦術が採択され、各国共産党は、フランス、イギリスと手を結んでドイツ・イタリア・日本の全体主義・軍国主義と戦うことが、最大の目標になった。蒋介石軍と日本軍を戦わせることで、国民党と中国共産党の国共合作戦略は、コミンテルンの指示通りの戦略だったのである。
盧溝橋事件の頃、中国共産党は、国民党との内戦で追い詰められ、逃避行(長征)の連続であった。
共産党が生き残る道は、日本と国民党が戦争になって、内戦を中止し、共産党と国民党が抗日統一戦線を作る方向に誘導する以外なかった。
中国共産党の文献に記述されているように、日中戦争誘導のため、盧溝橋の銃弾は、
共産党・劉少奇が率いる工作隊が放ったものであった。
したがって、かつて、毛沢東は、中華人民共和国の成立は、「日本のおかげだ」、と言っていました。アメリカと中国は、表面的には対立しているようでも、裏の情報世界では、もともと親密な関係なのです。
日中戦争中、米国ОSS(CIAの前身)長官の命令で、ОSS幹部が延安の共産党根拠地に出向いて、対日戦争において、武器等を提供して支援していた(『この国を支配管理する者たち』201〜207頁、『誰も教えないこの国の歴史の真実』108〜112頁)のである。
3、日中戦争には英国・米国の謀略もあった !
副島隆彦・船井幸雄の主張:国民党と共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、
世界大恐慌後、景気大回復のため、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でもあった。
特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである(『昭和史からの警告』。
4、30万人大虐殺はありえない!(渡部 昇一 上智大教授の見解)
・東京裁判が作った大量虐殺「南京事件」は絶対にありえない!
1.30万人大虐殺という数字はありえない。
2.当時蒋介石政府側から何の提訴もされていないのはなぜか?
3.南京攻略当時、現地に入った百人以上の従軍カメラマン・記者・文化人たちがひとりも「大虐殺事件」を報告していないのはなぜか?
南京はだいたい東京の世田谷区くらいの大きさで、当時駐在していた外人記者の記録では約15万人、一番多く見積もった記事で25万人、そのうち蒋介石軍が3万から5万人の間で、民間人を合わせて20万人前後というのが妥当な数字である。
日本軍が銃と銃剣だけでどうやって南京の全人口を虐殺できるのか。
これは原爆2個くらいでも落とさない限り不可能である。30万人虐殺説は、これはもう、完璧に捏造としか言いようがない。南京城内に30万人も住んでいない。どうやっても証明できるはずがない。さらに陥落直後の人口は約20万人。1ヶ月後は25万人に増えていることが確認されている。陥落直後の人口約20万人から虐殺されたといわれる人口30万人を引くと、マイナス約5万人となる。大虐殺はありえない。
(以下略)
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