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韓国政府が、慰安婦少女像の撤去を約束したと主張する事には無理がある ! 戦前の慰安婦とは ?
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/9415.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2018 年 1 月 14 日 21:08:31: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


日本政府が、韓国政府は、慰安婦少女像

の撤去を約束したと主張する事には無理がある !

  近代日本の公娼・慰安婦とは ?

(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/01/11より抜粋・転載)
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1) 韓国での冬季オリンピックの開会式に、

    安倍首相が出席しないことを、検討している !

韓国で冬季オリンピックが開催される。

東京オリンピックを控える日本は、メディアが、オリンピックムードを高めようと、さまざまな演出を強めている。

ところが、このオリンピックの開会式に、安倍首相が出席しないことを、検討していると伝えられている。

従軍慰安婦少女像をめぐる、日米外相発表について、少女像の撤去が、実行されないことについて、日本が、態度を硬化させていることが、背景と考えられる。

2) 日米外相発表は、実は、従軍慰安婦少女像

    の撤去を、確約したものではない !

しかしながら、本ブログ、メルマガで、日米外相発表の瞬間から、指摘してきたように、日米外相発表は、従軍慰安婦少女像の撤去を、確約したものではない。

2015年12月29日付、ブログ記事「日韓合意、日本政府謝罪明記でも玉虫決着」

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-99db.html

メルマガ記事「日韓合意あいまい決着が問題を再燃させる懸念」http://foomii.com/00050

2017年1月9日付、ブログ記事「問題根源は2015/12の日韓玉虫合意文言にある」

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/201512-1af0.html

メルマガ記事「惨憺たる安倍外交現実の根本原因」

2017年1月10日付、ブログ記事「大事なことを曖昧にするから災いが生じる」

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-d219.html

メルマガ記事「あいまい公約と裏切る人物が政治をダメにする」に、重要事実を指摘してきた。

3) 韓国政府は、従軍慰安婦少女像の撤去を確約して

   いないから、撤去されなくても、合意違反にはならない !

韓国外相は、日米外相発表で、従軍慰安婦少女像の問題について、次のように表明した。

「韓国政府は、日本政府が、在韓国日本大使館前の少女像に対し、空間の安寧、威厳の維持といった観点から、懸念しているという点を認知し、韓国政府としても、可能な対応方法に対し、関連団体との協議等を通じて、適切に解決されるよう努力する。」

韓国政府は「可能な対応方法に対し、適切に解決されるよう努力する」と述べただけで、少女像の撤去を確約していない。

したがって、少女像が撤去されなくても、合意違反にはならない。

4) 日本政府が、韓国政府は、少女像の撤去を

   約束したと主張する事には無理がある !

日本政府が、韓国政府が少女像の撤去を約束したと主張することには無理がある。

日本政府が少女像の撤去を求めるのであるなら、韓国側が確約するまで粘り強く交渉を続ける必要があるだろう。

日韓外相発表は少女像の撤去を確約していないから、少女像の撤去を日本政府が求めずに、「この問題が最終的かつ不可逆的に解決された」と日本政府が判断するなら、それはそれで一つの解決になるだろう。

5)日本政府は、韓国政府と慰安婦問題で、

   さらに協議を続ける必要が出てくる !

しかし、日本政府が、少女像の撤去を求め、これが実現しなければ、問題の解決にはならないと考えるなら、日本政府は、韓国政府とこの問題で、さらに協議を続ける必要が出てくると、判断できる。

この見解は、日韓のいずれかの側に立つ見解ではない。

日米外相発表を、客観的に読む限り、このように判断せざるを得ないと考える。

韓国政府が少女像撤去に責任を持たないことを理由にオリンピック開会式出席をボイコットするのは大人気のない対応と言わざるを得ない。

6)プーチン大統領は、北朝鮮は草を食べてでも、

   核開発を続けるだろうと述べた !

日本や米国は、北朝鮮の核放棄を求めているが、ロシアのプーチン大統領は、北朝鮮は草を食べてでも、核開発を続けるだろうとコメントした。

北朝鮮の金正恩総書記はイラクの事例を念頭に置いている。

イラクとイランと北朝鮮は米国のブッシュ大統領から「悪の枢軸」と名指しされた。

イラクは「大量破壊兵器を保有している」と疑われ、その事実が確認されぬまま、米国による軍事侵攻を受けて、滅ぼされた。そして、サダム・フセイン大統領は処刑された。

7)イラクは「大量破壊兵器保有」と疑われ、

   米国による軍事侵攻を受けて、滅ぼされた事

を金委員長は、明日は我が身と判断 !

北朝鮮の金正恩氏は、明日は我が身と判断したと考えられる。

そのために、軍事侵攻を「抑止」するための「抑止力」としての核保有に突き進んでいると考えられる。

第2次大戦後、核兵器は、戦勝5大国の独占保有体制に移行した。

5大国は核兵器を保有できる。しかし、それ以外の国は、核兵器の保有が許されない。

これが、核拡散防止条約=NPTの体制である。

   ―この続きは次回投稿します―

(参考資料)

   近代日本の公娼・慰安婦の歴史[編集]

(ja.wikipedia.orgより抜粋・転載)

◆明治時代[編集]

日本の公娼制は年季奉公の一形態として発展し、徳川幕府に認可された遊郭が形成されていた。明治維新後の1873年(明治6年)に公娼取締規則が制定された。

◆朝鮮での遊郭業と日清戦争[編集]

1876年に李氏朝鮮が日朝修好条規を締結した開国して以降は、釜山と元山に日本人居留地が形成され、日本式の遊郭なども開業していった[18]。1881年10月には釜山で「貸座敷並ニ芸娼妓営業規則」が定められ、元山でも「娼妓類似営業の取締」が行われた[18]。

翌1882年には釜山領事が「貸座敷及び芸娼妓に関する布達」が発布され、貸座敷業者と芸娼妓には課税され、芸娼妓には営業鑑札(営業許可証)の取得を義務づけた[18]。1885年には京城領事館達「売淫取締規則」が出され、ソウルでの売春業は禁止された[19]。

しかし、1894年 - 1895年の日清戦争後には料理店での芸妓雇用が公認(営業許可制)され[19]、1902年には釜山と仁川、1903年に元山、1904年にソウル、1905年に鎮南浦で遊郭が形成された[18]。

◆娼妓取締規則と婦女売買国際条約[編集]

1900年には娼妓取締規則が制定され、娼妓の年齢を18歳以上とし(従来は15 - 16歳)、住居や外出に制限を加えた。翌年の1901年に軍医の菊池蘇太郎は「軍隊ニオケル花柳病予防法」を発表し、公娼制度の目的は性病(花柳病)予防と風俗頽壊防止を目的としていたと記している[20]。

廃娼運動は国際条約に結実し、1904年5月に欧州12カ国で「醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定」が、ついで1910年5月に13カ国間で「醜業を行わしむるための婦女売買禁止に関する国際条約」が締約された。
国際連盟では規約23条でこれら取決めの一般監視を行うとしたため、1921年9月の第二回国際連盟総会において婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約として再締約された(23カ国)[21]。このさいに日本も条約に加盟したが、すでに娼妓取締規則があり年齢に関する条項(21歳未満を禁止)については留保した。

◆日露戦争と妓生制の崩壊[編集]

1905年の日露戦争の勝利によって日本が朝鮮を保護国として以降はさらに日本の売春業者が増加した[19]。
ソウル城内双林洞には新町遊廓が作られ、これは財源ともなった[18][19]。1906年に統監府が置かれるとともに居留民団法も施行、営業取締規則も各地で出されて制度が整備されていった[18]。同1906年には龍山に桃山遊廓(のち弥生遊廓)が開設した[19]。
日本人の居住地で知られる京城の新町、釜山の緑町、平壌の柳町、大田の春日町などには数十軒から数百軒を数える遊郭が設けられ、地方の小都市にも十数件の青桜が軒を連ねた[22]。

日本人売春業者が盛んになると同時に朝鮮人業者も増加していくなか、ソウル警務庁は市内の娼婦営業を禁止した[18]。
1908年9月には警視庁は妓生取締令・娼妓取締令を出し、朝鮮の伝統的な売春業である妓生を当局許可制にし、公娼制に組み込んだ[18]。1908年10月1日には、取締理由として、売買人の詐術によって本意ではなく従事することを防ぐためと説明された[18]。

◆日本統治下の朝鮮[編集]

1910年の韓国併合以降は統監府時代よりも取締が強化され、1916年3月31日には朝鮮総督府警務総監部令第4号「貸座敷娼妓取締規則」(同年5月1日施行)が公布、朝鮮全土で公娼制が実施され、日本人・朝鮮人娼妓ともに年齢下限が日本内地より1歳低い17歳未満に設定された[19]。

他方、併合初期には日本式の性管理政策は徹底できずに、また1910年代前半の女性売買の形態としては騙した女性を妻として売りとばす事例が多く、のちの1930年代にみられるような誘拐して娼妓として売る事例はまだ少なかった[19]。
当時、新町・桃山両遊廓は堂々たる貸座敷[23][19]であるのに対して、「曖昧屋」とも呼ばれた私娼をおく小料理店はソウル市に130余軒が散在していた[23][19]。

◆朝鮮における人身売買・誘拐事件[編集]

詳細は「朝鮮南部連続少女誘拐事件」を参照

1930年代の朝鮮では10代の少女らが誘拐される事件が頻発し、中国などに養女などの名目で売却されていた。斡旋業者は恐喝を行ったり、また路上で誘拐して売却していた。
朝鮮総督府警察はたびたびこうした業者を逮捕し、1939年には中国への養女供与を禁止している。

当時の人身売買および少女誘拐事件については警察の発表などを受けて朝鮮の新聞東亜日報や毎日新報(毎日申報。現・ソウル新聞)、また時代日報[24]、中外日報[24]で報道されている。

朝鮮総督府統計年報によると、略取・誘拐での検挙数は1935年は朝鮮人2,482人・日本人24人[25]、1938年は朝鮮人1,699人・日本人10人[26]、1940年は朝鮮人1,464人・日本人16人[27]となっている。

◆軍隊による公娼(慰安婦)[編集]

強姦は戦時に限らず平時でも発生する[28][29]が、戦争におけるレイプなどの性暴力については1990年代以降、「戦時性暴力」として研究されている[30][31]。戦争において性暴力は、勝者への褒美、敗者への懲罰、また単なる快楽として行使されてきた[32]。

秦郁彦によれば、第二次世界大戦当時の戦地での性政策には大別して自由恋愛型(私娼中心。イギリス軍、米軍)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス[33])、レイプ型(ソ連、朝鮮[34])の3つの類型があった[35]。

日本における慰安婦の制度・運用・実態に関する研究については、戦後の経緯から主に日華事変以降(特に大東亜戦争期)に限定されており、さらにその論争の中でもイデオロギーの思惑が見え隠れするため、客観的な叙述をすることは困難である。

 

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