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“穏やかな死”を迎えたい ! 〜医療と宗教 新たな試み〜
田中雅博さん:医師・僧侶の話
(下・完)
(www.nhk.or.jp:2016年8月25日より抜粋・転載)
NHK・クローズアップ現代: “穏やかな死”を迎えたい
去年(2015年)1年間で亡くなった人は、130万人。
日本は多死社会に突入したと言われています。
◆余命わずか “穏やかな死”を迎えたい !
☆臨床宗教師の役割は、患者の言葉を手がかりに
理想の死のイメージを探ることです。
臨床宗教師: 野々目月泉(ののめ・げっせん)さん
☆松岡君子さん:「紫の海の上で月の光に照らされながら、少しずつ、少しずつ上がっていきます。うれしくて、うれしくて、私、なにもお返しできないけど、気持ちだけは、本当ですからね。ありがとうございます。そういう気持ちにさせていただいて。感謝の気持ちでいっぱいです。」
◆“穏やかな死”を迎えたい !
◆臨床宗教師の必要性を最初に
訴え始めたのは、岡部健医師 !
以上は前回投稿済みです。以下はその続きです。
◆医療と宗教 “いのち”の対話 !
今年(2016年)2月に発足した臨床宗教師の全国組織。
1人の医師が顧問に就任しました。
田中雅博さん、70歳。僧侶の資格も持っています。
若いころ、がん治療の最前線で働きながら、死への不安を取り除けない無力感を感じていました。
その後、みずからの診療所を開設。
仏教の教えをもとに患者に寄り添う取り組みを始めました。
これまで500人以上の末期がん患者をみとってきました。
患者:「みんな死ぬんですね。」
医師・ 田中雅博さん:「死んでもなくならないものがあるんですね。」
患者:「なんですか、それは?」
医師・ 田中雅博さん:「立派な人のすばらしい行いはなくならないんですね。
ご主人の思い出もなくならないですよね。」
患者:「なるほどね。」
田中医師が心がけてきたのは、患者の話に耳を傾け、
その人にとっての人生の価値を一緒に探すことでした。
医師・ 田中雅博さん:「自分の人生において何が価値があるものなのか、気づかないで持っている場合もあるし、それを気づいてもらう手助けをする。自分の“いのちを超えた価値”。
そういうものがあったら、それがその人の宗教。」
◆余命わずかの医師:“いのち”のメッセージ !
ところが2年前、みずからにも末期のすい臓がんが見つかりました。がんは肝臓とリンパ節に転移。
田中医師は、余命はそう長くないと悟りました。
医師・ 田中雅博さん:「やっぱり自分の番が来たら、それは怖いし苦しみではある。
誰も話を聞いてくれないで、このまま寂しく死んでいったとしたら、これほどつらいことはない。」
刻々と過ぎていく残された時間。
医師・ 田中雅博さん:「つらいところはありますか?」
患者:「ないです。」
それでも田中医師は、これまでどおり死の不安におびえる患者の話を聞き続けようとしました。
入院してきたばかりの悪性中皮腫の患者。死ぬのが怖いと訴えていると聞き、様子を見に来ました。
医師・ 田中雅博さん:「なにか話があるって言ってたようですが、どんな話ですか?」
患者:「…。」
医師・ 田中雅博さん:「だいぶ疲れました?大丈夫?」
患者:「疲れた。」
医師・ 田中雅博さん:「疲れた。」
この日は、胸にたまった水を抜く治療だけにとどめ、後日、話を聞くことにしました。
ところが、田中医師は体調が悪化し寝込んでしまいました。
1週間後、現場に復帰した田中医師。しかし…。
「このあいだ胸水取った人、お亡くなりになりました。おひな祭りのときに。朝、突然。」
医師・ 田中雅博さん:「突然。」「もう医者が呼ばれて行ったときには。」
みずからもがんとの闘病を続ける田中医師。
これまでどおり患者に寄り添うことが難しくなったと感じていました。
病状が悪化する中、今、田中医師が、力を入れているのが、臨床宗教師の育成です。
この日、医療者や宗教者が集まるシンポジウムに参加しました。
医師・ 田中雅博さん:「本人(患者)が自分の話をしているうちに、自分の本質が分かってくる。
そのためにそれを促すように傾聴する。そして、そこに本人が自分の人生に価値を見いだす。
ですから、医療現場に臨床宗教師がほしい。」
臨床宗教師の役割は、患者の話に耳を傾け、人生の価値に気づいてもらうこと。
余命2か月、最後の訴えです。
◆余命わずかな医師 “いのち”のメッセージ !
画像(省略)の説明
壇蜜さん:医師であり、宗教者である田中先生でも、話を聞いてもらわないで亡くなることはつらいよとおっしゃっていたので、やはり、臨床宗教師の方々が一人一人、違う答えを一緒に、その答え、違う答えなんだよというのを一緒に見つけて理解していくお仕事がどれだけ大事かっていうのが、改めて分かりました。
(話を聞いて、その人の大切なものを引き出してくるというか。)
スピリチュアルな苦痛の中には、死への恐怖や死生観の悩みに加えて、自分の人生の意味を見失ってしまうことがある
田中医師が大切にしていたのは、この人生の意味、人生の価値を見いだすことだが、これは本当に大きなことだが?
画像(省略)の説明
大津さん:ある程度、重い病気になって、命が限られているということを感じたときに、今まで生きてきた意味はなんだったのだろうかとか、本当にこれでよかったんだろうかとか、そういったさまざまな悩みが出てくるのが、人だと思うんですよね。
そういったときに話を聞いてくれる人がいれば、話をしながらその方の中で、答えが見つかってくるというところがあるので、まさしく田中先生がおっしゃっていたことはそういうことだと思います。
壇蜜さん:それはやはり、肉親ではどうしても難しい部分もありますでしょうか?
大津さん:肉親だと、心配をかけたくないとか、なかなかやっぱりそういう重い話をしてしまって、その不安がらせることを恐れてしまったりとか、それが臨床宗教師や、あるいは医療者もそうかもしれないんですけれども、そういう方に聞いてもらうことで、すっと気持ちが楽になるということは、あるいは答えが見つかるということがあるんじゃないかなと思います。
画像(省略)の説明
視聴者からは“ただただ話を聞いて、受容してほしい”“そばにいてほしい”というメッセージも 臨床宗教師への期待があると思うが、今後、広がっていくのか?
大津さん:現在の医療現場は、もう本当に医師も看護師も頑張って、話を聞くようにはしてるんですけれども、なかなか忙しい環境の中で、こういった生への問い、死への問い、それに対してじっくり耳を傾けて、お話にあったように、ただそばにいるという状況がなかなか難しい状況というのがあるわけですね。
なので、恐らくこの良さというのが分かってくれれば、きっと認知度も増えて、広がっていくことにつながってくるのかなと、僕はそういうふうに感じています。
(その中で、難しいなと感じる面もあるのか?)
やはりこのスピリチュアルペインということが、なかなかいい訳語がないということもあって。
壇蜜さん:日本語にする方法ですね。
大津さん:生きる意味の揺らぎということが、あまり認知されていないので、そこに対する支える存在として臨床宗教師があるんだということが知られるということが、普及につながっていくようなことになっていくんじゃないかなと思いますね。
スピリチュアルペインを取り除くことの大切さを知り、臨床宗教師の地位が確立されれば、もっと広がる?
大津さん:そういうふうに思いますね。
“このような仕組みが必要”だと、実際に6月に母親をみとられた視聴者からもメッセージが来ている ここまで死について考えてきて、どんな死を迎えたいか?
壇蜜さん:私の職業、タレントですから、タレントは人に嫌われて好かれるのがタレントだと思うので、やはり亡くなったあとも、泣かれて誰かに笑われてという、同じ比率ぐらいのそういう終わり方がいいかなと思います。
(生き方そのもの?)
そうですね。
今回のグラレコ:
番組の内容を、「スケッチ・ノーティング」という会議などの内容をリアルタイムで可視化する手法を活かしてグラフィックにしたものです。
◆質問コーナー
Q1:臨床宗教師とは、どのような仕事ですか?具体的に教えてください。
☆回答:「臨床宗教師」とは、公共空間で心のケアを行なうことができる宗教者です。布教や伝道を行うのではなく、相手の価値観を尊重しながら、宗教者としての経験をいかして、苦難や悲嘆を抱える方々に寄り添います。具体的には、主に話を聞く(傾聴)を行います。
聴いてもらうことで、自分の心の中にある思いを誰かに伝えるために、整理したり、気づいたり、仏教、キリスト教、神道な ど、さまざまな信仰を持つ宗教者が協力しています。
Q2:病院で許可しているなら、来てもらってもよいが、ないなら無理にいてほしくない。
☆回答:臨床宗教師が、病院や介護施設など、公共の場で傾聴活動を行う場合の基本ルールがあり、現場責任者の許可なく、患者・利用者の方々のもとに行くことはありません。あくまで、チームによるケアの一員であり、患者さんなどが、臨床宗教師の傾聴を希望される場合に行われます。
Q3
身近な人が余命わずかと宣告されたとき、穏やかに旅立てるよう、まわりの人たちは何をしてあげられるでしょうか?臨床宗教師のいない病院で、まず取り組めることはありますか?
☆回答:臨床宗教師の主な活動は、お話を聴く、という活動です。聴いてもらうことで、話したいと思っていらっしゃる方が、ご自身の人生や、ご自身の死生観、いのちの意味などを、自分自身の言葉で紡いでいくことが大切とされています。
穏やかな最期のため に何が必要かは、一人ひとりちがいますが、そばにいることだけでも、安心され、意味があることもあります。もし臨床宗教師のような役割が必要な場合は、各地方の臨床宗教師支部にご相談されることも可能です。
Q4
人生の最期を迎えるのは、「長く人生を歩んだ」方ばかりではない。「まだまだこれからの未来を生きたかった」子どももたくさんいるでしょう。そんな「まだ生きたかった」子どもたちの「最期」に、宗教はどう寄り添うのでしょうか。
☆回答:いのちの長さにかかわらず、臨床宗教師が、死に直面する方に寄り添うときに最も重要なのは、死を意識しながらも、その人の望みや不安に耳を傾け、そばにいることとされています。
若い方の場合でも、「生きたい」という望み、死への不安について耳を傾け、寄り添うことで、次第に、家族や友人、お世話になった人への感謝の気持ちや、自分の生まれた意味をご自身の言葉で語られることがあるということです。
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