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稲田防衛相、急きょ海外へ訪問 ! 「靖国参拝」見送りの姑息な口実 !
なぜ、総理・閣僚等の靖国参拝が問題なのか !
T 稲田防衛相、急きょジブチ訪問 !
(www.nikkan-gendai.com:2016年8月14日より抜粋・転載)
稲田朋美防衛大臣が、8月15日の「靖国参拝」を見送るために、13〜16日の日程で急きょ、ジブチを訪問することが分かった。
稲田防衛相はこれまで、行革担当相だった2014年も、自民党政調会長だった15年も「A級戦犯」が合祀されている靖国神社を参拝している。
しかし、現職の防衛大臣が、終戦記念日に靖国神社を参拝したら、中国や韓国が強く反発するのは確実である。中国政府は、稲田大臣の名前を挙げて、閣僚が靖国神社を参拝しないように申し入れていた。
一方、靖国参拝を見送ったら、支持層である“右派勢力”から批判を浴びるのは必至である。
参拝すべきか中止すべきか迷いに迷い、最後まで判断がつかず結局、海外訪問を選んだ格好だ。
稲田氏は、8月12日午後、訪問先の航空自衛隊小松基地で、記者団から15日に参拝するかどうか聞かれると「心の問題だ」と声を詰まらせて答えている。
ジブチ訪問は、海賊対処活動をしている自衛隊を激励するためとしているが、防衛省内は「寝耳に水だ」と驚いている。
U 稲田朋美氏・どんな人?
(www.huffingtonpost.jp:2016年08月03日 13時48分より抜粋・転載)
The Huffington Post | 執筆者: 泉谷由梨子
投稿日: 2016年08月03日 13時48分 JST TOMOMI:
稲田氏は1981年に早稲田大学を卒業後、司法試験に合格し1985年に弁護士登録。
「党内きっての保守系議員」である稲田氏は、「私は産経新聞がなかったらたぶん政治家になっていなかった」と2015年11月に産経新聞主催の講演会で話している。
南京事件で戦犯として処罰された少尉の遺族が、朝日新聞や毎日新聞などを相手取って損害賠償などを求めた名誉毀損訴訟「百人斬り裁判」(原告敗訴)で原告側代理人として参加したことが政界入りのきっかけになったという。
初当選は2005年の「郵政選挙」。郵政民営化法案に反対した松宮勲衆議院議員への「刺客」候補として福井1区に転居して自民党公認で立候補した。
解散直前に自民党議員に対して行った講演がきっかけで安倍晋三首相がスカウトしたという。
当時、「私は落下傘ではありません、福井のおっかさんです」と街頭で「地元」アピールする姿が頻繁にテレビで取り上げられた。現在4期目。
2012年の第2次安倍晋三内閣発足とともに行政改革担当相に就任、2014年から自民党政調会長を務めている。右翼・安倍首相の親密な同志である。
稲田氏の資金管理団体に「在日特権を許さない市民の会」(在特会)幹部とともに活動する8人が寄付したことについて「在特会との蜜月」と週刊誌が指摘。
慰謝料などを求めて週刊誌を相手に提訴したが、判決では、この内容は真実で公益性もあると認定された。朝日新聞デジタルなどが報じている。
選挙区の福井名産のメガネをかけ、網タイツを履く姿がトレードマーク。
「『網タイツの女王』とか言われていますが、これも福井の素晴らしい経編(たてあみ)の技術を注目してもらうためにはいているのです」と講演会で話している。
2013年に「メガネベストドレッサー賞政界部門」を受賞している。表彰式で掛けていたメガネは、アメリカ共和党のサラ・ペイリン元副大統領候補が掛けていたものと同ブランドだと紹介したという。
著書「私は日本を守りたい:家族、ふるさと、わが祖国」で、選択的夫婦別姓に対しては「家族崩壊を招く」として反対している。
(参考資料)
なぜ、総理・閣僚等の靖国参拝が問題なのか !
天皇と国家と兵士を結ぶ回路を追認する事だから
(www.linelabo.com:2001年9月より抜粋・転載)
松 葉 祥 一:神戸市看護大学
『週刊読書人』第2402号(2001年9月7日付)[論潮 9月]欄に掲載されたものを『週刊読書人』編集部および著者の許諾を得て転載する。
◆政府主催の全国戦没者追悼式は、中国・韓国等
から批判されない !
なぜ、首相の靖国神社参拝が問題になるのか。それが,〈現在〉この国の「国民」がどのような国家を作ろうとしているのかを示す試金石だからである。
小泉首相は,靖国に参拝するのは〈過去〉の戦死者に敬意を表すためだと言う。しかし,戦没者に敬意を表すためであれば、政府主催の全国戦没者追悼式で十分である。
首相が、就任当初から,他の政治課題と並べて,八月一五日に靖国参拝を行うと繰り返し強調してきたことは,逆に〈現在〉そのことに大きな象徴的意味があることを示している。
では,首相が、靖国神社に参拝することにどのような意味があるのか。
◆首相が、靖国神社に参拝することにどのような
意味があるのか ?
1) 靖国神社があってはじめて,天皇と国家と兵士を結ぶ回路が完結する
それはまず第一に,「国のために戦って死ねば神様になれるという回路」を国として認めることである(井上ひさし,『朝日新聞』八月九日夕)。
この回路があったからこそ,この国の政府は,生きながらにして爆弾になれ,魚雷になれと若者に命じ,一六・五%の命中率しかない特攻に送り込むことができたのである。
否,それは国のためではなく,〈天皇のため〉であった。
実際,靖国神社においては,天皇にとって、逆賊だった、西郷隆盛たちは、排除されているのに対して,官軍の戦没者は,「天皇のために忠死したという唯一点で,国によって神として祀られ,現人神天皇の礼拝を受けるという無上の栄誉」(『国史大辞典』吉川弘文堂)を与えられている。
この靖国神社があってはじめて,天皇と国家と兵士を結ぶ回路が完結するのである。
それゆえ靖国神社は,戦時中「軍国主義を普及徹底させるうえで,絶大な威力を発揮し,日本国民を侵略戦争にかりたてる精神的支柱としての役割を担うことができた」(同書)のである。
多くの反対を押し切って、首相が、靖国神社参拝を強行することは,少なくともこの回路を追認することになることは明らかである。
さらに,現在再び若者たちをこの回路に誘い込もうとする意図があると理解されても仕方がない。
2) 首相の靖国参拝は,「日本は紛争解決の手段
として戦争を選びもするぞ」と公言することだ !
そこから第二の意味が生じる。すなわち,首相の靖国参拝は,「日本は紛争解決の手段として戦争を
選びもするぞ」(井上ひさし)と公言することに他ならない。
それゆえ,「天皇の軍隊によって運命をひどく悪い方へ変えられてしまったアジアの国々」が危機感をもつのは当然である。アジアから見たとき,靖国神社は日本の軍国主義と侵略戦争の象徴だからである。
それは,一九七八年東条英機元首相ら一四名のA級戦犯が,「昭和殉難者」として合祀されたことによって強まった。
この戦争指導者たちを神として祀る靖国神社に首相が参拝し「心をこめて敬意と感謝の意をささげる」行為は,過去の侵略戦争を肯定する立場に日本政府が立つこと,その上で現在それを踏襲しようとしていることを内外に表明することにほかならない(中江要介「総理は靖国公式参拝を決行すべきではない」,『世界』九月号)。
したがって,中国や韓国による、靖国参拝批判は、内政干渉だという主張(中嶋嶺雄「なぜ中国は反対するのか」,『Voice』九月号)は成立しない。
それが,この国の基本的な外交・軍事方針を示し,近隣諸国にはっきりした脅威をもたらすものである以上,重要な外交問題だからである。
3) 総理・閣僚等の靖国参拝は、憲法をないがしろにすることを意味する !
第三に,それは「わたしたちをゆるやかに束ねながら,私たちの共通の価値ともなっている」(井上ひさし)憲法をないがしろにすることを意味する。
すなわち,閣僚による靖国参拝は,どのように解釈しようが,「国および国の機関はいかなる宗教的活動もしてはならない」と定めた憲法第二〇条に違反することは明らかである(奥平康弘「首相靖国参拝に疑義あり」,『潮』九月号)。
実際,九一年に出されて確定した岩手靖国訴訟の仙台高裁判決は,「首相の靖国神社公式参拝は違憲」と明言している。
さらに九七年四月,最高裁大法廷判決は,愛媛玉串料訴訟において,「地方公共団体による靖国神社や護国神社への玉串料等の奉納が,たとえ相当数の者が望んでいるとしても,公共団体が特定の宗教団体に対して特別の関わりあいをもつことであり,宗教団体である靖国神社や護国神社が特別のものであるとの印象を一般に与えるものであるから,憲法が禁止する国家や公共団体の宗教活動にあたり違憲」だとした。
今回の参拝は,玉串料等の奉納よりも直接に靖国神社との関わりを顕示するものであり,その違憲性はよりいっそう明らかである。
八月一五日を避けたからよいわけでも,私的参拝だからよいわけでもない。
首相や閣僚が、靖国神社に参拝すること自体がすでに違憲なのである(今回の靖国神社参拝違憲訴訟の提起に向けた準備作業が始まっている。日本基督教団靖国・天皇制問題情報センター,neco@gb3.so-net.ne.jp)。
もちろん、小泉首相は,「虚心坦懐に熟慮」したわけであるから,自らの行為がこのような意味をもつこと,また、世論の六五%が参拝を慎重にした方がよいと考えていること(『朝日新聞』八月四日),歴史修正主義の教科書が問題になった直後であること,自らの行動が平和を望む日本とアジア近隣諸国の民衆を不安に陥れ,これまで積み上げてきた中国や韓国・朝鮮との友好関係を破壊することなどをじゅうぶん承知の上で,「あえて蜂の巣に手を突っ込むようなこと」(『ル・モンド』八月一〇日)をしたのである。
そこには,憲法とくに九条を改正し,「戦争のできる国づくり」をめざそうとする彼の信念が働いているとしか考えようがない。
あるいは,もしかりに彼自身本当に戦争を望んでいないのだとしても,戦争のために重要な役割を果たした宗教施設に参拝するということが,主観的な意図を越えた意味をもつことを知るべきである。
それに,彼は死者を口実にすべきではないと井上ひさしは言う。
すなわち、死者を利用すること,とりわけその死を強制した国家が利用しようとすることは、傲慢と言わざるをえない。
古山高麗雄は、次のように述べる。「死ねば,靖国も何もない。無です。招魂も追悼も葬式も生者の営みです。死者には何もない,霊などというものは,生者が生者のために作った観念だ」(古山高麗雄「万年一等兵の靖国神社」,『文藝春秋』九月号)。
そして,井上は,戦争の犠牲者に対して生者がなすべきことは,亡くなった人たちの家族(アジア諸国の人々を含む)への謝罪と補償をできるだけして,あとは、死者の魂をそっと静かにしておくことだとする。
そして生者は,これらの非業の死の意味を深く噛みしめながら,自分は二度とこのような死に方をしないし,他人にさせもしないと,心のうちで強く誓いながら生きていくしかないとするのである。
(まつば しょういち・哲学)
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