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宜野湾市長選で創価学会・公明党が見せたその正体
=連立政権 =権力従属を最優先 !
理念・民意・沖縄差別は徹底的に無視 !
本来の公明党の理念・基本路線と自公連立後の実態を比較 !
常態化する公明党による学会員への裏切り !
(http://www.twitlonger.com/show/n_1so6jbuより抜粋・転載)
(天木直人氏の主張)
宜野湾市長選の告示について書いたきょう1月16日の産経新聞に次のようなくだりを見つけた。
「・・・こうした構図(筆者註:保革共闘のオール沖縄の構図)に公明党は危機感を募らせる。
選対幹部は『相手陣営の中核は共産党だ。(宜野湾市長選挙に)勝利して勢いを潰す』と強調。
山口那津男代表らが沖縄入りし、(公明党の)東京都議も東京に本社がある企業の現地事務所を回り、佐喜真氏支援に全力を挙げる・・・」
創価学会・公明党はここまで共産党をライバル視しているのだ。
同じく宜野湾市長選の告示について書いたきょう1月16日の読売新聞に次のようなくだりを見つけた。
「・・・公明党の動きも活発だ。佐喜真氏の集会では遠山清彦衆院議員が『党をあげて全力で戦う』と話した。
党関係者によると、公明党を支持する創価学会が、全国から宜野湾市内の有権者に電話などで支援を呼びかけるなど、首長選では異例の態勢で臨んでいるという・・・」
選挙違反ではないのかと思わせるような創価学会・公明党の選挙についての物凄い肩入れだ。
これが創価学会・公明党の正体である。
何があっても自民党との連立政権を最優先し、この国のあらゆる政策を牛耳っている。
(参考資料)
T 公明党、宜野湾市長選で現職推薦=
軽減税率決着受け−公明党沖縄
(www.jiji.com :2015年12月14日より抜粋・転載)
公明党は12月14日、持ち回りの中央幹事会を開き、任期満了に伴う沖縄県宜野湾市長選(来年1月24日投開票)で、現職の佐喜真淳氏を県本部推薦とすることを決めた。
自民党県連は既に佐喜真氏推薦を決めており、与党の足並みがそろった。
市長選をめぐっては、消費税の軽減税率に関する与党協議が難航していたことから、「公明党が動いていない」(官邸関係者)との見方があった。
軽減税率の対象品目拡大を求めていた公明党の主張に配慮する形で与党協議が12日に決着したことで、公明党側が推薦を決めたとみられる。
市長選は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画の是非が最大の争点となる。移設反対派からは、元県幹部で新人の志村恵一郎氏が立候補を表明。志村氏は翁長雄志知事の支援を受けている。(2015/12/14-10:54)
*軽減税率:自公の結論は、8%据え置きするだけ。
食料品等は、英国は0%。
フランスは、標準の約4分の1に激減だ。
U 池田第三代会長時代・本来の公明党の理念・基本路線と自公連立後
の実態を比較の参考 ! 真逆に大変質 ?
公明党:@政界浄化A議会制民主主義B大衆福祉―
自民党:金権腐敗・独善的強行採決・大資本優遇・格差拡大推進 !
☆ 結党時の理念:政界浄化と大衆政党
公明党の結党大会は、1964年11月17日、東京・両国の日大講堂で行われた。
しかし、創価学会は結党前の56年7月に行われた第4回参議院選挙で、初めて無所属候補として全国区2人、大阪地方区1人の3人を当選させ、第6回参院選(62年7月)までの3回の参院選で15人の参院議員を擁し、「参院公明会」という国会内会派を結成するまでになっていた。
創価学会の池田大作名誉会長=2008年5月撮影(時事)
その後、創価学会の池田大作名誉会長が、1960年5月に32歳の若さで第3代会長に就任すると、翌61年11月に「公明政治連盟(公政連)」を結成した。
掲げた目標は、「政界浄化」であり、その3年後に、公明党の結党が実現する。
結党大会で掲げた方針は、
@政界浄化A議会制民主主義B大衆福祉―の3本柱で、
あいさつに立った池田会長は、
「大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」と、
大衆政党としての立場を強調した。
同時に、公明党は、結党のもう1つの基本理念として「王仏冥合」「仏法民主主義」を掲げた。現在では政教分離原則が厳しくチェックされているが、こうした基本理念は、仏法の絶対平和思想が、世界を戦争から守る道だとするもの。
こうした理念はのちに同党とは切り離された。
キャスチングボートを握り野党として躍進した。
公明党は、1956年に参議院で議席を得た後、衆議院に議席を獲得するまで11年かかかっている。
しかし、その躍進ぶりは、政界の台風の目となり、“黒い霧解散”といわれた1967年1月の第31回総選挙では25人を当選させ、自民、社会、民社3党に次ぐ第4党に躍進した。
1969年12月の第32回総選挙には、47人を当選させ、民社党を抜いて第3党に躍り出た。この結果、竹入義勝委員長、矢野絢也書記長の新執行部体制が発足、政界のキャスチングボートを握った。
だが、政党としての路線は、揺れ動き続ける。結党当初は、保守、革新のどちらにも偏しない「中道」を模索していたが、結党2年後には、「日米安保条約の段階的解消」を打ち出し、”反自民”を鮮明にして野党化した。
自民党長期政権のもとでの金権腐敗政治の横行など、政界浄化を掲げた公明党は、さらに野党化の流れを強め、1972年の「中道革新連合政権」構想を経て、1973年9月の「安保即時廃棄」論へとエスカレートした。
1972年8月、中国訪問を終えて帰国し、田中角栄首相(中央)と会談する公明党の竹入義勝委員長(右)。左端は大平正芳外相=東京・首相官邸(時事)
*池田会長時代:「中道革新連合政権」構想5項目の解説
(島田裕巳『創価学会・もう一つのニッポン』139頁):
@反自民党、反大資本
A平和・自立・中立政策に基づく外交政策:
「日米安保条約の段階的解消」在日米軍基地段階的縮小
B日本国憲法と議会制民主主義の擁護
C国民福祉優先の経済政策
D政治経済の改革手段としての暴力革命・急進主義を否定し、漸進主義を選択する
*昭和42(1967)年8月、創価学会学生部幹部会で、池田会長は「沖縄返還」を主張した。
昭和43(1968)年、「安保条約廃棄」を基本としていた、公明党は、在日米軍基地を実態調査し、有効利用されていない、基地の一部返還を主張した。
さらに、昭和43年9月、池田会長は、学生部総会で、「日中国交回復」を提言した。
昭和44(1969)年10月、創価学会系学生組織・新学生同盟が、東京で結成大会を行い、
7万5千人を結集し、「安保粉砕」を叫んでいた。
V 自民党の「反公明党・ 創価学会キャンペーン」
公明党・創価学会攻撃のため、自民党がつくった主な組織
★「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」:中心者:三塚博元大蔵大臣
★「民主政治研究会」:代表:島村宜伸(しまむら・よしのぶ)元文部・農林大臣
★「憲法二十条を考える会」:代表:亀井静香・元運輸・建設大臣
★「四月会」(死学会):代表幹事:俵孝太郎(評論家)
顧問:勝部真長(お茶の水女子大学名誉教授)、秦野章(元法務大臣)、藤原弘達(評論家)
W 自民党権力に迎合・屈服した公明党
魚住昭氏の主張:(魚住昭『差別と権力』講談社2004年、295〜296頁より抜粋・転載)
後に、野中広務元幹事長が、自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と著書にしるしている
X 常態化する公明党による 学会員への裏切り !
(forum21.jp/?p: 宗教と社会の関係を考える・月刊誌より抜粋・転載)
投稿日: 2013年10月8日 作成者: okkotu
創価学会員の生活・生命は、公明党議員保身の道具か ?
これら有名人が創価学会、公明党とどういう関係にあるのか詳らかにしないが、いずれにしろ彼らの期待は、間違いなく裏切られる点で虚しい。
公明党による学会員利益の裏切りは常態化している。
現に同党は生活保護の改悪に加担し、消費税の増税やTPPへの加盟にも賛成、集団的自衛権についても安倍政権への同調が確定している。
たとえば山口那津男・公明党代表は9月13日「報道ステーション」で番組の最後まで集団的自衛権に反対とは言わなかった。
公明党が安倍内閣の右傾化路線にブレーキ役を果たせないのは、与党病に罹っているからとしか言いようがない。与党に乗っているのは公明党議員にとって快適でもあるし、また与党から離れるのは怖く、自信が持てないからだ。
☆公明党は力の衰えを自覚している !
☆池田名誉会長は 数年間、幹部会等欠席続き !
参院選比例区の公明党得票数を見ても、04年の約862万票を頂点に、以後07年、約776万票、2010年約763万票、13年約756万票と、回を重ねるごとに右肩下がりを続けている。
自民党もそれを承知し、公明党は他党と取り替え可能であり、いつか切り捨てる日が来ると見定めている。
なぜ公明党は、衰えてきたのか。池田大作という中心軸の存在が年々希薄化していることにも関係しているのだが、票数稼ぎを信仰活動と信じられない学会員が年々増加している。
まして、公明党首脳部は、学会員の生活利益を裏切る安倍政権に寄り添うばかりで強く反対しない。
学会員の公明党離れが徐々に、しかし確実に進行するのは当然だろう。
ただ公明党の救いは、池田が急死せず、ゆっくり枯れ木化していく病状の進行にある。このことにより学会員は池田がいない創価学会に少しずつ慣れていく。
換言すれば、これによりポスト池田に軟着陸でき、「巨星墜つ」という事態の急変に対応せずにすむ。
しかし、池田の確実な死が数年後には迫っている。池田の死が公表されたが最後、公明党の得票数は右肩下がりではなく、ガクンと急落する。そのとき公明党議員の何人が生き残れるのか。生存率はとてつもなく低い。
議員は、選挙に落ちてタダの人にはなりたくないから政権にしがみつく。
しがみついたところで自民党から立候補し、当選できるわけではない。
だが、とにかく公明党議員が公明党の限界を承知している以上、自民党に楯突くことは
恐ろしくて、できない。
公明党議員は学会員の中から候補に選ばれていながら、議員になったことで学会員から離脱し、いわばエリートに転じた。
国会議員に限らず、地方議員レベルでも事情は同じである。
当然、議員は並みの学会員とは生活レベルが違い、生活の利害を異にしている。
早い話、消費税が8%になろうと、10%になろうと、痛くもかゆくもない境遇になるのだ。
いわば「自分党」だが、これを叱責、罵倒する、池田氏の目はもう光っていない。
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