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集団的自衛権行使容認後、自公連立・創価学会の内紛 !
戸田第二代会長・池田第三会長:
国家権力と有力宗教団体の連合からの迫害・弾圧に関する歴史的考察 !
(第2回)
(blog.livedoor.jp:2015年7月20日より抜粋・転載)
<本澤二郎の「日本の風景」(2057):
<会長人事で2派に分裂>
ここにきてネット情報に、創価学会と公明党の内紛が載っている。
理由は、安倍独裁政治の元凶が創価学会という事情を、よく理解する専門家の登場である。
創価学会なくして、自民党の大量議席はなかったし、
安倍の改憲軍拡路線も実現しなかった。
諸悪の根源は、創価学会なのである。
ゆえに筆者は、安倍てこ入れを中止するよう婦人部に対して決起を促し、警鐘を鳴らしてきた。
だが戦争法は、公明党の支援で楽々強行可決、60日ルールで9月の会期内に成立することが確定してしまった。なんと学会内部で、会長人事にからんで2派に分裂、抗争が繰り広げられていたというのである。
<自民に従属は、太田・北側・山口が主導>
太田議員(前代表)が最大のワルである。
太田に公明執行部の山口だいひょう・北側副代表・井上幹事長が引きずられ、創価学会の会長人事も、比例して改憲軍拡(安倍自民党擦り寄り派)の側が、主導権を握ってしまっていた、というのである。
会長人事で正木派と谷川派(安倍自民党擦り寄り派)の2派に分裂、抗争していたという。
池田派がどちらなのか知る由もないが、結果論からみると、安倍ー公明執行部が勝ってしまったことになる。安倍の毒牙に飲み込まれてしまっていた。
<安倍の改憲軍拡派に肩入れ>
平和主義を喧伝してきた創価学会、日中友好を推進してきた創価学会という、これまでの路線を放棄してしまっていたのだ。
それにしても、平成の治安維持法である特定秘密保護法を
強行した公明党、それを受け入れてきた創価学会、あろうこと
か戦争法に深く加担してきた公明党、それを容認した創価学会に、改めて愕然とする。
安倍の改憲軍拡路線に従属して、それを公明党に呑ませ、
創価学会にも受け入れさせた太田という人物に、改めて驚愕するばかりである。
背後で莫大な不浄の金が動いていることが、推認できる。
恐ろしい悪魔人間である。
<池田第三代会長の改革路線放棄>
池田大作氏は人間革命を説いてきた。その成果を手にしてきた面々が、国会議員となった。だが、彼らは師の教えとは裏腹の、安倍の国粋主義に染まってしまっていた。
「太田議員は、獅子身中の虫だ。池田先生が決して許さない」とは2014年4月28日、木更津市のやくざハマナの歯牙にかかって殺害された戦争遺児の遺言のような叫び声であったが、事実、そのことを裏付けている。
池田・人間革命の戦士は、安倍独裁の貢献者だったことになる。
恐ろしい時代、人間の恐怖を伝えて余りあろう。
<婦人部の攻勢不発>
筆者の元へもたらされた情報は、婦人部の決起を予感させるものだった。彼女らの決起が、池田路線への回帰を約束するはずだったが、
太田のほうが、はるかに権力を乱用してずる賢こかった。
繰り返すが、一連の安倍独裁政治は、創価学会による、全国支援のお陰である。
創価学会の支援なくして安倍ファシズムが実現することはなかった。これは事実である。
日本会議や神社本庁が逆立ちしても、安倍独裁を実現することは出来なかった。
安倍首相の盟友は、太田議員なのである。
太田が創価学会をコントロールしてしまったのである。
婦人部決起も不発に終わってしまった。無念のきわみである。
問題は、こうした事実を多くの会員が認識していないことなのだ。
<平成の治安維持法・戦争法の牽引役が創価学会>
平成の治安維持法を強行したのも公明党の戦果である。集団的自衛権行使もまた、公明党の戦果である。自民党ではない。
公明党の支持母体である創価学会の戦果なのである。これは逆説ではない。
事実なのである。
それゆえに、筆者は警鐘を鳴らし続けてきた。それは平和を愛する多くの国民の願いでもあったからである。
<宗教的大義喪失>
かくして創価学会は、戦争屋に加担する極右の教団に成り下がってしまった。神社本庁レベルのカルト教団である。そこに宗教的大義はない。
いずれ新政権の下で、政教一致という内閣法制局判断で解体される運命となってしまった。改憲軍拡派が、この日本で生き延びることは不可能であることは、今の国民の怒りのデモで証明している。
戦争の危機を招来させてしまった創価学会に対して、国民の怒りと反発は強まっている。
<60日ルール破壊の、残された機会>
再生の道はないのか。一つだけある。60日ルールを破壊するのである。
参院で60日過ぎても成立しない場合、もう一度、衆院で3分の2の再可決が必要となる。この場面で公明党が反対に回ればいい。
太田や北側は賛成するだろうが、中堅以下の多数が反対に回れば、成立しない。
安倍の不浄な金に手を出すか、出さないのか。ここでの婦人部の決起が期待される。
太田と手を組んでいる会長候補を押しつぶせばいい。
60日ルールの破壊が、残された唯一の道である。
安倍内閣は死に体である。国民の大多数が戦争法NOである。
学会員もみなNOである。
学会婦人部には、まだ生き延びられる方法が残されている。
2015年7月20日記(日本記者クラブ会員・政治評論家)
(参考資料)
T 小説「新・人間革命」常楽の章
国家権力と有力宗教団体の連合からの迫害・弾圧に関する歴史的考察 !
(www.seikyoonline.jp:2016年1月より抜粋・転載)
☆常楽17:
熱原の農民信徒の生き方、振る舞いは、信心の究極を物語っている。
信心とは、学識や社会的な地位、財力などによって決まるものではない。
それは、法難という大試練に直面した時、決して怯むことなく、
敢然と立ち向かう勇気、決定した心である。そして、今こそ
「まことの時」ととらえ、師の言葉を思い起こし、深く心に刻んで、
ひとたび決めた道を貫き通す信念である。
また、私利私欲、保身への執着に縛られることなく、法のために一身をなげうつ覚悟である。さらに、一点の疑いも、迷いもない、仏法の法理への強い確信である。
反対に、退転していく者の心の姿勢を、日蓮大聖人は、次のように喝破されている。
「をくびやう(臆病)物をぼへず・よく(欲)ふか(深)く・うたがい多き者どもは・ぬ(塗)れるうるし(漆)に水をかけそら(空)をき(切)りたるやうに候ぞ」(御書一一九一ページ)
ここで仰せの「物をぼへず」とは、大聖人が「つたな(拙)き者のならひは約束せし事を・まことの時は、わするるなるべし」(同二三四ページ)と指摘されているように、信念を貫き通すのではなく、師の教えを忘れ、翻意していく弱さ、愚かさを意味する。
ところで、「三沢抄」には、第六天の魔王が眷属に、「かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・あるひはいさ(諫)め或はをど(威)してみよ」(同一四八八ページ)と命じたとある。熱原法難でも、大聖人門下であった大進房、三位房の僧や、大田親昌、長崎次郎兵衛尉時綱らが退転し、行智一派に与して、迫害する側に回っている。まさに、この原理通りといえよう。
本来あり得ないと思われる転倒した事態や意表を突く状況を生じさせ、
信心を攪乱させる。そこに第六天の魔王の狙いがある。
ゆえに広宣流布の戦いに、油断があってはならない。戸田城聖は詠んだ。
「いやまして 険しき山に かかりけり 広布の旅に 心してゆけ」と。
☆常楽18
迫害を受けた熱原の農民信徒、なかでも神四郎、弥五郎、弥六郎の三兄弟の殉教は、幸福を確立するためという信仰の目的とは、対極にあるように思えるかもしれない。
生命は尊厳無比であり、守るべき最高の宝である。では、なぜ日蓮大聖人は、「かり(仮)にも法華経のゆへに命をすてよ」(御書一五六一ページ)と仰せになっているのか。
人は、いつか必ず死を迎える。大聖人御在世当時、多くの人びとが、飢饉、疫病、戦禍等によって他界し、また、蒙古の襲来で命を失うことも覚悟せねばならぬ状況であった。
命は最高の宝であるが、露のごとくはかない。なればこそ、その命をいかに使うかが大事になる。ゆえに大聖人は、尊い命を「世間の浅き事」のために捨てるのではなく、万人成仏の法、すなわち全人類の幸福を実現する永遠不変の大法である法華経を守り、流布するために捧げよ――と言われたのである。
それによって、「命を法華経にまいらせて仏にはならせ給う」(同一二九九ページ)と仰せのように、成仏という崩れざる絶対的幸福境涯を確立することができるからだ。
生命は三世永遠である。正法のために今世で大難に遭い、殉教したとしても、未来の成仏の道が開かれるのである。
また、「佐渡御書」では、大難に遭うことで過去遠遠劫からの悪業を、今世において、すべて消滅できるとも言われている。
「不惜身命」「死身弘法」の決意に立った境地とは、
決して悲壮なものではない。
泰然自若とした悠々たる喜びの境地である。
大聖人は竜の口で斬首されようとした時、涙する四条金吾に、「これほどの悦びをば・わらへかし」(同九一四ページ)と言われている。
さらに、極寒の流刑地・佐渡にあって、「未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず」(同一三六一ページ)と記されている。
勇んで広宣流布に生涯を捧げる覚悟を定める時、わが生命は、
御本仏である日蓮大聖人に連なり、何ものをも恐れぬ大力が涌現し、
仏の大歓喜の生命が脈打つのである。
☆常楽19
初代会長・牧口常三郎は、宗門が軍部政府の弾圧を恐れて神札を祭り、日蓮大聖人の御精神に違背するなかで、正法正義を守り抜いて獄死した。この死身弘法、殉教の歴史こそが、創価学会の精神の原点である。
師の牧口と共に投獄され、後に第二代会長となる弟子の戸田城聖は、獄中での、われ地涌の菩薩なり≠ニの悟達を胸に、生きて獄門を出て、広宣流布に生涯を捧げた。
「なんのために死ぬか」とは、裏返せば、「なんのために生きるか」ということにほかならない。二つは表裏一体である。
正法正義を守り抜いて殉教した師と、その遺志を受け継いで、
生涯を広宣流布に捧げて戦い抜いた弟子――この二人を貫くものは、
「死身弘法」の大精神であり、実践である。
山本伸一は、今、創価学会という大ジェット機は安定飛行を続けているが、広宣流布の旅路には、熱原の農民信徒や牧口初代会長の時代のように、激しき乱気流も待ち受けていることを覚悟していた。
しかし彼は、会長として、断じて殉教者を出すような状況をつくってはならない。もしも殉難を余儀なくされるなら、私が一身に受けよう!≠ニ固く心に誓い、必死に操縦桿を握っていたのである。
だが、広宣流布を推進していくには、それぞれに死身弘法
の覚悟が必要である。その決定した一念に立ってこそ、
一生成仏も、宿命を転換することもできるのだ。
死身弘法の覚悟とは、人生の根本目的は広布にあり≠ニ
決めることだ。そして、名聞名利のためではなく、人びとに
仏法を教えるために、自らの生活、生き方をもって、
御本尊の功力、仏法の真実を証明していくのだ。
広宣流布のために、健康になります。健康にしてください∞経済革命します。経済苦を乗り越えさせてください∞和楽の家庭を築きます。築かせてください≠ニ祈りに祈り、学会活動していくのだ。広布誓願の祈りは、仏、地涌の菩薩の祈りであり、それゆえに諸天を、宇宙の一切を動かしていく。
U 公明党初期の路線(池田第三代会長時代):
「中道革新連合政権」構想5項目
(島田裕巳『創価学会・もう一つのニッポン』139頁等):
@ 反自民党、反大資本、
A 平和・自立・中立政策に基づく外交政策、「日米安保条約の段階的解消」
在日米軍基地段階的縮小、
B 日本国憲法と議会制民主主義の擁護、
C 国民福祉優先の経済政策
D 治経済の改革手段としての暴力革命・急進主義を否定し、漸進主義を選択する
V 戸田第二代会長の苦悩:
“ほとんど全員が「退転する」”だろう !
獰猛・狡猾・甘美な権力の魔性に負けるであろう !
昭和30(1955)年2月、信濃町・学会本部における、文化部員の任命式で、戸田第二代会長が、「今日、ここのいるのは、わが愛弟子たちである。
しかし、“ほとんど全員が「退転する」”だろう。
獅子は千尋の谷に子を突き落とし、這い上がらせて訓練をする。
ここにいる皆も、千尋の谷に落とさざるを得ないのだ。
“だが、ほとんどの者が二度と這い上がれない”だろう。
それを思うと、私は余りの辛さに――涙がこぼれるのだ」と述べています。
牧口会長を獄死させた政治権力への怒り。
いまだ誰も果たしたことのない、日蓮仏法の「立正安国」「王仏冥合」という見果てぬ夢の実現。時期は来た。打つべき手は打った。
だが、「権力には魔性が棲んでいる。ここに居並び、これから政界に送り出さねばならぬ弟子たちの、誰一人として気づかぬほどの獰猛で狡猾で、甘美な魔性が」と記述されています。
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