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戦後70年:被爆者に投下正当化 !
トルーマン元米大統領、1964年の会談映像 戦争は「起きてほしくない」
NHK等が隠す、大戦の真相は ?
第二次大戦は、世界大恐慌後、景気回復を狙う、英米の謀略であった !
広島、長崎の原爆投下は、日米共同作戦、人体核実験が真実 !!
T トルーマン元米大統領、1964年の会談映像
(毎日新聞 2015年08月05日 東京朝刊より抜粋・転載)
「がっかりした気持ちに…」会談の被爆者、当時を振り返る
【インデペンデンス(米中西部ミズーリ州)で草野和彦】日本への原爆投下を命令したトルーマン元米大統領(在任1945〜53年)が64年5月、ミズーリ州インデペンデンス市のトルーマン図書館で被爆者と会談した際の映像を毎日新聞が入手した。
元大統領は、「戦争終結のため」と原爆投下の正当性を主張しつつ、核兵器が再び使用されないことへの希望を表明した。
元大統領と被爆者が、直接会ったのはこの時だけ。地元テレビが撮影した貴重な映像は当時一部で放送されたが、広く知られることはなかった。
訪問したのはヒロシマ・ナガサキ世界平和研究使節団で、被爆者8人と通訳らが参加。
1964年5月5日、団長の松本卓夫さん=当時76歳、元広島女学院院長=が講堂の壇上で元大統領と向き合い、他の被爆者らは客席で見守った。
図書館に保存されていた映像は、約2分半。映像や音声が途切れる部分もあるが、図書館には会談の全文記録が残されていた。
会談は冒頭で、3日後に80歳となる元大統領を松本さんが祝福し、穏やかに始まった。
だが、両者は一度も「原爆投下」という表現を使わず、互いに神経を使っていたことが分かる。
元大統領は、「皆さんが関心を持っていること(原爆投下)、その目的は、双方で50万人の死者やさらに多くの負傷者を出さずに戦争を終結させることだった」「それは必要だった」などと述べ、自らの判断の正当性を主張した。
一方で元大統領は、日本国民には何ら悪感情を持っていないと訴え、その証明として戦後の復興支援を強調した。
さらに、今回の戦争を踏まえ、「二度と起きないことを望む」と述べた松本さんに対し、「あなたと同じだ。二度と起きてほしくない」と語った。
元大統領は58年、米テレビで放映された、インタビューで「(戦争になれば)勝つための
兵器を使わないのはばかげている」と発言していた。
原爆投下の正当性について生涯、譲ることはなかった元大統領だが、被爆者との会談では、表現を和らげ、戦争を防ぎ、核兵器が二度と使用されないことを望んでいると強調したかったようだ。
U 第二次大戦・日中・日米戦争は、世界大恐慌後、英米の謀略であった !
副島隆彦・船井幸雄の主張:国民党と中国共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、世界大恐慌後、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でもあった。
特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。
つまり、日本政府・陸海軍首脳は、英国・米国・ソ連・
中国共産党の仕掛けたワナに嵌められて、無謀な大戦に突入したのだ。
マッカーサー元帥は、この首脳を、12歳並と言った。
自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである(『昭和史からの警告』。
V 太平洋戦争第一の戦犯は、 ルーズベルト大統領 !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/364.html
投稿者 oobi 日時 2010 年 5 月 25 日 19:57:48: DUWbfWm4YQdEw
我々日本人は、東京裁判史観の自虐史観をマスコミから植え付けられましたが、
誰も言わないが、太平洋戦争の本当の第一の戦犯はルーズベルトです。
第二は、農村の極貧から軍務官僚が生まれた事と思います。
戦前、欧米列強がアジア諸国や世界を分割して植民地支配していた帝国主義の時代、世界大恐慌後、英米仏などによる経済ブロック封鎖は、日本国とって実に過酷な事だったと思われます。
昭和恐慌の中、資源も市場も無い新興工業国日本にとって交易出来ない事は、深刻な失業問題を引き起こしたと思います。
そして、不況で失業者が帰農した農村部では、米価の下落から深刻な貧困が起きています。
当時、帝国主義の時代、指導者層は満州国建国以外に、果たして有効な失業と貧困の解決策を他に打ち出せたのだろうかと思います。
満州国建国は国防上でも、ソ連と共産主義に対する朝鮮半島の防波堤になっていたと思います。
日本帝国滅亡とともに、北朝鮮までソ連支配下になった。
歴史的に見ると、満州は朝鮮半島の対ソ反共の防波堤だったと言える。
そして、北朝鮮人民は、今日でも極貧状態に置かれている。
日本は、満州国建国以降、日中戦争で軍部が暴走する失敗をした。
軍部独走への最大の問題事件は、二・二六事件ですが、この事件の原因として青年将校達が当時人口の大半を占めた農村部出身の人が多かった事が大きいと思います。
現在も防衛大学は学費免除ですが、当時、貧しい農村部の優秀な人達が続々と学費免除で将校になっていた様です。
彼らは、昭和恐慌時の農村部の貧困を憂いていたと思います。
今では考えられない、女子を身売りせざるを得ない農村の極貧。
農村の極貧を憂いた青年将校達は、二・二六のテロに走ってしまった。
そして、農村の極貧への憂いが軍部独走をさらに加速させてしまい日中戦争の泥沼に入り込んでしまった。
日本の優秀な軍務官僚を育成していくシステムがアダとなってしまった悲劇と思います。
故郷を憂いた青年将校達の狭い判断(軍事で貧困の解決)が、国家の外交、繊細な配慮を必要とする外交を狂わしてしまった。
日本軍の暴走に対して、米国による対日資産凍結、石油禁輸のABCD包囲網の過酷な仕打ち。
最後、ハル・ノートを突きつけられて東条英機は、軍部を押さえられず開戦。
緒戦健闘するも大量虐殺されて日本敗戦。
歴史を観ると日本は何か運命的に追い込まれて無謀な戦争に突入した事が解ります。
戦犯として第一に上げるのは、過酷な対日政策を、次ぎ次ぎ行った、ルーズベルトと思います。
名大統領と言われる、この男・ルーズベルトが、本当の戦犯と言える。
W 広島、長崎の原爆投下は、日米共同作戦、人体核実験が真実 !!
(Ijin9266のブログ2011年8月5日より抜粋転載)
1)広島・長崎原爆投下は「国際金融財閥の命令」によって行われた !
2)「終戦工作」として、日米共同で原爆投下をインペイ・実行 !
「終戦(実は敗戦)工作」とは何か。
簡単明瞭に書くならば、“天皇制護持・英米派政府首脳保身のため、天皇が畑元帥を
呼びよせつくったもの”である、と書いておく。
どうしてか。これから書いていくことを読者が読めば納得すると思っている。でもヒントを与えておくことにしよう。
原爆投下情報を完全に知りながら、それを「全部封印」した。
2、8月3日から6日にかけて、「原爆投下予定地」を中心に、大勢の人々を集めた。
3、武器弾薬も食糧もないのに、たくさんの兵を召集し、その兵たちを九州に送り込んだ。・・・
3)「米国と天皇」のために、“大勢を、「原爆投下の予定地」に集める !
どうしてか。「人体核実験」を狙う、「スティムソン・米国陸軍長官と天皇」のために、“ごく自然に多くの人々を、「原爆投下の予定地周辺」に集めなければならなかった”のである。予定日は変化し続けた。天候の関係であった。
4)米国・天皇・売国的軍人の謀略による原爆投下
「日米共同作戦・人体核実験」を成功させるため、“劇的な演出で、多くの広島市民に死んでもらうため”である。スペクタクルが必要であった。
終戦工作の条件(皇室安泰・親英米派安泰)のため、
米国の要望・人体核実験を成功させるため、
天変地異に比すべき出来事が演出されなければならなかったのだ。
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