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1985年・日航機・JAL123便墜落事故の真相は ?
@ (第1回)
助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された !
対米隷属・政官業癒着・長期自民党政権の深層は ?
日航機墜落から生存者発見までの、空白の16時間の深層は ?
(blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.htmlより抜粋・転載)
★JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている !
あの日1985年(昭和60年)8月12日JAL123便に、一体何が起こったのか?
事件の背景は?
真実は、当初から超国家権力によって隠蔽され続け、20数年間深い闇の中にあった。
しかし、近年になってようやく、新たな証言者が現れ、この問題を長年追い続けて来た人達と結びつき、遂に闇の核心部分に光が当たるようになった。
★日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
故高濱雅己機長の遺族は、妻の淑子さんを始め執拗なイヤガラセを受けた。
最愛の人を亡くした悲しみに加え、加害者扱いという二重の苦しみが、高濱機長の遺族を襲った。
何度電話番号を変えてもイヤガラセ電話が絶えなかったという。
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しかし、高濱機長を始め、日航乗務員15名は、最悪の条件下、最後の瞬間まで命を懸けて闘った。加害者等では、断じてない !
真の英雄達だ !極限下で示された彼らの勇気ある行動とその気高き精神は讃えられ、彼らの名誉は何としても恢復されなければならない。
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元日本航空スチュワーデス(青山透子氏)が描く、日航ジャンボ機墜落事故の記憶。
操縦不能になった機内。「墜落」という逃れられない現実、突然目の前に「死」という恐怖が迫る。
飛行機に異常が発生して、酸素マスクが落下し、大きく揺れ動く機内。恐怖にさらされた中で、最後の最後まで冷静に働いたスチュワーデスたち。
乗客に不安を与えず、冷静にエマージェンシー対応を行った。
「死」を覚悟して遺書を残した乗客がいたことも知られているが、最後まで望みを捨てず、「不時着」に備えてメモを残したスチュワーデスがいた。飛行機を立て直すコックピットの懸命な努力。
極限状態の中で懸命にプロの仕事をまっとうした乗務員の姿がそこにあった。
★日航機墜落事件をうまく隠ぺいした人は異例の
昇進をし、追及した人は、辞職を強要された !
青山透子氏(元日航客室乗務員)ブログ:「あの事件をうまく隠ぺいした人は異例の昇進をし、それを追及した人は辞職を強要されたそうです。正直な人が辞めさせられて、ずるい人が残るとすると、本当にひどいですね。」
★日本国民は、高度にマインドコントロールされ、
慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ !
あの日1985年(昭和60年)8月12日JAL123便に、一体何が起こったのか?事件の背景は?それを知ることは、大きな目覚めになる。
「我々は高度にマインドコントロールされ、慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ」と。
この世界の現実について予備知識の全く無い人が、このJAL123便事件の真実を、いきなり知ってしまうと、一時的に精神のバランスを失うかもしれない。
価値観は、ひっくり返り、後生大事に持っていた常識は崩壊する。コメント欄にはそんな人達からのdesperate comment が山ほど寄せられる。
中には、工作員らしき人物からの「撹乱メッセージ」も寄せられた。(彼らのコメントを公開することは益々混乱を招くと思われるので、現在は、公開を控えている。)
★この世界から争いが消え、真の平和を築くにはどうすれば良いのか?
★『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福な人生とは?
今まで通り「自身の『常識』という殻の中で幸せに生きて行きたい」という人は、ここから先は読まない方が良い。
ご自身に人生がひっくり返るような事件が起きたとき初めて、このJAL123便事件の真実を受け入れられるかもしれない。
そして『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福な人生とは?
この世界から争いが消え、真の平和を築くにはどうすれば良いのか?その答えが見つかる。
途中で『気分が悪くなった。とてもついて行けない。』と思った方、或いは『どうも自分には予備知識が不足しているようだ』と感じられた方は、他の記事を読まれて基本知識を得てから、再度読み進めて頂きたい。
『いや、大丈夫。心の準備はできている。』という方は、どうぞこのサインを無視して、その先に進まれたい。
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☆JAL123便事故関連動画−事件を知らない世代のために (注:ボイスレコーダーは、一部改竄、墜落原因の圧力隔壁破壊ではない事を前提に)
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JAL123便墜落事故−再現ドラマと関係者証言@(1時間26分)
JAL123便墜落事故−再現ドラマと関係者証言A(40分)
★墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊の到着は、大幅に遅れる !
人気歌番組「ザ・トップテン」放送中に第一報:茶の間の多くの日本国民が、ここでJAL123便墜落事故を知る(8分18秒)…ここから墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊の到着は、大幅に遅れることに。
TV on air reports JAL123 01a
ANNニュース速報:日本航空羽田発大阪行きのジャンボ機墜落の可能性強まる (2分)
迷走のJAL123便−墜落まで:日航ジャンボ機墜落事故 (8分46秒)
日航機事故犠牲者遺族の怒り、悲しみ、慟哭、凄惨な事故現場、遺体との対面:日航機事故遺族 (5分41秒)写真は大阪空港で「明日の朝一番で臨時便を出せ!」と日航関係者に詰め寄る乗客関係者達。
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「あの日を忘れないで」 1 2 3 4
日航機墜落 家族の動揺と悲痛 (9分35秒)
20年目の誓い〜天国にいる我が子へ〜 1(12分20秒) 2(12分17秒) 3(12分20秒)
里帰りの娘を失った母の想い:520の夢桜 (9分49秒)
日航ジャンボ機墜落事故から25年 1 2 3 4
★生存者4人は、報道直後突然失踪 !
彼らは一体どこへ消えたのか !?
助かったのは僅か4名の女性達:生存者救出場面 (2分34秒)
☆世界の真実の姿を求めて!TV新聞報道では、助かった4人以外に少なくとも生存者が3人、合計7人の生存者がいた(この日本経済新聞の記事は、日航パーサー落合由美さんを忘れている。従って8人が正しい。)。
しかし、4人は報道直後突然失踪! 彼らは一体どこへ消えたのか!?
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JAL 123 article 01
★墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言 !
さらに最低50人くらいの生存者が墜落現場にいた、指先が1本ちぎれただけの男の人もいた、と、まだ夜も明けやらぬ現場に駆けつけた若者は証言!生存者達も同様、墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言。
JAL 123 Yoshizaki 01
☆川上慶子さん(当時12歳)は、同乗の両親と妹が亡くなるも奇跡的に生還。
病院を退院後、島根の実家に帰った際に証言:墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。
あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。
しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったとおもった。
そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。
(慶子さんは意識が無くなって幸運だった。もしその時懐中電灯の人物に助けを呼んでいたら、彼女の今日は無かっただろう。
近くに居た、落合由美さんや吉崎さん母子の今日も…理由は後述。)
JAL 123 Kawakami 01
★JAL123便が炎をあげて墜ちてきた、 光るものが飛んできたと証言 !
☆日航機元客室乗務員、作家・安部譲二氏談:御巣鷹山近くの複数の住人が、123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言している。
(これこそ123便が、空中で爆発した目撃証言ではないのか?
何故事故調査委員会はこの証言に耳を傾けなかったのだろう?
空中爆発だと何が都合悪かったのだろう?)
―この続きは次回投稿します―
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