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「翁長雄志は命がけでした !」、妻・樹子さんが語る壮絶な最期 !
沖縄県知事選の深層・真相は ?
(www.okinawatimes.co.jp:2018年9月9/1(土) 7:10より抜粋・転載)
沖縄タイムス:「翁長雄志は、命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期
8月8日に亡くなった、沖縄県前知事の翁長雄志さんの妻の樹子さん(62)は、沖縄のタイムスのインタビューに、名護市辺野古の新基地建設問題に関する、前知事の思いなどを明かした。(聞き手=政経部・福元大輔)
◆沖縄の人たちの心を一つにしたかった !
撤回と聞いて「あなたが待ち望んでいたことよ。自分の責任でやりたかったと言うでしょうけど、皆さんが遺志を継いで頑張ろうと立ち上がってくれたのよ」と仏前に報告しました。
翁長雄志は、命がけでした。他の人には、なぜそこまでするのか、と理解できないかもしれません。
政治家として、自分に何ができるかを、追い求めてきた人です。
若い頃は、何を考えているのか、何をやりたいのか、分からないこともありましたが、亡くなって、初めて思うんです。ずっとつながっている。沖縄のことを思い、沖縄の人たちの心を一つにしたかったんだと。
本人は、亡くなる直前に言ったんです。
辺野古問題で、悩むことが多かったでしょ。「人がどう言うか、分からない。
人がどう評価するか、分からない。
でも、知っていてほしい。僕は、精いっぱいやったんだ。
これ以上できない、それでも足りないだろうか。僕の力が、そこまでだったんだろうか」と。私が「ウチナーンチュだったら、きっと分かるはずよ」と言ったんですよ。そしたら、翁長は静かに笑っていました。
◆沖縄県民が諦めなければ、新基地は止められる !
7月27日に撤回を表明し、30日に入院しました。10日そこそこで亡くなったんですが、肉体的にはとっても大変、きつかったと、思うんです。
弱いところを、見られたくないという思いが、強かったですから。
副知事や公室長が来たときも、病室のいすに座って、話をしていました。
若い頃から、政治一筋だったので、自分がいま何やるかが分かっていたのかもしれない。撤回の準備に入ったのも、自分の体調が、本当に厳しくなってから。
どうにか撤回まで持っていきたいと、考えていた。
ぎりぎりの状態で進め、結局、自分で撤回することなく、亡くなってしまったけど。後は任せるということになり、本当に申し訳ないという気持ちだった。
沖縄県民が諦めなければ、辺野古の基地は、造られないと思う。それは、翁長も私も信じていた。
県民が、辺野古の基地は、もうしょうがないということになれば、未来永劫(えいごう)、沖縄に基地を置かれたままになる。
それでいいのでしょうか。翁長は、命をかけて、そこを問い続けた。
もう一度踏ん張りたい。私には、それしかできない。
ウチナーンチュが一つになって、団結したとき、私たちが考えている以上の力強さがあると次男が県民大会で言ったでしょ。
本当にその通りだと思うんです。一つになって立ち上がる。その強さを翁長は求めていたんだと思うんです。若い頃から。
◆私が翁長の背中を押した理由
7月27日の記者会見の時、知事室からエレベーターに向かう廊下の窓際に、腰を掛けて休んでいたのを、記者たちが見て、記者会見で聞いたら、外反母趾(ぼし)と応えていたけど、あれは全然違う。
前日、県庁に行って、撤回に向けた最後の打ち合わせをして、公舎に「ただいま」と帰ってきた。
玄関にあったいすに座って3分、廊下で3分、リビングで3分、寝室までの廊下でまた3分、5メートルを歩くのに、20分かかる状況だったの。
「記者会見で、自分の思いを伝えることができるだろうか。記者の質問に答えることができるのだろうか」と私に言ったの。
私は「できるに決まっているじゃないの。何のために頑張ってきたの。あなたがやらないで、誰がやるの」と背中を押しました。
口の中いっぱいに、口内炎ができていて、小さな粒の薬を飲むのも、少しずつ少しずつ、流し込むように。これも20分かかったかな。
翌日起きて、送り出して、記者会見で、30分間話し続けることができたと聞いて、私は「神様ありがとう」と何度も繰り返した。
弱い姿を見せたくなかった人ですから、外反母趾と、言ったんでしょう。
私がそうじゃなかったと言ったことで、翁長は、怒っているかもしれません。「なんで本当のことを言うんだよ」って。言葉が聞こえてくるようです。
そんなきつい翁長の背中を、私が押したのには、理由があるんです。
◆もう新聞を読めないよ !
撤回が現実味を帯びてきた頃、国から「一般の職員にも損害賠償を求める可能性がある」という情報が伝わってきたんです。脅しのようにも聞こえるでしょ。
県庁内は、戦々恐々になったようで、翁長は、「自分は、政治家だから丸裸にされても、撤回をやる覚悟はある。
でも一般職員を、そんな矢面に立たせるわけがない」って、強く言ったんです。
私たち家族も、その責任を負う覚悟はありました。でも一般職員に、そんなことを言うのは、どうなんでしょうか。
皆さんには、本質を見てもらいたい。
2期目の出馬についても、本人から直接聞いたわけではないけど、12月の任期を全うできないと感じているんじゃないかなと思うことがあったんです。
例えば、4月に膵臓(すいぞう)に、腫瘍が見つかる前から、公舎にあった自分の本の整理を始めたんです。
大切にしていた本も捨てて。何をしているのと聞いたら、「これは、君たちにはできないことだから、僕がやるんだ」と言うんです。
何があっても、新聞を読む人でした。胃がんの時も膵炎(すいえん)の時も、病室で私が来るのを待つというより、私が手に持つ、新聞を待っているんです。
それが、亡くなる2日前に、新聞を差し出すと「ごめん。
もう新聞を読めないよ」って言うんです。
新聞の情報を、何よりも大切にしていた人ですから、私も「えっ」と思ったんです。この期待に応えてくださいよ。
いつまでもいい新聞を作ることが、この期待に応えることですよ。皆さんには、頑張ってもらいたいとずっと思っているんです。
◆最後まで周りに気を遣うお父さんだった !
でも翁長が弱いところを見せるのは本当に初めてです。
撤回の前日に記者の質問に答えられるかなと言ったとき、そして、亡くなる2日前ですか。出会ってから本当に初めてと言っていいくらい。
昨年の後半頃から、お風呂上がりに体重計に載るたびに体重が減ったようです。
胃がんの後で75キロ。これをキープしようと維持してきたんですが、70キロになり、65キロになり。
いくら何でも様子がおかしいんじゃないのと病院に行き、体重減も気になるけど、血糖が上がったことも気になると言われ、もしかしたら糖尿病かもと思い、その日のうちに検査したら膵臓に腫瘍が見つかりました。
最後に入院したとき、1回だけ「苦しい」といったことがあるんです。病室で車いすに乗ろうとした時に私が支えていたんだけど、バランスを崩して、二人で転んだの。私に苦労させたと思ったんだろうね。
そのとき、私にもたれかかるように「苦しい」と言ったの。1回だけ。
そのとき、死期を覚悟していたのもしれない。もしかしたら恐怖があったのかもしれない。こんなことを私に言ったの。
「この先、子どもたちにあたることがあるかもしれない。
自分で自分をコントロールできなくなるかもしれないんだ。
そのときは、子どもたちに伝えてほしい。
今のお父さんは本当のお父さんじゃないよ。病気で自分をコントロールできなくなっているんだよ」と。
でも、最後までそんな必要はなかった。最後の最後まで子どもたちにあたることはなかった。周りに気を遣うお父さんだった。
でも、でもね。ずっと難しい顔をしていたでしょ。だから最後は見せてほしいと思った。翁長の本当の笑顔を。末っ子の甘えん坊の笑顔を。
明るくよく笑う人だったんです。この4年間はほとんど見ることがなかったから。
(参考資料)
対米隷属安倍政治の是非を問うのが、沖縄県知事選の本質だ !
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/08/27より抜粋・転載)
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◆沖縄県知事選は、辺野古米軍基地建設
の是非が、最大の争点である !
◆新たに、辺野古米軍基地建設を米国に
約束する事は、対米隷属の象徴である !
米国と交渉して、普天間に代わる、軍事基地を日本が用意することで、了解を取り付けたというものである。これこそ、米国に隷従する日本、米国にひれ伏す日本の現状を象徴している。
1945年8月14日に、日本政府が受諾を通告した、ポツダム宣言第12項に以下の内容が明記された。
十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本國國民ノ自由ニ表明セル意思ニ從ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合國ノ占領軍ハ直ニ日本國ヨリ撤収セラルベシ
そして、サンフランシスコ講和条約第6条に次の条文が置かれた。
(a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。
◆ポツダム宣言第12項等で、日本の独立回復と同時に、
米軍は、日本から撤退する事とされた !
日本の独立回復と同時に、米軍は、日本から撤退することとされた。
ところが、サンフランシスコ講和条約第6条に以下の「但し書き」が付されていた。
「但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として、双方の間に締結された若しくは締結される、二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における、駐とん又は駐留を妨げるものではない。」
米国は、サンフランシスコ講和条約締結直後に、吉田茂首相(麻生財務相の祖父)に、日米安全保障条約への署名を求めた。
吉田茂首相は、国内での論議をせずに、条約に署名した。
この瞬間から、独立回復後の日本は、対米従属、対米隷従という、十字架を背負い続けることになったのだ。米国国務長官のダレスは、日米安保条約の本質をこう述べた。
◆ダレス国務長官:米軍の人数・基地の場所・期間等は、
米国の自由で、日本に駐留させる !
「我々が、望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ、駐留をさせる権利を有する。それが米国の要求である。」
安倍政治とは、米国にひれ伏す政治のことである。この日本の対米隷属の縮図が、沖縄なのだ。
しかし、沖縄の主権者の多数が、この基本構図に、NOの意思を示している。
日本政府の対米隷属に従属する者もいるが、日本政府の対米隷属に、断固NOの意思を表明する主権者が、多数存在する。
◆自公候補は、あいまい戦術で、「辺野古問題は、
裁判所判断に委ねる」と演説する可能性大だ !
この場合、自公候補は、「辺野古問題は、裁判所判断に委ねる」との言い回しを、展開する可能性がある。
公明党は、表向き、辺野古米軍基地建設に反対の方針を示し、知事選候補者は、辺野古米軍基地建設への賛否を示さずに、辺野古問題は、裁判所判断に委ねるとの言い回しを、選挙戦で貫く可能性がある。
この手法で、選挙の争点を「基地」ではなく「沖縄経済振興」に差し替えることを狙ってくるだろう。これらを踏まえれば、知事選前の撤回を先送りし、知事選で、埋め立て承認撤回の是非を問うことを、検討するべきかも知れない。
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