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オウム事件で、29人の死亡の他、被害者は多数に及んだ !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2018 年 7 月 08 日 22:03:46: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


オウム事件で、29人の死亡の他、被害者は多数に及び、

   いまだに、後遺症が消えていない人が多い !

   オウム「3大事件」とは ?

(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/07/07より抜粋・転載)
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1) 草の根民主主義が日本を変える時機が到来している !

第254回UIチャンネル放送、「鳩山友紀夫氏×植草一秀氏」

https://www.youtube.com/watch?v=pRMOTkBhU8w:をぜひご高覧ください。

日本政治刷新のための方策を論じている。

「市民が変える日本の政治」、「愛・夢・希望の市民政権樹立へ !」、草の根民主主義が日本を変える時機が到来している。

2)オウム事件の7人の死刑囚に対する、死刑が、

   東京拘置所などで、執行された !

話は一変するが、7月6日午前、松本・地下鉄両サリン事件などで、計29人の犠牲者を出した、一連のオウム真理教事件をめぐり、死刑が確定していた、教祖の麻原彰晃氏=本名・松本智津夫氏ら7人の死刑囚に対する、死刑が、東京拘置所などで、執行された。

一連の事件で、死刑が確定した者は、合計13人で、初めての執行となった。

命令したのは、上川陽子法相である。

松本智津夫氏以外に死刑が執行されたのは、早川紀代秀氏、井上嘉浩氏、新実智光氏、土谷正実氏、遠藤誠一氏、中川智正氏である。

オウム事件では、まったく罪のない市民が、サリンなどにより殺害され、多くの市民が重大な被害を受けた。

3)オウム事件で、29人の死亡の他、被害者は多数に及び、

   いまだに、後遺症が消えていない人が多い !

被害者は多数に及び、いまだに、後遺症が消えていない、被害者も多数存在する。

被害者感情、遺族感情からすれば、死刑の執行は当然だとの声はある。

しかし、死刑は、国家権力による殺人である。

刑罰としての死刑が、妥当であるのかどうか議論の余地が大きい。

日本弁護士連合会(日弁連)は、2016年10月7日、第59回人権擁護大会において、「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択し、日本において国連犯罪防止刑事司法会議が開催される、2020年までに、死刑制度の廃止を目指すべきであることを宣言している。

同宣言では、殺人事件などの被害者感情等について、次の記述を示している。

―この続きは次回投稿します―

(参考資料)

T 坂本堤弁護士一家殺害事件とは ?

(ウイキペディアより抜粋・転載)

坂本堤弁護士一家殺害事件(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士であった坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である[1][2]。

○概要・事件のきっかけ

「横浜法律事務所」に所属していた坂本堤弁護士は、江川紹子からの紹介で[3]、出家信者の母親から息子のオウム真理教脱会について相談されたことがきっかけとなり、1989年(平成元年)5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及し「オウム真理教被害者の会」を組織していた。同年9月、『サンデー毎日』で「オウム真理教の狂気」特集がスタートし、坂本弁護士も取材を受ける[4]。

オウム真理教に対して、批判的な記事を書いていた『サンデー毎日』の出版を差し止めるべく、出版元である毎日新聞社本社の爆破計画があった。2トントラックに爆弾を搭載し、輪転機がある(はずの)パレスサイドビルディング地下階に突っ込んで爆発させれば、サンデー毎日の出版を停止できるという計画だった。爆弾は村井秀夫が作る予定であった[5]。

しかし、トラックが地下に入れないことと、そもそもサンデー毎日がパレスサイドビルディング地下階の輪転機で印刷されているかが不明であったことにより、計画は暗礁に乗り上げた。代替案として、直接爆弾を設置する計画があったが、早川紀代秀がオウム真理教のビラを千代田区一ツ橋の毎日新聞社に置いてきたため、足がつくことから頓挫した[6]。

U 松本サリン事件

(ウイキペディsより抜粋・転載)

松本サリン事件(まつもとサリンじけん)とは、1994年(平成6年)6月27日に日本の長野県松本市で発生したテロ事件。警察庁における事件の正式名称は松本市内における毒物使用多数殺人事件[1]。
オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布されたもので、被害者は死者8人に及んだ。戦争状態にない国において、サリンのような化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して無差別に使用された世界初の事例であり、同じくオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けばその後も類が無い。
無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件[2]・報道被害事件でもある。その背景には、ずさんな捜査を実施した警察とマスコミのなれ合いがあったとも言われる。

毎日新聞では坂本堤弁護士一家殺害事件、地下鉄サリン事件と並んでオウム「3大事件」(-さんだいじけん)[3]と表現している。

事件発生

1994年6月27日から翌日6月28日の早朝にかけて、長野県松本市北深志の住宅街で、化学兵器として使用される神経ガスのサリンの散布により7人が死亡、約600人が負傷した(負傷者は松本市地域包括医療協議会調査での数[4]。
刑事事件の裁判では迅速化のため負傷者は144名とされ、1997年12月には訴因変更によってさらに絞られ4名とされた[5])。

事件から14年後の2008年8月5日、本事件による負傷の加療中であった河野義行の妻が死亡した[6]ためこの事件による死者は8人となった。

事件直後の犠牲者は次のとおりであった。

35歳女性 1994年6月28日午前0時15分頃死亡

19歳男性 1994年6月28日午前0時15分頃死亡

26歳男性 1994年6月28日午前0時15分頃死亡

29歳女性 1994年6月28日午前0時15分頃死亡

53歳男性 1994年6月28日午前0時15分頃死亡

45歳男性 1994年6月28日午前2時19分頃死亡

23歳男性 1994年6月28日午前4時20分頃死亡

事件発生直後は犠牲者の死因となった物質が判明せず、またその物質の発生原因が事故か犯罪か、あるいは自然災害なのかも判別できず、新聞紙上には「松本でナゾの毒ガス7人死亡」という見出しが躍った。

6月28日、長野県警察は第一通報者であった河野義行(こうの よしゆき、1950年2月 - )宅を、被疑者不詳[7]のまま家宅捜索を行ない、薬品類など数点を押収した。
さらに河野には重要参考人としてその後連日にわたる取り調べが行われた。また、被疑者不詳であるのに河野を容疑者扱いするマスコミによる報道が過熱の一途を辿る。

7月3日、ガスクロマトグラフィー/質量分析計(GC/MS)分析により、散布された物質がサリンであると判明した。

V 地下鉄サリン事件とは ?

(ウイキペディアより抜粋・転載)

地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)とは、1995年(平成7年)3月20日に、東京都で発生した同時多発テロ事件である。海外では「Tokyo Attack」と呼ばれている[2]。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件[3]。

宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。
平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のない事件であり、国内外に大きな衝撃、影響を与えた。

毎日新聞では、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並んで『オウム3大事件』(-さんだいじけん)[4]と表現されている。

○概説・事件当日

1995年(平成7年)3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ、以下営団地下鉄)、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら13人[注 1]が死亡、負傷者数は約6,300人とされる。

営団地下鉄では事件発生に伴い日比谷線の運転が不可能となり、霞ケ関駅を通る丸ノ内線・千代田線については同駅を通過扱いとして運行することにしたが、一時的に部分運休した(後述)。運転再開後はほぼ所定どおりのダイヤで運行したが、終電まで霞ケ関駅を通過扱いする措置をとった。

1995年(平成7年)3月20日は月曜日で、事件は平日朝のラッシュアワーのピーク時に発生した。これは村井秀夫と井上嘉浩が乗客数及び官公庁の通勤のピークが8時頃であると考えた為である[5]。
各実行犯は、500〜600gの溶液(内サリンは35%程度)の袋詰めを2つ、林泰男だけは3つ運び、犯人は各々に命じられた列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使い、袋を数回突いて下車[6]。それぞれの犯人が共犯者の用意した自動車で逃走した。
営団地下鉄はラッシュ時には非常に混雑するため、車両間を移動することは大変困難であった。

この事件は麻原彰晃が首謀、村井秀夫が総括指揮を担当、そして井上嘉浩が現場調整役を務めた。サリンは土谷正実・遠藤誠一・中川智正が生成したものが使われた。

 

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