http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/890.html
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世の中には「イエス非−実在説」というのがあります。イエス伝説は、当時ユダヤの混乱や人々の願望から生まれたので、その実体は存在しなかった…という考えです。この説は、主に2つの論拠から成っています。
@信徒制作の〈福音書〉以外に、イエス実在の記録がない。
A〈福音書〉中のユダヤの地理や社会描写は矛盾だらけ。
この2点を、ちょっと解説してみます。
◆@−イエス実在の記録はない?
〈福音書〉によると、イエス刑死は当時のユダヤを震撼させた重大事件だったように読めるけれど、実はこれを伝えるのは〈福音書〉だけで、支配者ローマ側や正統ユダヤ側にはまったく記録も伝承もありません。
唯一「反証」とされてきたのが、フラウィウス・ヨセフス(1Cのユダヤ歴史家)の書き残した「イエス記事」だが、この箇所は後世の捏造であることが明らかです。というのも、ヨセフスはキリスト教徒ではなかったのに、その「記事」中ではイエスが〈神の子〉と呼ばれており、著者の立場にはっきり矛盾するからです。こうした古代の文献は、中世には教会が写本をつくって伝えてきたので、「イエス記事」は教会僧の手によって加筆された−というのが現在の通説です。
◆A−〈福音書〉記者たちはユダヤを知らない
〈福音書〉のユダヤ地理がデタラメなのも、よく知られた事実です。おそらくマルコ、マタイ、ヨハネらは、幼い頃にユダヤの地を離れたか、またはパウロのように始めから亡命ユダヤ人として生まれたのでしょう。なおルカは、ユダヤ人ですらなく、ギリシア人の可能性が高いと見られています。
デタラメなのは地理だけでなく、年次もです。イエスの誕生年について、マタイ2-1はヘロデ大王の在世中と書き、ルカ2-2はクィリニウス総督の代としています。ところがヘロデはBC4年に没、クィリニウスはAD6年以後の赴任なので、これはありえない矛盾なのです。
さらに〈福音書〉の描くユダヤ社会も、おかしな点がいくつかあります。
たとえばイエスに死刑を宣告した−とされる「ユダヤ大法廷=サンヘドリン」について見てみましょう。〈福音書〉では、サンヘドリン全体が興奮してイエスの死を求めたように描かれている(たとえばマタ26-59「祭司長たちと全議会は…」)。しかしこれはユダヤ史側のサンヘドリン像と一致しません。
それというのは、サンヘドリンでは「全会一致は無効」とされていたからです。全員が一つの意見に賛成するということは、何かが間違っているのであり、みな頭に血が上っているのだから、日を改めて採決をやり直すべし−と規則で決められていたのでした。いかにも古代人らしい叡智ですね。だがこれは、〈福音書〉が悪しざまに描くサンヘドリン像とあまりにかけ離れています。
さらに言えば、サンヘドリンでは死刑判決じたいほとんどなく、もしあれば、それは「異常事件」としてユダヤ側の膨大な律法伝集『タルムード』に記録されたはずでした。しかしすでに述べたよう、『タルムード』にはイエスに関する何の記録もありません。
イエスが十字架からその日のうちに下ろされたというのも奇妙です。当時の磔刑は、数日かけて苦しみながら死なせる−という残酷なもので、数時間ですむようなものではなかったからです。
イエス伝説は創作された「神話」ではないのか?−という仮説には、他にもいくつか興味深い論点があります。次回でそれを検討したあと、次々回でこのことに関する僕の考えを述べてみましょう(←あくまで予定ね)。
http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/2006/09/post_45b4.html
イエスの神話学−非信徒の聖書学I
なんと〈聖書学〉も10回目です。
前回では、「イエス伝説はつくられた神話ではないのか?」という疑説のあること、その論拠として、@イエス実在の客観的記録がない、Aその伝説を考証すると矛盾だらけ−という2点が挙げられていることを紹介しました。
この疑惑には、さらにあと2点を付け加えることができます。それは−
Bイエス伝説には、それに先立つ『旧約』の予告や前例に沿って書かれた…と見られる部分が数多くある。
C処女懐胎・馬小屋の誕生・死からの復活…などの事項は、みな古代に広く流通していた〈神話のモチーフ〉である。
このBCを以下に解説してみます。
◆B−イエス像は『旧約』預言からつくられた?
後期『旧約』記者たちは、いずれ来たるはずの〈救世主〉について、種々の予告を行いました。たとえばイザヤ7-14は「おとめが身籠もって男の子を産む…」といい、またエレミヤ33-15は「ダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう…」という。後のイエス伝説は、全てこれらの予告を満たすかたちになっていることは注目されます。
さらにイエスの「前例」と見なしうるのが、「列王記」の預言者エリヤです。正統ユダヤ神学は、彼を〈救世主の先触れ〉としています。エリヤの主な奇蹟は以下のようです。
A)エリヤが寡婦に「尽きないパン粉と油」を与える(列上17-14)。
B)エリヤが死児を蘇らせる(列上17-22)。
D)エリヤが死を克服して昇天する(列下2-11)。
次にその弟子エリシャの奇蹟を見てみましょう。これは師の例をおおむね反復したものになっています。
A')エリシャが寡婦に「尽きない油」を与える(列下4-3)。また人々に「尽きないパン」を与える(同4-42)。
B')エリシャが死児を蘇らせる(列下4-34)。
C)エリシャが「清くなれ」と言って病人を癒す(列下5-10)。
D')墓でエリシャの骨に触れた死者が蘇る(列下13-22)。
今度はイエスの主な奇蹟を、「マルコ伝」から拾ってみます。
A")イエスが人々に「尽きないパン」を与える(マル6-41、さらに同8-6)。
B")イエスが死児を蘇らせる(マル5-40、さらに同9-27)
C')イエスが「清くなれ」と言って病人を癒す(マル1-41)。また衣に触れた女が癒される(同5-29)。盲人を癒す(同8-23、さらに10-6)。
D")イエスが死を克服して昇天する(マル16-19)。
こうして並列して見ると、イエスの奇蹟は、エリヤ−エリシャ師弟のそれを「増幅」したものであることは明らかです。
以上のことから、イエス伝説は『旧約』の予告や前例に肉付けをして造られた−と立論するのが、吉本隆明『マチウ書試論』です。同書は、現在の聖書研究の水準からは誤りが多いにせよ、鋭い指摘を含んでいます。
(*同書の誤りとは、たとえばマタイ伝を〈福音書の原版〉としていること。実際にはマルコが原版。『入れ替えられたマルコとマタイ』を参照のこと)
◆C−イエス伝説の〈神話モチーフ〉
さらに「イエス伝説」は、〈神話〉としか見なせないモチーフを数多く含んでいます。
たとえば〈馬小屋で誕生〉というのは、馬=貴種性とみなすイラン系「騎馬民族」から東西各地へ広がった神話でした。日本の厩戸王子(聖徳太子)にも同じ伝説があることは有名です。
マリアの〈聖霊懐妊〉も、やはり騎馬民族に顕著な「日光感精神話」の一変型だと見なせます。これも高句麗の東明王ほか多くの例がある。
またイラン系神話には、〈死から復活する神〉という元型があり、この代表がミトラスです。ミトラスの復活を祝う冬至祭は、クリスマスの原型となったことでも有名です。
イエスの誕生を三賢者が祝ったというのは、仏陀の誕生をアシタ賢者が祝った話に酷似してます。だいたい〈福音〉ルカ伝は、仏伝『ラリタ・ヴィスタラ』と似ていることで有名で、ルカはインド系神話から影響を受けたのではないか…と推測する研究者もいるほどです。
…こうしてイエス伝説から、『旧約』の予告や先例、また汎古代的な神話モチーフを取っ払うと、いったい何が残るでしょうか? 次回はその点を考えてみます。
http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/2006/10/post_b36e.html
史的イエスを考える−非信徒の聖書学J
前2回では、イエスの実在を伝える客観的史料は存在せず、〈福音書〉によるその伝説は、たぶんに多くの創作を含んでいる…ということを見てきました。
史学的に考証するなら、ほぼ確実と言えるのは、AD30以降に「我々は〈殺された救世主〉の弟子だった」と主張する一団の人々が現れた−ということだけです。そこから多くの人々が、自己の望みや価値観を、彼に投影していった。だがそれ以前のことについては、歴史学は何も言えない。
もっとも「何も言えない」ということは、イエスの実在を否定もできない−ということです。〈福音書〉の記事は誇張だらけにせよ、彼がもっと地味な目立たない人物として、生きて死んでいった可能性は棄てきれない。
そこで今回は、あえて「想像」に踏み込んで、史的イエスを僕なりに考えてみたいと思います。
◆推定されるイエス像とは?
イエス伝説から、虚構性の高い部分を切り捨てると、以下の5項目は残りうるのでないか…と思います。
@イエスは貧しい「父なし子」として育った。
A一時期、エッセネ派に属していた。
B「天の子」であると自称した。
C彼に接した人々を感動させ、強烈な印象を残した。
Dおそらく不幸な死を遂げた。
彼の個性を考えるには、まず@が重要です。
そもそもセム族は「父系社会」で、その名前=アイデンティティは「父**の子」として現されるものでした。(→★参照〈名前学@〉)
ところがイエスは「ヨセフの子イエス」とは呼ばれないし、その父系もたどれない(マタイ1-16とルカ3-23の系図の不一致を見よ)。ルカ3-23は「イエスは…人々の考えによれば、ヨセフの子であった」と微妙な言い回しをしています。さらにマルコ3-33は、イエスが「母や兄弟」を拒絶したとは伝えるが、父については何も言わない。
これら全てを考えるなら、イエスは「父なし子」だったのでしょう。「私生児」だったかもしれません。
父系社会の「父なし子」とは、きわめて厳しい運命です。暮らしが苦しいだけでなく、人からもバカにされる。自己のアイデンティティさえ保持できない立場なのです。
ここで注目すべきことは、古代ユダヤでは、このような「父なし子」は〈天の子=バル・アッバ〉と呼ばれた−ということです。〈アッバ〉には、天=父=神の意味があります。
想像すれば、人から「父なし子」と嘲笑されて育ったイエスは、「ちくしょう、オレは天の子なんだ!」と言い返していたのではないでしょうか? 劣等感が〈特別な自覚〉へ反転した−というのは、いかにもありそうだと思うのです。
◆何が人々を感動させたか?
マルコ1-9は、イエスが〈荒野のヨハネ〉から洗礼を受けたと伝えます。ヨハネがエッセネ派の教師であったことは定説です。エッセネ派は、前にも述べたよう〈貧民の教派〉でした。貧しいイエスがこの派を選択したというのは、いかにも納得ゆくことです。
エッセネ派は、この世は不正であり、生きる希望など持てないから、〈審判〉にそなえて隠遁せよ−と説きました。しかしイエスはそうしなかった。一時期エッセネ派に属したにせよ、彼はやがてそこを出て、世間で活動したのです。
想像するに、おそらく彼はエッセネ派ほど「暗く」はなく、むしろ楽天的な人物だったのではないでしょうか?
のちのキリスト教会は、彼を悲劇の翳をおびた「知的貴族」として描きました。だが史的イエスは「貧民」で、知性も高貴さも持ち合わせてなかったでしょう。マルコは彼を「怒りと悲しみ」で描きました(→★参照〈聖書学C〉)。だが当時のユダヤには、怒りも悲しみも満ちあふれていた。もしそのようなイエスなら、歴史に埋もれてしまったろう−と僕は思う。
ユダヤ正統側(=パリサイ派)の『タルムード』を見れば、当時、知的で高潔な教師は大勢いたのがわかります。博愛のヒレル、厳格なるシャンマイ、天才エリエゼル…などです。いっぽう〈熱心党〉を中心に、怒れる闘士も大勢いました。史的イエスは、これらの群像とは異なった「特異な男」だったろうと、僕は思う。そうでなければ強烈な印象を遺しえない。
まったくの想像だが、史的イエスは、どんなにつらくてもよく笑い、絶望しきった人々に、不思議な明るさや幸福感を与える男だったのではないでしょうか? 悲劇と絶望の社会にあっては、そのような個性だけが、無学で貧しいどん底の人々に感動を与え得たろう…と思うのです。
◆〈大愚〉なるイエス像
けっきょく僕の想像は、以下のようなことになります。
多くの貧しい人たちが、「なぜ救いがないのか?」と苦しみ疲れて泣いている。そこへ貧しいイエスおっさんがやって来る。彼はニコニコ笑ってて、自身飢えてもぶたれても、確信たっぷりに皆に言う。
「みんなもう救われているんだよ。誰でも天の子なんだから。天の子であるこの俺が言うんだから間違いないって」
これは東洋思想でいう〈大愚〉なる人物像です。中国の乞食禅僧「布袋」に近い。『タルムード』にも、知的で高潔な教師より、人々を笑わせ慰める者の方が、より天国に近い…という思想があります。
冬嵐に似た荒廃のなか、その底抜けの「愚かさ」で、陽だまりのような幸福感を人々に与えた男…。それが神話化される以前の、イエスの原像ではなかったでしょうか?
http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/2006/10/post_77f1.html
(引用ここまで)。
イエスらしき人はいたんだろうけど、福音書に出てくるようなイエスは存在しなかった。というのがこのHPの著者の持論である。
新約聖書の4つの福音書にはそれぞれに多くの矛盾があり、捏造の部分が多々あったのは誰もが否定できない。
このことに、筋の通ったまっとうな反論ができる人はおられるのだろうか。
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