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『身体で考える』内田樹・成瀬雅春/マキノ出版‘11年から
まえがき/内田
3・11…のあと、…貨幣に換算可能なものだけが「存在するもの」であり、外形的なエビデンス(証拠)のないもの(気配、場の力、霊的感受性など)は「存在しない」とみなす科学“主義”的な態度―は、これから次第に支配的イデオロギーの座から転落し、それに代わって、生きる知恵と力を高めるための伝統的な技法がまた改めて研究対象になってくるでしょう。僕はその傾向をおおづかみに「日本の霊的再生」というふうに呼んでいます。
第3章 ヨーガも武道も自分を知るためにある
【内田】初心者は、自分自身を離れた視点から想像的に俯瞰するという訓練ができていないんですね、今の子供たちは。「大きな円を描いて」と指示すると、道場の広さと、その場にいる人数で、だいたいどれくらいの直径の円で、一人ひとりの感覚は何センチくらいって、瞬間的に判断できるはずが、なかなかできない。
【成瀬】地球は一つの塊です。ところが人間は一人ひとりになってきている。現代に進化するに従って、動物的な能力が欠落しているわけです。昔の人は勘が鋭かったりして、まだ動物的な能力があった。動物のような感性が働いて、動物のように行動できた。
そのために、みんなで歌を歌ったら、あえて行動したりすることで(動物的な生命力を)復活させているわけです。歌を歌っているうちに、一個人としての自我が薄らぎ、徐々に動物的な、本能的な部分が表に出てくるから、そうすると全体で一つの大きな塊みたいになって、強い動きになるんです。
第4章 先行き不透明な時代を生き抜く胆力
【成瀬】ヨーガをきわめようと思えば、胆力を練らないといけない。なぜかといえば、生き抜く覚悟、死ぬ覚悟というものに直結しているからです。どんな情況にあっても、「ここを生き抜く」という胆力は、技術的なものよりずっと大切なんです。
【内田】多田宏先生(内田氏の合気道の師匠)も、よく「胆力」という言葉をお使いになります。同じ意味で「断定する」ということも言われます。
自分が、あるとき、ある場所にいて、何かをしているときには、「私がここにいることは、宇宙が始まって以来宿命づけられていた必然の出来事である」と断定しなければいけない。
「胆力」というのは別に「負けないぞ!」と力むことじゃないんです。断定することなんです。
【成瀬】やるべきことは、やっておいたほうがいいですね。だから、僕は「常に命がけ」と言っている。簡単に言えば、今を楽しむ、常に楽しむということなんです。常に命がけで生きていれば、常におもしろいことが探せるわけです。
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