25. 2011年6月02日 00:45:50: zzwmkRVTCM
無論それら選択肢は"対峙する事なく" 各々が見当する所に流れ着くものと判断する しかし我々が望む状況は人々にとって利益と為す部分であって そこは楽観視する部分でもある私的に言い直せば唯物論的か唯心論的かは 左脳的か右脳的かという判断と変えられる所でもあり それについて生み出される判断には大きな隔たりを生むことだろう しかしそれについても大きな混乱は生じないと予測出来る その判断の違いは単純にポジティヴかそうでないかということでもあるが 日本を見れば今回はポジティヴなエネルギーが上回って現れている 世界に於いてもその影響は現れており 日本を基軸として援助的で好意的な性質へと変化している 新たなエネルギーの流れが巻き起こっている これが転換のスイッチである 政府や組織的な枠組みに依存しない人々が先陣を切り 自らの奥底に在る力の強さというものを感じ取っている 政財界お抱えのアナリストたちは相変わらず 混乱を生じさせる路線の情報を流し続けるだろうが 歪んだ力は衰退して人々の中心から遠ざかりつつ在る あらゆるネガティヴな働きかけも自然界の破壊的猛威もすべては前進する為に利用されている "自由を得ていない"状態を意識して選ぶのもある意味では「自由」と云える しかし意図せずして理想となる希望や期待がすべて潰されたような状態は誰もが望まない なによりそうした状態からの脱却を切望している場合 囚われの身からの解放劇は誰もが待望する所だろう ネガティヴな状態から見定めた「預言の成就」という考え方があるとしても それ自体は誤った解釈と言える マヤンカレンダーにある「予定」は組まれていた事であり 預言でもなんでもない 更に言えばその予定時期に関わらない所の 内容というものは変更の余地が大いにあるのである 預言の本質というものを理解するということとは 未来の状況というものは確率と偶然性に在り 熱望や待望というエネルギーの吟味によって 変えられると云う事を理解することにある・・・と言える そこに 「ネガティヴな状況であればそれは変わらぬ限り その状態のままに成就される」 と云う事をも示唆しているのである 「預言」というものが往々にしてそうした(不安や恐怖といったネガティヴな)ニュアンスの元に 人々の間に流布していったものである事は間違いがない よってポジティヴな期待が込められた"予定"であっても 人々がそれに対する反応を変えれば(不安や疑念に変えれば)状況は悪くなる・・・ そうした内容への理解は実際もっとシンプルに入り込めるものだが・・・ 致し方ない事だという説明である 預言とここでいう"流れ"とはあくまで別物として考えるべきである そもそも預言というものは"成就"という言葉で幕づけられるものではない それは呪いという性質のものではない それが人々の望まぬ状況を示唆するものであれば 委ねられた人々の手でそれを変えるべき力とは何かを考えさせるものなのである 預言というものは往々にして為されたが それは人々の熱望によって支持されるものも在れば 不安や恐怖というものが下支えとなるものも在る 多くのものが後者であろう 故にあなた方はそうした位置づけの類いのものに畏怖と遺憾を感じている 今ではどちらかと言えばそれらは狂信的な人々によって支持されるものとしての認識がある あなた方の感性がどのようにして開発されて来たかは大体理解しているつもりだが あなた方の知り得た情報とはすべて それらに対するあなたの関心の寄せ方が すべて起因している事をお忘れにならぬように --------------------------- 私が言いたい事はただひとつだけ 素直なままにあれということです それがすべてを正しく方向付けます 現在のこの国に希望や期待を見出そうとすればそうした力を活性化させます 各々がとれる行動と判断はすべて正解であると云う事 それは同様に過去のこの国の在り方にも必然的に関わって来る事になるのです 未来に期待や希望を見出すことは現在為すべき事であり それは過去の歴史観をも変える事になると理解してほしいと考えます 自身の外他からの情報に囚われるということはつまり 誰にも内在する二面性のネガティヴな部分を 活性化させるという事を意味するに過ぎないのです あなたが理解して居る事が今のあなたを構成する要素の一つだとしても 自身を正しい道に繋ぎ止めるものが何であるか そして同様にそれは他者に対しても何であるのかを理解しておられるでしょうか 我々はまだまだこの世界で自己を開発すべき段階に在ります -------------------------------------------------- 論理詰めで考えればあなたの足はすくむだけ あなたは時としてちょっとしたことにその感性を働かせる時が在る・・・ 例えば青々としている草むらに生命の力強さを感じたり・・・ そうした時は足を止めてそうした場に佇み 自然に身を預けて感覚に身を委ねてみるのはどうだろう あなたの感性はあなたの論理思考を取り外し 胸に語りかけてくる筈だ 人というものは幼少期同様に いつまでも感受性というようなものを発揮させつづけて 生涯を通じて喜びに通じていられるものである筈なのだ ともかく人々はその個性や意思に合わせた選択肢を自ら判断していくだろう しかしそれは誤解や恐れから選択するようなものではないということを伝えたい それは真に個人の意志というものを尊重する世界が すぐそこに広がりを持って待ち受けているからである ---------------------------------------------- さて国とはいったいどのようにあるべきなのか 我々の意識には 一人の人間を支えることも 宇宙の全てを支えることも 共に重要である 国を支えることは人を支え世界を支える事に他ならない この国だけがよかれという考えは毛頭無い 今やこの日本は他国よりもその精神性をおろそかにしているが 其処に暮らす人々をして国と言えるものであらねばならない そしてまたこの日本という国自体が伝えつづけていたものとは 実は人間の共存社会における豊かさの本質のみであった筈だ 自身だけがよかれという風潮を推し進めて来たのは 外部から齎されたものだ 合理主義競争社会と自己責任論による抑圧的社会支配 それによって気付きを失した中で環境破壊が進み 他者や自然に対する労りの精神は欠けていった そして人間性のバランスを欠いた現在のこの国の社会は既に 日本の姿などと云えるものはひとかけらほどしか残っていない 既に国としての本質は失われている 縄文の頃には息づいていた我らが祖先の伝えていたもの 我らが祖先は恨みがましく負の連鎖など望んでは居らず なおも当時の豊かさのその本質を伝えようとする 志を共にするものの胸に語りかけ その意思を伝え再び豊かな国を蘇らせる事にある それは もっと過去には広範であった"国"という概念の記憶を呼び戻す事に在る 私は人々の心の中に求める"この国の豊かさの本質"が在る限り その投射又は投影によって生み出された景観や土台となるものは息づいて行く しかし形骸化が目立ったものは当然ながら衰退して行くだろう それはいつの世も同じである 心配せずともあらゆる武芸や伝統も磨きがかけられ 次元を越えて意味を為した創造性の彩りとして息づいていることを伝えておきましょう
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