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(回答先: 縁なき衆生は度し難しと雖も 投稿者 元伊勢80社 日時 2011 年 5 月 30 日 17:00:05)
文字に肉体を移して
縁在る故に議論を交わす
互い互いに進むステージは違えど
帰る道は一緒
進んでは帰るの繰り返しがあなたがたの表現である
ひとつの席に並び合うのも(呼び合うのは)
それはあなた方自身が同意書を交わした故の事である
同意しないものは一切あなた方の前に姿を現さない
双方のステージから幻影のチェアを持ち出し
同じ方角に進み出す車内の中で席を一つとするのも
互いの契約書に同意する判を押したが故である
あなた方を支配する社会的な責任感や通念上
あなた方は形の上でしばしば
仕方なくそうしているように見える
しかし全般的にはそうした同意に於ける相互間には
きちんと利益と称せる理由があり
半ばすべてを呑み込んだ上で
同意していると捉えられるもので在る
車内アナウンスが耳に入ってこない程
一つの事柄に対し会話を白熱させたり
共有する景色の眺めを楽しむ事で
周囲の人々との一体感に満喫したりと
我々は多くの存在と共同で
世界を構築しているという喜びが前提に在る
それは何より得難い「未知の興奮と楽しみ」
に興じたいが為である
しかし事実は同意した事項における
取り決めの中で生まれており
あなたも理解している事だろうが
その取り囲む「ひとつ」と認識しているテーブルというのは
実は我々の肉体的知覚の精妙なる歪みの中に於いて
「ひとつ」と認識して居るだけに過ぎない
其処にテーブルを認識している人の数だけ
各々のステージから持ち寄った分だけテーブルが
存在していると言えるのである
「そこ」には喜びだけが生まれる訳ではけして無い
危険を意識していれば危険な状況が生まれるだろうし
安全を意識していれば安全な状況は続くだろう
それは隣人への配慮
家族への思いもまた同様である
あなたの平素の意識そのものが
自身や他者へ起こるべき期待への同意判と言えるのである
よって平素徒に心を乱したままでいれば
どんどん深みにはまって行くかも知れないし
心の分離をほったらかしにしていれば
その方向性への歪みは増々進行して行くと言えるのである
これはあなた方が平素
何を意識し注意すべきかという問いかけである
隣人を厄介者と思うか
要らぬ心配をすべきか
あなたの心配事は厄介者の要らぬお世話である
しかしそれらはあなたが生んでいる意識に一分の狂いも無く
精妙に働きかけて来ているに過ぎない事を理解すればよい
社会というのは共同作業で構築されている
大半がその同意によって生まれている
先にも言ったようにそれは
しぶしぶ同意している状況が無い訳でない
(しかしそうした状況はこの先一変する)
支配欲に満ちている者には当然そうした援助助力が得られる
しかし我々はそこに同意しなければ良い
つまりそれを不安や心配によって下支えしなければ良い
これまでの歪んだ社会の分離状況を鑑み
我々には我々が待望する援助助力が加勢される
そしてまた何よりあなたがあなたである為に
此処に居る事を取り決めたその理由を思い出す事だ
あなたが動き始めた今なら容易に思い出せる事だろう
そのあなたに自ら求め与えたより大きな課題を
よって怒りや疑念そして不安は持たぬべきである
と云う事の世間一般に対する説明は以上をもって終わりとする
広くあなた方に対しての愛情表現として
私なりの精一杯の脳の使い方である事を
どうか了承していただきたい
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