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(回答先: 米露軍事技術の背後に存在するナチス兵器の遺傳子 米露の奥底で生き續けるナチス 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 10 月 17 日 02:05:07)
The Amerika Bomber Project of Nazi Germany - English pravda.ru
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「裏ヘブライの館」 地下資料室(地下2F)
ナチスの狂気
ナチスの「科学力」の実態
〜 MAD SCIENCE ? 〜
ナチスの「超兵器」
〜 幻に終わった「アメリカ本土爆撃計画」など 〜
第3章幻に終わった「アメリカ本土爆撃計画」
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha650.html#03
●このロケット開発と並行して「ゼンガー計画」というものがあった。
これはロケット推進による「宇宙爆撃機」の開発計画で、オーストリア生まれのロケット工学者オイゲン・ゼンガー博士が考案したものである。
この「宇宙爆撃機」は、全長3キロのモノレールを専用のロケット式加速装置を用いマッハ1.5まで加速し、そこから宇宙を目指す。そして大気圏外に出たのち、大気との摩擦を利用してスキップしながら飛行距離を伸ばし、途中でアメリカ本土に爆弾を投下し、ドイツ本国に帰還するという計画であった。
もちろんこの計画は構想のままで終わったが大戦後、この資料を入手した米ソ両国はこの計画に大変な興味を持ったと言われている。(ちなみに1988年に、ドイツ宇宙開発機関は「宇宙往還機」の研究を開始したが、ゼンガー博士の研究にちなみ、機体は「ゼンガー2」と呼ばれた)。
(左)オイゲン・ゼンガー博士 (右)彼が考案したナチスの「宇宙爆撃機(宇宙往還機)」
↑宇宙爆撃機「ゼンガー」の発射法
全長28m、全幅15m、鋭い翼端を持つ直線翼に今日の
リフティング・ボディともいうべき形態を持つ機体は、全長3キロの
モノレール上を滑走し、一気にマッハ1.5まで加速して大気圏へ向け
発射される。機体は加速を増やすために使われる補助ロケット・
エンジンが取り付けられたカタパルトの上に載せられる。
パイロットが着ている宇宙服のようなものは、ナチスが
高高度飛行用に開発した気密服である
「裏ヘブライの館」 地下資料室(地下2F)
ナチスの亡霊
■■ PART-3 ■■ アメリカ社会に忍び寄る「ナチスの亡霊」
「ペーパークリップ作戦」の実態
〜 ナチス科学を吸収したアメリカ 〜
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc600.html#ex01
■■おまけ情報: 幻に終わった「ゼンガー計画」と「ダイナソア計画」
●第1章でも紹介したが、ナチス・ドイツはロケット開発と並行して「ゼンガー計画」を進めていた。
これはロケット推進による「宇宙爆撃機」の開発計画で、オーストリア生まれのロケット工学者オイゲン・ゼンガー博士が考案したものである。
(左)オイゲン・ゼンガー博士 (右)彼が考案したナチスの「宇宙爆撃機(宇宙往還機)」
●戦後、ソ連に拉致されたナチス科学者の1人であるクルト・マグヌス博士によれば、スターリンはこの「ゼンガー計画」に格別の関心を示していたという。
ソ連と同じく戦後に「ゼンガー計画」の資料を入手したアメリカも、この計画に多大な関心を示していた。
●1959年11月9日、アメリカ空軍は宇宙爆撃機構想の実現性を確かめるため、「ダイナソア計画」を開始した。
「ダイナソア(Dyna-Soar)」とは、「ダイナミック・ソアリング(Dynamic Soaring)」の略称である。
「X−20」ダイナソア機
アメリカは戦後、ゼンガーの研究を
ベースに「ダイナソア計画」を進めていた
●この計画は、デルタ翼を持つ全長11m足らずの機体「X−20」を大型ロケットで大気圏外へ打ち上げ、偵察や救助、爆撃などの任務を果たした後、飛行機のように滑空し帰還するというものだった。
「X−20」の機体はボーイング社が設計し、1961年にモックアップ(実物大模型)が完成した。
翌年6人のテスト・パイロットが選抜され、1963年に滑空テストを行ない、1966年に実機を軌道上に打ち上げる予定だった。
1962年に選抜された6人のテスト・パイロットと、「X−20」のモックアップ
●しかし、NASA(アメリカ航空宇宙局)が進めていた有人宇宙飛行計画
=「マーキュリー計画」(1959年〜)の煽りを受けて予算を獲得することができず、
1963年12月10日、マクナマラ国防長官の命令で「ダイナソア計画」は中止された。
●結局、「ダイナソア計画」は「実機」を作ることなく終了してしまったのであるが、
この計画はスペースシャトルの元になったと言われている。
オイゲン・ゼンガー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/オイゲン・ゼンガー
オイゲン・ゼンガー
オイゲン・ゼンガー(独: Eugen Sanger, 1905年9月22日 ‐ 1964年2月10日)はドイツの航空宇宙技術者。リフティングボディとラムジェットの技術に関する研究で知られている。
概要
ゼンガーは、オーストリア=ハンガリー帝国の時代にボヘミアで生まれた。ウィーン工科大学で土木工学を学んでいたとき、ヘルマン・オーベルトの『惑星空間へのロケット』を読み、航空工学へと専攻を変えた。また、オーベルトが中心となって活動していたアマチュア団体「宇宙旅行協会」にも参加していた。
ゼンガーはロケットを動力とする飛行についての論文を提出したが、奇抜すぎるとして大学から受け取りを拒否されている。より新鮮さに欠ける翼の構造解析に関する論文を提出することで卒業を認められた。受け取りを拒否された論文は、1933年に「ロケット飛行工学」の題名で出版された。1935年と1936年にオーストリアの雑誌「Flug」にロケット動力による飛行についての論文を発表した。これらの論文は、ドイツ航空省の注意を引きつけた。ゼンガーのアイデアを発展させれば、ドイツからアメリカを攻撃する爆撃機を完成させることができるのではないか、と考えられたからである。
1936年、ゼンガーはリューネブルガーハイデ地区でロケット開発チームを率いることになった。彼は、次のような構想を思い至った。ロケットエンジンを搭載した爆撃機を、長さ3kmのレール上に設置したソリの上に据える。このソリにもロケット推進装置が備えられている。まず、ソリのロケットを点火して機体を加速する。機体が浮くと同時に機体のロケットを噴射して、一気に高度約145kmへ到達する。この後、爆撃機は完全な周回軌道に乗るのではなく、大気圏上層を何回もスキップすることにより長大な距離を飛行する(ダイナミック・ソアリング)というものである。
この機体は「Silbervogel(銀の鳥)」と呼ばれた。その成否は、大気圏上層でスキップを繰り返すために必要となる揚力を生み出す胴体の設計にかかっていた。この揚力を発生する胴体がリフティングボディである。ゼンガーは、彼の結婚相手でもある数学者のイレーネ・ブレットの助けを借りながら機体の設計をおこなった。また、ゼンガーは、この機体のために必要な1MNの推力を発生させるロケットモーターの設計もおこなった。この設計において、ロケット燃料を燃焼室に送り込む前にロケットノズルの周囲を循環させ、エンジンを冷却するために使用することを初めて提案した。
1942年にドイツ航空省は、他のより野心的で理論的な計画と共に本計画をキャンセルした。これは、より確立された技術の向上に重点をおくことを目指したからであった。ゼンガーはドイツ滑空機研究所で働くことになった。そこで第二次世界大戦の終了までラムジェットに関する重要な業績を残した。戦後、ゼンガーはフランス政府のもとで働き、1949年に「Federation astronautique」を創設した。フランスにいる間、ゼンガーはソビエト連邦の情報部員による亡命工作の対象であった。スターリンは「Silbervogel」に関する報告書からゼンガーに興味を持ち、ソビエト連邦に亡命するよう説得するため、息子のワシーリー・スターリンや科学者のグリゴリ・トカヤを派遣したが失敗に終わった。
1954年にゼンガーはドイツに戻り、その3年後にはシュトゥットガルトのジェット推進研究所で研究に取り組んだ。1961年から1963年まではユンカース社で計画されたラムジェットエンジン推進のスペースプレーン設計におけるコンサルタントとして活躍した。この時期においてゼンガーが提唱したとされる理論的な革新技術としては、惑星間や恒星間宇宙船の推進力として光子を利用する方法が挙げられる。これにはソーラーセイルも含まれている。
1964年にベルリンで死去。彼の業績の重要性はX-15やX-20ダイナソア、そして究極的にはスペースシャトルによって実証された。
ゼンガー (航空機) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゼンガー_(航空機)
ゼンガー (航空機)
風洞実験用の模型
ゼンガーは、ナチス・ドイツが開発しようとした宇宙空間爆撃機。発案者はオーストリア人のロケット学者、オイゲン・ゼンガー。地球の反対側(対蹠地)を爆撃しようと言うその案から、対蹠地爆撃と言う言葉も生まれた。
機体構想
ゼンガーは直線翼機である。離陸は全長3kmのモノレールの上を、ロケットにより加速され行われる。離陸速度はマッハ1.5に達する。ゼンガーは有人爆撃機として構想されたため、発射時のGの問題が考えられるが、これに関する記録はない。
離陸後、ゼンガーは空気力を利用し大気圏外まで上昇する。(予定推力は100tである)。高度160kmに達したところでロケットモーターを停止し、大気圏に再突入後再度空気力を利用し上昇する。このような、いわば小石が水面をはねる水きりのような飛行によって、大気の上を連続的にジャンプしながら、発射地点から見て地球の裏側にあたる地域(アメリカ)にまで達する。飛行の際問題になると思われる空力加熱に関する記録もない。
目標到達後、300kgの爆弾(神経ガス弾/原子爆弾→放射性元素そのものを撒くという汚い爆弾という説もある)を目標に投下する。任務完了後は、日本が占領している南太平洋の島々のどれかに着陸する(日本がそこを占領していることが前提である)というプランだった。
戦後
この「水切り飛行」は注目を集め、アメリカではこれに影響を受けたダイナソア計画が生まれた。 しかし高価な割に実際の効果が疑問である事とNASAの領域である有人宇宙機開発に空軍が乗り出す事による組織間摩擦の問題が解決できず、結局通常の宇宙船を利用するブルー・ジェミニ計画に取って代わられた。
またソ連にしてもアメリカにしても、対蹠点爆撃の構想を抱いたことがあったが、後に鹵獲(ろかく)したV2ロケットとその技術者・科学者から得られた情報を元に大陸間弾道ミサイルが実用化されると東側からも西側からも見放されてしまった。
ただ宇宙往還機としての構想は、後にアメリカのスペースシャトル、ソ連のブランとして蘇る。
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