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(回答先: 日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著) 全文 1−2 究極の“裏帳簿”特別会計 投稿者 たけしくん 日時 2009 年 8 月 17 日 11:36:58)
日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569614140/asyuracom-22
第一章 利権財政の御三家―特別会計、財投、補助金
第三節 官制経済を支える“闇予算”財投
「財投」は「特会」「特殊法人」と不離一体「特別会計」が“裏予算”であ
り財政の黒幕であるとすれば、「財政投融資計画」はその裏予算を支える“闇
予算≠ナある。国ぐるみの投資事業(=行政ビジネス)のために大量の資金を
供給する“胴元”といってよい。先進諸国には例のない特異な制度であるとと
もに、日本の“歪み”の根元でもある。
財投は特別会計とともに多くの特殊法人などの官企業と相互に不離一体の関
係にあって政官業の一大利権体制の主な資金源となっている。しかも、特別会
計と財投は、国家予算であるにもかかわらず、省庁の裁量で動くのが特徴であ
る。
財投の原資となるのは、国民の税金の一部のほか、郵便貯金や簡易保険、さ
らには厚生・国民年金の積立金などである。それら「国民の積立金」はいった
ん大蔵省の資金運用部(会計上の名称で、そういう組織があるのではない。平
成一三年度から財政融資資金に名称が変わった)に繰り入れられる。その資金
を社会資本の整備などのために「投融資」するというのが、教科書的な財投の
定義である。財投の貸出残高は四一七兆八〇〇〇億円で、年間予算額は約四三
兆円(平成一二年度)にのぼる。
過去一〇年ごとの残高をみると、財投が本格的に動き出した昭和五五年度末
に九三兆七〇〇〇億円あったものが、平成二年度末で二二八兆三〇〇〇億円、
平成一二度未には四一七兆八〇〇〇億円となっている。対前年比で最近の五年
間を見ても、平成八年が二一兆円、平成九年が一八兆円、平成一〇年が六兆
円、平成二年が一三兆円、それぞれ増加している。
この結果、昭和五五年度を一としたときの平成一二年度の指数は四四・六と
なる。驚異的な伸びである。
財投は、特会と同様に官僚たちにとって魅力的なカネである。一般会計より
も自由に使えるからだ。“有能”な官僚たちは、財務省が所管する一般会計で
なく財投や特別会計を「有効利用」しようとする。
参考までに、平成一二年度財政投融資計画を見ると、財投や特殊法人は「郵
便事業」「郵便貯金」「国民年金」「簡易保険」「産業投資」「資金運用部」
などの特別会計と省庁の権限を介して連動しており、補助金関係団体につなが
っている。たとえば国有林野事業特会は森林開発公団、都市開発資金融通特会
は都市基盤整備公団、空港整備特会は空港公団、電源開発促進対策特会は電源
開発、石油・エネルギー特会は石油公団といった具合で、これに財投の資金が
からんでいる。さらに一般会計を加えて複雑怪奇な予算操作が行われているの
である。
複雑で無定見なシステム
「財政投融資計画」は平成一二年度までは国会にもかけられなかった。一三年
度からはじめてその大枠が国会に提出され審議・議決を受けることになった。
しかし、財投は投資・運用(公会計と国家財政法になじまない)であるために
決して「予算」とはいわない。しかも、実際には長期の投資・運用計画である
にもかかわらず、(当然のことだが)当該年度分しか議決できないという矛盾
した姿になっている。
「財投」はきわめて複雑で無定見なシステムである。平成一三年度から国会提
出以外にも若干制度が変更されたが、新制度に触れる前に平成一一年度末現在
の概要を見ると以下の通りである。「原資(=入り口)」は大きく分けて二つ
ある。一つ目の資金の「入り口」は、政府の「資金運用部」から入るルートで
ある。つまり国民が預けた郵便貯金(二五五兆円)や厚生年金・国民年金の保
険料(一四〇兆円)、その他(四八兆円)が、政府の「資金運用部」へ預託さ
れる。その「資金運用部」は国債の引き受け等に二五兆円を使い、残りの三二
八兆余円が「財投」に入ってくる。
もう一つのルートは、国民の簡易保険積立金(二二兆円)のうち六〇兆円、
国民が銀行などに預けた預金等の中から政府保証債を発行するなどして調達し
た二二兆円、NTTや日本たばこ産業の政府保有株配当金等の資金を運用・管理
する「産業投資特別会計」の三兆円、の合計八五兆余円だ。
こうして「財政投融資計画」は、四一四兆円(平成二年度)という、とてつ
もない国民の金が使える巨大なサイフとなるのである。一九六〇年代以降、ブ
レーキや安全装置を備えなかったこの制度の下に、国民の金が定期便トラック
で運び込まれたのだった。
「使途(=出口)」、つまり「財投」資金の“貸し出し先≠ヘ、「政策目的」
の名分で社会資本整備、住宅対策、地域活性化、中小企業対策、国際協力など
を行う機関である。こうした事業はすべて諸外国では税金でやるか、または民
間企業がやっていることである。対象となる機関は地方公共団体、特殊会社、
“公共事業”関係の九つの特別会計、それに三三の特殊法人である。「財投」
の矛盾に満ちた闇会計”ぶりの一部を指摘してみよう。
各年度の財政投融資計画(「予算書」)は、各機関における具体的な金の使
途が示されないきわめて抽象的かつ模糊(もこ)としたものである。莫大な国
民の金を使う特殊法人や特殊会社の予算などの財務内容も出されなければ、そ
れらの機関に例外なく巣喰う天下り役員の給与なども公表されない。この国で
は、それがまかり通っている。
「財投」資金は「政策目的」に使う、ということであるが、これは詭弁(きべ
ん)である。「財投」の当初の目的はきわめて限られた、国民生活に欠かせな
い基本的社会資本整備としての鉄道や少数の港と空港、国道、電力基盤などで
その財政規模もきわめて限定的なものであった。
ところが、とくに一九六〇年前後から「整備法」「開発法」等の他、特殊法
人などの「設置法」、予算の「措置法」という具合に次々に新たな“事業=@
のための「政策」が法定化された。
しかも、「政策」は必ずしも国会の議決がなくてもできる。そのため、閣議
決定や総理決定、政省令、通達などで無節操に増やし続けた。つまり「政策」
も金も“叩けば出せる打ち出の小槌”という事情の下での「政策目的」であ
る。そんな「政策目的」に客観性や正当性があるわけがない。「財投」は「民
間でできない大規模で長期の資金調達を要する事業を行う」というタテマエ
も、無理矢理作られた屈理屈だ。そもそも政治・権力が経済活動に進出せず、
市場経済を健全な姿にしていれば、世界一、二の水準にあった日本の企業に大
規模な事業ができないわけはない。大規模な経済活動が企業にはできなくて行
政ならできるという理屈は、社会主義国でも通用しない。
また、大量資金の長期調達も全く同じことだ。市場を離れて行政で行えるビ
ジネスは原理的にあり得ない。「市場に固有の剰余価値である利息をあてにし
た行政の“投資”活動」とは論理矛盾以外の何ものでもない。げんに年金、郵
貯、簡保などのこうした手法での「運用」は無惨な失敗”を示していて、一
億二七〇〇万国民を底知れぬ将来不安に陥れていることが何よりの証左であ
る。大失敗は決して「バブル」 のせいなどではない。「財投」は「民間と競
合しない」「民業を圧迫しない」、というのも方便である。これについては
「財投」と不離一体の制度である「特別会計」や“公共事業”、特殊法人など
とともに別の項で説明しているので、ここでは省略するが、「民間と競合しな
い」「圧迫しない」というのは逆説的に言えば事実である。
つまり、民間を近づけず、民間につけ入らせることがないからである。はじ
めから民間の上に君臨し、ひいては“市場”そのものを絶やすことになるとい
う意味では「競合」などあり得ないのである。
「財投」は「運用益で国民の年金や貯金の利息を有利に生み出す」 − これ
もまた「目的」とされてきた。その結果は「将来、年金は本当に受けられるの
か」という懸念を国民に生み、「貯金の利息は一〇〇万円を一年間預けて二〇
〇円」にしかならない現実になっている。
それどころか、年金も郵貯も基本的に不良債権化しているのである。このま
ま行けば、ごく近い将来にも悲劇的事態を迎えることが確実だ。年金や郵貯か
ら「財投」 への貸出残高は鰻登りに増えているが、それはすでに“使い込み
総額”といっても決して過言ではない状態になっている。
というのも、特殊法人などは、返済相当額を毎年、新たに借り入れる“サラ
金地獄”に陥っているからだ。「財投」 の“使い込み”が将来返済される見
込みはきわめて薄い。
請求書は必ず国民に回される。そのとき「知らなかった」では済まないツケ
なのである。
「財投」は市場の“疫病神”
「財投」制度の矛盾が露呈するなかで完全に行き詰まった政府は、平成三一年
度から「財投」制度の仕組みを少し変更した。しかしその基本的性格や役割は
同じだ。つまり、「資金運用部」という名称がなくなり、かわりに「財政融資
資金」となった。これは郵貯や年金が“自主運用”となり、「資金運用部」
への義務委託制が廃止されて「財投債」の引き受けに替わったことに伴うもの
である。「財政融資資金」は郵貯や年金、簡保の資金を直接預かる代わりに、
政府保証付きの「財投債」を郵貯、年金、簡保に引き受けさせることになった
だけの話である。
政府の「財政融資資金」は従来通り郵貯、年金、簡保等から資金を調達して
「財政融資資金特別会計」を運営し、「財政投融資計画」を実施している。
郵貯、年金も“自主運用≠ノなってきたとはいえ、結局はそれぞれの特別会
計や特殊法人の年金資金運用基金などで周債や「財投債」を引き受けているの
である。
平成一三年度当初計画の財投貸付残高は四四〇兆円、財投計画予算額は三二
兆五〇〇〇億円で、平成一二年度決算額の三八兆三〇〇〇億円の一五%減とな
っている。しかし、減ったのは郵貯、年金などに直接「財投債」を引き受けさ
せることにしたからに過ぎない。借金の保証人が替わっただけだ。また、特殊
法人などの財投機関が“借金” の一部を「財投機関債」という、別のかたち
で調達することになったからだ。いずれにしても国民に回されるツケという意
味では同じことである。
各々の特殊法人による「財投機関債」 の発行は矛盾そのもので、無責任極
まりない。この制度導入に当たって政府は「市場原理に則した資金調達方式」
などと喧伝してきた。いわんとするところは「ダメなものなら引き受け手がつ
かないから自然淘汰される」というのだ。これは笑えない話である。
そもそも「市場原理」という言葉はそのように使う言葉ではない。また、国
の機関であり莫大な税金を注ぎ込んできて莫大な借金を負っているものを自然
淘汰とはどういうことなのか。結局、一方に「財投債」を設けて、「機関債」
の引き受け手がないところに対しては「財投債」で郵貯や年金の 「国民の
金」を注ぎ込むことになるのではないか。「財投機関債」など現実に引き受け
手があるのが、そもそもおかしい (平成一三年度に調達の目途がついたのは
必要額の約四〇分の一の一兆円程度)。その理由は次章の 「特殊法人」 の
項で述べる通りである。
郵貯、年金、簡保の「国民の金」は「財投債」でますます窮地に立たされ、
その上「機関債」にまで手を出そうものなら、いよいよもって特殊法人ととも
に沈没が目に見えてくる。「財投」は市場にとっての“疫病神≠ナあり、国全
体を抜け出すことのできない底なし沼にはめ込んだ“怪物”なのである。
国債買い切りオペで長期金利を下げた旧大蔵省の離れ業
ところで、本来なら財投の健全な運用を目指さなければならない旧大蔵省自
身が、特殊法人や公共事業への投資以外の面においても、郵貯や年金を破綻に
導くような馬鹿げた運用を行ってきた。この間題はあまり追及されていないの
で、以下に指摘しておこう。
この旧大蔵省の行為は「国債買い切りオペ」と呼ばれるものだ。資金運用部
資金を使って国債を買い切ってしまうのである。平成八年六月に開始し、一回
一〇〇〇億円ずつ毎月二回、必ず買い切りオペを実施してきた。郵貯・簡保、
年金資金を原資とする巨額の資金運用部資金を持っているからこそできる離れ
業だった。
そのころすでに、政府が発行する大量の国債は、市場でだぶつき気味だっ
た。国債買い切りオペは、だぶつき気味の国債を買い支え、国債価格の下落を
防ぐ意味があった。
他方で国の財政政策は、景気対策のかけ声の下で、国債乱発型になろうとし
ていた。だぶつき気味の国債が市場で売れず、価格が下落するというのは、い
わば国の財政政策に対する「市場の批判」である。買い切りオペは、この市場
の批判を封じる意味があった。
債券市場の取引の実勢を反映するものとされる長期金利は、指標銘柄の国債
の金利で表示される。買い切りオペによって、国債価格は上昇し、長期金利は
下がった。旧大蔵省は、資金運用部資金を運用することによって、長期金利の
管理まで始めたのである。
旧大蔵省が国債買い切りオペを始めた平成八年六月、日銀は公定歩合を超低
金利の〇・五%から引き上げようと動いていた。大蔵省が国債買い切りオペを
始めたねらいは、この日銀の動きを「粉砕」することにあったとみられてい
る。
周知の通り公定歩合操作について旧大蔵省は、大きな影響力を持っていた。
しかしこのときは「超低金利の解消」が正論であり、それを論駁できない。こ
のため旧大蔵省は「実力」 で長期金利を引き下げ、日銀の利上げを阻むとい
う行動に出たのである。
資金運用部資金には預託金利という制度がある。預託金利とは、旧郵政省、
旧厚生省が郵貯・簡保や年金を資金運用部に預託するさいの金利だ。その預託
金利は、長期金利に連動して決められてきた。大蔵省の主導で利率が決めら
れ、金主であるはずの郵政・厚生両省は、それを了承するだけというのが実態
である。
こうしてみると、国債買い切りオペを実施することによって長期金利を引き
下げることは、郵貯・簡保、年金資金の運用利回りを下げることに直結してい
る。国債買い切りオペの原資は資金運用部資金であり、つまるところ郵貯・筒
保、年金資金である。それを使って郵貯・簡保、年金資金の運用利回りを下げ
るための操作を行っていたのが旧大蔵省なのである。
平成九年四月四日付『朝日新聞』朝刊経済面に「預託金利最低の二・七%
郵貯・年金、統合運用の矛盾拡大」という見出しの記事が掲載されている。詳
しくは原文に当たってほしいが、要するに、預託金利が引き下げられて、年利
五・五%の運用利息を稼ぎ出さなければならない年金は大変だが、郵貯の場合
は黒字になっている、というのがこの記事の主旨である。しかし、郵貯の黒字
というのは、単に数字の操作にすぎない。
郵貯資金の中には、平成二、三両年度に呼び込んだ巨額の定額貯金がある。
このときの定額貯金の利率は三年以上の場合、年五・八八%だった。半年複利
方式で利息がつくため、一〇年間預ければ年平均利回りは、税引き前で七・八
五二%になる。定額貯金はこのような高金利を売り物にしてきたのである。
この記事でいう郵貯の黒字というのは、そのときどきに支払った利息しか計
上しないという計算方式だから出てくる数字でしかない。この計算方式では、
定額貯金の金利は、満期のときに一括計上するのである。つまり、郵貯の主力
である定額貯金は、満期を迎えるときまで利息はゼロという条件で計算されて
いるのである。それでは黒字が出ないほうがおかしい。
こんな馬鹿げた計算方式はない。定額貯金の金利は、毎年膨らんでいる分を
年ごとに計上しておかなければ、郵貯の運営が健全であるかどうかがわからな
い。つまり、平成二、三年度に預け入れた定額貯金については、毎年七・八五
二%の利息を計上しておかなければ、実態を反映した収支計算にはならないの
である。
いずれにせよ巨額の定額貯金が満期を迎えた平成一二、一三両年度には、郵
貯は一挙に赤字に転落。つまり政府の国債買い切りオペは、郵貯・簡保、年金
をともに犠牲にし、乱発した国債と官制経済の胴元である財投の潰減を回避す
るという“生けにえ政策”だったのだ。
郵貯・簡保といい、年金といってもいずれも国民のカネである。国民のカネ
がこんなデタラメな使い方をされている。当面問題になっているのは年金財政
であり、支払いの水準がどんどん切り下げられようとしている。少子化の影響
でやむをえないようないい方をする専門家もいるが、とんでもない。特殊法人
による年金の使い込み運用とともに政府の国債買い切りオペが大きな原因とな
って年金財政が破綻している。
郵貯も額面どおりに戻らなくなる日は遠くないだろう。
旧大蔵官僚が国債買い切りオペをやった理由はわからないわけではない。す
でに書いたように、当時は、国債の値崩れを防ぐことが至上命題であった。銀
行業界に多数の天下りを引き受けさせている旧大蔵省は、銀行の守護者でなけ
ればならない。そして政府が銀行に大量の国債を引き受けさせていることは、
政府と銀行が運命共同体であることを意味している。
最近の数字でいえば、民間の銀行に保有させている国債の総額は七三兆四〇
〇〇億円(平成一三年三月現在)にのぼっている。ちなみに生保も二七兆五〇
〇〇億円を保有している。平成八年六月の段階で超低金利施策が放棄されたな
ら(国債価格が急落して)、銀行の経営は大きな困難に直面するという見方が
あった。旧大蔵省は銀行を守ったともいえる。それは、国債の六割を保有して
いる政府(機関)をも同時に守ったことになる。これも、もとはといえば無責
任な借金によるバラ撒き政治の結果である。国債買い切りオペはそうした国を
潰す政策と政府を守り、国民を犠牲にしたといえる。
しかし、低金利、金融債和という厳しさを欠いた金融政策が続くと、どの企
業もそうした経済環境にどっぷり浸かってしまう。
旧大蔵省による国債買い切りオペは平成一〇年一二月を最後に打ち切られ
た。一〇年末に相次いで行われた一〇年度第三次補正予算、〓年度予算の編成
で、政府は景気対策のため財投をフルに活用した。このため資金運用部資金に
余裕がなくなり、打ち切らざるをえなかったのである。
民間経済の“死”を裏づける超低金利政策
政府・自民党は橋本内閣時代「財政再建最優先」を掲げながらも、巨額の赤
字国債を発行した。このため市場では国債価格が下落し、長期金利は上昇に転
じた。この事態に直面して政府・自民党から起こったのが、日銀による国債買
い切りオペの実施論だった。「長期金利が上がると経済に悪影響を及ぼす。そ
うした事態を未然に防止するのが日銀の役割だ」というわけである。
中央銀行の国債引き受けというのは、どの国でも戦時経済で行われたパター
ンであった。戦費調達のため、国は国債を発行する。それを買うのは中央銀行
である。こういうことになれば、政府予算は制約がなくなり、糸の切れたタコ
のように財政の節度が失われ、円の価値が下落する。中央銀行は無限に紙幣を
印刷、発行する。すさまじいインフレになり、経済は壊滅状態に陥る。
よく知られたケースが、第一次世界大戦後のドイツであり、第二次世界大戦
前後の日本であった。日本ではそういう苦い経験があって、財政法(第五条)
により国債の日銀引き受けは禁止されたのだ。
そのため、抜け道としてとられた手段は、いったん市中銀行を通して買うと
いう手法だった。この方法は今でも続けられ、政府の“たれ流し財政”に貢献
している。
脆弱(ぜいじゃく)になった日本経済に対して日銀が現実にとったのは「ゼ
ロ金利政策」だった。日銀が自発的にとったというよりも、強いられたといっ
たほうが適切だろう。平成二年二月、短期金利の誘導目標を〇・一五%とし、
その後もいっそう低下を促していくと宣言したのである。銀行間取引のコール
市場にどんどん資金を流し続けるから、そこからあふれ出た資金は債券市場に
も流出する。だから長期金利上昇は防止されるという理屈だった。
この時期、日本の長期金利が上昇したといっても、最高が平成一〇年一二月
末の二・〇一%であった。米金融市場は、ブラジル経済への不安とともに資金
を安全な投資先とみられる米債券に移し替える動きが活発になって国債相場が
急上昇(長期金利は急落)した二年一月二二日でも、五・一二%だった。
つまり日本経済は、二%の長期金利でもやっていけないほど、脆弱なものと
なってしまった。その脆弱さは、公定歩合が指標となる短期金利も長期金利も
ともに低いという「双子の超低金利」が定着することによってもたらされたの
である。
もちろん公定歩合の決定権をもつ日銀には責任がある。また、金融政策の全
体をとり仕切ったのは旧大蔵省だ。私がいいたいのは(旧大蔵省の肩を持つ訳
ではないが)個々の局面における政策判断もさることながら、深層深部の問題
として、わが国には「市場」の機能そのものが失われており、またそのことに
対する問題意識が決定的に欠落していることである。つまり、資本の拡大再生
産がない官制経済の下では、「利息」が生まれるまでに経済は活性化しないの
だ。
双子の超低金利政策はいかなる意味を持つだろうか。明白なのは、それがど
ういう結果をもたらすかわからない生体実験だということである。公定歩合
〇・五%などという例は先進国を見渡しても皆無である。中央銀行制度を持っ
ている国では、どんなに探しても見つからないだろう。それどころか、平成一
三年九月一九日から、ついに〇・一%になってしまった。
長期金利の歴史的低水準の記録は、最近では第二次大戦中の昭和一六年のア
メリカだった。財務省長期証券の金利が二八五%まで下がった。
しかし、これは特異現象である。第二次大戦を前にルーズベルト大統領が非
常事態を宣言していた時期に起きた例外的な記録である。世界大恐慌に見舞わ
れていた一九三〇年代のアメリカでも、せいぜいのところ二%台後半までの下
落だった。
国民経済は、躍動する生き物である。その生体の中を流れるのが金=マネー
であり、人体の血液に相当する。そのマネーの流れは、金利によって左右され
る−−。こう考えると、前例のない金利政策をとる(とらざるを得ない)とい
うことは、まさに生体実験なのである。
平成一三年暮れの時点で、公定歩合〇・五%となってから六年を経、国債買
い切りオペが実施されてから五年半になる。その間に日本経済は、すっかり
「双子の超低金利」というぬるま湯に浸かり切ってしまった。
長期金利、公定歩合とも五%前後という普通の経済環境に戻ることさえでき
ない体質になってしまったのである。民間経済の活力が死んでしまった。これ
こそ、とどのつまり……官制経済ご臨終の姿である。
第四節 五〇兆円をバラ撒く補助金制度
国民の金で国民を囲いこむ制度
わが国予算の中の「補助金」は約五〇兆円超である。五〇兆円といえば一年
分の国税収入を超える金額だ。わが国の予算制度の基本は、政府が税金と郵便
貯金や年金の積立金等を用いて行う「補助金」 の配分である。他の先進諸国
のように、国民のために、主に福祉や教育、医療、治安、防衛に必要な事務経
費だけを使うのではない。同様に、地方自治体がそれぞれ独自の徴税をし、税
収の範囲内で必要に応じて使うのでもない。政府が民の生活を“補い、助ける
”のだ。
後に見るように「公共事業」予算も三〇兆円であり、その大部が団体への補
助として配分されることを考えれば、わが国では予算は大方、補助金として使
われているといえる。「補助金」とは、法律(補助金等に係る予算の執行の適
正化に関する法律) によれば、「補助金」「負担金」、及び(利子) 「補
給金」とその他「給付金」である。「地方交付税交付金」「援助金」「国際分
担金等」も一種の「補助金」 である。「給付金」とは、七九本の「政令」に
それぞれ定められている「交付金」「給付金」「委託費」「助成金」などであ
る。
さらに、これらの他に、行政企業に出される「出資金」や「資本金」も明ら
かな「補助金」というべきである。それぞれの違いについてはあまり論ずる意
味はない。「補助金」は、公益法人や特殊法人、業界団体、一般企業に直接支
払われるものと、公共事業補助金のように建設費、整備費等の一定割合として
地方公共団体や公益法人、特殊法人等を経由して出されるものに大別される。
国・地方から「補助金」を受ける団体・企業などは数万(社)にのぼる。業
界などを通じて間接的に補助金の“恩恵”にあずかる企業・団体はざっと二〇
〇〜三〇〇万(社)に達している。「財政調査会」が出している『補助金総
覧』はA四判八四〇頁にも及ぶ大部なものであり、「補助金」の種目が非常に
細かく分類されている。よく見ると同じ団体にたくさんの項目から支出されて
いる。交付先の事業の一部始終をつかみ、金額の増減も自在にコントロールさ
れるわけである。同時にあうんの呼吸で二重取りや不正使用が起こり易く、事
実そうした事例も数多くある。
平成一二年度一般会計の「補助金」総額は、「国際分担金」の二四〇〇億円
を除いて二〇兆七〇〇〇億円。ODAの援助金を含めると二〇兆九四〇〇億円と
なっている。同じく「特別会計」の方は七兆余円。「地方交付税交付金」を含
めると「特別会計」全体で二九兆九〇〇〇億円である。したがって平成一二年
度予算の「補助金」の総合計は約五一兆円となる。これに特殊法人、認可法人
が独自に支出する「補助金」を加えると、全般的な補助金はさらに一〇兆円程
度は増えるだろう。一般会計の旧通産省分を例にとってみよう。『総覧』の該
当欄には八五種類ほどの「補助金」が列記されている。さらに同数程度の細目
があげられている。交付対象は特殊法人、財団法人(以下、(財)と略す)、
認可法人、地方公共団体などのほか、多数の業界団体、商工団体、民間企業な
どである。団体等の職員の給与補助だけで二二〇〇人分を計上するなど、団体
ぐるみ業界ぐるみで“面倒”をみている。
支援している業界団体である(財)日中経済協会、(財)交流協会、(社)
ロシア東欧貿易協会、(社)日タイ経済協力協会などの国際貿易関係団体の
下には、それぞれ数百社の企業が参加している。同じく補助金を出しているの
は、認可法人の産業基盤整備基金と情報処理振興事業協会や、特殊法人の新エ
ネルギー・産業技術総合開発機構、日本貿易振興会、金属鉱業事業団、中小企
業総合事業団などだが、それらの大部分はそれぞれ数百の子会社、関係会社を
持っている。
また「補助金」項目のなかにある「地域新産業創出総合支援事業補助金」
「新規産業創造情報技術開発費補助金」「情報処理振興対策費補助金」等々
は、大企業から中小企業までの個別の各企業に対して補助金を出し、政官権力
が直接手を差しのべる、いわば“嗅ぎ薬”の役割を果たす。
少なくとも旧通産省だけで合わせて数十万社という企業に対して直接間接の
支援を行っているのだから、お金をもらった企業側としても役所に頭があがる
訳はない。首輪で繋がれている状態といってよい。
こうして企業はいつも政治家を通して要望し、役所の様子を見ている。家畜
や池の鯉のように常にお役人の一挙手一投足を見守り、新しい「事業予算」や
「補助金」情報があれば政治家を介して瞬時に跳びつくのである。それが多く
の企業のビヘイビアである。
同じ「補助金」でも、一般会計の「補助金」と、特別会計のそれとのあいだ
には建て前上、若干の区別がある。つまり、一般会計の補助金が事務・管理関
係の補助や経済支援に支出されるのに対して、特別会計の補助金は事業費等に
支出されている。特別会計ごとの補助金額は、道路整備特別会計二兆円弱、治
水特別会計九五〇〇億円、石炭・石油特別会計四〇〇〇億円、食糧管理特別会
計、国有林特別会計各二八〇〇億円前後、厚生保険特別会計八〇〇億円、港湾
整備特別会計六〇〇億円等々であり、支出先は一般会計の場合とほぼ同じであ
る。
通常多くの特殊法人、公益法人、地方公共団体等は一般会計、特別会計の両
方から補助金を受け、二つの予算書を持っている。行政機関の財務に投資的ビ
ジネスを合体させることは憲法や財政法にそぐわないからだ。正確には彼らの
団体は少なくとも三つの予算書を持っている。「一般会計」と「特別会計」、
もう一つは、二つを合体させた実際の運営のための公にできない予算書なので
ある。
こうして政治と官庁は「補助金」を通して各種業界団体と個別企業を縛りつ
け、天下り行政企業を増殖させる。そして、発注される「補助金」付きの“事
業”を通して同じように“民間”を支配する。また“民間”企業の多くは官公
需を通して生き延びるのである。
集金、集票の道具
このように「補助金」が広くビジネス領域に行きわたるということは一見政
府が企業の経済活動を助けているように見えるが、じつは政治との主従関係を
決定づけることになるとともに、政治が経済の本来の機能を換骨奪胎すること
になる。
俄然、政治家の“顔”が大きな役割を果たす世界が出現し、ビジネス界が集
金と集票、天下りの道具となり、経済そのものが機能マヒに陥るのである。
今日の日本経済、日本社会では「補助金」が「主食」となりつつあるといっ
ても過言ではない。「補助金」の行く先を、大都市圏と地方に分けると、最近
は相当に大都市圏にも広がってきたが、まだ地方の方が厚い。そもそも「補助
金」の名分が、経済力の強い大都市圏から経済力の弱い地方にカネを回す予算
編成上の役割とされてきたからだ。
しかし、カネの最終的な落ち着き先という意味からいえば、大型“公共事業
≠フ「補助金」などは地方を経由して結局は大都市(大企業) へ戻ってくる
ものが多い。「補助金」支出も、また省庁による行政権限の行使として行われ
るため、各業界団体は日本中から中央省庁へ陳情に参上する。国会議員がそれ
ぞれの陳情団長の役割を担う。政府の予算編成作業には二つのピークがある。
八月末の各省庁概算要求締め切りと、一二月の財務省による予算編成である。
これらの時期に全国から殺到する霞が問詣での人波は、さながら聖地巡礼のご
とき風景である。天の恵み、お上の恩恵をさずかりに来るのである。
国の予算を補助金で編成するということは、国民を縛ることにつながる。与
党議員にとっては、政治献金を召し上げ、票をも確保する道具となる。
この国で支配的な民意は、お上の恵みへの「待望」である。地方の人たちに
とってみれば、政治家の顔はカネの力を連想させる。政治家は、乾ききった地
方経済の大地に、補助金という恵みの雨をもたらすことのできる魔術師なの
だ。
日本の地方は、農業も漁業も商業も自立的活力を失っている。あらゆる営み
を中央省庁に管理され続けたからである。補助金の注入がなければ生きていけ
ないように仕組まれているのが地方経済である。地方で補助金と無縁に生活で
きる職場は郵便局、電話局、市役所の三つに、あとは学校と商店の店員しかな
い。
市役所職員や学校教員の給与は、税金から支出される。郵便局は官営企業で
あり、電話局もかつては公共企業体だった。商店の場合、店員は補助金を意識
しないですむが、経営者はそうはいかない。
こうしてみると、地方ではもはや「官」に頼らなければ生きていけない構図
が完成しているといえる。国から流れてくる補助金が主食となってしまったの
である。
補助金はうわべでは「オアシス」のようにみえるが、本当は「エサのついた
釣り針」である。この事実を人々は気付こうとしない。釣り針はエサに隠れて
いるから気付かないという理屈はあるかもしれないが……。
しかし、エサに喰いつくと、必ず上納金を納めなければならない。その上納
金にはお札(ふだ)もついていく。選挙のときの「票」である。票を上納金と
ともに差し出すというのは、自分の身体を献上するのと同じことである。こう
して、権力構造は社会の隅々に生活意識として貰徹し、維持されている、とい
うことになる。
地方経済が官従属になりきってしまっていることはすでに指摘した。一九九
〇年代にはその官従属体質が、中央にも浸透してきたことを指摘しなければな
らない。つまり日本経済全体が、官従属となっているのである。
平成一一年度以降の予算編成では、環境、情報通信、福祉、中小企業対策な
どにあてる特別枠が設けられた。このため、これまで目立って土木建設業界で
行われていた受注のための工作に、他の業界も拍車をかけるようになった。土
建業界の官従属体質が、他の産業にも広がる傾向を助長することになったので
ある。
予算を補助金として支出するという手法のネライは、政・官のエゲツない税
金“かすめ取り”にあるが、その結果は民間経済の活力を損なうという、さら
にとんでもない効果をもたらした。最近、政府はイメージが悪くなった公共事
業から、予算配分を他の投資に移そうとしている。
しかし、それも、補助金などの財政のシステムが変わらなければ意味はな
い。IT産業の振興、ベンチャーの育成、福祉産業へのシフト、雇用対策予算な
ど、耳ざわりはよさそうだが、カネの流れる仕組みは同じだ。しょせん、経済
に役立つはずがない。問題は予算をどこに付けるか、ではないのである。
農水省の事務次官と技官、宿命の対決
補助金と政治の関係をめぐって、以下主に農業行政の問題をとりあげるの
は、農林水産省が中央省庁の中でもっとも政治に強い存在だからである。政治
に「最強」なのは旧大蔵省、現在の財務省に決まっていると考える方が多いか
もしれない。
確かに予算配分権限をタテに、国会議員にさえアタマを下げさせるのが財務
省高級官僚である。しかし、それとは別種の、都道府県、市町村などを通じて
末端の有権者をどの程度つかんでいるか、という尺度で見た場合、農水省こそ
政治に強いのだ。
そうした力は、かつては参議院選挙全国区の得票で測ることができた。各省
庁がOBを候補者に立てて得票を競った結果が、そのまま省庁の「強さ」を示し
たものだった。
最後の全国区選挙となった昭和五五年の参院選で、得票数上位一〇位以内に
入った候補者のうち、事実上のタレント候補でないのは、八位の岡部三郎氏と
一〇位の大河原太一郎氏の二人だけである。この二人はともに農水省のキャリ
ア官僚OBである。
その後、全国区は比例区に変更されたが、農水省は毎回、必ずといっていい
ほど、二人の当選を確保している。農水行政が末端の有権者まで締め付ける強
い力量を持っていることを示す、何よりの証拠といっていい。
農水省OB候補たちの略歴を見てみると、興味深い事実に気づく。比例区に出
馬するコンビが、一人は事務官出身、もう一人は農業土木技官出身なのであ
る。
大河原太一郎氏(東大法学部卒、事務次官で退官)と岡部三郎氏(東大農学
部卒、構造改善局次長で退官) の五五年当選のコンビ、石川弘氏(東大法学
部卒、事務次官で退官)と須藤良太郎氏(東大農学部卒、構造改善局次長で退
官) の平成元年当選のコンビといった具合だ。
このような組み合わせになるのは農水省の官僚構成と深くからんでいる。農
水省の技官は、人事上の差別構造に押し込められている。官僚トップの事務次
官はもちろん、局長にもなれないのだ。技官たちは官僚人生の大半を構造改善
局(平成一三年度から農村振興局に改名)ですごし、最高ボストは構造改善局
次長。それに次ぐのが同局建設部長だ。ともに官僚の世界で「中二階」と呼ば
れる、局長と課長の間のポストにすぎない。
建設省の場合、事務次官は、事務官と技官が交代で就く。しかも技官のトッ
プのために事務次官と同格の技監というポストも用意されている。これと比較
すると、農水省の技官の待遇はあまりにみじめともいえる。
その代わりに農水省の技官たちは、構造改善局を「独立王国」とすることに
成功した。構造改善局も局長や農政・計画両部長、総務課長は事務官である。
しかし構造改善局の仕事の中核である農業公共事業について、彼らは口を出せ
ない。
公共事業=土木工事に関することは、予算要求から工事の実施まで、すべて
技官が取り仕切る。予算だけではない。技官の世界は人事においても独立王国
である。農水省の人事担当課は大臣官房秘書課だが、技官の人事は技官グルー
プが取り仕切り、勝手に決める。
事務官と技官の差別の構造が温存されているという歪んだ構図が、参院選で
の農水省の強さを保証することになる。すなわち、通常の省庁なら一人しか出
せない比例区候補を農水省だけは二人出せる。事務官・技官双方の代表であ
る。
技官OBの候補を支えるのは、土地改良政治連盟(土政連)である。ちなみに
事務官OBには農協政治連盟(農政連)、その他の系列団体がつく。一般に農協
(政治面では農政連)は日本最大・最強の集票マシーンだといわれるが、土政
連は農政連をはるかに上回る力を持っている。
土政連も農政連も、会員は農家であり、末端ではほとんどの農家が重複加盟
している。そこで個々の農家の奪い合いが激しい。特定の農家が、土政連の推
す候補の後援会員となり、そのルートで自民党員になるか、それとも農政連の
推す候補の後援会員となるか。参院選の前年には必ず「身内の争い」が展開さ
れ、この争奪戦があるからこそ農水省の集票マシーンは強いのだといわれる。
農水省官僚にとって、日本農業の将来像などどうでもいい。農水省の「縄張
り」を維持すればそれでいいのである。縄張りの中で最も重要なものが財務省
から獲得する予算であり、参院比例区での農水省OBの議席も、その一つといえ
る。日本の省庁はどこでも“政策なき縄張り行政≠ナあるが、農水省が最も著
しい。私が日本の農政を「ノー政」と呼ぶ理由はそこにある。
ノー政の補助金に群がる“名士”たち
土政連を理解するには、「土地改良区」を知らなければならない。土地改良
区は、「農用地の改良、開発、保全及び集団化に関する事業を適正かつ円滑に
実施する」ため、昭和二四年に制定された土地改良法に基づいて設立されたも
のである。当時は敗戦後の食糧難の時代であったから、「農用地の改良、開
発」などが必要だったが、コメをはじめとして国産農産物が過剰となった現在
でも、こんな法律が残っていること自体がおかしいのだ。だが、現在もますま
す盛んなのである。
土地改良区は、この法律によって農家が一五人以上集まれば結成できると定
められており、公益法人と位置づけられている。土地改良区はほとんどすべて
の市町村にあるだけでなく、秋田県田沢疏水土地改良区や福島県安積疏水土地
改良区といった、特定の事業に関わる土地改良区もある。その数は全国で七七
〇〇にものぼる。
これらは都道府県レベルでは「○○県土地連(略称・県土連)」を構成して
いる。県土連の役割については後に述べる。全土連はその上に立つ全国組織で
あり、政治家、官僚と土建業界、それに農民の関係を調整することが役割であ
る。表向きの業務は、全国の土地改良施設の維持・管理、資金管理、技術指導
などとなっている。国と都道府県から毎年補助金が出ている。
全土連と表裏一体の土政連が、参院選のたびに、構造改善局次長を擁して選
挙戦を戦う。自民党の課すノルマに沿って後援会員や自民党員を集めるのであ
る。その作業が、政官業の癒着の構図を三年に一度、確認・点検することにな
る。
全土連=土政連に群がる人々こそ、農業予算という大をな餌に群がるハイエ
ナたちである。再び強調するが、日本に「農政」はない。莫大な補助金をばら
まくだけの「ノー政」があるだけだ。ノーは無策のNOでもあり、ノーテンキの
ノーでもある。
以下で、「ノー政」の構図とそれに群がる政治家の行動様式を解明するつも
りだが、それには農水省予算とその大半を占める補助金について知らねばなら
ない。
農水省の年間予算は約二兆五五〇〇億円で、そのうち二兆円は補助金として
配られている。これ以外に、いわゆるウルグアイラウンド対策予算が八年間で
六兆円あった時期もある。
農水省の補助金は、団体への援助金と、土木工事に化けて消化される「公共
事業」予算に二分される。その公共事業と補助金配分の権限を主に握っている
のが構造改善局である。
農水省の補助金には、潅漑排水事業補助金(年間約一〇〇〇件)、圃場(ほ
じょう)整備事業補助金(年間一千数百件)、土地改良事業補助金(年間約一
〇〇〇件)、農道整備事業補助金(年間約一〇〇〇件)、集落排水事業補助金
(年間数千件)などがある。
これら数千項目にわたる補助金の一つ一つを農水省と財務省が査定し配分額
を決める。公共事業の場合、地方公共団体が主体となるものであっても、国の
補助が付かなければ実施されない。このシステムの下で、地方のごく細かな畔
道(あぜみち)の改修や排水施設の整備にまで、農水省が権限を握ることとな
っている。
補助金は原則として、都道府県・市長村を通じて各団体に渡るのだが、農水
省から直接行くものも少なくない。たとえば、いわゆる農協五連向けである。
農協五連とは、「全農(全国農業協同組合連合会)」「全中(全国農業協同組
合中央会)」「全共連(全国共済農業協同組合)」「全厚生(全国厚生農業協
同組合連合会)」「農林中金(農林漁業中央金庫)」のことで、県段階でも同
じ組織をもっている。
全農には二億円、全中には一〇億円の補助金が出ている。前に述べた全土連
への補助金は四八億円(平成一三年度)だ(全土連に対しては都道府県からも
ほぼ同額の補助金が出ている)。その他の業界や個別団体では(財)全国土地
改良資金協会(二〇〇億円)、(社)配合飼料供給安定機構(一〇〇億円)な
ど九二の団体に出されている。九二の団体の中には、(社)国際食糧農業協
会、(社)国際農林業協力協会など海外に関する団体が一五もあり、大半が外
務省など他省庁からも補助金を受けている。
農水省が全農に出している農業構造改善の補助金の中に、「農業基盤確立事
業」と称するものがある。乾燥貯蔵施設や精米貯蔵施設(ライスセンター)な
どの機械に対して二分の一を補助するものだ。施設は全農が事業主から委託さ
れて建設するのだが、事業主(単位農協や生産組合)にも補助金が出る(両方
に補助金が出る二重払いである)。そのさい全農は補助金のうちから、きわめ
て高い手数料も受け取る。たとえば新潟県広神村の施設は七%に設定されてい
た。
会計検査院はこうした実態を調査し、平成二年八月、四億五〇〇〇万円の払
い過ぎを指摘した。
また、平成二年末には、農水省職員一八人が「業者との癒着」を理由に処分
された。業者らと海外旅行や会食を重ねたためで、うち五人は、減給処分だっ
た。
構造改善局農業経営課の課長補佐は平成七年以降、三二回も業者と会食し、
うち一七回は代金をまったく払っていなかった。この補佐はさらに「費用は負
担した」というものの、業者と一緒に韓国に旅行していた。また、別の同局農
政課課長補佐は、同省の外郭団体「ふるさと情報センター」に計九回で総額約
四〇万円(推定)をつけ回ししていた。
処分を受けた中にはキャリア官僚三人が含まれており、高木勇樹事務次官も
「職員に相当の裁量をゆだねていた点で(構造的な)問題があった」と認めざ
るをえなかった。
“公共事業”予算の箇所付けと国会議員の手柄
補助金の「箇所付け」というものをご存じだろうか。補助事業の一つひとつ
がどこで実施されるのかを決める作業である。何万ヵ所というその「箇所付
け」が省庁によって決まった瞬間、国会議員たちは省庁から示された「表」を
基に競って自分の選挙区に電話をし、FAXを入れる。これこそが国会議員の
「業績」なのである。
国の補助事業を獲得したい市町村にしてみると、当該の事業を、まず都道府
県の予算要求の重点項目にすべり込ませ、次に八月の概算要求の段階で各省庁
の要求の中に入れ、そして各省庁と財務省の折衝で箇所付けが決まる。
この各段階で市町村は国会議員の「お世話になる」。箇所付けが決まった瞬
間に電話することによって国会議員は、自分の貢献がいかに大きかったかを実
証できる。なかには役所への口利きもしていないのに自分の手柄にしてしまう
ちゃっかり者の議員もいる。このことは役所の方もよく心得ていて、選挙区ご
とに仕分けして一覧表を議員に手渡す。
支援した議員たちは、市町村に対し自らの系列の業者に発注するよう圧力を
かける。業者は国会議員に時期を違え「上納金」を差し出す。その金額は、請
負額の三%とも五%ともいわれている。
上納金だけでなく建設業者たちは、選挙のたびに集票でも議員に貢献する。
大は全国レベルのゼネコンから小は個人経営の零細な土建業者まで、「われわ
れの営業は政治」と口をそろえる。どのレベルの土建業者も、厳しい価格競争
がある民需だけではやっていけない。価格査定が甘く、しかも競争のない談合
の世界である官需こそが儲けを支える。これこそ利権政治の構図である。
地方で金持ちになり、よい暮らしをするにはどうすればよいか。農業団体で
のし上がるか、与党の政治家とつき合って献金することだ。土木なら公共事業
農畜産業なら補助金がある。こうして“名士”となった人は数知れないし、権
勢を誇った政治家も枚挙に暇がない。こうした白アリたちを繁殖させた政治
が、日本を潰してしまったのである。
国民の立場からすれば、数万にのぼる中央省庁の補助金査定などまったく不
要である。徴税も予算編成も、はじめから地方のものとすればよく、地方の細
かな事業は市町村や民間法人に自由にやらせればいい。そうすれば、多くの不
要な事業は行われなくなる。政治家の省庁への「顔」も不要になるから、莫大
な利権と無駄遣いが消える。政治と行政はすっきりする。「官公需政治」とい
う長らく続いている日本の政治システムを崩すには、「地方分権」という革命
が必要になる。分権のかけ声だけは大きくなっているが、実効のある分権は、
けっして行われない。その背景には土建屋政治と補助金でできあがった既得権
益があるのだ。
土地改良予算は政治家に流れる
土地改良区には必ず政治団体が付いている。改良区の構成員たちが「○○県
土地連政治連盟」と名乗る政治団体、「土政連」を組織するのである。これが
都道府県段階では「県土連」を、全国レベルでは「全土連」を組織しているこ
とはすでに述べた。
この土政連が、年間一兆数千億円の土地改良予算の一部を政党や政治家が吸
い取るパイプ役となる。他の公共事業とともにそれを受けた業者から、政治家
たちが吸血鬼のようにピンバネする。農業予算は農家に行くのではなく、実際
は土建業者、天下り官僚、政治家の三者が山分けしているのである。
全国各地の土政連はまた、自民党への入党活動や党費肩代わり、政治団体へ
の会費納入を行っている。このことは平成七年から私が国会で明らかにしてき
たことだ。
土政連は、国の予算で運営されている土地改良のおカネを迂回して政治に回
す団体であるが、迂回さえもさせずに、直接、全国の土地改良区が特定の政党
の党費を支払っていたり、政治団体におカネを回していたことも判明した。
二〇〇一年四月、私たちの追及に対して農水省はこの実態を調査し、「土地
改良法違反」であることを正式に認めた。私は同僚三名の衆議院議員とともに
「業務上横領罪」で東京地検などに告発したのである。
私の別の調査では、農業土木族の国会議員がこうした公金を公然と受けとっ
ていた。埼玉県土連の会長を務めている三ツ林弥太郎前衆院議員は、平成八年
度だけで県土連から四五一万円、葛西用水路改良区(理事長を務めている)か
ら三一四万円、庄内古川悪水路改良区(理事長を務めている)から八四万円の
計八四九万余円を受けている。国会議員の収支報告などで表に出ている分だけ
でこの有様なのだ。
浦田勝参院議員(熊本県)や鹿熊安正参院議員(富山県)、石橋一弥衆院議
員(千葉県)、青木幹雄参院議員(島根県、小渕恵三改造内閣の官房長官)、
農水省OBの須藤良太郎参院議員などもこの面で繋がりの強い議員たちである。
こうした報酬とは別に、土政連は多数の政治家に政治献金を行っている。た
とえば須藤良太郎氏の場合は二〇〇〇万円(平成六年)を受けている。
土地改良予算は平成五年度から一四年度までの九力年計画で四一兆円規模と
なっている。これら土地改良事業を推進するのが、農水省の技官である。技官
は研究職まで含めると六〇〇〇人以上おり、土地改良、潅漑排水、開墾、干
拓、圃場整備、農業用ダムなどの設計・審査・技術指導・監督などの権限を持
つ。受注先の企業にとって絶対に逆らえない存在で、「神様」と呼ばれてい
る。
大手ゼネコンから中小コンサルタント会社まで、関連業界への天下りは二〇
〇〇人以上(ノンキャリを含む)といわれる。平成五年のゼネコン汚職事件の
とき、事務官の農水省首脳は「建設業界への天下りは自粛する」と語ったが、
天下りの実態の説明を報道関係から求められると、「五階(構造改善局)に聞
いてくれ」と述べたという。結局、天下り自粛など実行されていない。要する
に、構造改善局(現・農村振興局) には事務官は関与できないのだ。
巨額の予算を握る技官たちは、補助金行政と政敵家対応のプロである。予算
の箇所づけのさい、「はがし」という細かい芸当をもちいる。
事実上決まっている政府案のうち、あらかじめ一部の事業を書き込まずに削
っておいて、政治家が地元代表を引き連れて財務省に陳情すれば「復活」する
というものだ。政治家に花を持たせる場面を用意しておくのである。こうして
官僚たちは族議員を手なずける。
構造改善局の予算はほとんどが、OBの天下り先となっているコンサルタント
会社や建設会社に流れる。私が関東農政局について調査したところ、天下り企
業への発注率は九割以上だった。天下りの受け入れを減らした企業には、パタ
ッと仕事が来なくなる。それは 「見事なものだ」と多くのゼネコン関係者が
証言するほど徹底されている。
毎年一兆二〇〇〇億円にのぼる構造改善局予算を自由に動かすのは、全土連
を中心にした政・官・業連合の集団である。そのボスが元参院議員で全土連会
長を務める“土地改良のドン”梶木又三氏だ。
梶木氏こそ、農水省技官OB参院議員の草分けである。京都帝大農学部農林工
学科を出て農林省に入り、農地局建設部長で退官。昭和四六年の参院選で当選
し、参院議員を三期つとめた。環境庁長官などを経て自民党参院幹事長とな
り、平成元年の参院選を機に引退した。
その辣腕(らつわん)ぶりを示すものが、全国土地改良資金協会の存在であ
る。梶木氏引退の翌平成二年に設立され、梶木氏が理事長に就任した。基本財
産は一億円で、農水省と全土連が五〇〇〇万円ずつ拠出した。農水省からは別
に平成六年度までに一〇〇〇億円が支出され、三年度までにさらに一〇〇〇億
円出された。
この団体の主たる目的は、「土地改良区を支援すること」である。いってみ
れば、公共事業のお先棒を担いでくれている単位土地改良区に対して、利子補
給などの形でお駄賃をやるのである。土地改良などの農業公共事業は、表向き
「受益者負担」の形をとっているが、その受益者負担分についてはこの利子補
給などで面倒を見ているのだ。完全な二重払いである。
そうでもしなければ、公共事業は維持できない。「受益者」とされる農家
は、その負担分の借金にあえいでおり、新しい負担など引き受けようとしない
からだ。農家を無理やり受益者に仕立て上げて公共事業を維持するのが、この
資金協会の役割である。まるで「やらせ」だ。農業公共事業は、しょせん政治
と役所の都合で行われる“狡凶(こうきょう)”事業であることを証明してい
る。
資金協会の常勤役員である専務理事は農水省の天下りである。
生産性向上に役立たない農業構造改善事業
全土連と単位土地改良区をつなぐ(県)土連の会長には、農水系国会議員や
県議、知事などが据わっている例も多い。(県)土連は単位改良区から事業実
績に応じた賦課金を徴収する。
土連の仕事は、改良区への技術指導との建て前であるが、実際には建設およ
び維持・補修のコンサルタント業務が主である。市町村の改良区から事業の設
計委託が回ってくる。土連は、適当な建設コンサルタントを選び、設計・工事
を丸投げ発注する。丸投げする対象となる建設コンサルタントは、なれ合いの
構図で決まっていくことはいうまでもない。
土連と密接な関係にあるのが、(社)土地改良建設業協会である。名前の通
り、土地改良事業と関係の深い土建業者の団体で、両者が組んですべてを仕切
るため、協会に入っている業者以外にはまず仕事は与えられない。
工事が分配され予算が業者に渡った段階で、土政連の出番となる。各業者の
公共工事契約実績に合わせて寄付を集めるのだ。業者の差し出す寄付金は当然
受注の見返りである。公共事業の見積もりは甘いから、寄付金を「上納」して
も十分儲かる。また「上納」しなければ来年度の予算は保証されないのであ
る。この寄付金は、経理上使途不明金として処理される。
土政連、土連に寄付を出す業者は、都道府県、市町村レベルの農業土木関係
職員の天下り先でもある。こうして都道府県・市町村段階の自治体もまた、
「中央」と同様の官尊民卑体質にはまっていく。
農業振興、農地保全の名目で税金がこのように使われ、世界一コストの高い
農地事業を生んでいる。他方、農家には受益者負担が背負わされる。改良事
業・整備事業の農家負担は三〇〇坪(一反歩=一〇〇〇平方メートル)あたり
七万円から二五万円だといわれる。そこで最近では 「農地事業を正規にやる
と高くつく」と、農家が個人で事業を発注するケースが増えているという。
国道や県道で十分な地域に、立派な農道が延々と走っている。公共下水道の
すぐ隣に、並行して農業用の排水施設が作られる。これらは重複した投資であ
って、典型的な無駄である。さらには利用価値のない農道空港が各所に建設さ
れている。結局、農業構造改善事業は、政治家・官僚・土建業者以外、誰のた
めにもなっていないのである。
農産物の輸入自由化の波を受けて、日本の農業は大きな変革を迫られてい
る。どの分野でも、競争力が強く、経営基盤が安定した、自立した農家を育て
なければならないはずだ。それなのに農水省は、農業生産のコストを上げ、農
家を生かさず殺さずの状態にしておいて、補助金の鎖で縛りつける政策をとっ
ている。なぜか。それこそが、官僚機構と政治家の生き延びる道だからであ
る。
その典型がコメの減反政策である。都市近郊農家もコメどころも、丹精して
美味いコメを作ろうと努力している農家も、会社勤務の片手間に「休日農業」
でコメを作っている農家も、すべて一律に減反を課し、その見返りに補助金を
支給する。こんなことが、日本のコメ農業の未来につながらないことは、子ど
もでもわかる。
新橋の天下御免の政官業伏魔殿
東京都港区新橋五ノ三四ノ四に、農業土木会館という五階建てのビルがあ
る。表札が出ている部屋は一部で、表札のない部屋も多い。
表札が出ているのは、土地改良建設協会(社団法人)、全国土地改良政治連
盟(政治団体)、土地改良人自由国民会議(政治団体)、土地改良測量設計技
術協会(社団法人)、農業土木事業協会(社団法人)、農業土木機械化協会
(社団法人)、日本農業土木コンサルタンツ(株式会社)、農業農村整備情報
総合センター(社団法人)、海外農業開発コンサルタンツ(社団法人)など
だ。ほとんど農業利権にからんだ団体で、この薄汚いビルは天下御免の「政官
業伏魔殿」といえる。
私はこれらの団体間の金の流れを調べてみた。以下に書くのは旧自治省に届
けられた分だけだから、実際に裏で還流している使途不明金は計り知れない。
全国土地改良政治連盟の平成七年度の収支報告書によれば、収入は一億一六
八二万円(うち七年度に受け入れた収入は五五八四万円)。その内訳は、全国
五四の土地改良政治連盟から各三〇万円ずつなどで一六五〇万円。個人会員か
らの会費が二六〇八万円などとなっている。支出の部では、全国一五三の土地
改良政治連盟に、それぞれ一〇万円から五〇万円ずつ配られている。
次に、土地改良人自由国民会議の政治資金収支報告書を調べてみる。平成七
年度収入は六四二四万円(前年度繰り越しを含め七〇〇〇万円)。妙なこと
に、この収入の大部分に当たる六四二〇万八〇〇〇円が、自由民主党の政治資
金団体である自由国民会議から入っている。そのうち約二二〇〇万円が、全国
土地改良政治連盟(一二一四万円)、宮崎県農業農村建設政治連盟(三八〇万
円)、自由民主党福岡県土地改良支部(一七四万円)、自由民主党岩手県土地
改良支部(一三九万二〇〇〇円)などに配られている。
カネの流れは、きわめて複雑だ。土地改良人自由国民会議という団体は事務
経費ゼロ。どうやら自民党の政治資金団体から金を受け取って、地方の自民党
「土地連」一家に配っているトンネル団体のようだ。
さらに妙なことが出てきた。全国土地改良政治連盟の前述以外の支出である
四五一三万六〇〇〇円は、自由国民会議への立替金とされている。ところが、
自由国民会議の収支報告書にはこれについて影も形も出てこない。
自由国民会議からの収入として記載されている六四二〇万八〇〇〇円のう
ち、四五一三万六〇〇〇円が未収であるということが考えられる。かりに、そ
の未収分を立て替えという形で計上したとしても、自由国民会議の収支報告に
は、実際に支払った金額と立て替えてもらった金額が計上されなければならな
いはずだ。しかし、その計上もなされていない。今日に至るも修正もされてい
ない。四五一三万六〇〇〇円がどこかに消えてしまっているのである。旧自治
省も、私の国会での追及に違法の疑いを認めた。
冒頭に述べたように、農水省は参院選の比例区で事務官と技官の二人を当選
させてきた。ところが、平成一〇年の参院選で「異変」が起きた。恒例となっ
ていた事務官のトップ、次官経験者の立候補が実現しなかったのである。原因
は、その六年前の平成四年選挙のさいの名簿順位が、岡部氏五位、大河原氏一
〇位と、それまでとは逆転したことにあるといわれている。
このことが事務官のプライドを傷つけた。大河原氏は平成六年に成立した村
山富市内閣の農相に起用されたほどの大物だ。その大河原氏が、構造改善局次
長にすぎなかった岡部氏の後塵を拝することに、事務官たちは我慢ができなか
ったに違いない。このため後継者選びは難航した。
大河原氏が引退を表明し、何人かの候補者が浮上したが、いつの間にか消え
た。迷走を続けた揚げ句、元農水省農蚕園芸局長の日出英輔氏に落ち着いた
が、次官を出す伝統は絶たれてしまった。こうした事務官の自民党に対する抵
抗をよそ目に、技官の方は早々と後継者を決めていた。技官トップの構造改善
局次長だった佐藤昭郎氏である。自民党候補者名簿の順位は、佐藤氏八位で、
日出氏は九位。この選挙でも技官は事務官に勝った。この技官の勝利こそ、農
業土木をめぐる政官業癒着が健在であることを示している。
農地拡大のご褒美としてもらった夢の橋
補助金を受けるために求められるのは、基本的には官僚への忠誠心である。
ここで、官僚への忠義だてによって生まれた想像もできないようなケースを一
つ紹介しょう。とは言っても無数にある類似のケースの中のひとつで、これだ
けを採りあげるのははばかられるのだが……。それは鹿児島県最北端の東町に
かかった伊唐大橋である。
東町は、八代海(不知火海)に浮かぶ一八の島々で構成される島の町で、町
役場は長島にある。伊唐島は、長島の北東に浮かぶ面積約三七〇ヘクタール、
周囲一八キロの小島で、約一二〇戸、三〇〇人が住んでいる。じゃがいもの産
地として知られ、東京や大阪にも出荷している。
伊唐大橋は全長六七五メートルで、平成八年八月に開通した。着工以来、六
年かけ、総工費は一二三億円にのぼった。つまり、伊唐島の住民一世帯につき
一億円以上のカネが注ぎ込まれた計算になる。東町も鹿児島県も財政が豊かな
わけではない。それなのにどうして、この橋が架かったのだろうか。
建造費の内訳は、国が五〇%、県が約四九%、町は約一%となっている。県
はその拠出額の九五%について地方債を発行した。つまり、大半を借金で賄っ
たのである。その借金の元利返済額の八割は、地方交付税があてられる。地方
交付税は本来、一定の配分方式で地方自治体に配分する金だから、すべての都
道府県・市町村が少額ずつ損をしていることになる。その分、鹿児島県は得を
したことになる。
橋の紹介看板には「農林漁業用揮発油税財源振替農道整備事業」とある。揮
発油税(ガソリン税)は本来、旧建設省所管の特定財源として道路特会に入れ
られる。しかし、農水省はその一部は農機具用ガソリンからの税収だとして、
農家に還元すると主張。その分の使途は農水省が決めることになったという経
緯がある。
地方交付税、特会など、財政のからくりをフルに利用して、この「夢の橋」
ができた。通行量は、計画段階では一日五〇〇〜一五〇〇台とされていたが、
開通後の実測では、平均三〇〇台程度しかない。一時間に一二台強、五分に一
台が通るだけということになる。
東町が伊唐大橋をかけたいと陳情し始めたのは一九七〇年代だった。一九八
〇年代に入ると、橋を架けるには「農道橋」しかないと、陳情の対象を農水省
に絞った。すると、農水省の側から、島の農地を増やせば「農産物を運ぶ橋」
として説得材料になるという示唆があった。 東町は伊唐島の農家に、橋を架
けるための農地拡大を呼びかけた。当初は三割が反対だった。「橋はありがた
いが、労力と金銭の負担が増える」「農地を増やされても、年寄りばかりで担
い手がいない」という理由だった。
最終的には町職員が説得に回り、全世帯に協力させた。島の農地面積は、九
〇ヘクタールから一七一ヘクタールへと、倍近くに拡大した。伊唐島の住民
は、農業を見捨てず、逆に農地を拡大した。農水省という「お上」に忠実だっ
たのである。そのご褒美として、農道橋というプレゼントをもらったのだ。
旧国土庁は平成一〇年、全国の離島架橋の投資効果を分厚いリポートにまと
めたが、その中に伊唐大橋の利点も強調されている。「島の農地面積は、造成
前の九〇ヘクタールと合わせて一七一ヘクタールとなりほぼ一〇〇%作付けさ
れている」という記述だ。橋をかけさせるための戦術が、逆に橋によるメリッ
トとされているのである。
平成七年には、東町の女子高生が、橋の建造が進んでいることに感謝する作
文を書き、国税庁の「税を知る週間」作文コンクールに応募した。そして、
「一本の橋が欲しい。国民の方々が納めてくださった税金のおかげで、伊唐島
の人の生活は必ず変わります」という文章で国税庁長官賞を射止めた。
こうして「夢の橋」伊唐大橋を肯定する神話がどんどん作られていくのであ
る。
第一章 第三節 ここまで 第一章ここまで。次は第二章
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