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世に倦む日日
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郷原信郎への反論 − 事件認識の勘違い、法律解釈の詭弁と逸脱
フォーラム神保町の討論会にも飛び入り参加した郷原信郎の主張について、バランスのとれた議論だと評価する声も一部にあるが、私はそのようには思わない。法律論としては相当にバイアスのかかった議論であり、今度の事件の認識についても正鵠を射た見方が示されているとは言えない。基本的に大きな勘違いをしている。郷原信郎の議論は、この領域の専門家が小沢擁護の立場で発言していて、マスコミ全体が検察のアンプとなりスピーカーとなっている現状では、その言論の意味はきわめて大きいが、議論の中身に立ち入ると首を傾げざるを得ない主張が縷々並べられている。結論から言えば、郷原信郎の議論がバランスのとれた議論なのではなく、小沢一郎寄りにアンバランスな郷原信郎の議論が、検察寄りに過度にアンバランスなマスコミの主張と相殺されて、どうにかこの事件の言論状況に均衡を与える一助となっているというのが正確な表現だろう。その点で郷原信郎の言論には価値がある。しかし、議論そのもののアンバランスはアンバランスであり、元検事の専門家による検察批判だから中身も正論だと両手を上げて礼賛することはできない。
郷原信郎は、『「ガダルカナル化」する特捜捜査』と題した論説の中で、「特捜部の捜査は、戦略目的も定まらないまま、兵力を逐次投入して、米国軍の十字砲火の中に白兵銃剣突撃を繰り返して膨大な戦死者を出し、太平洋戦争の戦局悪化への転換点となったガダルカナル戦に似た様相を呈している」と言っている。3/15の討論会では、佐藤優が「ガダルカナル的戦況に陥っているのは民主党の方だ」と言い、対立する二人の間で若干のやり取りがあった。郷原信郎は「戦略目的も定まらないま」と言っているが、私はこれは根本的な勘違いだと思う。郷原信郎が勘違いをしているのは、検察の動きを単に司法の論理だけで見ていて、公判や審理や判決のパースペクティブで捜査を判断しているからである。検察の戦略目的は逮捕した小沢一郎の秘書に有罪判決を与えることではない。公判を検察の有利に進めて裁判に勝利することではない。一審判決が出るのは数年先のことであり、一審で無罪判決が出ても検察は控訴する。二審が無罪になっても検察は上告する。最終審で結審する頃、小沢一郎も麻生首相も検察幹部も、全ての関係者が過去の人になっている。これは司法ではなく政治の戦いである。
戦略目的はただ一つ、小沢一郎の代表辞任であり、民主党の党内を混乱に追い込み、支持率を下落させ、民主党の選挙戦を不利にすることに尽きる。大久保隆規を起訴に持ち込めれば、小沢一郎は辞任を余儀なくされる。戦略目的はそこで達成される。起訴したとき、マスコミは検察ではなく小沢一郎を徹底攻撃するのであり、起訴立件の不当性を主張する新聞はない。せいぜいワイドショーの一部の論者に止まる。起訴が民主党に壊滅的な打撃を与え、衆院選での政権交代を阻めば、一審の公判も検察のペースで進む展開が導かれるだろう。郷原信郎は、二階俊博側への検察の捜査が立ち往生している現状について、「政治資金規正法違反の事実が構成できず刑事責任が問えない」と言い、立件の無理と捜査の設計ミスを指摘しているが、これは誤解である。単に官邸(麻生・漆間)が中断の指令を出しているに過ぎない。世論の動向を見て、検察の捜査の不公正に対する批判が高まれば、また捜査を再開する。検察と官邸にとって獲物は小沢一郎の代表辞任であり、目的は選挙であり、二階俊博への捜査は世論対策の見せかけである。司法的な論理や事情によって二階俊博への捜査が滞ったのではない。政治の論理で捜査の順番を小沢一郎に絞ったのである。
二階俊博側への今後の捜査がどうなるのか、現時点では全く予測できないし、ほとんど期待できないと見るのが大方だが、「政治資金規正法違反の事実が構成できず刑事責任が問えない」とする郷原信郎の主張は極論で、当を得た法的認識とは言えない。捜査の中で二階俊博に裏金を渡した土建会社関係者の証言を取り、裏金の受け渡しの日時を特定し、裏金の目的を特定し、金の流れを示す証拠を押さえれば、政党または資金管理団体以外に対して寄附をしてはならないと規定した政治資金規正法違反の事実を構成できる。郷原信郎は、裏献金の場合、「政治資金の宛先」が特定できないので違法行為として事実を構成できないと論じているが、これは詭弁の法律解釈であり、「政治資金の宛先」は裏金を渡した関係者の証言で十分に特定が可能だし、裏献金の目的は工事受注の見返り以外にない。規正法は、企業献金については政党支部への献金だけを合法としているのであり、それ以外の場合は違法である。郷原信郎の議論を単純に延長すると、賄賂の政治献金を企業がするときは、政治団体を使ったり、パーティ券を買ったりする面倒な手口ではなく、裏金を渡すのが最も抜け穴として完璧で違法性がないと言っているのと同じで、根本的に規正法の主旨を否定する視座が顕著である。
次に、小沢一郎の秘書逮捕の件に関する郷原信郎の議論だが、問題発生の当初から郷原信郎が一貫して行っている立論が、「『迂回献金』は、政治資金の寄附行為者の開示だけが義務づけられ、資金の拠出者の開示を求めていない現在の政治資金規正法上は違法ではない」という「迂回献金合法論」である。この主張は妥当と言えるのか。この主張の論理も、二階俊博の裏献金を合法だとする論理と本質的に同じで、政治資金規正法の抜け穴を正当化する理由を探し、違法行為を合法であると無理やりこじつける詭弁である。裁判の審理でどのような攻防になるかは分からないが、規正法が資金の拠出者の開示を要求していないからと言って、それが迂回献金の行為を合法化する根拠になるとは言えないはずだ。政治団体に寄付をする資金拠出者には善意の個人が多くいて、法律が資金拠出者の開示を求めないのは、善意の個人による善意の政治参加が前提されているからである。ダミーの政治団体を作って迂回献金する所業は、こうした法律の前提を踏み躙り逆手に取る悪質で不当な行為であり、「政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない」と法律の基本理念を規定した政治資金規正法第2条に明らかに違反している。
検察の情報では、逮捕された秘書の大久保隆規は、自ら西松建設に指示してダミーの政治団体から陸山会に政治献金を入れさせている。政党支部の分はいくら、陸山会の分はいくらと、細かく金額の割り振りまで西松建設側に指示している。こうしたダミー団体による迂回献金が違法にならないのなら、規正法第2条に意味はなく、政治資金規正法は何も実体のない法律になってしまう。郷原信郎の議論は、政治資金規正法のザル法的実態を抉出する規正法批判の点では正論だが、ザル法だから違法行為はそもそも摘発困難で、罰則の適用など不可能だとする論法は本末転倒した暴論であり、法律の専門家による法律の理念と精神の破壊の主張に他ならない。郷原信郎に従えば、要するに何でもやり放題で、あらゆる不当で不正な迂回献金が合法化されてしまい、政治資金規正法は真っ黒な裏金をマネーロンダリングする法律になってしまう。確かに政治資金規正法には不備があり、法律のスペックに大穴が開いている。けれども、司法当局の適切な取締と監視によって抜け穴を塞ぐことはできるのであり、法の網の目を粗くするのも密にするのも適用如何で決まるのである。大事なことは法律の目的を達成することであり、法の適用を通じて社会正義を実現することである。法曹の専門家は、小手先の解釈を弄るのではなく、法律の理念と大義の立場で事件を論じる必要がある。
郷原信郎は、結論として、検察は大久保隆規を立件できないと言っている。公判の維持が困難だという見方を述べている。私は、石井一が悲観的な見通しを述べたとおり、検察は立件すると予想している。政治資金規正法違反だけでなく斡旋利得処罰法違反の再逮捕と起訴もあると考えている。郷原信郎と私の見解が相違するのは、法律知識の問題ではなく、検察の戦略目的は何かという、この事件に対する根本的な認識と判断の違いから来るものだ。今回の常軌を逸した検察の政治捜査は、政治捜査を貫徹して政治立件することで無理を強引に押し通すことができる。小沢秘書を立件しなければ検察は敗北する。だから、無理やり検事を地方から動員して態勢を敷き、東北の土建会社をローラー作戦で虱潰しにして、公共工事に関する小沢一郎事務所の違法行為を探し回っているのである。私は、検察は隠し玉を持っていると思う。マスコミにはリークされていない事件の核心部分がある。それは起訴のときに出るか、冒頭陳述のときに出るだろう。陸山会の政治資金収支報告書に記載されている政治団体というのは、確か5団体か6団体で、そのうち2団体が西松建設のダミー団体であり、その点が特に注目を惹いた。小沢一郎は、なぜ西松建設の献金だけを陸山会に入れさせていたのだろう。他の土建業者はすべて岩手の政党支部に献金させていたはずだ。西松建設だけを会計上特別に扱ったために、そこで運悪く規正法に引っかかって御用になったが、何か理由があるはずだ。
検察が秘書を逮捕して供述させようとした裏もそこにあるだろう。その情報はまだ表に出ていない。
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