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(回答先: 映画 震える舌 1980年 松竹 投稿者 中川隆 日時 2016 年 4 月 28 日 23:42:49)
中川信夫 『東海道四谷怪談』 1959年 新東宝
監督 中川信夫
脚本
大貫正義
石川義寛
原作 鶴屋南北
キャスト
民谷伊右衛門: 天知茂
お岩: 若杉嘉津子
お袖: 北沢典子
直助: 江見俊太郎
お梅: 池内淳子
評価
『映画評論』1959年8月号における佐藤重臣の作品評が、最も早く書かれた批評である[20]。佐藤は「中川信夫のお化け映画は、ひとつの定評がある」と中川恐怖映画に当時ある一定の人気があったことを紹介しながら、そうした作品の中でも「快心の作」「「新東宝という紙芝居下請工場に完全に埋没してしまった筈の中川信夫が、こんな形で執念の世界をヒッサゲテくるとは」「日本のシュル(シュール)の伝統は、いまや再生運動をおこし始めている」と、本作が際立った傑作であると絶賛している[20]。
『映画評論』1966年10月号特集「怪奇と幻想映画展」において、「怪奇映画二十選」第4位[21]。選者は澁澤龍彦、山崎忠昭、石上三登志、赤坂のバー「カミーラ」の女主人(原文ママ。氏名不詳)、佐藤重臣らが結成した「怪奇映画クラブ」である[22]。佐藤重臣は同特集『選考記』において本作品を「日本映画では世界に誇れる唯一のもの」と評している[23]。
上位3作品は、
1位=『吸血鬼ドラキュラ』(テレンス・フィッシャー監督)
2位=『血とバラ』(ロジェ・ヴァディム監督)
3位=『怪人マブセの挑戦』(ハロルド・スタイン監督)
であり、本作品は第5位の『悪魔のような女』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)よりも上位に位置している[21]。なお『地獄』は23位である[21]。
映画評論1974年10月号「怪奇映画ベストテン」第1位。
滝沢一『再評価されるべき「東海道四谷怪談」』[24]。
淀川長治は蓮實重彦、山田宏一との対談『映画千夜一夜』において「『四谷怪談』いうもん自身がいいが、今までつくられてきた中では中川信夫のが一番よかったな」と語っている[25]。
中川信夫に関する多くの文章を残した桂千穂は、中川へのインタビューにおいて「他の映画(※中川作品)が無くなってもこの『(東海道)四谷怪談』だけは残ると思います」と語って中川を感動させた[26]。
キネマ旬報『オールタイム・ベスト 映画遺産200』日本映画106位[27]。
黒沢清『ホラー映画ベスト 50』第10位[28]。寸評で本作品を「ホラー映画の基本をきっちり守ったお手本」と評している[28]。ただし黒沢は、同ベスト50では大映版を第7位にランキングしており「お岩さんもので何と言ってもいちばんこわいのがこれ」と絶賛している[29]。
三島由紀夫は本作品で伊右衛門を演じた天知茂にぞっこん惚れ込んだ。三島は天知伊右衛門について「近代味を漂わせたみごとな伊右衛門」と絶賛し[30]、後の自作戯曲の舞台化『黒蜥蜴』(1968年)において「このダンディ、この理智の人、この永遠の恋人」である主人公・明智小五郎役に天知を抜擢する契機となった[30]。三島は『黒蜥蜴』初演のプログラムにおいて、天知について「(『東海道四谷怪談』以来)夙に私は君のファンになっていたのであった」とラブコールを捧げている[30]。また、『黒蜥蜴』の共演者である美輪明宏は、『東海道四谷怪談』における天知の演技が『黒蜥蜴』の明智小五郎役につながったように、『黒蜥蜴』で天知が演じた明智小五郎のイメージは、そのまま後の人気テレビシリーズ『江戸川乱歩の美女シリーズ』へと受け継がれていることを指摘し、天知の演技者としての原点は『東海道四谷怪談』にあると語っている[31]。
フランシス・フォード・コッポラ監督は、本作を「世界のオカルト映画の中で最高傑作だ」と高く評価している[32]。
もともとは主役の民谷伊右衛門には、嵐寛寿郎が配役される予定だった(予算表には嵐の名がある)が、「イメージが違うから」とのことで代わりを探すことになり、次に丹波哲郎に決まった。が、脚本を書いた石川義寛助監督が「冗談じゃない、全然下手で話にならないからと、中川監督と相談して引きずり落した」という。石川は代わって天知茂を推薦。天知はこの頃まだ主演経験は少なかったが、まじめな人柄と、昭和33年の『憲兵と幽霊』でよく演っていたということで、石川は天知を推したと語っている[14]。
嵐の降板について天知は、同時期に大映が三隅研次監督、長谷川一夫主演でカラー作品『四谷怪談』の撮影に入ったことが判明、しかも公開日時も同じ1959年7月1日という競作状態になったため、長谷川一夫対嵐寛寿郎の対決になって新東宝の看板俳優である嵐を傷つけることを大蔵が恐れ、既に直助役に配役されていた天知茂を伊右衛門役につけ、直助役には江見俊太郎を配役したとしている[15]。また天知は、嵐が配役される以前から、自分に伊右衛門をやらせてくれと大蔵と中川に直訴したと語っている[15]。また、嵐寛寿郎降板後、一時期天知が伊右衛門と直助の二役を演じるという案が会社側から出されていた[15]。
江見はもともと現代劇俳優であり、時代劇である本作での起用は異色だった。冒頭で殺しをした伊右衛門に直助が擦り寄るが、毛利監督版で同じ直助を演じた田中春男が警戒して少し下がってから擦り寄るところ、江見はただ前進するだけである。高村洋三(高橋勝二)は「その(現代劇の)江見ちゃんらしさを、中川さんはケツまで持ってってる」と表現している。
また、天知の伊右衛門が狂乱する場面では「1対2」という立ち回りのため、高村洋三が殺陣をつけた。高村は「天知はそれ以前から立ち回りの稽古に出てきたりしてたから、僕たちにしても何とかしてやりたいって気持ちがあるし、彼も必死だったね」と述懐している。
お岩役には『毒婦高橋お伝』など年1本ペースで中川作品に出演している若杉嘉津子が抜擢された。お岩のメイクがおどろおどろしいが、高村洋三は「若杉さんは別に嫌がってなかったよ。それに失礼だけど、女優としてはそんなに二枚目じゃないからね」としており、また新東宝での序列は上位の、若杉によるお岩役については、「他にいなかったからね、だから敵役をあえて若杉さんは演ったんじゃないかね。役者としても、やっぱり出られることの喜びじゃないかな。それに主役だしね。中川さんがやってくれるっていうのもあったしね」と語っている[16]。
池内淳子が伊右衛門の運命を狂わせるお梅役で出演しているが、池内は、のちに1965年(昭和40年)、豊田四郎監督の『四谷怪談』(東京映画製作、東宝配給)では、お袖(豊田監督作品での表記は「おそで」)役で出演した[17]。
原作との比較
原作は『仮名手本忠臣蔵』の一挿話であり民谷伊右衛門は塩冶(赤穂)浪人だが、本作では備前岡山藩に舞台が移され赤穂事件との関連は一切省略されている。
四谷左門殺害の犯人は、本作では御金蔵破りをした藩士に被せる形とされている。
佐藤与茂七は、原作では塩冶浪士の一人として江戸へ出て、地獄宿で春を売っているお袖と偶然出会い更に直助とも出会ったために命を狙われるが、本作では伊右衛門一行の一人として江戸へ向かい、曾我兄弟の墓の近くにある白糸の滝に、直助と伊右衛門によって突き落とされる。
小仏小平が本作には登場しない。小平の代わりにお岩とともに戸板にくくりつけられ隠亡堀に捨てられるのは、本作では宅悦になっている。したがって伊右衛門が渡された毒薬の包みを小平が盗もうとして押し入れに閉じ込められるエピソードも本作にはない。ちなみに本作で宅悦が発する呪いの言葉は「旦那、お金を下さい」。伊右衛門にお岩強姦を依頼された宅悦が手に入れるべき報酬のことである。
原作の三角屋敷に相当する直助とお袖の小屋の場面があるが、本作ではお袖は葦原の中でお岩と出会うなど随所に映画的なアレンジが施されている。
お岩の亡霊が伊右衛門の悪仲間を次々と始末していく原作の見せ場の一つが、伊右衛門を悪に徹しきれない弱い人間として性格づけたせいか一切映画では省かれている。したがって仏壇返しの仕掛けも、伊右衛門が地面に置いた傘を頭上に掲げると、それにつられるようにしてお岩の亡霊が現れる場面も本作にはない。仏壇返しに相当する大がかりな仕掛けは、亡霊に取り憑かれた伊右衛門が蛇山寺本堂の阿弥陀像に祈ると、その阿弥陀像が伊右衛門を見捨てるように彼から遠ざかっていく幻想場面で生かされている。
本作は結末で伊右衛門がお袖と与茂七の襲撃を受けるところまでは原作と同じだが、その後の展開が大きく異なっていて、伊右衛門はお袖が突き出した脇差を持つ手をつかみ、自らの手でそれを腹に突き刺すという、自刃とも見える結末になっている。また死ぬ間際に伊右衛門は「お岩、許せ」と謝罪する。天知茂はこうした伊右衛門の性格づけを「現代の若者にも共通する、悪の一点張りではない人間の弱さと脆さ」と語っている[19]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87_(1959%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
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