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現生人類の起源
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投稿者 中川隆 日時 2017 年 6 月 16 日 12:36:08: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


人類の発祥地
https://www.taizanweb.com/science/human/birthplace.php


大地溝帯
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アフリカ大陸を南北に縦断する大地溝帯(Great Rift Valley)。複数の巨大湖と豊かな草原や森に囲まれ、様々な動植物を育んできたこの大地溝帯は、世界で最も過酷な地域でもあります。約3,500万年前、エチオピアの地中深く、地球の核に近い地下3.200km地点。極度の熱と圧力が、液状の岩石を地表に向けて押し上げました。マントルは、地殻に沿って広がり、大地は引き裂かれました。大地溝帯はその名残なのです。

荒れ果てた大地、ミネラルを大量に含んだ地下水、炭酸ナトリウムが溶け込んだ強アルカリ性の湖水。しかし、人間には猛毒の湖水に藻が大量発生し、有機栄養素の豊富な湖に大量の魚が生息するようになります。石灰質の大地には草原が広がって草食動物を育み、それを狙って肉食動物が繁殖します。皮肉な事に、猛威を振るった大自然の強大な力が、草原や森を生み出し、動植物を育んでいるのです。

現生人類共通先祖の発祥地トゥルカナ湖
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その大地溝帯の中にあるトゥルカナ湖 (Lake Turkana)。
ここが我々現生人類共通先祖の発祥地です。

この湖は広さが琵琶湖の10倍もあり、中央にはナビヨトゥム火山が突き出ています。水質はアルカリ性で、捕り切れない程の魚が繁殖し、水辺を求めてやってくる動物たちの楽園になっています。

65,000年前、mDNA Eve 族は、この湖畔の北東部(エチオピア領)で漁猟採集をしながら暮らしていました。

アフリカ全土を襲った大干ばつも、漁猟採集民族だけはあまり影響を受けなかったのです。

ここで、中央アフリカの森林地帯から脱出して来た Y-DNA Adame と出会います。

狩猟民族と漁猟民族の合体が功を奏したのでしょう。
唯一、この一族だけが生き残り現代人に繋がります。
https://www.taizanweb.com/science/human/birthplace.php

人類の不思議
https://www.taizanweb.com/science/human/special.php


人類は何故、大地溝帯だけで発祥するのか

大地溝帯は、487±23万年前にヒトがチンパンジー亜族と分岐して以来、多くのヒト亜族(人類)を生み出してきました。現在発掘されるヒト亜族の人骨化石は、そのほとんどが大地溝帯周辺から発見されています。

現生人類以外は全て滅んでしまいましたが、なぜ、大地溝帯だけで人類が発生するのでしょうか?


それは、豊富な食料と、マントルから発生する自然界の20倍もの放射線に原因があるようです。ライオンの長いたてがみ、象の長い鼻、キリンの長い首。そして人類の二足走行。大地溝帯には、生物の目的要求に答えて、進化を促進する条件が整っているのです。

象は癌に成り難い

一般的に、体が大きく細胞数が多いほど癌にかかる確率が高いと考えられます。人も身長が高くなれば体も大きくなり、身長が10cm高くなる毎に、癌になるリスクが16%増加するという研究報告も出ています。

では何故、体が大きくて細胞も多い象は、人よりも癌に成り難いのでしょうか。
生物には、紫外線や放射線などの遺伝子ストレスに対応し、DNA 修復タンパク質を量産する機能があります。人は癌抑制遺伝子 p53 をコードする遺伝子が2種類ありますが、象には38種類もあり、ヒトよりもはるかに癌に成り難いというのです。


象は、ヒトよりも大地溝帯の放射線を長期間浴びてきた結果、癌への抵抗力を身につけたのかも知れません。

人類の狩猟行動が二足走行を生み出した

象の長い鼻、キリンの長い首。動物は、食糧を得る為の進化を最優先します。

15±5万年前、地上に降りた人類は、初め動物の死肉を漁っていたと思われます。

その後、自ら動物を狩る様になります。捕食される側から捕食する側への転換です。

人類の初期の狩猟も、他の肉食動物と同様に、獲物が疲れて動けなくなるまで追い駆ける方法だったと思われます。人類は、種に合った狩猟方法として、持久力に優れた二足走法を発達させたと考えられます。

狩猟は集団行動を生み、相手の考えを読み取る能力と意思疎通のための言語を発達させ、同時に脳の活性化を促しました。

人類が衣服を着た日

ヒトの衣服に寄宿するコロモジラミ(Pediculus humanus corporis)は、約7万年前に毛髪に寄宿するアタマジラミ(Pediculus humanus capitis)から分岐して、人類の移動と共に世界中に拡散したようです。言い換えれば、約7万年前に人が衣服を着るようになり、環境に応じてコロモジラミが分岐したと考えられます。

7万年前は、インドネシアのトバ火山が噴火した時期と重なります。人類がこの10万年間に遭遇した最大の噴火で、インド大陸は厚さ2mの火山灰に覆われ、大気中に巻き上げられた火山灰が日光を遮断し、地球の気温は5℃も下がりました。この寒冷化はおよそ6000年間続いたとされています。

現生人類とネアンデルタール人の交配


ネアンデルタール人
https://www.taizanweb.com/science/human/special.php

ネアンデルタール人は、67±2万年前に誕生して 2万8,000〜2万4,000年前に絶滅したと考えられており、約6万年前に出アフリカをした現生人類と生存時期が重なります。

各地で発見されたネアンデルタール人の遺跡からは、ヨーロッパから中央アジアの山岳地帯に分布し、主に山の麓の洞窟に居住して狩猟生活をしていた様子が伺えます

肌は白く、男性は身長160cm 体重90kgと、当時の現生人類の男性(身長140〜150cm)に比べるとかなり大きく屈強な体躯の持ち主だったようです。

(水色:ネアンデルタール人の生息地。斜線:人類の生息地と重なった地域。赤:デニソワ人)
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約40万年前に出アフリカをしたネアンデルタール人。その遺跡からは、洞窟住居、洞窟壁画、炉、石器、他に埋葬の習慣も確認されており、アフリカを出て間もない現生人類との文化の差は著しかったと思われます。

A の一部にしか過ぎなかった出アフリカ組は、中東でネアンデルタール人の文化と形質を多く受け継いだ CF と、ほとんど受け継がなかった DE に二分化した可能性が示唆されています。


CF から分岐した F は メソポタミアに定住し、突然、白肌・大柄・赤毛・金髪・碧眼など現代欧米人の形質を生み出します。

一方、C は D と共にインド大陸・東南アジアへ移動して行きます。E は地中海から北アフリカに展開した後、アフリカに戻ります。


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現生人類とネアンデルタール人の交配があったかどうか長い論議が続いて来ましたが、最近、現生人類には 1〜4%のネアンデルタール人由来の遺伝子が含まれているとの研究結果が出されています。

2013年11月8日に発表された「The Journal of Biological Chemistry」のHLA抗原・免疫システム解析報告も、ネアンデルタール人との交配説を補強するものになりました。

病原体が侵入すると、ヒト白血球抗原 (HLA) 系は、特定の遺伝子の助けを借りて、"HLA-DRaDPb"という受容体を作ります。ヨーロッパの3人に2人はこの重要な器官を持っていると推定していますが、人類発祥の地と知られているアフリカ南部の住民の間ではこの受容体をつくるのに必要な遺伝子塩基配列が非常に稀なのです。

つまり、現生人類の祖先にあたる初期の人間がヨーロッパに移動してきた頃には、まだこの受容体を持っていなかった。そして、その遺伝子塩基配列は、ネアンデルタール人の骨の小片に見出されます。

多くの動物は、両親からそれぞれ1セット、合計2セットのゲノムを受け取ります。これは、各遺伝子座について2個の遺伝子(対立遺伝子)を持っている事を意味します。両親から同じ対立遺伝子を引き継いだ状態をホモ接合、異なる対立遺伝子を引き継いだ状態をヘテロ接合と呼びます。つまり、ホモ接合は交配の割合が低く、ヘテロ接合は交配の割合が高い状態を表しています。

その中で、DPB1*0401対立遺伝子は、アフリカ南部で稀、北欧で高頻度になっています。Lys-69とGGPM-(84-87)はネアンデルタール人起源の遺伝子で、本来の現生人類には無かったものです。

もう一つ注目すべき点は、この対立遺伝子がアフリカ・東アジア・オーストラリア・メラネシア・南米で極めて低めになっている事です。

デニソワ人

デニソワ人は、約64万年前にネアンデルタール人から分岐して、4万1,000年前にシベリア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟に住んでいた化石人類です。最終氷期が終焉に向かい寒冷地の動物が激減する中で、狩猟から農耕に切り替えられなかったネアンデルタール人やデニソワ人は絶滅してしまいます。

身体的特徴は交配によって伝わり、文化は交流によって伝わります。孤立して異文化との交流が絶たれたアンダマン諸島やメラネシアの住民が、今でもほとんどアフリカを出たばかりの状態にあるのはその為です。

5万年前にバイカル湖に到達した C, D も、中東でネアンデルタール人との交配が低かった為に、ほとんどアフリカを出たばかりの状態だったと思われます。その C, D が バイカル湖やアルタイ地方でいきなり世界最高峰の文化圏を築きます。これも、アルタイ地方でデニソワ人との交配や交流があったと考えれば、納得がいきます。

人骨化石を分析すると、現生人類の手は、ネアンデルタール人やデニソワ人の手よりも器用に出来ているようです。アジア人の髪の直毛やチベット族の高地適応能力もデニソワ人との交配の結果かも知れません。

クロマニヨン人

ヨーロッパで出土する、4万〜1万年前の人類化石につけられた名称で、身長約180pのコーカソイド系化石現生人類。発掘された人骨から Y-DNA F系と mtDNA N系が確認され、コーカソイドの直接の祖先もしくはその支流と考えられています。すでに、精密な石器や道具を製作し優れた洞窟壁画や彫刻、死者の埋葬・呪術を行なうなど、進んだ文化を持っていました。

港川人

沖縄県・港川で発見された、約1万7,000年前から8,000年前頃の人骨化石。身長は男性153〜155cm、女性144cm。全体的に小柄で胴長短足。形態がオーストラリア先住民やニューギニアの集団に近く、Y-DNA C1系と思われます。

上洞人

上洞人(じょうどうじん)は、中国・北京郊外の竜骨山の頂上付近で発見された老若男女7体分の化石人骨。ヨーロッパのクロマニョン人と同時期のもので、身長・脳容量は男女とも港川人・縄文人よりはるかに大きい。原始的なモンゴロイドの形質を示し、固体別にはクロマニョン人、メラネシア人、エスキモーの特徴がみられ、デニソワ人との交配が指摘されます。

太平洋戦争中に、北京原人の化石とともに北京にある米軍の兵営に運び込まれた後に行方不明になりました。

YAP系の特異性

ハプログループ DE は、Y-染色体の長腕部に、YAP(ヤップ、Y-chromosome Alu Polymorphism)と呼ばれる約300の塩基からなる Alu 配列が挿入されている多型です。古代に起きたこの変異の痕跡は、本来なら tRNA(トランスファーRNA)や rRNA(リボソームRNA)などの RNA に転写されなけらばならないのが、何らかの要因で Y-DNA に挿入されてしまったものです。YAP 変異を持つ系統は、世界でも DE, D, E の系統に限られます。

約6万5,000年前に、東アフリカのトゥルカナ湖東北部に住んでいた一人の男性にこの変異が起こり、これが DE系の起源になります。この変異が、人体にどんな影響を及ぼしているのかは解っていません。

D系の不思議な行動

日本人・チベット族の先祖 D系は、DE 譲りの真黒の肌でした。アフリカ人より黒かったのです。その D系は、E系をアフリカに残し、6万年前に早々とアフリカを出ます。以後常に行動を共にする C系と、中東・インド大陸・東南アジアに子孫を残しながら横断します。灼熱の赤道沿いを移動して来た D系は、スンダランドには目もくれず、一転して北上を始め、東シナ海から中国大陸・日本列島へ渡り、少なくとも5万年前にはチベットとバイカル湖畔に到達しています。

紫外線に弱い白人の I系(ノルマン民族)が氷河を超えて北ヨーロッパに移動したのは理解できるとしても、灼熱の赤道直下の生活に特化した D系が極寒のシベリアに移動したのには、如何なる理由があったのでしょうか。

また、最終氷期が終了して、それまで常に行動を共にしてきた C系がシベリアから中央アジアや北米大陸へと拡散したのに対して、D系はその痕跡があまり見られません・・・。

ドラヴィダ族の謎

Y-DNA L の分布
https://www.taizanweb.com/asets/images/science/human/dna_map/L.jpg


メソポタミア地方から中央アジア付近にかけて発生したドラヴィダ族 L は、C系の小柄・巻き毛・大きな目のネグリート体質を受けついだようです。その為、DNA の観点からは古モンゴロイドに分類されています。ドラヴィダ族は、ネアンデルタール人との接触に端を発した石器革命で、人類史上初めての農耕民族の道を進み、メソポタミア・インド・東南アジア・東アジアに広く拡散し世界各地に古代文明を築きます。

ドラヴィダ族は、約12,000年前に長江中流域で O1・O2系と共に稲作を開始し、9,000年前にはインダス川流域で H系と共に大麦・小麦の耕作と牛・羊・山羊の牧畜を開始しますが、約5,000年前に表舞台からこつ然と姿を消し始めます。

ドラヴィダ族は、農耕民族特有の女系社会で、それが故に、周囲の Y-DNA と置き換わり融合したと考えられます。最終的には、約3,500年前に始まった J1(アーリア人)の侵入により、南インドのタミル地方に、その古代の文化を残すのみとなります。

シュメール人の謎

シュメール人は、10,000年前にチグリス・ユーフラテス上流域で、狩猟採集生活から、大麦・小麦の栽培と牛・羊・山羊の牧畜に移行して定住し始めます。自らを"混ぜ合わされた者"と称すシュメール人は、周囲の J系の民族とは姿も言葉も文化も異なっていました。

特異な文化を築き、エジプト文明にも影響を与えたそのシュメール人も、5,000年前を境にしてこつ然と姿を消して行きます。当時、農耕のプロフェッショナルといえばドラヴィダ族しかいません。おそらくシュメール人の起源は、ドラヴィダ人の集団だったと考えられます。
https://www.taizanweb.com/science/human/special.php  

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コメント
 
1. 中川隆[-7482] koaQ7Jey 2017年6月16日 14:20:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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2. 中川隆[-7473] koaQ7Jey 2017年6月16日 22:16:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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3. 中川隆[-7438] koaQ7Jey 2017年6月18日 16:41:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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7. 中川隆[-7383] koaQ7Jey 2017年6月22日 17:18:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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9. 中川隆[-7384] koaQ7Jey 2017年6月22日 22:30:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%81%AA%E6%97%85++%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E2%80%9D%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E2%80%9D%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F


11. 中川隆[-7356] koaQ7Jey 2017年6月24日 18:11:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

サイエンスzero 農耕 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9zero+%E8%BE%B2%E8%80%95

12. 中川隆[-7355] koaQ7Jey 2017年6月24日 20:01:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

サイエンスZERO 日本人のルーツ発見! ”核DNA”が解き明かす縄文人 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9ZERO++%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E7%99%BA%E8%A6%8B%EF%BC%81+%E2%80%9D%E6%A0%B8DNA%E2%80%9D%E3%81%8C%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA

13. 中川隆[-7351] koaQ7Jey 2017年6月25日 07:10:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

赤ちゃんの言葉の発達過程から、人類の言語の登場過程を推定する
http://bbs.jinruisi.net/blog/2017/06/2877.html

胎児→乳児→幼児に成長していく過程は生命の進化過程をなぞっている。ということは、言語の登場過程を解明する鍵も、赤ん坊にある。

『赤ちゃんの進化学』(西原克成著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E8%B5%A4%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%80%8D%E3%81%AE%E9%80%B2%E5%8C%96%E5%AD%A6%E2%80%95%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%82%92%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E8%82%B2%E5%85%90%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E8%A5%BF%E5%8E%9F-%E5%85%8B%E6%88%90/dp/453106352X
http://www.kumagai-mitsue.jp/cont6/main.html

によると、赤ん坊は一歳までは身体構造上、気管と食道が分かれている。これは、サルをはじめとする哺乳動物と同じであり、身体構造的に言葉を発することができないらしい。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

胎児では、受精後、単細胞から始まって、心臓が動き出し、受精後30日ぐらいから魚類になり、両生類になり、手が生まれ、爬虫類になり、哺乳類になり、やがて刻々と人間(ヒト)になっていく。

しかし、一歳までの赤ちゃんは、ホモ・サピエンスではなく、他の哺乳類と同様の特徴をそなえている。

一歳を過ぎた頃から、赤ちゃんは段々に人間になっていき、二歳半の頃になってようやく「ホモ・サピエンスの子供」になる。

赤ちゃんは、母親の乳首に吸いついて数分間、息継ぎもせずにお乳を飲む。これは、人間以前の哺乳類に出来るが、大人の人間にはできない。つまり、大人は食べ物や飲み物を飲み込むとき息を止めるが、赤ちゃんは息を止めないでも飲み込める。

大人は、食道と気管が交差しているが、赤ちゃんは、この食道と気管が分かれていて、食道と気管がそれぞれの働きを同時にに行うことができるからである。サルやイヌ、ネコなど他の哺乳動物は、赤ちゃんと同じように、息継ぎせずに、食べ物を食べ続けることができる。ということは、赤ちゃんの身体構造は、他の哺乳動物と同じ段階にある。

成長した人間だけが他の哺乳動物と異なる喉の構造になったのは、人間が言葉を話すようになったためである。
声を発するメカニズムは、肺にある空気を、鼻ではなく、口へ向かって吐き出すことで、哺乳動物は声を発する。このとき、気管から鼻へ向かうべき空気が、喉の交差点で、口へと向かう。動物が吠えるときは喉を激しく緊張させ、かつ運動させ、気管を強引に喉の方に近づけ、食べ物の道である口につなぎ、さらに声を発する(吠える・鳴く)。これは、かなり努力を要する特別な作業である。赤ちゃんが泣くときも、全身に力をこめるほどの大変な作業をすることで泣くのである。他の哺乳動物と同じように、気管を強引に喉につなげることで泣き声を発するからである。

これが成人になると、食道と気管が喉で交差し、つながってしまうので、私たちは苦しまずに、声を発することができるのである。赤ちゃんが言葉を話すのは、構造的に無理なのである。

気管と食道が交差してある程度、人間の構造を備えてくるのが、一歳ごろだといわれている。
二歳半といえば、言葉もだいぶ話せるようになった頃であり、自分のアンヨで立って歩くことも楽にできる頃である。したがってこの時期までは、「この子は今、必死で進化の過程を歩んでいるのだ」と考えることが大切である。そして、三〜五歳ごろに脳細胞が急激に発達する。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

だとすれば、@人類が言葉を話し始めたのは赤ん坊の成長段階でいうと1歳頃に相当する。A2歳に相当する段階でかなり言葉を話せるようになり、B3〜5歳に相当する段階で急速に頭脳が発達した(言葉がしゃべれるようになっていきなり脳が発達するわけではない。おそらく、この3〜5歳の脳発達に相当するのが現生人類の数万年前の急激な知能進化→道具や壁画の進化であろう)。

赤ん坊が1歳になる前に焦点を当てると、もう一つの顕著な変化がある。

生後数ヶ月の赤ちゃんはあらゆる言語の音を聞き分けられるらしい。それが、1歳を迎える前に大きな変化が起き、自国語に応じた脳構造に変化するらしい。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「赤ちゃんは、あらゆる言語の音を聞き分けられる」

東京の赤ちゃんと シアトルの赤ちゃんについて 「ra」と「la」を聞き分けるテストを行なった所、生後6〜8ヶ月の赤ちゃんでは違いが見られなかった 。それが2ヶ月たつとアメリカの赤ちゃんは成績が良くなり 日本の赤ちゃんは悪くなる。
赤ちゃんの頭の中で言語の統計処理が行なわれており、赤ちゃんは言語の統計を吸収し それが脳を変化させる。

第2言語に接したことのないアメリカ人の赤ちゃんに、生後8〜12ヶ月の言語習得の臨界期に初めて中国語に触れさせると、10ヶ月半ずっと中国語を聞いてきた台湾の赤ちゃんに劣らぬ、良い成績になった。赤ちゃんは、新たな言語に対して統計処理をしている。何語であろうと赤ちゃんは接した言語を統計処理する。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

まとめると、こういうことになる。

一歳になるまでに、@赤ん坊の身体構造(喉)は、気管と食道が交差するようになり言葉が話せるようになる。Aそれまでは、赤ん坊はあらゆる言語の音(波動)を聞き分けられる脳機能を備えているが、生後8ヶ月〜1歳までの間に周囲で話されている言語に特化した脳構造に変化する。

原始人類が言語機能を獲得した時も同じ過程を踏んでいるはずである。

赤ん坊生まれた時が、500万年前カタワのサル=人類が登場した時だとする。3〜5歳の急激な脳の発達が10〜3万年前の現生人類だとする。それから推定すると、人類の言語機能の発達過程は次のようになる。

1歳児≒350〜300万年前に喉の気管と食道が分かれた。同時に、それまで人類はあらゆる波動を聞き分ける聴覚(脳機能)を備えていたが、言語機能に特化した聴覚(脳機能)に変わる。小脳の発達と照準力を司る左脳シフト⇒右脳の抑制制御)もこの段階で進んではず。

2歳児≒200〜100万年前の間に、かなり言葉を話せるようになり、

3〜5歳時≒10〜3万年前に急激に脳が発達し、道具や壁画が発達する。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2017/06/2877.html


14. 中川隆[-7270] koaQ7Jey 2017年7月07日 10:47:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【人類の移動】〜 人類は5万年前頃に言語を著しく発達させた!?

37万年前頃に現生人類と分岐したネアンデルタール人は、舌骨や舌下神経や脊椎神経の発達度、母音空間の広さ等、現生人類に備わっている言語を司る形態的特性をもっており、現生人類とほぼ同等に音声言語を使うことがわかってきた

このことから、人類は、ネアンデルタール人と現生人類が分岐する前の共通祖先の時代に言語機能を獲得していた。

その時期は185万年前以降。

ホモ・サピエンスとネアンデルタールの共通祖先であるホモ・ハイデルベルゲンシスがホモ・エレクトスから分岐したのが70万年前、

その祖先のホモ・エレクトスが150万年以上前に登場したと想定されているので、音声言語を獲得した一派がホモ・エレクトスとして分岐し、ホモ・ハイデルベルゲンシスが言語機能を進化させた可能性が考えられる。

現生人類は最初(約20万年前)から音声を調音して言語を発する形態的能力を備えていたので、そこからどのように言語=観念を進化させたか?


【言語の進化】7.観念機能の発達と道具の発達。人類は1.5万年前に洞窟を出てから、一気に言葉の数を増やした。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=314834

上記投稿から、「対象世界の広がり」が観念機能を発達させたとすれば、人類の移動・拡散は対象世界を広げるので、新たな環境に適応するために、祖語の音声言語を著しく発達させ、各系統固有の言語を獲得したと考えられる。

とすれば、現生人類は8万年前頃に脱アフリカから(西アジア)レバントに移動し、そのあとユーラシア大陸の各地に拡散し対象世界を大きく広げている。

そして、世界各地への拡散が著しく進んだのが、7.3万年前トバ火山および6〜4万年前クラカタウ火山爆発後であるので、(洞窟を出た1.5万年前以前の)5万年前ぐらいに現生人類は言語を著しく発達させと考えられる。

これは、約5万年前頃から、海洋技術(5万年前頃)、石器製作技術(4万年前の石刃、3.5万年前の小型石刃・精巧な骨角器)、狩猟技術(4.2万年前貝製の釣り針)、芸術感覚(3.2万年前ショーヴェ洞窟壁画)等、観念機能の飛躍的な進化を遂げていることと整合する。

そして、(統合の手順を必要とするこれほどの技術進化を踏まえると)5万年前頃に文法構築をもって言語を操る観念能力まで進化したと考えられる。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=317003


ホモ・サピエンスは、言語能力により最終氷期に適応でき、新たな環境に適応するなかで言語能力を著しく進化させたとすれば、5万年前以前に言語能力を何で獲得する必要があったのか?
 

ネアンデルタール人と(現生人類の)ホモ・サピエンスは共存し混血まである関係にあった(日経サイエンス12月号)が、両者の言語能力は(喉頭位置の違いなど)格段に違っていたらしい。

それが、7万年前からはじまる火山爆発、5万年前の隕石の衝突から、3万年前から最終氷期に突入すると、ネアンデルタール人は絶滅し、ホモ・サピエンスは移動・拡散していくなかで、新たな環境に適応するために、祖語の音声言語を著しく発達させ、各系統固有の言語を獲得し、生き残っていった。

ホモ・サピエンスは、5万年前のネアンデルタール人との共存関係段階には、すでに喉頭位置など肉体レベルの進化を遂げ言語能力を獲得していたとすれば、その要因は何か?

-------------------------------


7.4万年前:トバ・カルデラ(インドネシアのスマトラ島の大噴火)

6〜4万年前:クラカタウ火山爆発

5万年前:隕石の衝突でバリンジャー・クレーター(アメリカアリゾナ州)が形成

3万年前:始良Tn火山灰(AT)

2.7万年前:最終氷期 最寒冷期(LGM)

2.65万年前:タウポ湖が大爆発を起こす(VEI8)。

2.5万年前:姶良火山が大爆発を起こす(VEI7)。

2万年前:ウルム氷期(最終氷期)のピーク。
→気温は年平均で7〜8℃も下がった。
そのため地球上で氷河が発達し、海水面が現在よりも100mから最大で130mほど低かったと考えられている。
その後、温暖化と寒冷化の小さな波をうちながら、長期では徐々に温暖化に向かった。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=327766

脳が大型化した人類の祖先は、30万年前に最後の枝分かれをしました。

ネアンデルタール人と私たちの直接の祖先であるホモ・サピエンスです。

ネアンデルタール人は筋肉質でガッチリした体格をしており勇敢で愚直なハンターでした。10〜20名の集団で狩猟生活をしていました。

一方のホモ・サピエンスは脳の大きさや実用的な技術はほとんど異ならないものの、彼らの遺跡からは壁画などの芸術作品が発見されており、物事を抽象的にとらえる思考能力を持ち合わせていたと考えられています。ネアンデルタール人の遺跡からはこのようなものは発見されていません。

このような差が生じた理由の1つに、ホモ・サピエンスの海岸線での食生活があります。即ち肉に加えて海草や魚貝類など脳の発達にとって重要な食料源を新たに獲得したのです。

ホモ・サピエンスの芸術はやがて情報を伝達する能力へと変化していきました。
情報伝達能力については頭蓋骨の形からも決定的な差が判明しています。

ホモ・サピエンスの頭蓋骨の形から喉(のど)を復元すると、喉頭(こうとう)の位置が低く声帯で発した音を共鳴させる空間が十分あるのに対し、ネアンデルタール人の場合は喉頭の位置が高く共鳴空間が十分確保できないため、いくつかの母音を発音できず、複雑な言語を操って情報伝達をすることは不可能だったと考えられています。

このように言語能力に欠けたネアンデルタール人は3万年前に地球上からひっそりと姿を消しました。

一方、最上の情報伝達能力である言語能力を手にしたホモ・サピエンスは、巨大な社会集団を形成し優れた知識や技術を共有することによって文明を築き今日に至っています。

 ところで言語の本質は記号化であるといわれています。記号化とは、犬を見たとき「イヌ」という記号で認識し、逆に「イヌ」という記号を見て犬の姿を思い起す能力です。

これは大脳皮質の前頭葉(ぜんとうよう)が担当し、記号と記号を結合して文章をつくる言語能力をも担っています。

この脳の発達は、基本的に言語と脳だけのやりとりで進められるため、現実の拘束を受けずに独り歩きが可能となり爆発的な『進化』を遂げつつあります。

これは明らかに「環境変動への適応化」としての「進化」からの逸脱であり、それどころか『進化』しつつある脳は環境を自分の都合のいいように変え支配しようとしています。

「環境変動」から「自分の都合」への方向転換はいつ起ったのでしょうか。それは7000年前に人類が農耕を開始し定住生活を始めた時だと考えられています。そのとき同時に、環境破壊も約束されることとなったようです。 (平成18年8月)
http://www.haginet.ne.jp/users/kaichoji/hw-sizen9.htm

ホモ・ハビリスの言語機能獲得について
 

人の祖先は、いつごろ言語機能を獲得したのか。その痕跡は骨格からしか推定できない。以下『脳科学基礎論としての生物言語学』(著者:有川康二)の一説より。

―――――――――――――――――――――――――――――――

シカゴ大学ハワードヒューズ医学研究所のBruce Lahn博士らの研究によると、約185万年前にアウトライヤ遺伝子を突然変異によって獲得したヒト祖先の脳だけが巨大化したという。アウトライヤー遺伝子は変化速度(進化速度=遺伝子が設計図を提供するタンパク質を変化させるDNA配列中の変異の速度)が非常に速いことで有名である。

ホモ・ハビリス(200万年前)の頭蓋骨の左側頭部付近(現代人のブローカ野付近)に、それ以前の猿人の頭蓋骨には見られない凹みがある。大脳左側頭部(ブローカ野)の神経細胞(ニューロン)ネットワークの奇形的膨張が自然数や自然言語など情報解析システムの基盤となった。

この頭蓋の凹みは、大脳皮質の奇形的な腫れ(膨張)を示す証拠であり、ホモ・ハビリスが自然言語、それを基盤とする自然数を使用していたことを間接的に示す状況証拠である。自然言語の発生は、脳の奇形的腫れと神経細胞のネットワークの複雑化によってもたらされた。
―――――――――――――――――――――――――――――――

上記を箇条書き的に要約すると・・・


・200万年前のホモ・ハビリスの頭蓋骨に奇形的な凹みが生まれた。

・当該凹みは、それ以前の猿人には見られない。

・当該凹みは、ヒトのブローカ野(運動性言語中枢)に位置する部分にある。

・当該凹みに脳の神経細胞が進出したことが言語機能獲得のきっかけ。

・その後、185万年前に獲得した進化速度が非常に速い遺伝子がそれを加速した。


ホモ・ハビリスがいたと考えられている時代=230万年前から140万年前は、地球は寒冷期にあたったとされている。リンク には「寒冷化に伴って地球規模での乾燥化も促進され、草原化や砂漠化が進行した。」とあるので、ホモ・ハビリスが発見された現在のタンザニアでも自然外圧は高くなっていったと考えられる。

そのようななかで、必要に迫られた結果、言語機能が獲得されたというのは、無理のある仮説ではないだろう。強いて言えば、言語機能獲得が決定的になったのは、進化速度が速いアウトライヤー遺伝子を獲得した185万年前以降ということになると考えられる。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=309652

地球史 年表7・・258.8万〜1万1700年前
 

《凡例》
年代区分:【 】=累代 ■=代 ◆=紀 ●=世
内容区分:★=岩石・大陸・プレートテクニクス関連 ☆=大気・気候関連

◆ 新四紀 (258.8万〜現在)

・地球規模の寒冷化と中緯度地域に達する大規模な氷河の出現が顕著となる時期。

● 更新世 (258.8万〜1.17万年前)

・地球規模の寒冷化が顕著になる258万8000年前から、2万年前の最終氷期後の「寒の戻り」とされるヤンガードリアス期(1万2900〜1万1700年前)の終わりまでの時期。

・氷期には海水準が低下することによってベーリング海峡が陸続きになり、ユーラシア大陸から北米大陸へと人類の移動が可能になった。

◎ 前期旧石器時代 (258.8万〜18万年前)

★[約250]:丹沢山地の大爆発

→面積1万1750km2、降下火山灰のみの体積は2.8km3を超え、火山爆発指数VEIは5


☆[240]:中国黄土開始
★[195]:イエローストーン火山活動
★[100]:耶麻渓火砕流
★[90]:今市火砕流
☆[約78]:最新の地磁気の逆転
★[50(〜30)]:箱根火山外輪山
☆[35]:ネプラスカ(ギュンツ)氷期
★[27]:阿蘇1火山灰
☆[25]:カンザス(ミンデル)氷期

◎ 中期旧石器時代 (18万〜4万5000年前)
☆[16]:イリノイ(リス)氷期 
→約14万年前がピーク。この後、急速に温暖化へと向かった。約13万〜12万年前が温暖期のピークで、現在よりも温暖と考えられている。この後、急速に寒冷化し約11万年前頃から緩やかに上下を繰り返しながら徐々に氷期へと向かった。
★[14]:阿蘇2火山灰
★[13]:阿蘇3火山灰
☆[12.5]:下末吉海進
☆[12.6]:サンガモン間氷期(最終間氷期)
★[11.5]:阿多火山灰
☆[9.4]:最終氷期開始
★[9]:阿蘇4火山灰
☆[8.1]:地球温暖化に伴う海面の急速な上昇
★[7.4]:トバ・カルデラ(インドネシアのスマトラ島の大噴火)

→ここ10万年ほどでは最大級の噴火とされ、地球の気温が数年間3〜3.5度低下。ヒトのDNAの解析によれば、7万年ほど前に人類の人口が一万人以下に激減し、遺伝的な多様性の多くが失われ現在の人類につながる種族のみが残った「ボトルネック効果(遺伝子多様性減少)」があったと考えられるが、これがトバ火山の大噴火による説が有力。→ トバ・カタストロフ理論

◎ 後期旧石器時代 (4万5000〜1万8000年前)

☆[約5]:隕石の衝突でバリンジャー・クレーター(アメリカアリゾナ州)が形成
☆[3]:始良Tn火山灰(AT)
☆[2.7(〜1.9)]:最終氷期 最寒冷期(LGM)
★[2.65]:タウポ湖が大爆発を起こす(VEI8)。
★[2.5]:姶良火山が大爆発を起こす(VEI7)。
☆[約2]:ウルム氷期(最終氷期)のピーク。

→気温は年平均で7〜8℃も下がった。そのため地球上で氷河が発達し、海水面が現在よりも100mから最大で130mほど低かったと考えられている。その後、温暖化と寒冷化の小さな波をうちながら、長期では徐々に温暖化に向かった。

◎ 中石器時代 (1万8000〜1万1700年前)

☆[約1.6万年前]:東南アジアにあったとされるスンダランドが、海面上昇により徐々に後退。

・海面の上昇により、他にも、アラスカとロシアの間にあるベーリング海峡(氷期には陸続きだった)の海没や、大陸と地続きだった日本も徐々に島化が進んだ。

★[約1.3]:日本列島が大陸から完全に離れ、ほぼ今の形を整えたと考えられている。

☆[1.29]:アガシ湖崩壊

☆[1.29(〜1.17)]:ヤンガードリアス
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=305410

我々はネアンデルタール人との混血だった 覆る進化の定説
日経サイエンス 2014/10/25
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO78680150R21C14A0000000/

人類進化の定説が大きく揺らいでいる。最近の研究では、ネアンデルタール人などの旧人類と現生人類との間に、これまでいわれていたような深い断絶はなく、実はかなりの交わりがあったことが明らかになってきた。むしろ、別の血を入れることが人類をより強く進化させてきたようだ。

■意外に進む混血


遠い祖先から現生人類に至る人類進化の歴史は今、全面的に書き換えられようとしている。

 従来の説ではホモ・サピエンス、つまり現生人類がアフリカを出て世界中に広がり始めると、それまでユーラシア大陸に住んでいた同じホモ属のネアンデルタール人などの旧人類は絶滅へと追いやられたとされている。


 進出にあたって、ホモ・サピエンスは旧人類とは交わらず、ネアンデルタール人の遺伝子を次世代に伝える混血の子どもは生まれなかったと考えられてきた。


 旧人類は競争に負け、新参のホモ・サピエンスに取って代わられた。ホモ・サピエンスがアフリカから世界各地に広がる際、出会った旧人類をことごとく全滅させた可能性も指摘されていた。


 ところが、ここ約10年の化石人類の発見ラッシュと遺伝学的研究の発展によって、この定説は大きく書き換えられることになった。

 現生人類とネアンデルタール人の間の解剖学的な共通点に加え、遺伝学的研究からも両者の間に混血があったことがわかってきた。


 その結びつきはかなり強く、今日の非アフリカ系の人々のゲノム(全遺伝情報)の最大3%がネアンデルタール人由来だ。人によってそれぞれネアンデルタール人由来の異なるDNA断片を持っている。そのため、現生人類が受け継いだネアンデルタール人の遺伝情報の総和は3%よりはるかに高く、最近の計算によれば少なくとも20%にはなると考えられている。


 ホモ・サピエンスとの混血があった旧人類はネアンデルタール人だけではなかった。近年発見されたデニソワ人(シベリアの洞窟で見つかった4万年ほど前の謎めいた指の骨から回収されたDNAによって特定された人類集団)も、私たちの先祖との間に混血があった。

■異なる遺伝子で強く


 そうした混血はホモ・サピエンスに有益だったようで、そのおかげでホモ・サピエンスは生存に有利に働く遺伝子を獲得できた。


 例えばネアンデルタール人から受け継いだDNAは免疫力を高めたらしい。またデニソワ人由来のある遺伝子変異は、チベット人が酸素が希薄な高地で生活するのを助けている。

 ホモ属の起源に関する定説も揺らいでいる。従来、ホモ属は東アフリカが起源とされていたが、近年、南アフリカ共和国のマラパで発見された200万年近く前の人類化石は、ホモ属がアフリカ南部に現れた可能性を示唆している。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO78680150R21C14A0000000/

ネアンデルタール人、欧州での絶滅4万年前 英大分析 2014/8/24


 ネアンデルタール人が欧州から絶滅したのは4万1千〜3万9千年前だったとする研究結果を、英オックスフォード大のチームが英科学誌ネイチャーに発表した。遺跡の出土品などの分析から導き出した。

 欧州での絶滅時期を巡ってはこれまで「約3万5千年前」などいくつかの説が出ているが、今回の分析は最新の手法を用い、極めて精度の高い結果だという。

 絶滅は、欧州に現代人の祖先である現生人類が登場した時期より後で、チームは「2600〜5400年間ほどは同時期に存在していた」と指摘。混血や文化、技術の交流があったとみている。

 欧州にあるネアンデルタール人の遺跡約40カ所から出土した馬やトナカイの骨など、生活の遺物に含まれる放射性炭素で年代を測定。4万5千年前には欧州の広い地域に生活の痕跡があったが、その後5千年ほどでいなくなったことが分かった。

 途中から装飾品を使うグループが現れたことも判明。現生人類との居住地域の関係と合わせて考えると、一部のネアンデルタール人が現生人類の文化から影響を受けた可能性もあるという。

 国立科学博物館人類研究部の海部陽介グループ長は「かなり精査した結果で、信頼できる。これまで最長で1万年とされた共存期間が整理された」と話している。

 ネアンデルタール人は欧州に30万年前かそれ以前から住み、狩猟などで生活していた。〔共同〕
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG2002F_U4A820C1CR8000/


15. 中川隆[-7268] koaQ7Jey 2017年7月07日 12:23:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源


15-27. 10万年前にホモサピエンスはアジアでネアンデルタール人と交配していた!?......と言う衝撃の最新発掘報告第二弾だが!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-27.htm

 2016年2月17日のNatureに、またまた欧米で話題になっている驚くべき報告が発表されました。

タイトルは

「Ancient gene flow from early modern humans into Eastern Neanderthals」
「初期のホモサピエンスから東方のネアンデルタール人への古代の遺伝子拡散」

です。

興味のある方は是非原著もしくはニュースの原文をお読みください。

  この論文ニュースはBBC放送でも早速取り上げられ、欧米では先の80000年前の中国で発掘されたホモサピエンス(記事15-26.)に続くニュースとなっています。 つまり、これまでネアンデルタール人の遺伝子がホモサピエンスへ組み込まれホモサピエンスの遺伝子の3-4%はネアンデルタール人由来とわかっているのですが、 その逆もまた真であり、ホモサピエンスからネアンデルタール人に組み込まれた遺伝子もあった、と言うこのなのです?!

  ただし、本論文では我々現代人はあくまで2000人程度で60000年前ごろに出アフリカした集団の子孫であって、 前記事15-26.の80000年前の中国のホモサピエンスも、当記事のアルタイ周辺で発掘されたホモサピエンスも滅んだ系統として見ているようです。

  欧米の研究者はどうしても2000人にこだわりたいようです。その理由は出アフリカ組の遺伝子の変異があまりにも小さいため、 原集団は複数ではなく1つだけだ、と言うことのようです。

つまり各地のホモエレクトスからの並行進化はなく、各地に分散したホモサピエンスと先住民のホモネアンデルターレンシスとの各地での交配による、 地域独自のホモサピエンスの誕生も継続しなかった、と言うことにしたいのです。

  この初期のホモサピエンスのユーラシア大陸への分散の仮説は、Y-DNAとmtDNAの研究が進み、 ホモサピエンスの誕生が少なくとも24万年前に遡れる(記事15-24.)との研究結果によります。

そんな昔に誕生していたホモサピエンスが65,000年前頃出アフリカするまでアフリカ大陸にじっとしていたことなど考えられない、という推測が前提なのです。 どういうわけか、ホモエレクトスもホモネアンデルターレンシスも出アフリカしているのですから、24万年前には誕生した(記事17-8.の論文では33万年前という説も) ホモサピエンスも当然すぐ出アフリカしたはずだ、と言うことのようです。


http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-27.htm

上記の図を提供した、EUREKAlertのニュースの抜粋をご紹介します。

ネアンデルタール人へのホモサピエンスからの初期の遺伝子拡散

  研究者は、ネアンデルタール個体の遺伝子の中からホモサピエンスのDNAの最初の遺伝学的な証拠を発見しました。

現代人類とネアンデルタール人の間で交雑を生じるシナリオは:

  図中の緑の矢印で示される 47,000 - 65,000年前(緑の矢)に生じ、65000年前の出アフリカ後のアフリカの外で、 現代人類の中にネアンデルタールDNAが組み込まれたことが始まりでした。

  DNA分析のいくつかの異なる方法を使用して、約100,000年前起きた、ネアンデルタール人と現代人類の間で生じた、 「交雑」という出来事を国際研究チームは確認しました。   そして、それはそのような出来事がこれまでわかっている研究成果より何万年も早いことを示しました。 つまり、 一部の現代人類がもっと早くアフリカを出発して、ネアンデルタールと交配した、と研究チームは提案しました。 これらの現代人類は後に絶滅しました、したがって、およそ65,000年前に出アフリカした 我々現代人の原種の一つではありません。

  この論文の筆頭著者ドイツのマックスプランク研究所のKuhlwilm Martinは、 「現代人類由来」のアルタイ・ネアンデルタール・ゲノムの領域を特定しました。 シベリアで発見されたネアンデルタール人のゲノムから「現代人」の中に似ているシーケンス領域を発見できるかどうかを、私は期待していました。

   現代の非アフリカ人がネアンデルタールの足跡を持つということを、我々は知っているので、 現代人の中に存在するネアンデルタール人由来のゲノム領域は我々にとって有用でありませんでした。   それで、現代のアフリカ人のほとんどに共通して存在する突然変異を識別するために、我々はアフリカの現代の個人のゲノムを使いました。 アルタイで発見されたネアンデルタール人のゲノム領域に、交雑を示すこれらの突然変異の一部が同様に見つかりました、とKuhlwilmは付け加えました。

  クロアチアとスペインで発掘されたネアンデルタール人からは、交雑を示すその突然変異領域は見つかりませんでした。

  そして同じくアルタイで発見されたデニソワ人も、交雑を示すそのシーケンス領域をもっていませんでした。

つまり、ヨーロッパの2人のネアンデルタール人もデニソワ人も現代人の祖先よりも前に出アフリカしたホモサピエンスとは交雑していないことを示します。

  また、アルタイのネアンデルタール人はヨーロッパの2人のネアンデルタール人と10万年は前に分離したことを示します。 一方、アルタイのネアンデルタール人から見つけられたシーケンスを持つホモサピエンスは、20万年は前に現代アフリカ人の祖先と分離したことも示します。

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BBCニュースの記事の抜粋です。

ネアンデルタール人とホモサピエンスは10万年前にすでに交雑していた。

  これまで、現代人類がアフリカ(およそ60,000年前)を出発したとき、 ネアンデルタール人とホモサピエンスの2つの種が互いに初めて遭遇したと思っていました。

ところが、我々が100,000年前に現在は絶滅した親類と交雑していたことを、 ネアンデルタール・ゲノムで見つかった現代人類のDNAの跡は、示唆します。

  シベリアのアルタイ山脈の洞窟で見つかった女性のゲノムは、100,000年前に異種間の交雑があったことを明らかにしました。

現代人類が出アフリカして世界に散らばり始めた時に、がっしりた体つきの親類人類と交雑し始めたことを研究は示唆しました。

  これらの遭遇(交雑)からもたらされたネアンデルタール遺伝子は現代の人類で見つかります、 そして最近の研究から、これらのネアンデルタールDNAの部分が、病気に対する我々の生まれつきの傾向における免疫系すべてで肝要な役割を演ずることを示しました。 つまり我々の免疫システムのほとんどすべてはネアンデルタール人から受け継いだものなのです(記事17-11.)。

  しかし、この研究でわかった逆の遺伝子の流れ、つまりネアンデルタール人がホモサピエンスから受け継いだ遺伝子が、 ネアンデルタール人にどのような影響を与えたかは全く分かっていません。

  それでもこれは、少なくとも40,000年後に起こったより大きな分散(60,000年前の出アフリカ)のはるか前に、 ホモサピエンスはアフリカを出発したことを意味します。

  そしてイスラエルのSkhulとQafzehで発掘された初期(10万年前頃と考えられている)の現代人類の化石や、 80,000年前には中国にホモサピエンスが住んでいたことを示唆する最近の研究(記事15-26.)も証拠として含まれます。

  またチンパンジーや現代の狩猟採集民(記事15-1.アウストラロピテクスも)に見られる女性のグループ間の移動 (近親婚によるグループの消滅を防ぐための平和的な交換や時には簒奪も)もあった可能性がありますが、更に多くのデータが必要です。

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  とにかく、欧米の研究者は何が何でもスタンフォード大学が発表したわづか2000人で出アフリカしたホモサピエンスから、 非アフリカ人の全ての現代人は分化したことに固執したいようです。

  この根底には、アフリカ人は出アフリカせずアフリカにとどまり文明開化できなかった差別されても仕方がない下等な集団だ、という蔑視感があるようです。 しかし、現代アフリカ人の主要遺伝子Y-DNA「E」はラテン系ヨーロッパ人やベルベル人などの非アフリカ系民族の遺伝子でもあり出アフリカ遺伝子の1つなのです。

  そしてもっと重要なことは、このラテン系遺伝子Y-DNA「E」は、我らが縄文コア遺伝子のY-DNA「D」と分離する前の出アフリカ組の親亜型Y-DNA「DE」を共に構成した縄文の親戚遺伝子なのです。 つまりY-DNA「D」もY-DNA「E」も極めて古い4種の古代遺伝子の1つなのです (他にはもう一つの出アフリカした親亜型Y-DNA「CF」を構成した同じく縄文遺伝子の1つで日本列島に最古の子亜型が存在するハンター遺伝子のY-DNA「C」と インド亜大陸の他の全ての新興遺伝子群の親となったY-DNA「F」があります)。   本当の非出アフリカ遺伝子はY-DNA「A」と「B」だけですが、Y-DNA「A」が中心のコイサン族にも、 Y-DNA「B」が中心のピグミー族にもY-DNA「E」が高頻度で交雑しており、純系の非出アフリカ民族は既に存在していないのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-27.htm


30-4. ネアンデルタール人と人類の祖先たち(猿人、原人、旧人)rev.5
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-4.htm

rev.5 旧人/ネアンデルタール人の最新情報

  今ではネアンデルタール人とホモサピエンスの交配は常識ですが、ネアンデルタール人のEupediaの最新情報を翻訳転載しましたのでご参考にして下さい。 訳は専門ではなく下手なので気になる方はEupediaをお読みください。またrev.1〜rev.4の古い情報は削除しました。

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ネアンデルタール人は実際はどのような人間だったのか、そして私たち現代人は彼らから何を受け継ぎましたか?

現代人はネアンデルタール人の形質を伝えていますか?

  ネアンデルタール人は、一連の誤解を呼び起こし続けたつまらない間違ったイメージで、長い間苦しみました。   最初の骨格がベルギー(1829)、ジブラルタル(1848)およびドイツ(1856)の中で発見された後すぐに、ネアンデルタール人と名付けられましたが、 当時の科学者達は人間的ではないと主張しました。   彼らは、ネアンデルタール人がある種の獣のような霊長類(現代人よりもゴリラあるいは雪男に近い)と想像しました。

  近東と中央アジアは別として他の大陸で見つからないヨーロッパのこれらの初期の住民が、実は他の何よりも非常に私たちに似ているように見えました。  

 チューリッヒ大学人類学研究所による、ジブラルタルで発掘されたネアンデルタール人少女の復元像がこれです。

出アフリカした現代人にはネアンデルタール人の遺伝子が受け継がれている。

  科学界においていまだ広範囲で最も根深い誤解は、ネアンデルタール人は現代人にどんな貢献もせずに絶滅した、ということです。   ネアンデルタールと現代のヨーロッパ人の間の形態的な比較は、ネイティヴ・アフリカンの間では見つからないユニークな身体的な特徴(下記参照)で、 著しい類似点を容易に明らかにしています。

  2010年に完成したネアンデルタール人・ゲノムの配列は、ヨーロッパ人だけでなくネイティヴ・アフリカン以外の今日の人類は全員、 ネアンデルタール人のDNAを2-3%継承していることを明確に証明しました。


  *ガラパゴス史観注;

  純粋なネイティヴ・アフリカンとは、出アフリカをしなかったY-DNA「A」と「B」及びmtDNA「L3」以外の「L」のことです、同じアフリカンでもY-DNA「E」は出アフリカ組なのでネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいます。

  ほとんど全てのアフリカの民族・部族には出戻り組のY-DNA「E」が支配階級及び人口強者として混血しています。

ということは純粋なネイティヴ・アフリカンの人口は極めて少ないのです。

  ホモサピエンス最古の民族コイサン語族(Y-DNA「A」が基盤)や次のピグミー族(Y-DNA「B」が基盤)でさえもエスタブリッシュメント層はほとんどがY-DNA「E」です。

  一見同じように見えるアフリカンが良く見ると、顔つき・体つきなどかなり違うのはこの3タイプの Y-DNA(更にカメルーン周辺にはチャド語族の新参者Y-DNA「R1b」も含まれています)及び「L3」以外のmtDNA「L」の入り混じった交配加減による結果なのです。

ネアンデルタール人は、我々ホモサピエンスより進化していなかったのですか?


ネアンデルタール人は現代人の人種よりよりもっと多様に分化していた

  第1の誤解は、ユーラシア大陸に広く分布していたネアンデルタール人がすべて同じだったということです。 原ネアンデルタール人が約350,000年前に最初に現われた頃、我々ホモサピエンスの先祖は900cc?1100ccの脳サイズを持つまだかなり原始的なホモエレクトス(原人)の段階でした。 ネアンデルタール人は、その存在が考古学の記録から次第に消える24.000?30000年前頃まで、ヨーロッパ中を歩き回っていました。

  ネアンデルタール人は出現してから300,000年以上(最新の情報では600,000年以上とも)の長い時間が進化に費やされていたので、当然多くの亜種が存在していました。 そのため出アフリカ後まだ60,000年程度でしかない現代人の人種間の違いより、最も異なるネアンデルタール人の亜種間の遺伝的な距離ははるかに大きかったでしょう。

  現生人類(つまり解剖学的な現代人)が40,000年前頃にヨーロッパに現れた時に、ネアンデルタールは進化の最も先進のレベルにありました。   1200cc〜1700ccに及ぶ頭蓋容積は、事実クロマニヨン人(旧石器時代のヨーロッパのホモサピエンス)より大きく、現代人の平均よりも10%も大きいのです。

ネアンデルタール人は前頭葉より後頭葉が発達していた

  もし脳サイズだけが全ての指標とするなら、ネアンデルタール人は私たちより賢かったかもしれません。   しかし、それが物語の全てではありません。   ネアンデルタールの頭は大部分の現代人より低いアーチ形の前頭葉前部皮質を持っていたため、意思決定や穏やかな社会的な振る舞いがあまり上手ではない (粗野だっただろう)と推測されました。

  他方、ネアンデルタールはより大きい後頭葉を持っていたので、彼らの視覚の能力(微細な区別と色の識別の優秀性を含む)が現代人のそれより確かによかったことを意味しました。

ネアンデルタール人は話すことが出来たようだ

  科学者はネアンデルタール人を、ホモサピエンスのように、話したり道具を使用するために十分な進化をしていなかったと主張して、長い間見下していました。

  それは遺伝学によって間違っていると言うことが、その後証明されました。

  非常に評判がよいネイチャー誌は、ネアンデルタール人が遺伝学的に言語能力を持っていたことを発表しました。   別の研究(D'Anastasio 2013)はネアンデルタール人が、首の中の馬蹄形をした構造に基づいて、話すことが出来ることを確認しました。

埋葬と信仰の起源はネアンデルタール人

  多くの研究は、ネアンデルタールとクロマニヨン人が同様の道具を使用し、全体として同じ技術およびライフスタイルを持っていたことを示しました。   ネアンデルタール人とホモサピエンスの両方とも、同じレベルの感情と配慮を示して同様の装飾と共に、死者を埋葬しました。   実際、ネアンデルタール人は、ホモサピエンスが現れるかなり前から、埋葬を実行する最初のヒト科でした。

  意図的なネアンデルタール人の埋葬で最も古い証拠は、300,000年前のスペインのAtapuerca洞穴遺跡までさかのぼります。   ウェールズのPontnewydd洞穴で見つけられた約15体のネアンデルタール人は、約225,000前の死者の丁寧な葬り方を示しています。   もう一つの有名な例は約130,000年前のクロアチアのKrapma洞穴で、70体以上のネアンデルタール人が道具を使って、儀式的に埋められたと分かったことでした。   宗教の最も初期の証拠も、トーテム信仰または動物の崇拝(例えば熊・信仰)の形で、ネアンデルタール人からもたらされます。

美食の起源や薬草の起源もネアンデルタール人

  多くの人々がネアンデルタール人を、日常の食物が大型獣の肉に依存したハンターとして、想像しています。   しかしネアンデルタール人は実際にはかなり多様化した日常の食物を、例えばカラスガイ、他の甲殻類(彼らの殻を開けるために暖められた)、魚、小麦と大麦(料理された)、 豆類、ナッツ、果物やカモミールやノコギリソウのような苦い味の薬用植物でさえ、楽しみました。

医学の起源はネアンデルタール人

  スタンリー・フィンガーは自身の本「神経科学の起源」の中で、イラクのShamdar洞穴の70,000年の古いネアンデルタール人治癒された頭傷の証拠を示したことを、説明します。   したがって、ホモサピエンスがさらにヨーロッパに到着する前に、ネアンデルタール人に基礎的な医学についての知識があったことはありえます。

芸術の起源もネアンデルタール人

  Joao Zilhaoら(2010年)は、イベリアでネアンデルタール人によって50,000年前の彫刻された貝殻が塗られていたことを、報告しました。   これはネアンデルタール人は宝石を使用しただけでなく、ペンキを製造することができたという最初の証拠でした。   発見者は、ネアンデルタール人がさらに彼らの身体もペインティングしていただろうと考えています。

  世界で最も古い洞窟絵画、例えば40,000年前とされるカンタブリアのEl Castillo洞穴やスペインのマラガ近郊のNerja洞窟で見られるものは、ネアンデルタール人の作品、 あるいはもしかすると初期の現性人類とネアンデルタール人の交配種(ハイブリッド)によるものと、提案されました。   彼らがホモ・サピエンスより大きな後頭葉があったことを考えれば、ネアンデルタール人に絵画の起源を見つけることは驚くべきことではありません。 そして、それは彼らをより視覚の思想家にしました。

繊維の起源もネアンデルタール人

  ネアンデルタール人は、さらにヒモ(ストリング)やロープを作ることにおいてもホモサピエンスに先行していました。私たちが知っている限り最も古い標本は フランスの90,000の年前の古い遺跡で見つかり、それはホモサピエンスより60,000年も前のことです。

ヨーロッパ人はネアンデルタール人から何を受け継ぎましたか。

東洋人の直毛はネアンデルタール人から受け継いだ形質遺伝子だったようだ

  全てのユーラシア人は明らかに、タイプ-2糖尿病およびクローン病のようないくつかの自己免疫疾患のための危険を増加させた遺伝子を含む免疫系(例えばHLAタイプ)に関係のある、 様々なネアンデルタール人の遺伝子を継承しました。

  ヨーロッパ人および中東の人々がネアンデルタールから相続した身体的な特徴は、突出した眉、大きな目、強いあごと広い肩を含んでいます。   東アジア人の70%は、さらにPOU2F3遺伝子の突然変異を継承しました。それはケラチン生産に関係し、髪を真っすぐ(直毛)にする役割を果たしています。

金髪もネアンデルタール人から受け継いだ形質

  カナダの人類学者ピーター・フロストによれば、ホモサピエンスが45,000年前にヨーロッパへ行って(ネアンデルタール人と交配し遺伝子を受け継いで)いなければ、 ヨーロッパの髪の色の現在の多様性のレベルを獲得するためには850,000年はかかっていたでしょう。   これは、ブロンド(金髪)のための遺伝子はネアンデルタール人との亜種間交配で受け継がれた十分な証拠です。

白い肌も赤毛もネアンデルタール人の形質

  DNA鑑定は、ネアンデルタール人が白い肌であることを証明しました、そして、少なくとも、若干の亜種では赤みがかった(reddish)髪もありました。

ホモサピエンスは元々黒い肌と黒い髪の毛

  ホモサピエンスは何万年の間に渡るヨーロッパ、中東と中央アジアでのいろいろなネアンデルタール人亜種との継続的な交配(雑種を生じること)することなしでは、 同時に「明るい色の皮膚・目・髪」のパッケージを明らかに受け継ぐことはできませんでした。

  中石器時代のヨーロッパ人が青い目だが、黒い皮膚と黒い髪を持っていたことが確認されました。

肌の「シミ」もネアンデルタール人の形質

  いくつかの遺伝子が皮膚の色に影響を及ぼしています。   それらの中で、皮膚の色の飽和に影響を及ぼし、しみの原因であるBNC2遺伝子は、ネアンデルタール人から来たことが2014年Sankararamanらによって確認されました。   それはユーラシアの全ての集団で様々な頻度で見つかっており、ヨーロッパ人で最も一般的です(ヨーロッパ人の70%はネアンデルタール人版の遺伝子の少なくとも 1つのコピーを持っており、それに対し東アジアと南アジアでは40%です)。

  SLC24A5遺伝子の突然変異は、ヨーロッパ人とサハラ以南のネイティヴ・アフリカンの間の皮膚色の変化の40%に対して責任があり、近東からの新石器時代の農民によって、 そして、特に青銅器時代のポントス大草原(Pontic Steppe)からのプロト-インド-ヨーロッパ人によってヨーロッパに広められました。   ブロンドと赤毛のための突然変異は、青銅器時代に先立つ古代のヨーロッパ人のサンプルでまだ見つかっていません。   そうです、白い肌とブロンドか赤い髪は、ヨーロッパでよりはむしろ、起源的に中東か中央アジアでホモ・サピエンスに渡されたようです。

  明るい色の目のための遺伝子もまた、かなり最近ヨーロッパ人の中から独立して出現したというよりはむしろ、ネアンデルタール人から受け継いだという比較的高い可能性があります。   たった1人のネアンデルタール人の標本だけが完全に配列された段階なので、ネアンデルタール人に青い目、緑色の目あるいはハシバミ目があったことはまだ証明されていません。   しかし、そのような突然変異が出現しネアンデルタール人に選択されるという統計学的な可能性は、ヨーロッパの高緯度地域で300,000年間進化したネアンデルタール人に比べ、 ヨーロッパでわずか45,000年しか居住しておらず、しかも北ヨーロッパではまだ30,000年しか経っていないホモ・サピエンスより、はるかに高いです。

  しかしながら、すべてのネアンデルタール人が青い目だったわけではありません。   ネアンデルタール人はホモサピエンスより3倍も古い先祖から進化したため、歴史の短い現代人より遺伝的に非常に多様でした(青い目の遺伝子は亜種に分化してから獲得したため、 全亜種が青い目の遺伝子を持っているわけではないのです)。

  もしも青い目がネアンデルタール人から本当に始まったならば、種々のネアンデルタール人集団がヨーロッパ、中東または中央アジアで数回はホモ・サピエンスに 青い目遺伝子を渡すことができたはずです。   2つの主な遺伝子(OCA2とHERC2)が同時に渡されるか、もしくは同じ人々に渡されたことは認められません。  

 彼らは後でヨーロッパ人に集中しただけかもしれない。   別の選択肢は、これらの遺伝子のうちの1つだけがネアンデルタールから来て、その一方で他方がヒトの中で発生したということです。

  スペインとルクセンブルグの中石器時代のヨーロッパ人は青い目のためのHERC2遺伝子変異を持っていたことが確認された(Oladera et al. 2014、Lazaridis et al. 2014)。   この突然変異は、Y-DNA[R1a]とY-DNA[R1b]に属するProto-インド‐ヨーロッパ語族が定住したアルタイ山脈、南シベリア、中央アジア、イランとインドの亜大陸を含めた アジアの地域でも見つかっています。   Proto-インド‐ヨーロッパ語族が中石器時代のヨーロッパ人(Y-DNA[C]、[F]と[I])と非常に異なる父の血統を運んで以来、またmtDNA[U4]とmtDNA[U5]のような 非常に古い母の血統を共有するだけだったので、彼らのHERC2突然変異は共通の旧石器時代の祖先から受け継ぐことができたか、もしくは異なる2つのネアンデルタール人の集団から 受け渡しされたことで、前期旧石器時代のホモ・サピエンスを分離させました。

現代のヨーロッパ人によって受け継がれるネアンデルタール人の身体的な特徴。

  今日の非アフリカ人はみなザッと同程度のネアンデルタールDNAを持っているかもしれません。しかし、最も見てわかりやすい身体的な特徴のいくつかは、現代ヨーロッパ人に、 中でも特に北欧人によって継承されたように見えます。   ここに、あなたがヨーロッパ人か西ユーラシア人の系統なら継承するかもしれなかった、ネアンデルタール人と現代人の違いを示した特徴のリストがあります。


http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-4.htm

・Occipital bun(後頭部のパン): 髪の結び目のように見える後頭骨(後頭部)の突起。

  首の後部分の耳と同じ高さの位置のすぐ上部を触って、丸い骨の存在を感じ取ることができるならば、あなたはバンを持っています。(初期のヨーロッパ人では多くみられたのですが、 現代ヨーロッパ人では比較的まれになっています。)

  ←実は当ガラパゴス史観はこれを持っています。これは真っ直ぐ上を向いて寝ると圧迫され痛くなり非常に困った存在で、顔を寝かせないと寝れないのです。 CTやMRを撮影するときも必ず顔を寝かせて撮影してもらっていました。後頭部の部分が大きく凹んでいる枕に変えてやっと上向きのまま寝れるようになりました。

・Low, flat, elongated skull(低く平らで細長い頭): ここで重要であることは、特に、すべての東アジア人と大部分のアナトリア人、コーカサス人と東ヨーロッパ人のような ほとんど垂直に落ちている後頭部と対比した『細長い頭』です。

  細長い頭は、特にスカンジナビアやイギリス諸島、そしてイベリアで一般的です。

・Retromolar space posterior to the third molar(第3大臼歯の後部の臼歯後隙): つまり「親知らず」の後ろのスペース。

・Supraorbital torus(眼窩の上のトーラス円環面) : 突き出た眉の骨(目と眉の間で大きい深い目腔を含む)。

  ←ガラパゴス史観の禿頭の輪郭です。眉の骨が出ているのがはっきりわかります。 ホモサピエンスらしからぬ後退した前頭部(Receding forehead)の形もそっくりです。多少気が短く怒りっぽい原因は、ネアンデルタール人から受け継いだ形質かもしれません。

  ←竹中直人さんの横顔ですが、東洋人のため後頭部は絶壁ですが、 見事なネアンデルタール前頭部と赤マルで囲んだ部分が典型的な後頭部のバンです。最近、禿げ頭の男性の横顔をじっくりと観察するようになったのですが、 ほとんど間違いなく後退した前頭部のネアンデルタール頭を持っています。こうなると禿げはネアンデルタール人の形質と言っても差し支えないかもしれません。


・Bigger rounder eyes than average: 平均より大きな丸い目。

・Broad, projecting nose(幅広い突出鼻):平均(「ギリシアの鼻」のようにまっすぐに落ちない)より上向きになっている鼻の骨の角度。

・Bony projections on the sides of the nasal opening(鼻の開始点の横の骨突起): つまり鼻とほお/軌道の間の「三角形」を作る鼻骨。

・Little or no protruding chin: ほとんどない(あっても少し)顎。

・Larger mental foramen in mandible for facial blood supply(顔の血液供給のための下顎骨のより大きなオトガイ孔): これは、横のあごと頬がより大きいか、 血液が平均よりよく供給されることを意味します。

  この増加した血液供給の結果、運動をするとき、或いは天候が寒いとき、頬が赤く(顔が赤くなるように)なることがあります。

・Short, bowed shoulder blades(短く湾曲した肩甲骨):すなわち、平均より正面の方へカーブしている肩甲骨

・Large round fingertips(大きな丸い指先): 典型的な「平ら」で幅広い指、特に親指(例えばあなたの親指の幅が1.5cm以上である場合)。

  ←当ガラパゴス史観は太い指で親指は2.5cmの幅があります。他の指でさえ2cmはあるほど、ぶっといのです。

・Rufosity(赤み): つまり赤髪を持っているか、あるいは赤色の斑点か自然なそばかすをともなっている茶髪。

・Fair skin, hair and eyes(白肌、金髪と明るい色の目): ネアンデルタール人は、白い肌と明るい色の髪の毛だけでなく、青色か緑色の目を持っていたと信じられています。 つまり中国古典に出てくる「紅毛碧眼」です。

ネアンデルタール人は北の緯度(高緯度)でホモサピエンスより5倍も長い300.000年を過ごしてきたので、ネアンデルタール人が最初にこれらの「高緯度地適応」可能な特徴を 開発しなければならなかったのは、当然であるだけです。

  ←当ガラパゴス史観は3項目あてはまりました。ということは、ネアンデルタール人の形質を受け継いでいる、ということになりますが...... 多少気が短く、怒りっぽいという粗野な部分がネアンデルタール人の遺伝のせいなら多少気が楽になります。!!

ヒトは、どれくらい速くネアンデルタール人と置き換わりましたか。

  現生人類とネアンデルタール人の交配は多分とても長引いたプロセスであったでしょう。そこにおいて、アフリカと中東からのホモ・サピエンスの安定した流入は ネアンデルタール人DNAを次第に希釈したでしょう。

  考古学的な痕跡が現在まで見つからなかったほど少数ではあるが、ヨーロッパへのホモ・サピエンスの最初の移動は100,000年前という早い時期に始まっていたでしょう。

  近東または北西アフリカ(ジブラルタル海峡を通って)からのホモ・サピエンスの定期的な移動は、最終氷河期の間、中石器時代、新石器時代そして青銅器時代に生じた 新しい移住の波と同じように、旧石器時代の間続いたでしょう。

  ネアンデルタール人が進化して、時間とともに屈強でなくなりホモ・サピエンスにより近くなったという否定できない骨格の証拠があります。それは少なくとも100,000年前に始まります。

  地中海のネアンデルタール人はその屈強でなくなった種類でした、彼らの北の仲間達が古いタイプのネアンデルタール人に留まっている間に、 そしてホモサピエンスとの交配の可能性の最も多くの特徴を示しました。

  もしホモサピエンスと亜種間交配することがかなり早い時期に起きていたとするなら、それは南ヨーロッパで起きていたでしょう。

  旧石器時代中期(〜50,000年前)の間、ホモ・サピエンスのヨーロッパへの移動がヨーロッパのネアンデルタール人集団の遺伝子に重大な影響を及ぼすには、 北アフリカと南西アジアのホモ・サピエンスの存在はあまりに小さ過ぎました。

  しかし、ホモ・サピエンスの人口が旧石器時代後期(50,000〜10,000年前頃)の間に増大したので、南東ヨーロッパで彼らの遺伝子はネアンデルタール人の遺伝子より 多くなり始め、それから他のヨーロッパ地域に少しずつ増えてゆきました。

  通常的に交配が生じることが起こるならば、彼らがおよそ25,000年前に考古学的な記録から姿を消したように、結局、ネアンデルタール人らしい特徴は薄められてゆきました。

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  *ガラパゴス史観注:

  ネアンデルタール人は肉食の頂点捕食者で、寒冷期に大型肉食獣がいなくなることで雑食に変化できず絶滅したと考えていたのですが、 もしかするとそうではなく増殖率が高かったホモサピエンスの中に増殖率の低いネアンデルタール人は自然吸収され、また交配が進み同化してしまったとも考えられます。

  また徳島大学医学部の科研費の調査研究で明らかになった、縄文系Y-DNA「D2」が持っている無精子症や乏精子症の高頻度の出現率はネアンデルタール人との亜種間交配の負の遺産ではなく、 ネアンデルタール人の形質をそのまま受け継いだだけなのかもしれません。

  いずれにしても、ネアンデルタール人から受け継いだと思われる自分の形質を考えると、ネアンデルタール人は絶滅したのではなくホモサピエンスに自然に吸収され同化していった、 と考えたいです!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-4.htm


17-11. 出アフリカした現代人は免疫システムをネアンデルタール人から獲得した!?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/17-11.htm


  出アフリカしたホモサピエンスが中東でネアンデルタール人と交配し、ホモサピエンスは遺伝子の1-4%をネアンデルタール人から受け継いだことは既に定説になりました。

  そしてY-DNA「B」の一部に過ぎなかった出アフリカ組のホモサピエンスは恐らく中東で、ネアンデルタール人の文化・技術や形質を多く受け継いだY-DNA「CF」と あまり受け継がなかったY-DNA「DE」に分化したことも間違いないでしょう。

  この出アフリカ組ホモサピエンスとネアンデルタール人との交配の事が、昨年2013年11月8日に発表された「The Journal of Biological Chemistry」の報告でより理解が深まることになりました。 今回の報告はScienceで発表された当紹介記事の「14-6. HLA抗原・免疫システムから解析した現代人と旧人の交配」と併せて読んでいただくと、より理解が深まります。 という訳で、今回の論文のAbstructとBioquicknewsの解説記事をご紹介します。ご興味のある方は是非原著をお読みください。

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A novel family of human lymphocyte antigen class II receptors may have its origin in archaic human species

Sebastian Temme, Martin Zacharias, Jurgen Neumann, Sebastian Wohlfromm, Angelika Konig, Nadine Temme, Sebastian Springer, John Trowsdale and Norbert Koch

November 8, 2013, doi: 10.1074/jbc.M113.515767 The Journal of Biological Chemistry, 289, 639-653.

 HLA class II α and β chains form receptors for antigen presentation to CD4+ T cells. Numerous pairings of class II α and β subunits from the wide range of haplotypes and isotypes may form, but most of these combinations, in particular those produced by isotype mixing, yielded mismatched dimers.

 It is unclear how selection of functional receptors is achieved. At the atomic level, it is not known which interactions of class II residues regulate selection of matched αβ heterodimers and the evolutionary origin of matched isotype mixed dimer formation. In this study we investigated assembly of isotype-mixed HLA class II α and β heterodimers.

 Assembly and carbohydrate maturation of various HLA-class II isotype-mixed α and β subunits was dependent on the groove binding section of the invariant chain (Ii). By mutation of polymorphic DPβ sequences, we identified two motifs, Lys-69 and GGPM-(84?87), that are engaged in Ii-dependent assembly of DPβ with DRα.

 We identified five members of a family of DPβ chains containing Lys-69 and GGPM 84?87, which assemble with DRα.

 The Lys/GGPM motif is present in the DPβ sequence of the Neanderthal genome, and this ancient sequence is related to the human allele DPB1*0401.

 By site-directed mutagenesis, we inspected Neanderthal amino acid residues that differ from the DPB1*0401 allele and aimed to determine whether matched heterodimers are formed by assembly of DPβ mutants with DRα.

 Because the *0401 allele is rare in the sub-Saharan population but frequent in the European population, it may have arisen in modern humans by admixture with Neanderthals in Europe.

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  Bioquicknewsの紹介記事です。

  ネアンデルタール人の骨から重要な免疫遺伝子発見

  ドイツのBonn Universityの研究グループと国際的な共同研究チームが、新しい受容体を発見した。現代人類が持っているこの受容体は危険な侵入物を判定し、免疫反応を発揮するために重要な器官である。この有益な器官の青写真はネアンデルタール人の骨のゲノムからも見つかっており、その起源がうかがわれる。この受容体が初期の人類に風土病に対する免疫を与えた。しかも、初期の人間にこの受容体が見つからず、現代ヨーロッパ人からは見つかるということは、現代ヨーロッパ人がこの受容体をネアンデルタール人から受け継いだ可能性を示している。この研究論文は、2013年11月8日付「Journal of Biological Chemistry」オンライン版に掲載されている。

  病原体が人体に感染すると、免疫系が危険な侵入物を判定し、これを攻撃する。進化の過程で効果的な防衛機能が発達したが、これは諜報機関員の方法とやや似たところがある。ヒト白血球抗原 (HLA) 系は、特定の遺伝子の助けを借りて受容体を作り、その受容体がアミノ酸8個からなるプロフィールを使って病原体の危険度を評価する。

  University of Bonn, Department of Immunobiology, Institute for Geneticsの教授を務めるDr. Norbert Kochは、「この機能は、スパイが単語のごく少数の文字からその文を怪しいと判断することに似ている」と述べている。このメッセージを解読するため、免疫系は侵入者のタンパク質をペプチドに分解し、さらにそのペプチドの一部をスキャンしてアミノ酸の配列を調べることもする。

  これまでのところ、3種類のペプチド受容体が1000を超える発現形態を示すことが知られており、これが病原体の身元証明になる文字組み合わせを読み取る機能を果たしている。Professor Kochは、「免疫系が人体に害をもたらす病原体スペクトラム全体のリスク評価をするためにはこのような幅広い発現が必要になる」と述べている。

  University of Bonnの免疫生物学者らが指導する、University of Dusseldorf、Technical University of Munich、Jacobs University Bremen、Cambridge Universityの国際的研究チームの手でさらに4番目の受容体が突き止められた。この受容体は、すでに知られている受容体の構成部分の組み合わせでできており、"HLA-DRaDPb”という略称で呼ばれている。

  研究者チームは、発見された受容体をエンコードしている遺伝子塩基配列をデータベースと比較し、ヨーロッパ人の3人に2人はこの重要な器官を持っていると推定している。Professor Kochの学生の一人がProfessor Koch自身のDNAのシーケンシングを試し、この受容体の青写真を持っていることを突き止めている。

  ところが、人類発祥の地と知られているアフリカの南部の住民の間ではこの受容体をつくるのに必要な遺伝子塩基配列が非常にまれであることを知って研究者らは驚いた。Professor Kochは、「現代人類の祖先にあたる初期の人間が何十万年か前にアフリカからヨーロッパに移動してきた頃にはまだこの受容体を持っていなかった」と述べている。

  2010年、ライプツィッヒ所在Max Planck Institute for Evolutionary Anthropologyの教授を務めるDr. Svante Paaboが指導してネアンデルタール人のゲノムのシーケンシングを行い、発表した。さらに、研究グループは、初期人類の一グループであるネアンデルタール人が受容体の青写真になる基本的な遺伝子塩基配列を持っていたかどうかを調べた。

  この実験的な作業で主要な役割を果たしたDr. Sebastian Temmeは、University of Dusseldorfの同僚と協力し、ネアンデルタール・データベースから入手した骨の小片からネアンデルタール人のゲノム塩基配列を解析、編集した。

  Professor Kochは、「ネアンデルタール人の遺伝子塩基配列は現代人類のそれとほぼ同一だ」と述べている。ネアンデルタール人は何十万年もヨーロッパに生活し、その間に様々な病原体に対する免疫をつけるHLA受容体を発達させたものと考えられる。

  このことはアフリカを起源とする現代人類の先祖と違って、ヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人がその免疫細胞中にこの受容体を持っていたことを意味する。Professor Kochは、ヨーロッパの現代人がこの優れた受容体を獲得できたのはネアンデルタール人のおかげだと考えており、「紛れもなく進化の過程で得られた優位性」だと述べている。画像はHLA抗原。

本論文の中のわかりやすい第8図、"DPB対立遺伝子およびリース/GGPMモチーフの世界的な分配"をご紹介します。

  地図は、非移動性の集団(つまり先住民と、移住してきたが定住して長い期間が経つ住民のこと)を基本にして、DPB対立遺伝子0101、0201、0301および0401の対立遺伝子頻度を表示します。 赤が高頻度、青は低頻度(地図間の頻度間隔・スケールは同じではない)。

  D図の DPB1*0401対立遺伝子は、サハラ以南のアフリカにおいて比較的まれだが、北欧の集団になるほど高頻度になる。

  ネアンデルタールはLys-69とGGPM-(84-87)の両方を運びます、そして利用可能なシーケンスに関する単一の残留物によって現代人のDPB1とは異なります。

  つまりLys-69およびGGPM-(84-87)は現代人の他の対立遺伝子とは独立して生じたのです、それはそれらの配置の起源の解釈を決定することを困難にします。(つまり現代人起源ではなく、ネアンデルタール人起源、ということ)


http://garapagos.hotcom-cafe.com/17-11.htm

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  わかりにくい説明なのですが、どうやら他の対立遺伝子はホモサピエンスの起源がアフリカであることと矛盾しないが、D図の「0401」対立遺伝子のみは現在アフリカ南部に住むホモサピエンスの起源遺伝子集団Y-DNA「A」と「B」が分布する地域では低く、それに対し出アフリカ組が居住する地域では高く、出アフリカしなかったY-DNA「A」,「B」やmtDNA「L」などの「非出アフリカ組」ホモサピエンス起源では説明出来ない、と説明しているのです。

  しかもこの対立遺伝子はネアンデルタール人から見つかったことから、出アフリカしたホモサピエンスが中東やヨーロッパでネアンデルタール人と密に交配し獲得し、更にインド亜大陸から移動してきたY-DNA「I」のクロマニヨン人が絶滅寸前のネアンデルタール人からしっかりとこの免疫システムを受け継ぎ、子孫のノルマン人が多く居住する北欧ほど頻度が高くなる結果となっている、と言いたいようです。

  また、もうひとつ重要なことは、アフリカ全体を見てもY-DNA「E」が分布をするところも「低め」、Y-DNA「J」のセム系が居住する北アフリカは「高め」になっています。そして実は日本も「低め」になっています。

  これは何を意味するのかは、明白で、ネアンデルタール人と交配しY-DNA「B」から分化したY-DNA「DE」と「CF」のうち、「DE」はネアンデルタール人とから受け継いだ形質が低く、「CF」は高かった事を意味しています。勿論縄文型のmtDNA「M*」や「M7」「M8」M9」などのアジア型mtDNA「M」系統もネアンデルタール人から受け継いだ形質が低かったことを意味するでしょう。

  縄文型と同じmtDNA「M」系列が多い南米も低いようです。Y-DNA「E」のアフリカ系が多いアメリカ南部も同じく低くなっています。

  出アフリカした中東でホモサピエンスのY-DNAが「DE」と「CF」に、mtDNAが「M」と「N」に分化した最大の要因が、ネアンデルタール人との交配により受け継いだ形質の程度によるものであることは現在の世界の研究報告をまとめると最も合理的な説明になります。
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16. 中川隆[-7267] koaQ7Jey 2017年7月07日 12:33:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源

17-1. デニソワ人  :ネアンデルタール人のアジアの姉妹旧人
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  American Journal of Human Geneticsのデニソワ人の報告です。BioQuick Newsの日本語訳も転載します。

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Denisova Admixture and the First Modern Human Dispersals into Southeast Asia and Oceania

David Reich, Nick Patterson, Martin Kircher, Frederick Delfin, Madhusudan R. Nandineni, Irina Pugach, Albert Min-Shan Ko, Ying-Chin Ko, Timothy A. Jinam, Maude E. Phipps, Naruya Saitou, Andreas Wollstein, Manfred Kayser, Svante Paabo and Mark Stoneking

Abstract

It has recently been shown that ancestors of New Guineans and Bougainville Islanders have inherited a proportion of their ancestry from Denisovans, an archaic hominin group from Siberia. However, only a sparse sampling of populations from Southeast Asia and Oceania were analyzed.

Here, we quantify Denisova admixture in 33 additional populations from Asia and Oceania. Aboriginal Australians, Near Oceanians, Polynesians, Fijians, east Indonesians, and Mamanwa (a Negrito group from the Philippines) have all inherited genetic material from Denisovans, but mainland East Asians, western Indonesians, Jehai (a Negrito group from Malaysia), and Onge (a Negrito group from the Andaman Islands) have not.

These results indicate that Denisova gene flow occurred into the common ancestors of New Guineans, Australians, and Mamanwa but not into the ancestors of the Jehai and Onge and suggest that relatives of present-day East Asians were not in Southeast Asia when the Denisova gene flow occurred. Our finding that descendants o f the earliest inhabitants of Southeast Asia do not all harbor Denisova admixture is inconsistent with a history in which the Denisova interbreeding occurred in mainland Asia and then spread over Southeast Asia, leading to all its earliest modern human inhabitants.

Instead, the data can be most parsimoniously explained if the Denisova gene flow occurred in Southeast Asia itself. Thus, archaic Denisovans must have lived over an extraordinarily broad geographic and ecological range, from Siberia to tropical Asia.

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  複数の人種の移動によって形成されたアジアの歴史をDNAが解明 

  古代から現代までのヒトのDNAパターンを研究している国際チームは、40,000年前のアジアへの集団大移動と人種間のDNAの混合について新事実を発見した。

ハーバード大学医学部とドイツ、ライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所の研究チームが最先端のゲノム解析法を使って調べた結果、デニソバンと呼ばれる古代人類が、 現代のニューギニアだけではなく、フィリピンとオーストラリアのアボリジニのDNAに関与していることが分かった。このデニソバンとは最古の人類の一種で、 去年シベリアで発掘された指骨のDNAを解析した結果解明された。今回の研究結果はこれまでの遺伝子学研究による説を否定し、現生人類は複数の大移動でアジアに定着したという事になる。

    「デニソバのDNAは、人の血管をトレースする医用イメージング色素のようなものです。とても目立つため、個体に少しの量でも存在していればすぐに分かるのです。 このようにして、私たちは大移動した人種の中からデニソバのDNAをトレースすることが出来たのです。これは、人類の歴史を理解するためのツールとして、 古代DNAの配列決定がいかに重要であるかを示しています。」と、ハーバード大学医学部の教授、デイビッド・リーク博士は語る。

今回発見されたパターンは、 少なくとも二回の大移動があったことを示している。一つは東南アジアとオセアニアに住む原住民のアボリジニ、もう一つは東南アジアの人口のほとんどを占めている東アジア人の系統である。 また、この研究は古代デニソバンが居住していた場所についても新たな考察が成されている。マックス・プランク研究所の教授であり、 今回の論文の著者でもあるマーク・ストーンキング博士によると、デニソバンはシベリアから熱帯の東南アジアまでの非常に大規模な生態学的、地理的範囲に移住していたとされる。

  「デニソバンのDNAが東南アジアのいくつかのアボリジニに存在しているということは、44,000年以上前にデニソバのDNAを持つ人種と持たない人口が 市松模様のように存在していたということになります。このように、デニソバンの遺伝子を有するグループとそうでないグループがあるということは、 デニソバンが東南アジアに住んでいたとすれば説明がつきます」と博士は説明する。

この所見は、2011年9月22日付けのAmerican Journal of Human Genetics誌に記載されている。 今回の研究は、マックス・プランク研究所のリーク博士率いるチームが2008年にシベリアのデニソバ洞窟でロシアの考古学者によって発見された古代の小指の骨を分析した研究に基づいている。 スヴァンテ・パーボ博士率いるマックス・プランク研究所チームは、この骨の核ゲノム配列を解析し、リーク博士が研究員と開発したアルゴリズムを使って人種の遺伝子解析を行った。 2010年12月のNature誌に掲載された彼らの研究結果によると、デニソバンが30,000年以上前に存在していた古代原人の一系統であり、現代のニューギニア人の遺伝子に関与しているようだ。

デニソバンはネアンデール人でも現生人類でもないが、共通祖先がいるという結論に達している。この論文により、初期の人類がアフリカを離れた時期から 曖昧になっていた人類の進化の過程について説明と、人間が歴史的に混在しているという見解が補完された。

  新しい研究は、東南アジアとオセアニアの遺伝子変異の専門家であるストーンキング博士によって始められた。博士は、これらの地域から多様なサンプルを集め全体像の構築を行なっている。 この研究はデニソバンの遺伝子が移動した「足跡」に重点を置いており、研究チームは、ボルネオ島、フィジー、インドネシア、マレーシア、オーストラリア、フィリピン、 パプアニューギニア、そしてポリネシアを含む東南アジアとオセアニアにおける現在の人種の多種多様のDNAを解析した。

既存のデータと新たなデータの解析結果を統合した分析結果によると、 デニソバンはニューギニア人だけでなく、オーストラリアのアボリジニとママンワと呼ばれるフィリピンのネグリト族、また東南アジアとオセアニアのいくつかの人種に遺伝子材パーツを提供している。 しかし、アンダマン諸島のオンジ族(注:Onge族のこと、日本人の縄文人の祖先型のY-DNA「D*」100%の遺伝子集団なので当然デニソワ人とは交配していない)やマレーシアのジェハイ族、 また東アジア諸島を含む西部や北西部の人種はデニソバンと交配していない。 

研究チームは、デニソバンは現生人類と44,000年以上前に東南アジアで交配したと結論付けた。 これは、オーストラリア人とパプアニューギニア人が分化する前である。東南アジアは、現在の中国人とインドネシア人とは関係のない近代人種によって植民地化された。 この「南方ルート」仮説は、考古学的な証拠によってはサポートされていたが、強力な遺伝子的証拠は今まで存在していなかった。MITとハーバード大学のブロード研究所、 ドイツ、インド、台湾、日本、マレーシア、そしてオランダからのチームによる共同研究によってこの研究は行なわれた。
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14-9. デニソワ人の新しい研究論文が発表されました。
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  ドイツのマックスプランク研究所のデニソワ人プロジェクトチームからゲノムの解析結果が発表されました。ScienceのSummaryとBioquickニュースの概要をご紹介します。

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A High-Coverage Genome Sequence from an Archaic Denisovan Individual

Science Published Online August 30 2012

Department of Evolutionary Genetics, Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology, D-04103 Leipzig, Germany.

Matthias Meyer 他33名

Researchers have sequenced the genome of an archaic Siberian girl 31 times over, using a new method that amplifies single strands of DNA. As the team reports online in Science this week, more than 99% of the nucleotides are sequenced at least 10 times, so researchers have as sharp a picture of this ancient genome as of a living person's.

That precision allows the team to compare the nuclear genome of this girl, who lived in Siberia's Denisova Cave more than 50,000 years ago, directly to the genomes of living people, producing a "near-complete" catalog of the small number of genetic changes that make us different from the Denisovans, who were close relatives of Neandertals.

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  Bioquickニュースの紹介記事です。

  ドイツ・ライプチヒにあるマックスプランク進化人類学研究所のスバンテ・パーボ博士に率られる研究チームが、デニソバ人のゲノム変異の解析を行い、それが極めて低いことを明らかにした。 これは即ち、デニソバ人が今ではアジア全体に広く分布しているにしても、昔はそれほど人口が多くなかった事を示唆している。

  更には、ゲノムの総目録から明らかなのは、遺伝子の変異は古代の祖先の時代ではなく現代人の世代に見受けられる事である。 これらの変異の状況から推察されることは、それが脳機能や神経システムの発達に関係しているのではないかという事である。 2010年にパーボ博士と研究チームは、南シベリアのデニソバ洞窟から発見された指骨の欠片からDNAを単離して解析した。

それは、それまで知られていなかった古代人の若い女性の骨である事が解り、「デニソバ人」と名付けられた。 DNAの2重螺旋を容易に解く技術が開発されたおかげで、それぞれの2本をシーケンス解析に使用し、デニソバ人のゲノムを全箇所に渡って30回以上繰返しシーケンシングする事が出来た。 これによって、解析されたゲノムシーケンスの正確さは、現代人のゲノムを解析する場合の精度と同等の品質のものが得られた。

  サイエンス誌2012年8月30日付けオンライン版に発表された最新の研究では、パーボ博士と研究チームは、デニソバ人のゲノムを、ネアンデルタール人及び世界各地から得た現代人11人のゲノムと比較検討した。 その結果、前報にあるように、現在東南アジアの島々に住む人たちとデニソバ人のゲノムがどのように混合されたのかが再確認された。

また、ヨーロッパ人と比較して、東アジアや南アメリカに住む人たちの方が、ネアンデルタール人のゲノムを若干多く含んでいることも明らかにされた。 「東アジア地域で観察されるゲノムが、デニソバ人よりネアンデルタール人により近いという事は、古代のネアンデルタール人の人口は、ヨーロッパよりアジアの方が多かったと推測される。」 と論文では述べられている。

  「これは絶滅種族のゲノム情報を極めて高い精度で解析した結果です。ほとんどのゲノムは染色体2対の違いさえも解析が出来、デニソバ人の若い女性についても、両親から受け継いだ夫々について解析出来ました。」

と本研究の筆頭著者であるマシアス・メイヤー博士は語る。つまり、この技術によって、当時のデニソバ人のゲノム変異の発生頻度は、現代人に受け継がれてからよりも低いことが解ったのだ。 これを基に推定できることは、デニソバ人は当初は人口が少なかったが、その後、短期間のうちにより広い地域に広がったという事である。 「今後、ネアンデルタール人の人口推移も同じような経緯を辿った事が明らかになれば、アフリカから発祥した単一集団が、デニソバ人とネアンデルタール人とに分かれていったと推察されます。」 と本研究を率いるパーボ博士は語る。

  研究チームは更に、デニソバ人から分かれた現代人に起こった比較的最近のゲノム変異が、10万個程度ある事を明らかにしている。 そして、その変異のいくつかは、脳機能と神経システムの発達に関与するものである事も解っている。その他の変異で注目されるのは、皮膚や目や歯などの形態に関与するものである。 「本研究によって、古代の人類は結果として人口が減ったり絶滅したりした一方で、現代人がどのように複雑な文化的多様性を保ちながら急速に人口を増やしてきたのかを明らかにする道が開けたと思います。」 とパーボ博士は語る。

  今年の初め、ライプチヒの研究チームは、デニソバ人の全ゲノムシーケンスを世界の研究者に、オンラインで公開した。 デニソバ人の指の骨がロシアアカデミーのアナトリー・デレビアンコ氏とミカイル・シュンコフ氏によって発見されたのは、彼らがデニソバ洞窟を掘削している2008年の事であり、 考古学的発掘調査によって、人類が生活していたのは遺跡の地層から、凡そ28万年前からである事が確認された。指の骨は、その発見された地層の年代から、5万年前から3万年前位であると推定される。

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  この結果は当ガラパゴス史観が推測したデニソワ人はネアンデルタール人の極東ローカル型だ、という推測を支持しました。

  東アジアと南アメリカに住む部族の方がネアンデルタール人のゲノムを若干多く含んでいる、という結果は予想外でした。 中東でネアンデルタール人と遭遇したホモサピエンスは遺伝子を受け継ぐほどの交配を重ね、見た目の形質的な影響が大きかった(彫が深いいかつい風貌、赤毛。金髪・碧眼等)Y-DNA「CF」と 見た目の影響が少なかった(ジャガイモ顔を維持した)Y-DNA「DE」に分化した訳ですが、当然「CF」に属する彫の深いヨーロッパ人の方がネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子比率は高いと思っていました。 (先に書きましたが、Y-DNA「D2」に無精子症や乏精子症の比率が高いのは、ネアンデルタール人との亜種間交配の負の遺産と考えられます。)

  東アジアと南アメリカの遺伝子はY-DNA「M」,「N」,「O」,「S」と「Q」です。いずれもY-DNA「K」から分化した亜型になります。 「R」のみがアーリア人の遺伝子となり西進しヨーロッパ人の主力となり、南下してインドアーリア人になりました。

  一方東南アジアの島々の先住民にデニソワ人の遺伝子が受け継がれていると言うことも再認識されました。 オセアニアにはY-DNA「C2」、「M」と「S」という独特な3つのハプロタイプ亜型が存在します。島々に別れて住んだ動物ならその後接触がなければ亜種に分化することは常識ですが、 人間は移動手段を持ち近親婚による遺伝病を防ぐために部族間(島間)の通婚は当然だったはずで、自然のままなら更に亜型が分化する理由はないのです。 あの広いアマゾンの先住民でさえも亜型は見事にY-DNA「Q」のみなのです。

  ということは、旧サフール大陸以来の先住民であるY-DNA「C2」ニューギニア先住民とデニソワ人が交配してY-DNA「M」と「S」が分化した可能性も充分にあるのです。
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15-21. デニソワ人との交配で獲得されたらしいチベット人の高高地適応
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-21.htm

  「Nature」の2014年8月14日、「チベット人の高高地適応はデニソワ人由来と考えられる遺伝子によってもたらされたらしい」ことが報告されました。

  日本人には直接関係がなく、人類の進化そのものにも関係がなく、論文も読みにくく当ホームページの記事にするかどうか迷ったのですが、National Geographics、Answersingenesis、 カルフォルニア大学等のニュース解説を読んでみてやっとわかってきたので遅ればせながら記事にしてみました。興味のある方は是非原文をじっくり読んでみてください。難解でした。

  要するに、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との亜種間交配は既に学会でも認められていますが、デニソワ人など他の亜種との交配もそれぞれの地域で少なからずあったと言うことです。

  というような前提で本論文の諸解説記事を読んでみました。National Geographicsの解説は「Not Exactly Rocket Science」というカテゴリで紹介されていました。 つまり「えーっ、そうなの?」「ホンマかいな?」という内容を紹介するスタンスのようです。

  ネアンデルタール人の東アジア亜種であろうデニソワ人が、ネアンデルタール人と交配し遺伝子を受け取っている我々出アフリカ組ホモサピエンスに、 更にデニソワ遺伝子を残したと言うのは荒唐無稽ではないのです。特にメラネシア人にデニソワ人の遺伝子が残されているとの解析は進んでいます。

  高高地適応をもたらすEPAS1遺伝子のハプロタイプはチベット人とのみ一致しており、メラネシア人には高高地適応遺伝子は受け継がれていないということらしいのですが?

  メラネシア人のY-DNA「C1c(旧C2)」,「M」と「S」の中で、Y-DNA「C」は縄文系海洋性Y-DNA「C1a(旧C1)」の弟遺伝子で本来海洋性のハンターで高地には適応する必要はなさそうです。 Y-DNA「M」はオセアニアの諸島に一般的に見られやはり高地適応する必要性はなかったはずです。 ところがニューギニアの高地(最高峰は4880mもあるのです)ではY-DNA「S」の比率が高くデニソワ人の影響が強いことが期待されますが、 本論分はそこまで広範囲で詳細な調査は行っていないので、残念ながらこれ以上はわかりません。

  と言う訳で、最高峰がペルーハ山(4506m)に過ぎず平均すればそれほど高地でもないアルタイ山脈出身と言うデニソワ人が、何故平均高度でも4500mもあるチベット高原の 高高地適応遺伝子をチベット人に渡せたのか甚だ疑問なのですが、遺伝子調査の結論では、チベット人のEPAS1遺伝子のハプロタイプは他のホモサピエンスとはかなり異なり デニソワ人のみと一致したと主張しているので、解析が間違いでない事を期待して受け入れるとすると、

  アルタイ山脈で高高地適応したデニソワ人は、南下を始め太平洋に向かい中国大陸を通り抜ける時に、Y-DNA「O1」,「O2」(長江文明系)や「O3」(黄河文明系)の新興遺伝子群との 抗争に負け逃げ込み先が高原しかなかった中国大陸最古の民族であるY-DNA「D1」古代羌族集団と交配しEPAS1遺伝子を渡し、更に高高度のチベット高原での高高地自然選択に勝ち残り チベット高原に棲み付くことに成功した一団がチベット族になったということになりそうです。

  課題はこの論文ではY-DNAを調査していないので調査対象はY-DNA「D1」だったのか混在しているY-DNA「O3」も混じっていたのかがわからないのです。 National Geographicsの解説記事では、30,000〜40,000万年前頃にチベット人はデニソワ人と交配したらしいと推測しています。 となると既にY-DNA「O」は分化し始めていた頃ですが、Y-DNA「O3」はまだ分化していなかったと考えられる頃なので、 交配したのはやはり推測通り縄文系Y-DNA「D2」の兄遺伝子のY-DNA「D1」という可能性が極めて高いようです。

  という訳で、NatureのAbstructをご紹介します。

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Altitude adaptation in Tibetans caused by introgression of Denisovan-like DNA

Nature 512, 194?197, Published 14 August 2014, doi:10.1038/nature13408
Huerta-Sanchez E, Jin X, Asan, Bianba Z, Peter BM, Vinckenbosch N, Liang Y, Yi X, He M, Somel M, Ni P, Wang B, Ou X, Huasang, Luosang J, Cuo ZX, Li K, Gao G, Yin Y, Wang W, Zhang X, Xu X, Yang H, Li Y, Wang J, Wang J and Nielsen R

Abstract

As modern humans migrated out of Africa, they encountered many new environmental conditions, including greater temperature extremes, different pathogens and higher altitudes.

These diverse environments are likely to have acted as agents of natural selection and to have led to local adaptations.

One of the most celebrated examples in humans is the adaptation of Tibetans to the hypoxic environment of the high-altitude Tibetan plateau.

A hypoxia pathway gene, EPAS1, was previously identified as having the most extreme signature of positive selection in Tibetans, and was shown to be associated with differences in haemoglobin concentration at high altitude.

Re-sequencing the region around EPAS1 in 40 Tibetan and 40 Han individuals, we find that this gene has a highly unusual haplotype structure that can only be convincingly explained by introgression of DNA from Denisovan or Denisovan-related individuals into humans.

Scanning a larger set of worldwide populations, we find that the selected haplotype is only found in Denisovans and in Tibetans, and at very low frequency among Han Chinese.

Furthermore, the length of the haplotype, and the fact that it is not found in any other populations, makes it unlikely that the haplotype sharing between Tibetans and Denisovans was caused by incomplete ancestral lineage sorting rather than introgression.

Our findings illustrate that admixture with other hominin species has provided genetic variation that helped humans to adapt to new environments.

  デニソワ人のようなDNAの遺伝子浸透に起因するチベット人の高地適応

  現代人(ホモサピエンス)がアフリカから移住するとともに、それらはより極端な高低温、様々な病原体やより高い高地を含む、多くの新しい環境条件に遭遇した。

  これらの種々の環境は自然淘汰の代理人として働き、地域的な適応に結びついた。

  人間で最も有名な例のうちの1つは、高高地チベット高原の低酸素症の環境へのチベット人の適応である。

  低酸素症経路遺伝子のEPAS1は以前、チベット人の中で正の選択をされた最も最大のサインと確認され、高高地でヘモグロビン濃度の違いに関係していることが示されました。

  40人のチベット人と40人の漢族のEPAS1付近の遺伝子の再配列で、我々はこの遺伝子は非常に変わったハプロタイプ構造を持っており、それはデニソワ人かデニソワ人関連の個体からの 遺伝子浸透によってのみ納得できる説明が可能なのです。

  広範囲な世界中のより大きな集団セットを走査した結果、我々は、選択されたハプロタイプがデニソワ人とチベット人のみで見つかることを知りました、そして漢民族の中にも 非常に低い頻度であることも知りました。

  更に、ハプロタイプの長さと他の人口集団には見られないことから、チベット人とデニソワ人の間のハプロタイプの共有が遺伝子浸透ではなくむしろ不完全な先祖の血統の分類に 起因しているのではないかという他の見方を退けています。

  我々の発見物(調査結果)は、他の人類種との混合(交配)が、人類が新しい環境に適応することを助ける遺伝的な変化もたらしたことを示しています。

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National Geographicsの7月2日の解説記事をご紹介します。訳の精度は期待しないでください。

絶滅した人類は高高地適応遺伝子をチベット人へ渡しました

  チベットの人々は、デニソワ人と呼ばれる絶滅した人類達から継承したある遺伝子のおかげで、誰もが最も居住に適さないと呼ぶ場所の一つである世界の屋根と呼ばれる 高高度の高原上で生き残ることができます。そのデニソワ人は、あなたの手のひらに入る程度のほんの2〜3の骨片から再現された41,000年前のDNAのおかげでほんの4年前に発見されたばかりなのです。

  人間の進化の研究がどうしてこれまでもっと刺激的でなかったかの理由を、要約することができるならば、これが理由なのです。

  2010年に、カリフォルニア大学バークレー校のラスマス・ニールセンが、チベット人のEPAS1(低い酸素濃度を扱うのを支援する)と呼ばれる遺伝子に変異あることを知ったのです。

  この変異のおかげで、チベット人たちは、我々が必要とする酸素濃度より40%も低い酸素濃度の空気に対処することができるのです。そして、我々が暮らすには困難な標高4,000mの チベット高原で住むことができるのです。

  EPAS1変異はチベット人の87%および漢民族のちょうど9%で見つかります。2つの民族が3000年前に居住地を別れたとしても、現在まで、人類集団の自然淘汰の最も強力な実例なのです。

  しかし、研究チームが更に40人のチベット人および40人の漢民族のEPAS1を配列した時、彼らはチベット人の形が他の民族のものとは信じられないほど異なることに気づきました。

  それは、チベット人の血統の中で徐々に変異していったとは思えないほど非常に異なっていたのです。

  そうではなく、それは異なるグループ集団から既に変異した形で継承されたように思われました。

  他の完全なゲノムの調査によって、研究チームが最後に見つけた出所がデニソワ人だったのです。

  チベットのEPAS1は、デニソワ人の物とほとんど同一でした。

  そしてそれは今、チベット人に特異的なのですが、それは元はデニソワ人の革新だったのです。

  我々は、デニソワ人がどのような人類に見えたかまだ見当もつかないので、この発見はなおさら驚くべきものです。

  我々が持っている化石は指節骨、つま先および2本の歯だけなのですから。

  これらの破片からのDNA配列のみによって、科学者達は未知の人類の存在を予知し、彼らの全ゲノムを解読することで、彼らの遺伝子がどのように現代人の中に生き続けているか示しました。

  デニソワ人のDNAは、メラネシアの太平洋の島々の人々のゲノムの5?7パーセントを占めています。

  はるかに少ない比率で東アジア人の中にも生き続けています。

  そして今、我々はある非常に有用なデニソワ人DNAがチベット人の中にに生き続けていることを知っています。

  デニソワ人のゲノムを配列したSvante Paaboは次のように喜んでいます。

  「我々がわずか4年前に発見した絶滅したデニソワ人からの遺伝子拡散が、今日生きている人々のために重要な結果を持っていたことがわかったことは非常に満足である」と彼は言います。

  「それは完全な驚きだった」とニールセンは言います。

  「デニソワ人ゲノムが我々に公開された後、我々はとても不自然に思えたので、これを試みるには数年かかりました。」

  その発見もまた、人類進化の成長する絵(道筋)に対し、多くの亜種間交配を含んでいるという1つの絵を付け加えます。

  人類はアフリカで進化しました。そしてアフリカ大陸の外に住む人類は誰もが、先史時代の同時期に出アフリカした比較的小集団(Stanford大学の研究では 合計2000人程度の)のパイオニア的人間の血統を引いています。

  これらの先駆者は熱帯サバンナでの生活に適応していました。

  彼らは、移動するとともに、極端な気温や新しい疾病のように、世界がつきつけてきた様々な挑戦をすべて経験してきました。

  その時既に、ネアンデルタール人とデニソワ人のように、人類の他のグループが世界に居住していました。

  出アフリカしたホモサピエンスがこれらのグループに出くわした時に交配があったのです。

  またこれらの連携を通してホモサピエンスのゲノムには、長期間に渡って新しい大陸(ユーラシア)に適応した、他の人類からDNAが吹き込まれたのです。

  「それは‥‥多くの血統間の遺伝子の交換のネットワークという、人類進化の新しい考え方です。」とニールセンは言います。

  ニールセンは、ホモサピエンスは30,000〜40,000年前頃にアジアのどこかでデニソワ人と交配をしたと考えています。

  それらは、非常に低い頻度ですが、デニソワ人版のEPAS1を継承し残りました。

  EPAS1を持つ人々は、より高い高地でよりよく暮らすことが出来ました。そして子孫達はチベットの高原を植民地化したのです。

  これは、なぜチベット人の大部分およびチベットの外部に生きている数人の漢民族にデニソワ人のEPAS1を見つけたかを説明します。

  他の科学者達は、ネアンデルタール人との亜種間交配が我々のゲノムに対し、皮膚、髪および免疫系に有用な遺伝子を輸入したことを示しています。

  「我々が古代のゲノムから学んでいることは、彼らの各々が我々の祖先に貢献したのはほんの少しだけかもしれないが、それらの遺伝子の流れは役に立つ遺伝子の 小さい金色の情報のかたまり(ナゲット)でいっぱいだったということです」と、人類学者ジョン・ホークスは言います。彼は、私がデニソワ人の化石が見つかったDenisova洞窟を訪ねる直前に、 私に電子メールを送ってくれました。

http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-21.htm

  「少し驚くことは、デニソワ人が高地にいたわけではなかったということです」とホークスが言います。

  それ(デニソワ洞窟)はシベリアのアルタイ山脈中にあります。しかし、そこはあまり高くありません。

  もしデニソワ人がEPAS1の高高度バージョンを持っていたなら、彼らも中国と南アジアの山岳地帯に広がることが出来たことを意味します。

  「これは、デニソワ人が東南アジアルートに入ったかもしれないことを示しています。そこは我々が知っているホモサピエンスが(出アフリカ後インド洋沿岸に沿って) オーストラリア(サフール大陸)へ向かい東進する行程の途中で、デニソワ人の遺伝子を拾い上げたかもしれない」とホークスが言います。   ニールセンは、デニソワ人は必ずしも高高地に適応してはいなかったと、付け加えています。

  デニソワ人版のEPAS1は他の方法で彼らを支援することができ、偶然の一致でチベット人が世界の屋根を植民地化することを可能にしたのです。

  もし私がチベット高原へ旅行すれば、(低い酸素濃度のため)私の体はより多くの赤血球を作ることにより対処しようとするでしょう。それは、私の体のあちこちに酸素を輸送します。

  しかし私の体は過補償をし、赤血球の過剰産生を引き起こすでしょう。

  私の血液は濃く粘着性になるでしょう。そして私に高血圧と脳卒中を生じやすくさせるでしょう。

  チベット人はこの問題を抱えていません。

  彼らのEPAS1は、赤血球の過剰産生を止めて、自分自身に危害を与えることなく高地に順応するのを援助するのです。

  しかし、寒冷気候は、血管を収縮させることにより血圧を上げることもできます。

  非常に恐らく、デニソワ人版のEPAS1は、それらが「酸素の不足」ではなく「極端な寒さ」に適応することを支援しました。

  「あなたに決定的な解答を出すためには、私はデニソワ人を見つけだして、いくつかの生理学的実験を行う必要があろう」と彼が言います。

  「だけど私にはできませんが」とも。


15-21-2. チベット人の高地適応に寄与する遺伝子多様体

「Nature Genetics」の2014年8月14日オンライン版に、「チベット人の高地適応に寄与する遺伝子多様体」という解説記事が出ましたので合わせて報告します。

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Gene variant contributes to Tibetan high-altitude adaptation

Nature Genetics Published 14 August 2014, doi:doi:10.1038/ng.3067

Felipe R Lorenzo, Chad Huff, Mikko Myllymaki, Benjamin Olenchock, Sabina Swierczek, Tsewang Tashi, Victor Gordeuk, Tana Wuren, Ge Ri-Li, Donald A McClain, Tahsin M Khan, Parvaiz A Koul, Prasenjit Guchhait, Mohamed E Salama, Jinchuan Xing, Gregg L Semenza, Ella Liberzon, Andrew Wilson, Tatum S Simonson, Lynn B Jorde, William G Kaelin Jr, Peppi Koivunen & Josef T Prchal

Abstract

Tibetans do not exhibit increased hemoglobin concentration at high altitude. We describe a high-frequency missense mutation in the EGLN1 gene, which encodes prolyl hydroxylase 2 (PHD2), that contributes to this adaptive response.

We show that a variant in EGLN1, c.[12C>G; 380G>C], contributes functionally to the Tibetan high-altitude phenotype. PHD2 triggers the degradation of hypoxia-inducible factors (HIFs), which mediate many physiological responses to hypoxia, including erythropoiesis.

The PHD2 p.[Asp4Glu; Cys127Ser] variant exhibits a lower Km value for oxygen, suggesting that it promotes increased HIF degradation under hypoxic conditions.

Whereas hypoxia stimulates the proliferation of wild-type erythroid progenitors, the proliferation of progenitors with the c.[12C>G; 380G>C] mutation in EGLN1 is significantly impaired under hypoxic culture conditions.

We show that the c.[12C>G; 380G>C] mutation originated ~8,000 years ago on the same haplotype previously associated with adaptation to high altitude.

The c.[12C>G; 380G>C] mutation abrogates hypoxia-induced and HIF-mediated augmentation of erythropoiesis, which provides a molecular mechanism for the observed protection of Tibetans from polycythemia at high altitude.

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Nature Geneticsオンライン版の紹介文を転載しますので、より詳しく知りたい方は原文をどうぞ!

チベットの高地民族が極度の高地で生活できるようになった主な要因としてEGLN1遺伝子の多様体を挙げる論文が、今週、オンライン版に掲載される。チベットの高地民族は、 この遺伝子多様体を持っているため、低酸素環境に応答した赤血球の過剰産生が起こらないようになっているというのだ。高地に適応していない場合には、低酸素環境下で、 命にかかわる合併症が起こる。

平均標高が4500メートルを超えるチベット高原は、世界で最も高い場所にあり、そこでの酸素濃度は、海面における酸素濃度の3分の2しかない。そうした環境に適応していない者が 低酸素状態に置かれると、ほとんどの場合、赤血球の過剰産生が起こり、そのために血液の粘度が高くなる。これにより、血流と酸素供給が損なわれ、命取りになることもある。

今回、Josef Prchalたちは、チベット生まれで米国内に居住するチベット高地民族を被験者として、その高地適応の遺伝的基盤を調べた。 この研究では、基盤となる遺伝子の候補についての高分解能解析が行われ、EGLN1遺伝子の多様体が新たに同定された。この多様体は、チベット人全体の約85%に見られ、 チベット人以外の場合の保有率は、わずか0.8%だった。

Prchalたちは、チベット人とそれ以外の人々から採取した血液から細胞を単離し、 EGLN1遺伝子にコードされたチベット型のPHD2タンパク質が赤血球の産生を効率的に抑制するが、その作用は酸素濃度の低い時だけ生じることを明らかにした。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-21.htm


17. 中川隆[-7266] koaQ7Jey 2017年7月07日 12:36:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源


14-6. HLA抗原・免疫システムから解析した現代人と旧人の交配
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-6.htm


  出アフリカした現代人の遺伝子にネアンデルタール人とデニソワ人の遺伝子が交配していることは明らかになりつつありますが、免疫システムも受け継いでいるようです。

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The Shaping of Modern Human Immune Systems by Multiregional Admixture with Archaic Humans

Laurent Abi-Rached, Matthew J. Jobin, Subhash Kulkarni, Alasdair McWhinnie, Klara Dalva, Loren Gragert, Farbod Babrzadeh, Baback Gharizadeh, Ma Luo, Francis A. Plummer, Joshua Kimani, Mary Carrington, Derek Middleton, Raja Rajalingam, Meral Beksac, Steven G. E. Marsh, Martin Maiers, Lisbeth A Guethlein, Sofia Tavoularis, Ann-Margaret Little, Richard E. Green, Paul J. Norman, Peter Parham

Whole genome comparisons identified introgression from archaic to modern humans. Our analysis of highly polymorphic HLA class I, vital immune system components subject to strong balancing selection, shows how modern humans acquired the HLA-B*73 allele in west Asia through admixture with archaic humans called Denisovans, a likely sister group to the Neandertals. Virtual genotyping of Denisovan and Neandertal genomes identified archaic HLA haplotypes carrying functionally distinctive alleles that have introgressed into modern Eurasian and Oceanian populations.

These alleles, of which several encode unique or strong ligands for natural killer cell receptors, now represent more than half the HLA alleles of modern Eurasians and also appear to have been later introduced into Africans. Thus, adaptive introgression of archaic alleles has significantly shaped modern human immune systems.


http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-6.htm


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一般財団法人 HLA研究所の説明から抜粋すると、

  HLA抗原(Human Leukocyte Antigen=ヒト白血球抗原)は発見から半世紀以上を経て、HLAは白血球だけにあるのではなく、ほぼすべての細胞と体液に分布していて、 組織適合性抗原(ヒトの免疫に関わる重要な分子)として働いていることが明らかになりました。

  遺伝子型ごとに2つの型が判明します。それは、父親と母親の型を1つずつ受け継いでいるからです。両親から受け継いだ遺伝子の染色体は一対になっていますが、 そのためにHLAも同様に両親から受け継いだ2つの型が一対となって1つのセットを形成しています。それを「HLAハプロタイプ」と呼びます。 自分のHLA検査を行えば、各遺伝子型の2個の型が判明するだけですが、両親のHLA検査も行うと、どちらの遺伝子がどちらの親から遺伝したのかがわかります。

    今日あるHLA検査は、HLAが遺伝子の第6染色体の短腕にあることが解明された結果です。   HLAはA,B,C,DR,DQ,DPなど多くの抗原の組み合わせで構成され、さらにそれぞれが数十種類の異なるタイプ(アリル)をもち、ハプロタイプの組み合わせは、数万通りともいわれます。 HLAはヒトの体の中で重要な免疫機構として働いており、その主な役割は自他認識をすることにあります。

  例えば「HLA-A2」ハプロタイプを持つ人は「橋本病」や「Graves病」を発症しやすいのです。

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  この論文の図では、「B*73」・「C*15-」のHLAハプロタイプを持っていた原人(エレクトス)から旧人(ネアンデルタール人、デニソワ人)が、


●アフリカで分離したのは27万年〜44万年前頃、アフリカに残っていた残存原人から進化した、

●新人(ホモサピエンス)が’出アフリカ’したのは67500年前頃で、

●65000年前頃に新人存亡の危機で「C*15+」を獲得し、

●50000年前頃に東地中海辺り(つまり中東)で旧人と新人の亜種間交配が起り、旧人類が獲得していた色白、碧眼、赤毛や彫深顔などの形質だけでなく無精子症・乏精子症などの負の遺産も受け継ぎ、 そして免疫システムをも受け継いだらしい。

●その後30000年前頃に肉食の頂点捕食者だった旧人は大型動物の激減と共に絶滅し、雑食に変化していた新人は生き残り、アフリカ以外のアメリカ大陸も含む世界中に拡大し、

●10000年前頃にY-DNA「E」がとうとう’出戻りアフリカ’を果たし、交配したY-DNA「A」、「B」の非出アフリカ組のアフリカ先住民にも「B*73+」・「C*15+」が受け継がれた、


のだそうです。

  本論文ではデニソワ人はネアンデルター人の姉妹人類と表現しています。他の論文では明らかにmtDNAのヌクレオチド配置が異なるためネアンデルタール人とは区別されると表現しています。 当ガラパゴス史観はデニソワ人はネアンデルタール人のアジア型ではないかと推測しています。

  また更に別の論文では、新人と旧人の交配は60000年前頃の中東で恐らくネアンデルタール人と、45000年前頃に東アジアでデニソワ人との交配の可能性を報告しています。

  欧米で発表される論文は、ネアンデルタール人、デニソワ人の両旧人類と我々新人類との交配が間違いないことを続々と報告しています。恐らくその通りなのでしょう。

  50000年前頃に新人が突然技術力が上がったり、芸術性が芽生えたり、色黒のジャガイモ顔から彫深の褐色肌に薄まり、 とうとう高緯度地域特有の色白紅毛碧眼になったのはネアンデルタール人との交配で一気に獲得した形質とすれば、 ネアンデルタール人が獲得に数10万年かかった高緯度地域適応を数万年の短期間で手に入れた理由が納得できます。

  またY-DNA「D2」特有の日本人に多い無精子症・乏精子症の発症も亜種間交配のマイナスの結果と考えればすんなり納得できます。 また同じ新人類なのにネグリート形質を今でも維持しているY-DNA「A」、「B」の非出アフリカ組や「D」の日本人、チベット人、「E」の地中海沿岸のラテン系民族等と比べて、 ノルマン系など高身長人民族が大型だったネアンデルタール人との亜種間交配のプラスの結果、大型形質を受け継いだと考えることも非常に納得できます。

まとめると、ネアンデルタール人との交配で獲得した形質は、


・旧人のHLA抗原(全新人類か?!)

・無精子症・乏精子症(正式に報告されたのはY-DNA「D2」のみ)

・彫深顔(Y-DNA「CF」系が獲得)

・肉食性・攻撃性(大型獣ハンター、特にY-DNA「CF」系)

・高身長(特に北欧系・ノルマン系Y-DNA「I」の家系に顕著)

・色白、紅毛、碧眼(高緯度地適応なので北欧系に顕著)


などが目立つところです。

  新人類ホモサピエンスの中でアウストラロピテクス時代の人類本来のネグリート体質が受け継がれてきた古代遺伝子のY-DNA「A」「B」「C」「D」「E」「F」は全て現代でも基本的に小柄な遺伝子血統です。

  しかし中東で大型のネアンデルタール人と交配したことで大柄になる形質つまりエピジェネティクスを一気に獲得し、特にY-DNA「F」の新興子亜型遺伝子群にその大柄形質は濃く受け継がれました。 中でも最も早くヨーロッパ大陸に拡大したクロマニヨン人つまりノルマン系「I」は、絶滅寸前のネアンデルタール人とのさらに密接な交配で しっかりと大柄形質を固定化し北欧に特に展開したため高緯度寒地に高身長が強く発現したのです。

ラテン系以外の欧州人にはほとんどの民族にこのネアンデルタール人→ノルマン人遺伝子「I」がしっかりと交配しているため、欧州人は基本的に背が高いのです (大型化はエピジェネティクス=後天的獲得形質なので遺伝子そのものに変化は受けず、遺伝子の発現の仕方がコントロールされるのです)。

  一方ノルマン系遺伝子「I」の交配頻度の低い南欧のラテン系は新人本来のネグリート性を維持しているため小柄度が高いのです。 勿論個々に見ると個体差はありますが民族全体で見るとはっきり違いがわかります。南欧度が高いほど小柄で、北欧度が高いほど大柄になるのです。同様に色白・紅毛・碧眼の形質度も北高南低です。

  不思議なことに、これだけ人類・民族には複数の遺伝子が複雑に交配していることがわかってきているにも関わらず、いまだに人種論をふりかざす守旧派が後を絶たないことです。

特にネアンデルタール度の高い白肌連中の人種差別は根強いものがあります。

オーストラリアの移民の子孫の白肌人も数万年経てば低緯度地域適応で黒肌か褐色肌になります。 アメリカ北部やイギリスや高緯度地域のヨーロッパに住むアフリカ出身黒肌人も数万年経てば高緯度地域適応で白肌になる可能性大です。

  でも恐らくその数万年の過渡期間は肌色による人種差別がなくならないのでしょうね!これはきっと滅んでしまった白肌ネアンデルタール人の呪いかもしれません!!!

我々縄文系Y-DNA「D2」の負の体質である無精子症・乏精子症ももしかするとネアンデルタール人の呪いかもしれません!?

でも何故「D2」なのでしょうか?

縄文系「D2」はおとなしく争いを好まず、指示待ち系で和をもって貴しとなし、地味な存在ながら頑張っているのに。 どうせなら攻撃的で支配したがり屋で鼻持ちならない「O3」を無精子症にすればよかったのに......とひがむのは被支配層の縄文−弥生交配遺伝子です。

Y-DNA「O3」は「CF」の子亜型なのでネアンデルタール度は「D2」よりも当然かなり高いのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-6.htm


18. 中川隆[-7265] koaQ7Jey 2017年7月07日 12:44:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源

15-28. 古代に移動したDNA − 縄文人の先祖の移動も見えてくる!?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-28.htm


 2016年10月13日のNatureに、掲載された3論文と1レターを併せたカバー・ストーリーが表紙を飾りました。 カバー・タイトルは「The DNA of Ancient migrations」「古代に移動したDNA」です。

  内容の概要は、パプア・ニューギニア人、オーストラリア・アボリジニとアンダマン諸島のOnge族はホモサピエンスの出アフリカ後、 我々出アフリカ組ホモサピエンスと同じ先祖から分かれた、というY-DNA分析ではすでに明らかになっていることが、 常染色体の分析でも同じ結果になった、というものです。

しかもパプア・ニューギニア人とオーストラリア・アボリジニには、 5%ものデニソワ人の遺伝子が受け継がれているという内容で(しかしアンダマン諸島のOnge族には含まれていない。)、 ホモサピエンスの初期移動の50000年前ごろには既にサフール大陸に到達したことが分かっているパプア・ニューギニア人、オーストラリア・アボリジニ のみが移動の途中でデニソワ人と異種間もしくは亜種間交配を行い、その後の海面上昇でサフール大陸が分離した後にスンダ列島に移動してきた 新しい遺伝子集団からはデニソワ遺伝子が見つかっていない、ということだそうです。

  この論文情報が何故重要かというのは極めて明快で、我々日本人の精神風土を形成する縄文文化を築き上げたY-DNA「D2」とY-DNA「C1a」/「C3a」の 移動がわかり、なぜ日本人は周辺アジア諸国と精神風土が全く異なるのか、日本語は何故孤立言語なのかなど様々な日本独特の特異性に関する 疑問を呈してきた当ガラパゴス史観が常染色体研究でも裏付けられるからです。

では、以下にカバー・ストーリーと3論文のAbstractを転記します。グローバルな調査研究のため著者名と組織名はあまりにも多いので省略します。 また今回は特に文章が難しくぎこちない翻訳ですが、ぜひご自分で訳してみてください。あとは原著をお読みください。

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Volume 538 Number 7624 Cover Story

  "Three international collaborations reporting in this issue of Nature describe 787 high-quality genomes from individuals from geographically diverse populations. David Reich and colleagues analysed whole-genome sequences of 300 individuals from 142 populations. Their findings include an accelerated estimated rate of accumulation of mutations in non-Africans compared to Africans since divergence, and that indigenous Australians,

New Guineans and Andamanese do not derive substantial ancestry from an early dispersal of modern humans but from the same source as that of other non-Africans. Eske Willerlsev and colleagues obtained whole-genome data for 83 Aboriginal Australians and 25 Papuans from the New Guinea Highlands. They estimate that Aboriginal Australians and Papuans diverged from Eurasian populations 51,000?72,000 years ago, following a single out-of-Africa dispersal. Luca Pagani et al. report on a dataset of 483 high-coverage human genomes from 148 populations worldwide, including 379 new genomes from 125 populations.

Their analyses support the model by which all non-African populations derive most of their genetic ancestry from a single recent migration out of Africa, although a Papuan contribution suggests a trace of an earlier human expansion."

  今週号では3つの国際共同研究チームが、地理的に異なる多様な集団に属する個人から得られた計787例の高品質ゲノムについて報告している。

D Reichたちは、142集団に由来する 300人の全ゲノム塩基配列の解析を行い、非アフリカ人はアフリカ人との分岐後に、アフリカ人に比べて変異蓄積速度が加速したと推定されること、

またオーストラリア先住民、 ニューギニア人、アンダマン諸島人の実質的な祖先は、現生人類の初期の分散に由来せず、他の非アフリカ人と同じ起源を持つと考えられることを明らかにしている。

E Willerslevたちは、オーストラリアの先住民であるアボリジニー83人およびニューギニア島の先住民であるパプア高地人25人の全ゲノム塩基配列データを得て、 オーストラリア・アボリジニとパプア人は、単一の出アフリカ分散事象の後、7万2000〜5万1000年前にユーラシア人集団から分岐したと推定している。

一方、L Paganiたちは、世界各地の125の集団に属する483人から得た高カバー率のヒトゲノムデータセットを報告しており、その中には125の集団に由来する379例の 新規ゲノムが含まれている。

Paganiたちの分析結果は、全ての非アフリカ人集団は、その遺伝的祖先の大部分が最近起こった単一の出アフリカ分散事象に由来するという モデルを裏付けているが、パプア人にはそれ以前の人類の広がりの痕跡が見られることを示している。

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Nature Volume:538, Pages:207-214 Date published:(13 October 2016) DOI:doi:10.1038/nature18299

「A genomic history of Aboriginal Australia」

Abstract

  "The population history of Aboriginal Australians remains largely uncharacterized. Here we generate high-coverage genomes for 83 Aboriginal Australians (speakers of Pama?Nyungan languages) and 25 Papuans from the New Guinea Highlands. We find that Papuan and Aboriginal Australian ancestors diversified 25?40 thousand years ago (kya), suggesting pre-Holocene population structure in the ancient continent of Sahul (Australia, New Guinea and Tasmania).

However, all of the studied Aboriginal Australians descend from a single founding population that differentiated ~10?32 kya. We infer a population expansion in northeast Australia during the Holocene epoch (past 10,000 years) associated with limited gene flow from this region to the rest of Australia, consistent with the spread of the Pama?Nyungan languages.

We estimate that Aboriginal Australians and Papuans diverged from Eurasians 51?72 kya, following a single out-of-Africa dispersal, and subsequently admixed with archaic populations. Finally, we report evidence of selection in Aboriginal Australians potentially associated with living in the desert. "


  "オーストラリアのアボリジニの住民の歴史は、ほとんど不明のままです。

" "ここでは、我々はPama?Nyungan言語を話す83人のオーストラリア・アボリジニとニューギニア高地の25人のパプア人族の良質なゲノムを調整しました。

" "パプア人とオーストラリア・アボリジニの祖先が2万5000年〜4万年前ごろに分化したことが分かりました。

そして、古代のSahul大陸 (オーストラリア、ニューギニアとタスマニアが分離する前の大陸)の前完新世の人口構造を提案します。

" しかし、研究されたオーストラリア・アボリジニは全員、10000〜32000年前頃の単独の集団の出身でした。

我々は限られた遺伝子拡散と関連した完新世の時代(過去10000年)の間に、北東のオーストラリア地域から残りのオーストラリア全域に至る人口拡散を推論します。 そして、それはPama-Nyungan言語の広がりと一致しています。

オーストラリア・アボリジニとパプア人が、出アフリカ後に続く先輩人類(ネアンデルタール人)との交配の結果、ユーラシア人から5万1000〜7万2000年前ごろに分化したと 我々は試算しました。

最後に我々は、砂漠に生きてきたことと恐らく関連しているオーストラリア・アボリジニの中で働いた選択の証拠を報告します。

http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-28.htm


  この論文で重要なことは上図で、

・アボリジニ(及びニューギニア人)が出アフリカ組から分化したのが57000〜58000年前頃だろう。

・ホモサピエンスは60000年前頃と51000年前頃の、過去に2回ほどネアンデルタール人と大きな交配を経験している。

  ・・60000年前頃の恐らく中近東での交配で出アフリカ組Y-DNA「CT」は、YAP系Y-DNA「DE」と非YAP系「CF」に分離したようだ。

  ・・51000年前ごろの恐らくインド亜大陸での交配で非YAP系Y-DNA「CF」が古代遺伝子Y-DNA「C」と「F」に分化し、

    YAP系Y-DNA「DE」は古代遺伝子Y-DNA「D」と「E」に分化しただろう。
  ・・その後「D」はチベット人と縄文人になり、「E」は地中海(ラテン)系とアフリカ系になり、

  ・・一方「F」はインド亜大陸で大いに分化し、世界の全ての新興遺伝子の親遺伝子になった。

・Y-DNA「C」は44000年前頃にデニソワ人と交配し、Y-DNA「C1a」と旧「C2」と「C4」及び旧「C3」に分化したようだ。

  ・・その後「C1a」は日本列島に到達し港川人など海洋系ハンター縄文人になり、「C2」はニューギニア人、「C4」はアボリジニになり、

、     「C3」は内陸系ハンター縄文人やネイティヴ・アメリカンや中央アジア最大の遺伝子ジンギスカン系になった。


・極東組(Y-DNA「O」)が分化したのは42000年前ごろのようだ。

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Nature Volume:538, Pages:238-242 Date published:(13 October 2016) DOI:doi:10.1038/nature19792

「Genomic analyses inform on migration events during the peopling of Eurasia」


Abstract

  High-coverage whole-genome sequence studies have so far focused on a limited number1 of geographically restricted populations or been targeted at specific diseases, such as cancer. Nevertheless, the availability of high-resolution genomic data has led to the development of new methodologies for inferring population history and refuelled the debate on the mutation rate in humans.

Here we present the Estonian Biocentre Human Genome Diversity Panel (EGDP), a dataset of 483 high-coverage human genomes from 148 populations worldwide, including 379 new genomes from 125 populations, which we group into diversity and selection sets. We analyse this dataset to refine estimates of continent-wide patterns of heterozygosity, long- and short-distance gene flow, archaic admixture, and changes in effective population size through time as well as for signals of positive or balancing selection. We find a genetic signature in present-day Papuans that suggests that at least 2% of their genome originates from an early and largely extinct expansion of anatomically modern humans (AMHs) out of Africa.

Together with evidence from the western Asian fossil record11, and admixture between AMHs and Neanderthals predating the main Eurasian expansion12, our results contribute to the mounting evidence for the presence of AMHs out of Africa earlier than 75,000 years ago.


  全部ゲノム配列の研究は、ここまで地理的に制限された集団の限られた人数に集中したか、特異的疾患(例えばガン)に目標が定められていました。 "それでも、高分解能のゲノム・データが手に入ったことは、住民の歴史を推論するための新しい方法論の開発に至って、人類の突然変異速度についての議論を加速させました。

" "ここでは、我々はエストニアのBiocentre Human Genome Diversity Panel(EGDP)を示します。そして世界中の148人からの483の良質なヒトゲノムのデータセットがあります。 それは、125人から379の新しいゲノムを含んでいます。そして、それを我々は多様性と選択セットに分類しました。

" 我々はこのデータセットを、異種の接合性や長距離と近距離の遺伝子拡散、古い交配物と、時間と同様に前向きかバランスをとるための選択のサインを通した人口サイズの 変化サインなどを、大陸単位のパターンで推定することの精度を上げるために分析します。

現代パプア人のゲノムの少なくとも2%が、解剖学的現代人(AMHs)(現生人類:ホモサピエンス)より早く出アフリカし拡大した途絶えた系統に起源をもつことを示す遺伝子のサインを 発見しました。

西アジアの化石の記録からの証拠と、主要なユーラシア拡大に先行しているAMHsとネアンデルタール人の交配物と共に、 西のアジアの化石の記録からの証拠と、主要なユーラシア拡大に先行しているAMHsとネアンデルタール人の交配物と共に、我々の結果は、 75000年前より以前にAMHsが出アフリカした証拠に貢献します。

  この図では、ネアンデルタール人とデニソワ人がホモサピエンスに遺伝子を残しているが、ネアンデルタール人は全ての出アフリカ組に遺伝子を残したのに対し デニソワ人はアボリジニとニューギニア人の旧サフール大陸組など限られた範囲に遺伝子を残したようだ。

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Nature Volume:538, Pages:201-2062 Date published:(13 October 2016) DOI:doi:10.1038/nature18964

「The Simons Genome Diversity Project: 300 genomes from 142 diverse populations」


Abstract

  Here we report the Simons Genome Diversity Project data set: high quality genomes from 300 individuals from 142 diverse populations. These genomes include at least 5.8 million base pairs that are not present in the human reference genome. Our analysis reveals key features of the landscape of human genome variation, including that the rate of accumulation of mutations has accelerated by about 5% in non-Africans compared to Africans since divergence. We show that the ancestors of some pairs of present-day human populations were substantially separated by 100,000 years ago, well before the archaeologically attested onset of behavioural modernity.

We also demonstrate that indigenous Australians, New Guineans and Andamanese do not derive substantial ancestry from an early dispersal of modern humans; instead, their modern human ancestry is consistent with coming from the same source as that of other non-Africans.


  ここでは、我々はサイモンのGenome Diversity Projectデータセットを報告します:それは142の多様な集団から得た300人の個体の高品質ゲノムです。 これらのゲノムは、ヒト参照ゲノムに存在しない少なくとも580万の塩基対を含みます。

我々の分析はヒトゲノム変化の見通しの鍵となる特徴を明らかにし、それをは突然変異の蓄積の速度が分化(出アフリカ)以来アフリカ人と比較して 非アフリカ人ではおよそ5%加速されたことを含みます。

我々は、現生人類の何組かのペアの先祖が100000年前頃、行動に関する現代性の兆候が考古学的に十分に証明された年代よりも前に、事実上分離したことを示します。

"我々はさらに、オーストラリア・アボリジニ、ニューギニア人とアンダマン島民は、現生人類のより初期の拡散に実施的な祖先を得ていないことも証明します; そうではなく、彼らの現生人類としての祖先は他の非アフリカ人と同じ人類集団に由来することで一致しています。"

http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-28.htm

 図cは、ネアンデルタール人遺伝子の含有率を表しているが、アフリカ以外の全ての現生人類にネアンデルタール人遺伝子が含まれ、 出アフリカ組の地中海系Y-DNA「E」とセム系Y-DNA「J」が出戻った北アフリカ(サハラ以北)も若干のネアンデルタール人遺伝子がみられるが、サハラ以南では見られない。

このことからホモサピエンスとネアンデルタール人の交配は出アフリカ後であることを裏付けているようだ。

  図dは、デニソワ人遺伝子の含有率を表しているが、インド亜大陸と東南アジアに若干の遺伝子が残っているが、 旧サフール大陸の住人になるニューギニア人とアボリジニに5%程度の遺伝子が含まれることが分かった。

シベリアで発掘されたデニソワ人が、どこでどうやって現生人類と交配し何故一部がサフール大陸まで移動したのか?

縄文人を形成したY-DNA「C1a」と「C3a」にはデニソワ人の遺伝子は受け継がれていないのか?

等々、 まだわかっていることは少なくこれからの研究・調査が待たれる。


  下図は、出アフリカ組には4%のネアンデルタール人遺伝子が受け継がれ、ニューギニア人とアボリジニには更に3%のデニソワ人遺伝子が受け継がれていることを示している。

しかし上記3論文では、日本人の縄文遺伝子の1つである海洋系ハンターY-DNA「C1a」と内陸系ハンターY-DNA「C3a」にデニソワ人遺伝子が受け継がれているかはわからない。 受け継がれている可能性は充分にある。Y-DNA「C1a」/「C3a」日本人の常染色体調査が行われると興味深いのだが。

  またネアンデルタール人のシベリア型と思っていたデニソワ人は、当論文の調査ではホモエレクトスの進化形と考えているようだ。つまり、 ネアンデルタール人やホモサピエンスとは兄弟人類関係になるようだ。

ちなみに下図中の「Altai」はネアンデルタール人のアルタイ地域型、「Kostenki」はロシアのKostenki地域で発掘された石器時代の人類。

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まとめ

  出アフリカ組のホモサピエンスにネアンデルタール人の遺伝子が3%程度継承されていることは間違いないようですが、 デニソワ人の遺伝子がニューギニア人とオーストラリア・アボリジニに5%も受け継がれているとは驚きです。

ニューギニア人やオーストラリア・アボリジニと兄弟遺伝子を持つY-DNA「C」系縄文人や中央アジアのジンギスカン系遺伝子民族にも継承されているのか? 非常に興味のあるところです。遠い昔の出来事が、子孫である現代人にかすかな影響を与えている可能性があるのは、面白い話です。

  ネアンデルタール人の記事でも触れましたが、当ガラパゴス史観はネアンデルタールの特徴形質を結構持っているので他人事ではないですね。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-28.htm


19. 中川隆[-7264] koaQ7Jey 2017年7月07日 13:02:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源

30-7. 〜12000年前頃、氷河期とホモサピエンスの拡散の軌跡
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-7.htm


rev.1

National GeographicとIBMの共同運営している「THE GENOGRAPHIC PROJECT」というサイトがありますが、氷河期の地図とホモサピエンスの拡散がわかりやすく世界地図にされているのでご参考に転載します。

mtDNAの拡散図もあるのですがY-DNAの拡散図にしました。
2011年以降はメンテされていないようなので最新情報ではありませんが、大まかな変化は良くわかります。

1. 6万年以前の地図です。

  白い部分が氷河です。ヨーロッパと北アメリカの最北端が氷河で覆われており、ホモサピエンスの展開はまだ示されていません。

2. 55,000〜60,000年前頃です。

寒冷化が始まりました。北米の半分はすっかり氷河に覆われています。

3. 50,000〜55,000年前頃です。

  アフリカでホモサピエンスがY-DNA「A」から「B」に分化しています。 「B」の一部が出アフリカし恐らく近東でネアンデルタール人と出会い更に「DE」と「CF」に分化し、東ユーラシア(中国大陸とスンダランド)に展開したようです。

この東ユーラシアに展開したのが古代遺伝子Y-DNA「D」と行動を共にしたとされている古代遺伝子Y-DNA「C」のようです。

Y-DNA「D」は東ユーラシアに展開した最初のホモサピエンスだったようです。


4. 45,000〜50,000年前頃です。

  非出アフリカ遺伝子Y-DNA「A」と「B」の子亜型への分化が進んでいます。


5. 40,000〜45,000年前頃です。

  インド亜大陸でY-DNA「C」は「D」との交配で子亜型に分化し、「C4」はオーストラリア大陸に既に到達していることがわかります。 同じく子亜型に分化していたY-DNA「D」はまだ中原辺りに留まっているようです。

6. 35,000か〜40,000年前頃です。

  古代遺伝子Y-DNA「E」は環地中海域(南欧州と北アフリカ)に展開を始め、 インド亜大陸で古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した新興遺伝子Y-DNA「I」がクロマニヨン人として欧州に移動し、兄弟遺伝子Y-DNA「J」もセム種として中近東や北アフリカに展開を始めました。 中国大陸の華南辺りではいよいよ新興遺伝子Y-DNA「O」が現れました。新興遺伝子Y-DNA「R」は更に新しい遺伝子なのでまだ現れてはいないようです。

7. 30,000〜35,000年前頃です。

  Y-DNA「D2」が日本列島に到達したことを示しています。
日本列島の旧石器時代はY-DNA「D2」及び行動を共にしていたとされているY-DNA「C1」によって確立されたと欧米では考えています。

8. 25,000〜30,000年前頃です。

  最寒冷期(LGM)になり、北欧の氷河が大きく発達し海面がかなり降下しベーリング海峡は広大なベーリング大陸となり、Y-DNA「Q」がまだ氷河におおわれている北米大陸に到達しました。 この時に4タイプ程度のmtDNAも同時に渡っています。

日本列島にはY-DNA「O3」が到達したようになっていますが勿論間違いです。
この頃に渡ってきたとするならY-DN「C3a」のはずです。

9. 20,000〜25,000年前頃です。

  Y-DNA「C3a」は最寒冷化するシベリアから逃げ南下してきた大型獣を追って日本列島に入ったようです。

一方北東沿岸沿いに移動した部隊Y-DNA「C3b」はとうとうベーリング大陸を渡り北米に到達しY-DNA「Q」と共にネイティヴアメリカンの一部になりました。
中米で発見される縄文土器似の土器の製作者のようです。

10. 15,000〜20,000年前頃です。

  Y-DNA「Q」はとうとう南米大陸に到達しました。
しかしY-DNA「C3b」は中米に留まり南米大陸には南下しなかったようです。

11. 10,000〜15,000年前頃です。

  氷河の縮退が始まりました。北欧を覆っていた氷河はスカンジナビアのみに縮小し、北ヒマラヤの氷河も消失しました。


12. 〜10,000年前頃です。

  間氷期になり温暖化し北極圏以外の氷河は消失し、現在に続いています。海面は上昇し現在の海岸線が出来上がり、更なる温暖化で海面は徐々に上昇し続けています。


ご参考にmtDNAの軌跡図です。

http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-7.htm


  古代の女性は集団を越えて他の集団に移動するという、人類とチンパンジーにのみ認められる行動原理で先ず女性に現れる新しい遺伝子を拡散してきました。

  出アフリカせずにアフリカに残留していたホモエレクトスからネアンデルタール人が進化し出アフリカをはたしましたが、 その間ホモエレクトスのまま進化できなかった残留組からやっとmtDNAイヴが最新の学説で20万年前頃(前説では14万年前頃)に誕生して、 6万年も後の14万年前頃(前説では9万年前頃)にやっとY-DNAアダムが誕生したくらいホモサピエンスのY-DNAが確立するには時間がかかっているのです。

最新学説では14万年前頃にY-DNAアダムが誕生してハプロタイプY-DNA「A」になるわけですが、次のY-DNA「B」が分化するのは最新説も前説と変わらず60000〜65000年前頃ごろだそうです。

  とにかく進化はかなり時間がかかっているのです(と言っても地球年齢から見るとほんの秒単位にもならないそうですが...)。 つまり人類が進化を始めるのに8万年近く(前説では3万年近く)かかっているのです。

人類はホモサピエンスに進化してもすぐに古代遺伝子「C」「D」「E」「F」が分化してきたわけではないのです。

「B」の一部が乾燥化して住めなくなったサハラ砂漠から絶滅危惧種に陥りながら先輩人類同様出アフリカを果たし、近東で先輩の旧人ネアンデルタール人と遭遇し、 交配し初めて古代遺伝子「DE」と「CF」に分化を果たしたのです。

  もしネアンデルタール人と遭遇・交配をしていなかったら50000年前頃一気に高まった現代人類の祖先の技術力や芸術性などの進歩はもっと遅れて、 農業革命も遅れ人類は出アフリカしなかったコイサン族やピグミー族などと同様に狩猟採集の今だ古代のままだった可能性も充分にあるのです。

ところが、インド亜大陸で恐らく地の先住ネアンデルタール人と更に交配が進み「CF」から古代遺伝子「C」と「F」が分化し、「F」が更に「G」以降の新興遺伝子群に分化することが出来たおかげで、 ホモサピエンスは更に進化する可能性を手に入れたようです。

  この時に「DE」も「D」と「E」に分化したのですが、「D」はアンダマン諸島のOnge族のように狩猟採集のまま留まり、「E」はこともあろうにアフリカに戻ってしまったわけです。

結局残念ながら「D」も「E」も「CF」から分化した一方の「C」も新興遺伝子に分化することはできませんでした。

  まとめると日本人や日本文化の基層にあるのはY-DNA「D2」「C1a」「C3a」が1万年に渡って日本列島で展開してきた狩猟採集(晩期には農耕もあったようだ)の縄文文化であり、 チベット古語と共通する日本語の基層の文法を構成する縄文語です。

そして1万年後にやってきた呉系長江文化弥生人Y-DNA「O2b」「O2a」「O1a」と縄文遺伝子が交配し 分化した弥生主役の「O2b1」が新たな農耕文化を日本列島に定着させ、縄文系と密に交配し日本列島を瑞穂の国にしたのです。

  そして最後に朝鮮半島から生き残り競争に負けて追い出されてきた武装侵攻集団「O3」が日本列島を支配し大和朝廷や武士団内で内部抗争を繰り返し、 明治維新を経て戦後ようやくエスタブリッシュメントの「O3」と他の先住遺伝子の交配は進みつつありますが、まだまだ日本列島独自の「O3」子亜型が生じるまでには至っていません。

「O3」は今でも政治や経済の支配階級でもあるのです。
田舎に多い縄文-弥生の交配集団は黙々と従う側なのです。


rev.2 Y-DNAのGlobal移動地図


http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-7.htm

  Wikipediaに代表的なY-DNAハプロタイプの移動がかなりわかりやすくまとめられた地図がありましたので、ご参考に転載します。

  これはかなりの労作です。2013年11月版なので古くなった亜型名も若干ありますが、最終氷期最盛期/Last Glacial Maximum(LGM)の海岸線も併記しているので、 Y-DNAの移動を十分に推し量ることが出来ます。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-7.htm


20. 中川隆[-7263] koaQ7Jey 2017年7月07日 13:06:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源

15-26. ホモサピエンスは8万年前に中国南部に到達していた!、
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-26.htm


...................................................と言う衝撃の最新発掘報告だが?

 2015年10月29日のNature Letterに欧米で話題になっている驚くべき報告が発表されました。

タイトルは

「The earliest unequivocally modern humans in southern China」
「中国南部で最も初期の疑うべきのない現代人類」です。

 6-7万年前頃に2000人程度で出アフリカしたらしい現在のY-DNA「A」,「B」を除くY-DNA「CT」とmtDNA「L3」は、中東地域でネアンデルタール人と交配しつつ、

 ネアンデルタール人が出アフリカ後数十万年かけて構築したネアンデルタール人の持つ最先端の技術や文化を一気に獲得し、最初から進化の高い段階からスタートできたと言う幸運を手に入れ、

 出アフリカせず、ネアンデルタール人との交配を経験しなかったY-DNA「A」,「B」やmtDNA「L3」以外の全ての「L*」集団が現在でも基本狩猟採集民のレベルから完全に抜け切れていないのに対し、はるかに短い時間で現在の文化レベルにまで進化をできた訳です。

 5万年前頃には、アボリジニの先祖Y-DNA「C1b2b」は既にオーストラリア大陸に到達していたことが遺跡からわかっていますが、如何に健脚な狩猟採集民の祖先とは言えホモサピエンスの移動はそんなに速かったのか?  という素朴な疑問は着いて回りました。

 今回発掘されたのは「歯」のみで、DNAは抽出されていません。従ってどんなY-DNA亜型もしくはmtDNA亜型を持つ集団なのかはわからず、現代の人類の直系先祖の系列なのか 、滅びた別のホモサピエンスの系列なのかはわかりません。
 わかったのは、

 ・明らかにホモサピエンスの「歯」であること。
 ・地層から80000~120000年前頃の遺物であること。

 です。


 実はレバント地域では10万年前頃のホモサピエンスらしい遺跡が発掘され、そこで滅んだ別のホモサピエンスの系統と言う解釈が欧米の研究者の間でされています。

 つまり我々現代人はあくまで2000人程度で出アフリカした極く限られた集団の子孫であり、各地域にいたホモエレクトスから一斉にホモサピエンスに平行進化したのではないと、言うことになっています。

 この解釈だと今回発掘された「歯」を持つホモサピエンスは、滅んだ別の系列と言うことになります。

 アジアには北京原人やジャワ原人から独自進化した、滅んだ別のホモサピエンスがいても不思議ではありませんが、Y-DNAやmtDNAが抽出できないと系統が判断できません。

 もしかするとデニソワ人が変化した可能性だってあります。

 8万年も前にアジアにホモサピエンスがいたなら、5万年前にアボリジニの先祖がオーストラリア大陸に到達してもおかしくはありません。

 Nature Newsの 紹介記事の絵と図を転載させてもらいますので、興味のある方は是非読んでみてください。

 また発掘現場のPDFのスライドショーもありますので最下段の森の写真をクリックして見て下さい。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-26.htm


21. 中川隆[-7262] koaQ7Jey 2017年7月07日 13:30:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源

14-4. 42,000年前のホモサピエンスの外洋漁撈と海洋技術
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-4.htm

  Scienceに東海大の研究者も共著の論文が出ました。

オーストラロイドの先祖のレベルの高さを示し、当ガラパゴス史観の縄文時代観を補完してくれる重要な内容でした。

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Pelagic Fishing at 42,000 Years Before the Present and the Maritime Skills of Modern Humans

Sue O’Connor, Rintaro Ono, Chris Clarkson

Abstract

By 50,000 years ago, it is clear that modern humans were capable of long-distance sea travel as they colonized Australia. However, evidence for advanced maritime skills, and for fishing in particular, is rare before the terminal Pleistocene/early Holocene.

Here we report remains of a variety of pelagic and other fish species dating to 42,000 years before the present from Jerimalai shelter in East Timor, as well as the earliest definite evidence for fishhook manufacture in the world. Capturing pelagic fish such as tuna requires high levels of planning and complex maritime technology. The evidence implies that the inhabitants were fishing in the deep sea.

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42,000年前(BP)にさかのぼる現生人類(新人)の外洋漁撈と海洋技術

  50,000年前には新人がオーストラリアに植民するために近代人が長距離船旅ができたことは明らかです。しかしながら、高度な海事技術を立証すること、 特に魚を釣ることを立証する証拠は更新世/初期〜完新世ではまれです。

ここに、私たちは東ティモールで釣り針製造を立証する最も早い有限の証拠と同様に 42,000年前の海洋の多様性や他の魚類が残っていることを報告します、まぐろのような沖魚を捕らえることはハイ・レベルの立案および複雑な海事技術を要求します。 得られた証拠は、住民が深海の中の魚を釣っていたことを示唆します。

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  Y-DNA「C2」「C4」のオーストラロイドの先祖が当時すでにいかに高い海事技術力を持っていたかが示された記事です。

となると同じオーストラロイドの日本人のY-DNA「C1」も当然高い航海技術を既に持っていたはずで、沖縄に港川人などオーストラロイドの遺跡が発掘されますが、 これまでY-DNA「D2」とともに沿岸部分を移動してきた「C1」と思っていましたが、高い航海術を持ってスンダランドから舟で渡ってきた「C1」か「C2」や「C4」の可能性も実はあるのです。

     しかし今遺伝子が残っていないということはいずれにせよ「C2」「C4」はやはり列島には来ていないか、来ても子孫を残すことは出来なかったようです。 ということは港川人はやはり「D2」と共にスンダランド→東シナ海・黄海ランドから渡ってきた「C1」と考えるのが妥当でしょう。

  このオーストラロイドが形成される前のY-DNA「C」の持つ稀有壮大な気質は、当然日本列島の「C1a」や「C3a」にもあり、 一部の日本人の持つ海洋性の気質は間違いなくY-DNA「C1a」遺伝子の持つ特徴です。

同様に大陸性の気質は間違いなくY-DNA「C3a」で、 鯨や大型獣などの一部の日本人にあるハンター的な特徴・気質は間違いなくY-DNA「C」の持つ気質でしょう。

列島沿岸各地で捕鯨基地を形成してきた集団は「C1a」、山間部で狩人集団を形成してきたのは「C3a」だと思います。

  器用に土器や道具などを作る技術力はY-DNA「C」の持っていた技能のようです。

アンダマン諸島のY-DNA「D*」100%のOnge族やJarawa族を見てもY-DNA「D2」集団はこれと言って特徴のない平均的な日本人の姿そのもののようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-4.htm


14-1. オーストラリア先住民は人類最初の冒険家か?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-1.htm

  Scienceの9月号にオーストらリアのアボリジニ(先住民)に関する研究が発表されました。「BioQuick」ニュースの日本語訳も転載します。

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Aboriginal Genome Shows Two-Wave Settlement of Asia Ann Gibbons Abstract  Almost a century ago, British anthropologist Alfred Cort Haddon traveled the world seeking samples of human hair, among other curios, for his ethnographic studies of native people.

The samples, which lay in a museum drawer for 90 years, included hair from a young Australian Aboriginal man. Now in a paper published online this week in Science, geneticists report that they have extracted enough DNA from that hair to sequence the first complete genome of an Aboriginal. The genome offers the first good look at the origins of Aboriginals, showing that they are one of the oldest continuous populations outside of Africa, the authors say.

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人類最初の冒険家はアボリジニの先祖/遺伝子解析から判明

     オーストラリアの先住民アボリジニの遺伝子を解析する国際研究チームが驚くべき結果を発表した。 2011年9月22日号のScience誌に掲載された記事によれば、人類の先史時代の理解を変えるものとなっている。

遺伝子の解析に基づき、研究チームはアボリジニの祖先は人類がアジアに広がって行った初期の頃である70,000年前に遡る事ができ、 少なくとも24,000年前には現在のヨーロッパやアジア全域に分布した事を立証した。

  この事実が示すところは、現在のアボリジニは50,000年も以前に最初にオーストラリア大陸に移り住んだ人類の直系の子孫であるという事だ。 本研究プロジェクトは、20世紀初頭に、西オーストラリア州ゴールドフィールド地域に住むアボリジニの男性から英国の人類学者に寄贈された髪の毛の束に端を発する。 それから100年経た今、研究チームはその髪の毛の束からDNAを抽出単離し、最初のオーストラリア人の遺伝子解析と太古の人類がどのように地球上の各地に移り住んだのかの研究に活用する事となった。

このDNAからは、近代のヨーロッパ系オーストラリア人特有の遺伝情報が含まれていない事から、このアボリジニ男性の祖先が、現在の他の人種の64,000−75,000年前の祖先から分化した事が明らかとなった。

よって、アボリジニは現在の探検家の「はしり」とも言え、その昔アジアに移住し50,000年にオーストラリアに辿りついた人種を、直接の祖先とする。 つまりアボリジニは彼らが今日居住する地帯に最も長い歴史を有している事となる。

  この研究により明らかな事は、ゴールドフィールズとシーカウンシルの2地域はアボリジニが歴史的にオーナーであった事が証明されたことである。

アボリジニの歴史は、アフリカから発祥した最初の人類がどのように広がって行ったかを理解する為の重要なカギとなる。 考古学的検証によればオーストラリアに現生人類が現れたのは50,000年前であるが、本研究によればそれに至った歴史は異なったものと考えられる。 

これまで最も広く認められている見解では現生人類の祖先はアフリカにのみ発祥が遡り、そこからヨーロッパ、アジア、オーストラリアへと移住していったと考えられていた。 そのモデルによれば、最初のオーストラリア人(アボリジニ)はヨーロッパの祖先から分化したアジア人種から更に分化した事になる。

  しかしながら本研究によれば、アボリジニの祖先が冒険の旅を開始した頃はまだアジア人とヨーロッパ人の祖先は、まだ分化していなかった。

アボリジニの祖先が冒険の旅を開始して24,000年程経てから、アジア人種やその他少数人種と混合するようになった。

研究チームを率いるコペンハーゲン大学のEske Willerslev教授は

「アボリジニの祖先は人類最初の冒険家なのです。 ヨーロッパ人やアジア人の祖先がまだ冒険の旅に出ずアフリカや中東のどこかで留まっていた頃、アボリジニの祖先は既に遠くまで広がっていたのです。 未知の地域であったアジアを横断し、海を渡ってオーストラリアに上陸したのが、最初の現生人類なのです。 本当に驚くべき冒険で、類稀なるサバイバル知識と勇敢さを持ち合わせていたのでしょう。」

と説明する。 本研究は現生人類の祖先がどのように世界の各地へ移動していったかを理解するのに大変役に立つであろう。 古代の骨や歯に典型的に生じる、現生人類の遺伝子コンタミのようなリスクを犯さず、遺伝子解析を行なうには保存された髪の毛サンプルの条件はそれ程よくはなかったが、 なんとか古代の人類の遺伝子のみが得られたと研究チームは述懐する。

  博物館の収集品の解析と他グループとの共同研究によって、世界各地の多くの先住民が有する系統の歴史が、例え彼らが近年居住地を変えたり民族的に融合が進んだりしても、 追跡調査が出来るようになったのである。

「この研究は遺伝人類学者や分子生物学者に大変興味深いものです。 そして人類がどのように世界の各地に移動して行ったのかを研究する事が出来るのです。 遺伝子配列解析技術とバイオインフォマティクスがこれから更に発展し、種の起源の謎、人類の進化と移動や系統を解明する為のヒトゲノム研究を加速する突破口となるでしょう。」

と本研究のもう一人のリーダーでありBGI(北京遺伝子研究所)研究所長であるユン・ワン教授は語る。

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  オーストラリアのアボリジニはY-DNA「C4」であり、出アフリカしたY-DNA「DE」と「CF」の「CF」から分化したハプロタイプで、日本独自の「C1」亜型の方が更に古い歴史を持ちます。

オーストラリアに50000年前には人類が到達していたことは前からわかっていたことで、とりたて目新しい報告ではありませんが、 50000年前にY-DNA「C4」がオーストラリアに既に到達していたことが再確認できたということは、 スンダランドから陸続きではなかったオーストラリア−ニュージーランドの大陸サフールランドに当時小舟で渡ることができる技術が充分にあった、と言うことが改めて確認できたことになります。

  このことは当然もっと古い日本独自亜型のY-DNA「C1」は当然同じころに旧石器時代の日本列島に到達していたと考えても不自然ではないのです。

ということはY-DNA「C」と行動を共にしていたと考えられているY-DNA「D」も当然日本列島に旧石器時代人として渡ってきていたと考えられます。

つまりY-DNA「D2」は縄文人の主遺伝子というだけではなく、旧石器時代人の主遺伝子の可能性も充分あるのです。 つまり日本列島にはオーストラリアと同じく旧石器時代から同じ遺伝子集団が50000万年近く住み続けている可能性があるのです。

  日本人はチベット人やアンダマン諸島先住民と同じ古代遺伝子Y-DNA「D」を持ち、いわゆる新モンゴロイドと呼ばれる他のアジア人と全く異なる遺伝子履歴があります。

それほど古い石器・縄文の古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D2」、「C1a」、「C3a」の基層の上に、 弥生集団や武装侵攻集団の新興アジア遺伝子のY-DNA「O1a」、「O2a」、「O2b」、「O3a」遺伝子が複層的に交配した、 世界でも特殊な民族集団なのです。

日本人の行動様式は出アフリカした現代人類の祖先/古代シーラカンス遺伝子が持っていた行動様式を今でも文化の基層に持っている、 世界の最先端の先進国では非常に特殊な民族集団です。特に田舎の精神・風土は古代遺伝子文化そのものです。

  今後の旧石器時代の発掘に期待しましょう。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-1.htm

30-12. 石器晩期−縄文草創期の港川人はオーストラロイドのようだ。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-12.htm

  今まで縄文人顔とされてきたのは典型的なY-DNA「D2」のジャガイモ顔です。

ところが16000〜18000年前頃(旧石器時代最晩期から縄文時代草創期)のとされる港川人の顔は 最近の再調査で下記の記事のように完全にオーストラロイド顔と判明したそうです。

これはY-DNA「C1」はY-DNA「C2」100%の西ニューギニアのLani族(オーストラロイド)に似ていたはずだという当ガラパゴス史観の意見と完全に一致します。 そして沿岸狩猟採集系遺伝子集団で、貝文土器など土器の製作集団だったのです。

  それでは2010年6月28日asahi.comの港川人の記事をご紹介します。

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  港川人、縄文人と似ず 顔立ち復元、独自の集団か

  新しい研究をもとに、国立科学博物館が作り直した港川人の復元図(右図)

http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-12.htm


  左図は国立科学博物館に展示されている港川人の復元像。縄文人の祖先と考えられたので、日本人の雰囲気だ。沖縄で見つかった旧石器時代の人骨「港川人」の再調査を進めている 国立科学博物館(科博)が、顔立ちの復元図=写真上、科博提供=を作り直した。縄文人の祖先とされてきた従来のイメージ=写真下=から大きく変わり、 オーストラリアの先住民といった雰囲気だ。

  上左図の縄文人は眠そうな目ですが、本来の「D」は左図のアンダマン諸島のY-DNA「D*」100%のOnge族やJarawa族のようなジャガイモ顔ですがパッチリした目の鋭い二重だったはずです。

そして本来の「C1」は右図の西ニューギニアのY-DNA「C2」100%のLani族のような奥目のいかつい彫深顔だったはずです。

どちらも今の日本人に時おり見かける顔です。 しかも当然のことながら古代遺伝子集団や先住民に特有の見事な鯨面です。

これが大人のY-DNA「D2」縄文人と「C1」縄文人のオリジナルの顔の現代版なのです。 国立博物館の復元像は鯨面にした方が良かったですね。古代人の特徴をあらわすからです。

  港川人は1967〜76年に沖縄本島南端の石切り場で見つかった。5〜9体分の人骨と考えられ、出土地層は約2万年前と推定されている。 全身の骨格と顔面が残っている旧石器時代の人骨は、日本ではその後も発見はない。 顔の彫りが深く、手足が長いといった港川人の特徴が、縄文人によく似ていることから、 縄文人の祖先は南から渡ってきたとの考えの大きな根拠となってきた。その縄文人に大陸から渡ってきた弥生人が融合して日本人が形成されたと考えられてきた。 科博はそうした日本人形成論の再検討に取り組んでおり、その一環として港川人を再調査してきた。

  CTなど最新の技術で調べると、発見当初の復元にゆがみが見つかった。下あごが本来はほっそりとしており、そのゆがみを取り除くと、横に広い縄文人の顔立ちと相当に違っている。 現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い。

  縄文時代の人骨は、列島の北から南まで顔立ちや骨格が似ていることから、縄文人は均質な存在と考えられてきた。 だが、縄文人の遺伝子を分析した結果、シベリアなど北回りの集団、朝鮮半島経由の集団など多様なルーツのあることが見えてきた。

  これを正確に言うと、縄文男性は前述のように「D2」「C1a」と「C3a」の3亜型があり、全国に分布するのが圧倒的多数の「D2」、 日本列島部分を北上した「D2」と一緒に北上したため青森など北に多く分布するのが「C1a」、ナウマン象など大型獣を追ってシベリアから朝鮮島経由で南下してきたため九州や西日本に多いのが「C3a」。

一方女性は民族性を持たないことや、Y-DNA「D」「C」が出アフリカ後移動途中のインド亜大陸や、スンダランドや東シナ海−黄海ランドなどで巡り合ったmtDNA遺伝子の女性が集団に その都度新たに加わるためmtDNAの調査でも男性より種類がやや多い遺伝子構成になっています。

  新たな復元図は、そうした研究を総合したものだ。科博の海部陽介研究主幹は「港川人は本土の縄文人とは異なる集団だったようだ。 港川人は5万〜1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来した可能性が高い」と語った。 その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたと考えることができそうだ。(渡辺延志)

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  その後、石垣島の白保竿根田原洞穴からこれまでの20000年前より更に古い国内最古の24000年前頃の人骨が発掘された、というニュースがありました。

  旧石器時代の人骨として最も有名な港川人も沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志頭村)で見つかっており、全て琉球列島の遺跡という驚くべきことですが、骨が残りやすい土壌のようです。

  縄文人(正しくは石器−縄文人)にはY-DNA遺伝子の3亜型があり、


・Y-DNA「D2」;現代日本人のY-DNAの実に41%を占め、小柄でジャガイモ顔で二重瞼の日本人の基盤です。

・Y-DNA「C1a」: 4%、小柄なオーストラロイド系海洋性ハンター、

・Y-DNA「C3a」; 3% ナウマン象を追ってきた大陸性ハンター


  縄文系は合計日本人男性の実に48%も占める田舎的な親切な日本人気質の源になった遺伝子です。そして3亜型とも出アフリカ当時に近い古代性を残したシーラカンス遺伝子です。 田舎独特のホスピタリティはこの石器−縄文人から受け継ぐ古代気質です。これらの遺伝子集団の草創期の遺跡は海面上昇後の大陸棚に大部分が沈んでおり草創期の文化の構築は難しいものがあります。 もし沿岸大陸棚の研究が進めば縄文時代の草創期は14000年前ごろとされる今よりもっと遡る可能性が極めて大なのです。

  50000年前ごろにはオーストラロイド(Y-DNA「C2」、「C4」)は既にスンダランドと海で分離していたサフール大陸(オーストラリア/ニューギニア大陸)に上陸していたことが明らかになっています。 渡海技術が50000年前ごろには既にあったのです。

ということは、当然陸続きだった日本列島部分に同じ頃に「C2」や「C」より古い古いY-DNA「C1」が住みついていたとしても至極当然のことでしょう。 ということは、「C」と行動を共にしていたとされる「D」も一緒に住み着いたはずです。といっても、住みついたのは今は海面下に沈んだ120m下の大陸棚部分のはずですが。 つまり、50000年前頃には遅くても20000年前頃には日本列島部分にY-DNA「D」「C」は定住していた可能性は極めて大です。

  石垣島の白保竿根田原洞穴の20000年前~24000年前頃の旧石器時代人は「C1a」か「D2」のどちらでしょう。

  さてY-DNA「D」と一緒に行動をしたらしいY-DNA「C」はどんな集団だったのでしょうか?

Y-DNA「C1」は既に日本人の中に混じり、オリジナルの姿を想像するのは不可能ですが、極く近い兄弟遺伝子Y-DNA「C2」100%のLani族の集団が西ニューギニアに存在しています。 この集団からより古い「C1」のオリジナルの姿は容易に再現できます。

  左図はガイドのJahoda Pe-trさんの観光用の写真です、この集団は褐色の肌色です。日本人でもいくらでもいる色黒タイプです。また陽に焼け易い人は夏の定番のやや濃い目の小麦色です。

  右図はLani Singersが2010年9月にポーランドのフェスティバルに参加した時の写真です。


http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-12.htm


  Y-DNA「CF」と「DE」は出アフリカ後近東で既に高緯度地適応し白人のような肌の色をしたネアンデルタール人と遭遇し「BT」から分化しましたが、 「DE」から更に「D」と「E」に分化後、「D*」100%のJawara族やOnge族は現代までオリジナルのジャガイモ顔と黒い肌色を保っていますが、 「CF」から分化した「C2」100%のLani族は全く異なる肌色・風貌になっています。

  したがって日本列島に上陸したY-DNA「C1」も当然この部族のような感じだったはずです。

実は当方が新入社員時代の新人研修先の製造部の課長は一番右の歌手と瓜二つでした、 ただし肌の色は普通の日本人の肌の色になっていましたが、見事な縮れ毛でした。先ずまちがいなく「C1」遺伝子だったと思います。

このような「いかつい」ソース顔立ちは欧米に多く見られ、日本でもわりと良く見かけるので日本人の遺伝子として定着していることがうかがえます。 ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスが交配した当時の顔立ちなのでしょう。

  この写真ではLani族はがっちりした大柄のように感じますが、白人と並んだ写真を見ると実は小柄(ネグリート)であることが解ります。 初期の現代人はアウストラロピテクス以来140cm〜150cmと小柄だったのです。 しかし「魏志倭人伝」のころの中国大陸の為政者は背が伸び、「D2」や「C1」は「倭」と呼ばれるほど小柄な存在になっていたようです。「倭」は山海経で至るところに出てきます。 「倭」は決して蔑称などではなく、本当小柄だったために呼ばれた名称で、当時は中国大陸のあちこちに小柄な集団が居住していたようです。

  「C2」は現在のニューギニアに定着し、「C4」はオーストラリアのアボリオジニーになりました。Y-DNA「C」は基本的にオーストラロイドの祖先です。 オーストラロイドの祖先は近海でマグロなどの深海性の魚類まで釣っていたほど海事技術力が高かったことが昨年末のサイエンスに報告されました。 写真はY-DNA「C2」100%のLani族です。ペインティングで鯨面をしています。右側の男性はLani Singersの歌手です。肌色を薄めると日本でも沿岸部の漁労民系に良く見かける風貌です。 顔写真だけだと大柄そうな感じがしますが、彼らも見事にネグリートなのです。

  Y-DNA「F」の分化の地のインド人は意外に小柄なように古代シーラカンス遺伝子はアウストラロピテクスから継続しているネグリート体質を見事に維持しています(若干背は伸びていますが)。 食糧事情が良くなるにつれてネアンデルタール人から受け継いだ大柄な形質が発現するようになり、穀物食だった日本人は戦後肉をかなり食べるようになったことで、 肉食で大柄になったネアンデルタール人の形質が発現されるようになりました。それでも強固な縄文形質はまだ維持されており、縄文度の高い小柄な日本人の割合はかなりまだ高いのです。

  「C1」はなんと日本列島のみに存在し、特に徳島、青森、沖縄などに多めに残っています。 「C1」は恐らく琉球列島で発見されるオーストラロイド似の人骨の遺伝子と思われ、上の「C2」の写真のように 日本列島に時々みかけるオーストラロイド風形質(彫が深くややいかつい風貌のソース顔)の遺伝子と考えてまちがいないでしょう。 これは前述のネアンデルタール人から受け継いだ形質そのものです。「D2」とともに日本列島に上陸したものと考えられます。 貝文土器の製作技術集団で海の民でもあったようです。日本各地に残る捕鯨基地など海洋性の伝統はこのY-DNA「C1」の子孫が伝えた文化ではないかと思われます。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-12.htm

16-5. 30,000年前〜35,000前に遡る沖縄の漁労技術
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-5.htm

2016/09/20
  久しぶりのPNASの記事を準備していたら、先に新聞などでニュースになってしまいました。 沖縄県立博物館・美術館が中心になって東京大学や国立科学博物館が協力して書かれた論文です。
PNAS 2016 ; published ahead of print September 16, 2016, doi:10.1073/pnas.1607857113

です。 Y-DNA「C1」はオーストラロイドで海のハンターで縄文人の一翼を担っていたことがますます鮮明になってきました。

縄文人の逞しさや先進さなど、縄文人は原始的な集団ではなくその年代の地球上の集団の最先端を走っていたことが良くわかります。

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Advanced maritime adaptation in the western Pacific coastal region extends back to 35,000-30,000 years before present

Masaki Fujitaa,1,Shinji Yamasakia,Chiaki Katagiria,Itsuro Oshirob,Katsuhiro Sanoc,Taiji Kurozumid,Hiroshi Sugawarae, Dai Kunikitaf,Hiroyuki Matsuzakic,Akihiro Kanog,Tomoyo Okumurag,h,Tomomi Soneg,Hikaru Fujitag,Satoshi Kobayashii, Toru Narusej,Megumi Kondok,Shuji Matsu’urak,Gen Suwac, andYousuke Kaiful,1

Significance

Moving into oceanic islands after c.50,000 years ago was a remarkable step forward in the history of worldwide expansion of modern humans. However, the developmental process of Pleistocene maritime technology remains unclear. So far, the only secure sources of information for such discussions were the Indonesian Archipelago and northern New Guinea as steppingstones from the Asian continent to Australia.

This article reports a successful maritime adaptation that extended from 35,000 to 13,000 years ago on a small island environment in the southern Japanese Archipelago. The new evidence demonstrates a geographically wider distribution of early maritime technology that extended north to the midlatitude areas along the western Pacific coast.

Abstract

Maritime adaptation was one of the essential factors that enabled modern humans to disperse all over the world. However, geographic distribution of early maritime technology during the Late Pleistocene remains unclear. At this time, the Indonesian Archipelago and eastern New Guinea stand as the sole, well-recognized area for secure Pleistocene evidence of repeated ocean crossings and advanced fishing technology.

The incomplete archeological records also make it difficult to know whether modern humans could sustain their life on a resource-poor, small oceanic island for extended periods with Paleolithic technology.

We here report evidence from a limestone cave site on Okinawa Island, Japan, of successive occupation that extends back to 35,000 ? 30,000 y ago. Well-stratified strata at the Sakitari Cave site yielded a rich assemblage of seashell artifacts, including formally shaped tools, beads, and the world’s oldest fishhooks.

These are accompanied by seasonally exploited food residue. The persistent occupation on this relatively small, geographically isolated island, as well as the appearance of Paleolithic sites on nearby islands by 30,000 y ago, suggest wider distribution of successful maritime adaptations than previously recognized, spanning the lower to midlatitude areas in the western Pacific coastal region.


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西太平洋海岸領域での高度な海上の順応化は、現在から30,000年前〜35,000前に遡る

趣旨

  50000年前、大平洋の島々へ移動することは、現代の人間の世界的な拡大の歴史での注目に値する前進でした。 しかし、洪積世の海上テクノロジーの発達的なプロセスは不明瞭なままです。これまでに、そのような議論のための唯一の確実な情報は、 アジア大陸からオーストラリアに至る踏み石であるインドネシア群島および北ニューギニアだった。

  本論文は、日本列島の南方の小さい沖縄群島の環境において35,000年前から13,000年前まで拡張し成功した海上順応化を報告する。 新しい証拠は、西太平洋岸に沿った中緯度帯域まで北に広げた初期の海のテクノロジーの地理的により広い拡散を示す。

概要

  海上の順応化は、現代の人が世界中に拡散することを可能にした必須のファクターのうちの1つであった。 しかし、前の更新世の間の早い海上テクノロジーの地理的な拡散は不明瞭なままだ。 この間、インドネシア群島と東部ニューギニアは、度重なる海洋横断と先進の釣り技術の揺るぎない更新世の証拠のための唯一の地域としてよく認められている。 不完全な考古学的な記録もまた、現代人が旧石器時代の技術で長期間の間資源の少ない、小さな大平洋の島での彼らの生活を支えることができたかどうかについて 理解することを難しくしている。

  私達は、35,000年前〜30,000年前にさかのぼる連続した居住があった、ここ沖縄の石灰石洞窟サイトから得た証拠を報告する。 サキタリ洞窟のよく層化された層は、正式に形づくられたツール、ビーズと世界の最も古い釣り針を含む貝人工品の豊かな集積をもたらした。 これらには、季節的に利用された食物残留物が付いている。
  この比較的小さな地理的に孤立した島の持続的な居住ならびに30,000年前の近隣の島の旧石器遺跡の出現は、 これまで考えられていたよりより広い連続的な海の適応を示している。そして、西太平洋沿岸の低緯度地域から中緯度地域の範囲にわたっている。

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  今朝の朝日の記事は下記です。

http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-5.htm

  縄文人の一翼を担う海のハンターY-SNA「C1a」の弟遺伝子Y-DNA「C4」アボリジニの先祖は、 記事14-4.で42,000年前にはすでにオーストラリア大陸に渡っておりしかも漁労を行っていたことが報告されています。

  当然、日本列島にもそのころすでに到達していたはずですが、沿岸の遺跡の主要部分は120mにもなる海面上昇のおかげで全て海の中に沈んでおり、 現在、我々が発掘しているのは海面上昇に追われて移動した生活跡に過ぎない。これは大変残念なことで海中考古学の発展なしには 縄文文化の発展は証明できません。国の肝いりで海中考古学が日の目を浴びることを期待します。日本列島の考古学が大幅に変わります。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-5.htm


22. 中川隆[-7261] koaQ7Jey 2017年7月07日 13:43:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源

30-33. 石垣島で国内最古の全身人骨発掘
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-33.htm

  関連の学会や研究機関では大変話題になっている報告です。紹介するのは2017/5/21の朝日新聞の記事です。

沖縄群島が日本人の「先祖の系統の一つ」を考察するうえで非常に重要であることがまた裏ずけられました。


1.オーストラロイドでしょう。

  縄文草創期の港川人はオーストラロイド似(恐らくY-DNA「C1a1」)であることは既に研究機関の復元顔が報告されていますが、 弟遺伝子亜型と考えられるオーストラリアのアボリジニ(Y-DNA「C1b2b」)は50,000年前には既にサフール大陸 (ニューギニア島とオーストラリア大陸が一つの大陸に繋がってころの大陸名)に上陸していたことは 欧米の研究で報告されています。

  つまりニューギニア高地人(ラニ族やダニ族など:Y-DNA「C1b2a1c」)やオーストラリア・アボリジニ(Y-DNA「C1b2b」)より古い 兄Y-DNA亜型を持つ縄文人の一系統である海洋性ハンターのY-DNA「C1a1」は 少なくとも同じころにはヤポネシア列島に上陸していてもおかしくはないのです。

Y-DNA「C」系統の中で最も古い亜型が日本列島から検出されているのです。 日本列島は少なくとも数万年以上まえから、遺伝子の吹き溜まり(最終到達地)となり 極めて古い亜型がそのまま残っている希少な価値を持つ唯一の「先進国家」なのです。

2.主要な遺伝子亜型の入れ替わりがあったようです。

  今回の発掘の価値は、遺伝子亜型入れ替えの可能性が求められることにあります。
  これまでの国内のY-DNA調査では現代石垣島はY-DNA「O1b2」つまり弥生農耕民亜型が60%近くを占める弥生系世界のようです。 日本列島の中で最も弥生度の高い地域と思われるのです。

  ところがもっと古い時代は沖縄本島と同様の縄文系の世界であることが今回判ったのです。

  縄文系精神風土の石垣島に、南下してきた稲作農耕民が移住し多数派になり精神風土が弥生系に変わったと考えられます。 沖縄の中でも独特な石垣島の精神風土は支配層の遺伝子亜型の違いによるものかもしれません。 沖縄群島は縄文でひとくくりにされる単純な文化/精神風土地域ではないのです。

  かと言って台湾との接点は現在全く検出されていません。台湾の先住民の遺伝子型はY-DNA「O1a1a」で楚系の集団と考えられます。  この楚系遺伝子亜型は石垣島では検出されず、むしろ本州の中国地方で高頻度で検出され、中国地方が日本の中でも 特異な地域(吉備氏が代表か?)であることが判っています。

  石垣島の農耕民遺伝子は現代のY-DNA調査では、台湾からではなく朝鮮半島から九州経由で南下してきたと考えるのが妥当です。

  但しこの調査研究報告は若干古く、報告された弥生系の亜型は満州、朝鮮半島や日本の一部でも検出されるオリジナル呉系のY-DNA「O2b2」か、 縄文と交配し分化した日本独自のY-DNA「O2b2a1a1」かどうかまでは踏み込んではいません。 つまり水田稲作農耕文化民が満州から朝鮮半島経由で南下し一気に石垣島まで移住してきたのか、九州で独自亜型に分化してから南下してきたのかはまだわからないのです。
  新しい研究が進む事を期待します。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-33.htm

1-4. 琉球列島のY-DNA遺伝子構成
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-4.htm

  基本的に日本本土との違いは小さく地方差程度であることがわかりました。

  今回の再調査で、2010年の論文が見つかりました。しかし知りたいことが半分しか触れられておらず当方にとっては極めて中途半端な論文でした。 YAP+度やmt-DNAなどの情報から台湾の影響が南九州にはおよんでいなかったことを証明するための内容なのでY-DNA「D」つまりYAP+度しか報告しておらず、 Y-DNA「O2」や「O3」の結果は全くないのです。読みながら全部調べろよ〜〜と文句を言っていました。

しかしこれで1つわかったことは沖縄本島と宮古島は遺伝子的にはほぼ同じであったことと、 石垣島はYAP+が九州並みに低いことでした。宮古島と石垣島の間に何かあるようです。

  もうひとつ前からあった情報が、添付の表の下の2行です。北琉球と南琉球に分けた遺伝子調査で出典がわからなかったのですが、やっと見つけました。 ところがダウンロードできない学術誌の掲載なので、結局データの真偽はわからずじまいでした。

この情報では南琉球のY-DNA「O2b」度は67%と極めて高いのですが、 「O2b1」に進化した集団なのか韓半島から直接南下してきた「O2b」のまま進化しなかった集団なのかが全く分からないのです。

「破壊する創造者」的には主にY-DNA「D2」との遭遇で「O2b」から「O2b1」に西日本で進化したと欧米の研究者は考えています。

南琉球の「O2b」は一体どこから渡ってきたのか?

本土からなら「O2b1」のはずですが、朝鮮半島から直接渡ってきたのなら「O2b」のままのはずなのです。 これは大問題のはずなのですが、研究者はそのような捉え方はしないようです。困ったものです。

別の記事で対馬海峡と津軽海峡は大陸と陸続きだった可能性は低いが、北方の津軽海峡は氷結し、人が渡れた可能性はあることが示唆されました。 では琉球列島はどうだったのでしょうか? 当ブログの他の記事でご紹介した日本第四紀学会のQ&Aに下記の質問をして見ましたところ回答がありましたのでご紹介します。

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質問:

  質問12で「最終氷期には日本列島と大陸間の海峡は完全につながっていたのですか。」という問いがありましたが、 同じく琉球列島孤はどのような状況だったのでしょうか? どこかとつながっていたのでしょうか。

回答:

  最終氷期の海水準低下量と現在の海峡の水深ならびに現在の琉球列島周辺の構造運動(隆起/沈降速度)から考えると、 最終氷期最盛期における琉球列島と中国大陸との接続は考えにくく、 また、 慶良間海裂とトカラ構造海峡の陸化についても考えにくいので、 最終氷期における琉球列島と中国大陸および九州との一大陸橋の想定は極めて難しいといえます。

最終氷期における海面低下に伴って、 琉球列島はいくらか陸域を増大させましたが、全体として、 島々から構成されていたものと考えられます。 当時の古地理図を描く際の最終氷期における海水準高度(水深)は約120 m(米倉ほか,2001)が提示されています。 この水深は,東シナ海大陸棚における最終氷期の水深=120±10 m (斎藤,1998)と調和的です。


[参考文献]
斎藤文紀(1998)東シナ海大陸棚における最終氷期の海水準.第四紀研究,37:235-242
米倉伸之・貝塚爽平・野上道男・鎮西清高編(2001)日本の地形1 総説.349p,東京大学出版会

回答者 : 河名俊男

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  最寒冷期でさえも琉球列島周囲の水深は120mもあったそうです。

と言うことはオーストラロイド形質とされる3万年前頃の港川人(恐らくY-DNA「C1」)はどうやって海を渡ったのでしょうか?

「D2」も行動を共にしていたはずなので、そのうち縄文タイプの化石も発掘されると期待していますが、小舟で漂流し「椰子の実」のように偶然流れ着いただけなら、化石は見つからないでしょう。

  そうなるといつ頃、「D2」「C1」は琉球列島に渡ったのでしょうか?そして何のために。

  伊豆大島で死んだとされた源為朝は琉球へ渡ったという伝説があるくらいなので鎌倉時代ごろに日本本土から「D2」遺伝子が渡ったとも考えられないこともありませんが??でしょう。 尚王朝は?わかりません。薩摩支配は?薩摩はむしろ「C3」と考えているので「D2」頻度が50%近くになるほど渡ってくるとは全く考えられません。

  いずれにせよ歴史時代に入ってから「D2」が島に渡ったと言うなら「O2b」もしくは「O2b1」が先住民となります。これも考えにくいです。

  琉球列島弧は島が散在するだけに船で自由に行き来できるようになるまでは孤立していたはずです。さまざまな分野の研究者も沖縄本島を中心とする北琉球と 宮古島、石垣島などの南琉球では文化も言葉も異なると言っています。しかし遺伝子的にはきちんと調べグローバルで報告された例は全くないのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-4.htm


23. 中川隆[-7260] koaQ7Jey 2017年7月07日 14:29:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-8. 縄文遺伝子近縁度調査 Y-DNA「D」とY-DNA「C」 rev.1
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-8.htm

  当ブログで報告している縄文人を構成する3種のY-DNAは「D2」、「C1a」及び「C3a」ですが、グルーバル遺伝子調査の結果として、 日本人のガラパゴス的民族性の基層を担う縄文文化を構成した上記3亜型の兄弟遺伝子亜型の出現頻度からアジアに現存する地域・民族・種族の縄文系近縁度を調べました。

Y-DNA「D*」、「D1」、「D2」と「D3」及び、Y-DNA「C1」、「C2」、「C3a」と「C3b」の頻度合計順に並べて見ました。

  これでわかることは「C」系縄文人の近縁遺伝子が住むのは圧倒的にオセアニアが多いことがわかります。

「D」系はスンダランドから北上し東シナ海-黄海ランドからユーラシア大陸極東部に入りチベット族、羌族、Pumi族などチベット系諸部族となりましたが、 「C」系のかなりの部分がスンダランドをそのまま更に東進したようです。

北上組みの中から更にベーリング海峡を渡り北米・中米まで進出し分化したのが「C3b」、 シベリアに留まった集団の中から、その後寒冷地適応集団「C3c」以降が分化しました。


1-8. 縄文遺伝子近縁度調査 Y-DNA「D」とY-DNA「C」 rev.1

  日本人でありながら、中国地方の縄文度の低さは目を見はるものがあります。 また長江文明の楚系と考えられるY-DNA「O1a」が突出して多いのも中国地方です、大国主神話の特殊性や吉備の豪族一族などもしかすると楚系の文化・部族なのかもしれませんね。

ともかく中国地方は日本の中で特異な遺伝子地域であり、遺伝子的に異なる部族が住み独特の華南系文化を立ち上げていた可能性が極めて高いのです。

大和朝廷族が朝鮮半島を追い出され流浪の武装集団として大和に向かった時に先住部族として立ちはだかった可能性は極めて高いと思います。 もう少し突っ込んで調べる価値はありそうです。


  日本人のガラパゴス的民族性の核をなすのは、土着の縄文系ではなく武装侵攻系のY-DNA「O3」です。

楽浪郡、帯方郡など中華王朝の出先機関が牛耳っていた朝鮮半島での生存競争を勝ち抜くことができず、 流れ者武装集団として日本列島に逃げ込んできた戦闘集団の中で最後に勝ち残ったのが大和朝廷族となり、 敗れた集団は古事記などの言うその他天神集団となったようです。

最後に勝ち残った百済系大和朝廷族の親衛隊からのし上がった戦闘要員の中から平氏が生まれ、 高句麗から落ち伸びた戦闘集団の中から坂東武者が生まれ、新羅の落ち伸び花朗集団の中から源氏が生まれ、 このような朝鮮半島出自のY-DNA「O3」を中心とする武士団族が縄文-弥生交配集団が居住していた地方を制圧し力を蓄えていったようです。

  日本列島はこうして朝鮮半島発のY-DNA「O3」出自の大和朝廷族と武士団族という侵攻集団に征服されたのです。 そして漢語で読み書きをしていた征服者は先住の縄文−弥生集団をコントロールするために漢語を読み下しできるように 「かな・カナ」を開発し(ただし弥生系は長江文明の子孫なので発音は違っていても漢文・漢語は当然OKだったはずです)、 縄文系と弥生系の神話を自分たちの神話に付け加え、大和朝廷族が古代から日本列島を支配していたように記紀神話を作り上げてきたのです。

  しかし遺伝子調査が明確になるに従い部族・種族の移動が見えてきた現在、 記紀の神話の世界の中で、イザナミ・イザナギ神話は東ユーラシア大陸に最初に上陸した部族と考えられる羌族を核とするY-DNA「D」族の伝承してきた 中国神話の伏羲・女?神話であることが見えてきました。

  大国主神話は呉系か楚系の長江文明系神話で間違いないでしょう。過去の神話学は、遺伝子と部族・種族の動きがわからない時代の研究結果に基づきます。 新しい遺伝子拡散・移動情報を基に再構築する必要がありそうですね。

  縄文人のコアを形成する子亜型Y-DNA「D2」の兄弟遺伝子ハプロタイプは、親亜型の「D*」と子亜型の「D1」と「D3」になります。 アンダマン諸島の「D*」のOnge族とJarawa族が縄文人祖形の直系子孫であることはいうまでもありません。

  縄文文化で土器製作技術や狩猟などを担ってきたと考えられる技術戦闘集団は人口的にはマイノリティだった海のハンターY-DNA「C1a」と陸のハンターY-DNA「C3a」です。 「D2」と行動を共にし南方から北上し琉球列島に港川人の遺跡を残し日本列島に上陸したプロトオーストラロイドと考えられる「C1a」に最も近い弟遺伝子「C2」は、 スンダランドから北上せず東進しオーストラロイドとして現在ニューギニア各地域や他のオセアニア諸島に分布しています。 特にインドネシアに属する西ニューギニアのラニ族とTehit族は「C2」100%の生粋の縄文兄弟系部族です。

    一方、陸組みの「C3a」は日本列島には上陸せず、一部の「D2」と共に韓半島からユーラシア大陸の内陸に入り大型動物を追ってまだ温暖だったシベリヤに展開しましたが、 寒冷化に従い「D2」は当時陸橋だった間宮海峡を渡りサハリンに入り、やはり陸橋だった宗谷海峡から北海道に入り古代アイヌとなり、 一部は陸続きだった根室半島かカムチャッカ半島から陸続きだった千島に入り古代千島アイヌになったものと思われます。

一方シベリアまで「D2」と行動を共にしていた「C3a」は、「D2」と行動を共にせず寒冷化で南下したナウマン象などの大型獣を追って南下し朝鮮半島から日本列島に入ったようです。

この時に南下せず新天地を求めてY-DNA「Q」や「R1」と共に当時陸続きだったベーリング海峡を渡り広大な大移動を決行したのが「C3b」になります。 彼らは土器製作技術集団でもあったため北米南部から中米にかけて縄文土器似の土器を遺跡として残したようです。

  一方、Y-DNA「C3a」のもう一つの弟遺伝子で、南下もせずアメリカ大陸にも渡らずシベリア大地に留まり寒冷地適応をしながら東北アジアに定着したのが 後にツングース族やモンゴル族の先祖となったY-DNA「C3c」です。

後に騎馬民族となった彼らは日本列島にも渡り騎馬民族制服王朝を興したと言う学説が戦後大ブームになりました。 遺伝子解析の結果は明快で、日本列島本土に「C3c」の出現頻度は0に近く、騎馬民族制服王朝などはなかったことが明解に証明されました。

  北海道を征服しオホーツク文化を立上げアイヌ人を熊祭りなど北方系文化に変えてしまったのは古代ニヴフ族になります。

残念ながら現代アイヌにどれくらい「D2」文化が残っているかは全く明らかにはなっていません、というより誰も研究していません。

熊祭りなどそれほど東北アジア文化に変えられてしまったのです。
現代アイヌ自身も「D2」の風俗習慣はもはや全くわからないでしょう。

それでもY-DNAの約85%は今でもY-DNA「D2」であり縄文人「D2」と同根なのです。 遺伝子は風俗・文化・言語等環境で変わりやすい表面形質ではわからない不変の血統を明らかにするのです。

  しかし本土の「D2」,「C1a」,「C3a」縄文系も、朝鮮半島での勢力争いで敗れ半島を追い出され武装勢力として日本列島に落ちのびてきた 武装侵攻集団Y-DNA「O3」の大和朝廷族や武士団族に征服され、結局北海道の「D2」と同じ”被征服者”の運命を歩むことになりましたが、 絶対人口が少なく古代ニヴフ文化に埋もれてしまった北海道「D2」文化に対し、本土では圧倒的多数派だった「D2」縄文集団は 現代まで基層の縄文文化を我々現代人が感じる縄文精神文化としていまだに維持できています。 3.11の時に世界から称賛された日本人の行動様式はこの縄文精神風土そのものなのです。土地に根付き勤勉で黙々と働き抜くのは縄文気質なのです。

  一方海洋性ハンターとして鯨を追ったりマグロを追いかけたり船を操り海の漁を展開する海洋性気質は同じ縄文人の少数派Y-DNA「C1a」がオリジンです。

「C1a」縄文人は海に乗り出す海の民でもあるのです。


  もう一方のY-DNA「C3a」は陸のハンターとして大陸を股に掛ける日本人の大陸的な気質のオリジンなのです。

「C3b」は北・中米大陸まで民族移動を行い、「C3c」ジンギスカンはユーラシア大陸を東西に横断しヨーロッパまで届くモンゴル帝国を築き ヨーロッパに低頻度ではありますがY-DNA「C3c」遺伝子を植え付けることに成功しました。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-8.htm



24. 中川隆[-7259] koaQ7Jey 2017年7月07日 14:38:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

サイエンスZERO 日本人のルーツ発見! ”核DNA”が解き明かす縄文人 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9ZERO++%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E7%99%BA%E8%A6%8B%EF%BC%81+%E2%80%9D%E6%A0%B8DNA%E2%80%9D%E3%81%8C%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA


「縄文人ゲノム解読 私たちのルーツは」
時論公論 NHK 解説委員室 2016年10月10日 (月) 土屋敏之 解説委員
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/254405.html

日本人の祖先と思われている縄文人。そのイメージが大きく変わろうとしています。

福島県で発掘された人骨からゲノムが解読され、「縄文人はアジアの他の地域の人たちと大きく異なる特徴を持っていた」とわかったのです。そればかりか、現代の日本人とも予想以上に違いが大きかったと示されました。

では一体、縄文人とは何者だったのか?私たちのルーツにも関わる最新科学の意味を3つのポイントから読み解きます。


まず、「核DNA解析」と呼ばれる今回の手法が、これまでと何が違うのか整理します。

続いて、解析の結果つきつけられた「縄文人とは何者か?」、さらには「では私たちは何者なのか?」という謎を読み解きます。

そして、「科学が変えた人類観」。DNA解析の進歩は、人類がどんな存在なのか?というイメージ自体を変えてきました。それをどう受け止めればいいのか考えます。


先月、国立遺伝学研究所などのグループが「縄文人の核ゲノムを初めて解読した」とする論文を 専門誌に発表しました。

この「縄文人」とは、福島県新地町にある三貫地貝塚で発掘された3千年前の人骨です。三貫地貝塚は、昭和20年代に100体以上の人骨が発掘された、縄文時代を代表する貝塚のひとつです。

研究グループは、東京大学に保管されていた人骨・男女2人の奥歯の内側からわずかなDNAを採取し、解析に成功しました。

DNA解析と言えば、今や犯罪捜査から薬の副作用の研究まで様々な分野で使われていますが、今回の研究では「核DNAの解析」というのがポイントです。実はこれまで「古代人のDNA」というと、行われてきたのは「ミトコンドリアDNA」というものの解析でした。


私たちの細胞には「核」があってその中に「核DNA」が入っていますが、これとは別にミトコンドリアという小さな器官の中にもDNAがあります。ミトコンドリアはひとつの細胞に数百個もあるため分析に広く使われてきました。ただ、ミトコンドリアDNAの持つ情報は限られていて、文字数に例えると2万文字以下の情報しかありません。これに対し、核DNAは32億文字にも上り、私たちの姿形や体質など膨大な情報を含んでいます。技術の進歩で新たな分析装置が登場したこともあって、今回、日本の古代人では初めて核DNAの一部が解読されたのです。


では、縄文人とは何者だったのか?

こちらは解析の結果、三貫地縄文人が現代のアジア各地の人たちとどれぐらい似ているのか、プロットした図です。近い場所にある人同士は核DNAがより似ていることを示します。

すると、縄文人はアジアのどこの人たちとも大きな隔たりがあるとわかりました。それだけでなく、現代の日本人ともかなり離れています。

現代の日本人は、縄文人よりむしろ他のアジアの人たちに近い位置にあるのです。
こうした距離は、人々が共通の祖先から別れて別々に進化を始めた時代の古さを示すと考えられています。DNAには時間と共に突然変異が起きるため、別れてからの時間が長いほど違いが大きくなるためです。

そこで、この結果を共通祖先からの分岐の古さを示す「進化の系統樹」にするとこうなります。

「ホモ・サピエンス」と呼ばれる私たち現生人類は20万年前にアフリカで誕生し、その後他の大陸に進出しました。

ヨーロッパに向かった人たちと別れ、東に進んだグループのうち、最初に分岐したのはパプアニューギニアからオセアニアへ渡った人たちです。

そして解析の結果、次に別れたのが縄文人だったのです。
これは、縄文人が他のアジア人ほぼ全てと別のグループであることを意味します。

他のアジア人はその後、中国や東南アジア、さらにはアメリカ大陸に向かう集団へと別れました。現代の日本人もこちらのグループに入っています。

これを見る限り、縄文人は日本人の祖先には見えません。
ただ同時に、この矢印は、縄文人と現代の日本人のDNAのうち12%は共通だということを示しています。一体どういうことなのか?研究者が考えるシナリオです。


およそ4万年前から2万年前の間に、大陸から日本に渡った人々がいました。大陸とは海で隔てられていたため、この人々はその後大陸のアジア人と交わること無く進化を遂げ、縄文人の祖先になります。その間、大陸のアジア人も様々に別れていきました。

そして、縄文時代の末以降、再び大陸から日本に大勢の人が渡ってきました。いわゆる渡来系の弥生人です。稲作文化を持ち込んだ渡来系弥生人は人口の多くを占めるようになりますが、その過程で縄文人と幾らか交わりを持ったため、現代の日本人には12%だけ縄文人のDNAが伝えられたのです。

従来の研究では、現代日本人には縄文人の遺伝子が2割〜4割ほど入っているとも考えられていましたので、それよりかなり少ないという結果です。

ただし、これはあくまで福島県・三貫地貝塚のわずか2人のDNA解析の結果です。「縄文人の中にも多様な人達がいて三貫地縄文人は現代人との共通性が低かったが、西日本の縄文人はもっと共通性が高いかもしれない」と考える専門家もいます。現在、国立科学博物館などのグループでも、北海道から沖縄まで各地の古代人の核DNA解析に取り組んでおり、今後、日本人のルーツはより詳しく解明されていくでしょう。


さて、こうした科学の進歩は私たちが抱く「人類観」さえ変えてきました。

発端は1987年、ミトコンドリアDNAの解析から、アメリカの研究グループが衝撃的な発表をしました。それは、「世界の人々の母方の祖先をさかのぼると、20万年前のアフリカにいた、たった一人の女性に辿り着く」というものでした。この女性は「ミトコンドリア・イブ」と名付けられました。

このことは、それ以前から各地にいたはずの古い人類たちを、あとからアフリカを出た我々ホモ・サピエンスが全て絶滅させ、置き換わった証拠だと考えられました。

しかし、これをくつがえす人類観も、今度は核DNAの解析から生まれました。2010年、ドイツのグループがおよそ4万年前にヨーロッパにいたネアンデルタール人の核DNAを解読。「我々はネアンデルタール人からDNAの数%を受け継いでいる」と発表したのです。

この発見は、ホモ・サピエンスはネアンデルタールと共存し交わりを持って子孫を残した、それが我々の祖先だということを意味します。私たちは他者を滅ぼすばかりの攻撃的な種では無く、異なる人々を受け入れ、それによって豊かな多様性を持つようになったのではないか?そんな可能性を科学が示したのです。

こうした発見の積み重ねの先に、いつの日か「私たちはいかなる存在なのか?」そんな根源的な問いにも答えが出されるかもしれません。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/254405.html

縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く 神澤秀明(国立科学博物館)
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html


現在の日本列島に住む人々は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球に分かれる。この3集団にはどのような成立ちがあるのだろう。数千年、土に埋もれていた縄文人のDNA配列解析から現代へとつながる歴史が見えてきた

1.アフリカから日本列島へ、祖先の長い旅


アフリカを起源にもつ私たちヒト(ホモ・サピエンス)は、およそ5〜10万年前に故郷を出て世界中に拡散していった。出アフリカの時期とルートは現在も議論のあるところだが、一部の集団がおよそ4〜5万年前に東アジアに進出したことは、化石の証拠などから明らかとなっている(図1)。

このようなヒトの歴史を探る研究には、これまで人骨や土器などを発掘し観察する考古学と古人類学の手法が用いられてきたが、1980年代以降DNAから歴史を読み解く遺伝学的研究も盛んに行なわれるようになった。

私たちヒトが100万年以上前にアフリカを出て世界に拡散した原人の子孫ではなく、およそ20万年前にアフリカで誕生した系統の子孫だという「アフリカ単一起源説」の証明も遺伝学的研究による成果の1つである。


図1:アフリカから世界へ ヒトの拡散
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html


遺伝学的研究と化石証拠を重ねて、人類の歴史を探る研究が進んでいる。
Scally and Durbin, Nature Reviews Genetics 13, 745-753 (2012)を参照し作成した。

東アジアの中でも東端に位置している日本列島にも、およそ4万年前からヒトが住んでいたことが石器の記録からわかっている。文化的要素をもとに、最初にヒトが日本列島に住んでから16,000年前までを後期旧石器時代、16,000~3,000年前を縄文時代、3,000~1,700年前を弥生時代と呼ぶ。

後期旧石器から縄文時代は狩猟採集による生活であったが、弥生時代に入ると大陸(北東アジア)から渡来民がやってきて水稲が伝来し、水稲耕作が始まった。

弥生時代の開始に合わせて、これまでの彫りの深い顔立ちの縄文人とは明らかに異なる、平坦な顔立ちで高身長の人々(渡来系弥生人)が日本列島に現れ始めたことが化石からも明らかになっている(図2)。縄文人、渡来民と私たちはどのような関係にあるのだろう。


図2:縄文人と渡来系弥生人
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html


縄文人(左)は彫りの深い顔立ちで、歯が小さい。渡来系弥生人(右)は平坦な顔立ちで歯が大きい。

出土:縄文人 宮野貝塚 、弥生人 金隈遺跡 / 写真撮影:酒井孝芳

2.縄文人核ゲノム解析への挑戦

現代日本列島人の成立ちを説明する学説として、1991年に形態研究に基づいて提唱された「二重構造説」がある(図3)。

これは、縄文人と渡来民が徐々に混血していくことで現代の日本列島人が形成されたという説で、列島の端に住むアイヌと琉球の集団は、縄文人の遺伝要素を多く残すとしている。

近年、行なわれた日本列島人の大規模なDNA解析からも、基本的にはこの説を支持する結果が得られている。(図4)しかし、これはあくまで現代人のDNAからの推定である。

図3:日本列島人の成立ち「二重構造説」
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html


埴原和郎(人類学者)が多くの人骨を分析し、統計データに基づいて提唱した学説。埴原は縄文人の起源は東南アジアであると考えていた。

図4:現代日本列島人と大陸の東アジア人の比較
Jinam et al. Journal of Human Genetics 60, 565–571(2015)を参照し作成した。

現在の日本列島人は本当に縄文人のDNAを受け継いでいるのか、そして、縄文人はいつ、どこから来たのかを直接知るために、1980年代から縄文人のミトコンドリアDNA解析が行なわれてきた。

しかし、ミトコンドリアDNAは母系遺伝であり、ゲノムサイズも小さいので遺伝情報が限られている。私たちはより詳しい歴史を知りたいと考え、縄文人の核ゲノム解析に挑戦した。

東京大学総合研究博物館に所蔵されているおよそ3,000年前の縄文人骨(福島県三貫地貝塚から出土)から大臼歯を取り出し、作業途中に実験者のDNAが混入しないよう細心の注意を払い、専用のクリーンルームでDNAを抽出した。配列を調べると大部分は死後に歯の内部に侵入したバクテリア(真正細菌、古細菌)などに由来すると思われるものだったが、わずか数%程度、縄文人に由来するであろうDNAが含まれていた(図5)。ここから、縄文人ゲノムの4%ほどを占める、1億塩基を越える配列データを得ることができた。これを現代人の配列と比較することで、縄文人の独自性と日本列島人の成立過程が見えてきた。


図5:縄文人の歯からDNAを抽出
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html

縄文人のDNAがどれだけ含まれているかは、人骨が発掘された場所の環境や保存状態により大きく変わる。温度が高いとDNAの分解速度が早くなるので、寒い場所の方がDNAは残りやすい。


3.世界の人々との比較で見えてきた縄文人の独自性

近年、ゲノム研究ではヒトの遺伝学研究を促進するために様々な民族のゲノムを解読するプロジェクトが進んでおり、公共データベースに登録されている。これらのデータを用い、アフリカ、ヨーロッパの集団を含む世界中の人々と縄文人の核ゲノムを比較したところ、縄文人は東ユーラシアの集団と遺伝的に一番近いことがわかった(図6)。

図6:世界中の集団と縄文人の比較
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html


これは、地理的関係から考えて予想通りの結果である。さらに東ユーラシアの集団にしぼっての比較により、現代日本列島人は大陸集団と比べてより縄文人に近縁であることがわかった(図7)。加えて、集団間で遺伝子が移動したかを調べる遺伝子流動(gene flow)解析をすることで、現代日本列島人が縄文人のDNAを受け継いでいることが証明できた。


図7:東ユーラシアの集団と縄文人の比較
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html

この解析は公共データベースを活用したため、アイヌ、琉球との比較は行なっていない。

縄文人の祖先は、どこから日本列島にやってきたのだろう。これまで、縄文人の起源が東南アジア、北東アジアのいずれかについての議論が長く行われてきた。形態的には東南アジア人に近いが、縄文人のミトコンドリアDNAと現代人のDNAを用いた遺伝学的研究からは北東アジア人に近いという結果が出ていたのである。今回私たちが得た配列を現代人と比較したところ、縄文人はいずれにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった(図8)。


図8:世界の現代人と縄文人の系統関係
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html

つまり縄文人は、これまで考えられていたより古い時代に他の東アジア人集団から孤立し、独自の進化をとげた集団である可能性が出てきたのである。縄文人がいつ、どこから日本列島にやってきたのかを知るためには、今後、多くの縄文人と他の地域の東アジア古代人の核ゲノムを解析することが必要である。


4.私たち現代日本列島人3集団と縄文人の関係

次に、現代の日本列島人3集団と縄文人との関係を見たところ、アイヌ、琉球、本土日本人の順に縄文人の遺伝要素が強いことがわかった(図9)。二重構造説で指摘されていたことを、縄文人の核ゲノムを用いて直接的に証明した初めての成果である。

図9:現代日本列島3集団と縄文人の比較
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html


ところで最近、アイヌの集団の形成には南シベリアのオホーツク文化人(5〜13世紀)が関与していることが、ミトコンドリアDNAの解析などから提唱されている。私たちの結果もそれを示唆しており、日本列島人の成立ちは単純な二重構造ではないこともわかってきた(図10)。これについては、今後オホーツク文化人の核ゲノム解析による証明が必要である。

図10:縄文人の核ゲノム解析から見えてきた日本列島人の成立ち
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html

私たちはさらに縄文人核ゲノムの解析を進めており、最近では別の縄文人個体の核ゲノムの90%程度の解読に成功している。ただ、縄文時代は1万年以上と長く、文化圏も北海道から沖縄本島までと広いため、時期や地域を通して均質な集団であったとは考えにくい。今後多くの時期と地域を分析・比較して検証する予定である。

縄文人は、狩猟採集と定住生活とを実現し、独自の文化を築きあげたことで世界からも注目されている。縄文人の核ゲノム研究はまだ始まったばかりだが、解析を積み上げていくことで彼らがどのような人々であったのかを知り、私たちの歴史を明らかにしていきたい。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html



25. 中川隆[-12657] koaQ7Jey 2018年5月31日 21:58:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14590]

ドキュメンタリー 歴史 ドキュメンタリー イヴ仮説 最初の女性 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y18TuC4Psq8

26. 中川隆[-13387] koaQ7Jey 2018年10月22日 13:04:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19465] 報告
橘玲の世界投資見聞録 2018年10月19日
今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など人類史の常識が次々と覆されている
[橘玲の世界投資見聞録]
http://diamond.jp/articles/-/182802

 30億ドル(約3300億円)の予算をかけたヒトゲノム計画が完了してわずか十数年で、全ゲノム解析のテクノロジーは驚くべき進歩をとげ、いまでは誰でもわずか数万円で自分のDNAを調べられるようになった。

 さらに近年、遺跡などから発掘された遺骨からDNAを解析する技術が急速に進歩し、歴史時代はもちろん、サピエンスが他の人類と分岐する以前の古代人の骨の欠片からDNAを読み取ることもできるようになった。この「古代DNA革命」によって、従来の遺跡調査からはわからなかった人類の移動や交雑の様子が明らかになり、古代史・歴史の常識が次々と覆されている。

 デイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4140817518/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4140817518&linkCode=as2&tag=mailmagazin0e-22


は、サピエンスとネアンデルタール人の交雑を証明したマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボとともに、この「古代DNA革命」を牽引する現役の遺伝学者が学問の最先端を一般向けに紹介した刺激的な本だ。

 詳細は本を読んでいただくとして、ここではそのなかから興味深い知見をいくつか紹介したい。とはいえ、その前に用語について若干断っておく必要がある。

 日常的に「人類」と「ヒト」を区別することはないが、人類学では両者は異なる意味で使われる。「ヒト」は現生人類(ホモ・サピエンス)のことで、「人類」はヒト族のみならず化石人類(アウストラロピクテス属など)を含むより広義の分類だ(専門用語ではホモ属=ホミニンhomininという)。ここでは、ユヴァル・ノア・ハラリに倣って現生人類を「サピエンス」とし、ネアンデルタール人やデニソワ人など絶滅した古代人を含むホモ属の集合を「人類」とする。

 本書でいう「交雑」とは、人類のなかの異なる集団(サピエンスとネアンデルタール人)や、サピエンスのなかの異なる集団(アフリカ系とヨーロッパ系)のDNAが混じりあうことだ。これは一般に「混血」とされるが、血が混じり合うわけではないから、科学的には明らかに誤っている。そのため「交配」が使われたりしたが、これはもともと品種改良のことで優生学的な含みがあるため、消去法で「交雑」に落ち着いたのだろう。

 そうはいっても、「交雑」には「純血種をかけあわせたら雑種になる」というニュアンスがあり、「彼らは混血だ」というのと、「彼らは交雑だ」というのではどちらがPC(政治的に正しい)かというやっかいな問題は避けられないだろう。しかし私に代案があるわけでもなく、将来、よりPCな用語が定着するまで、本稿でもサピエンス内の集団の性的交わりを含め「交雑」とする。

 これまで何度か書いたが、「原住民」と「先住民」では漢語として明確なちがいがある。「原住民」は「かつて住んでいて、現在も生活している集団」で、「先住民」は「かつて住んでいて、現在は絶滅している集団」のことだ。日本では「原住民」が一部で差別語と見なされているが、ここでは漢語本来に意味にのっとり、「アメリカ原住民」「オーストラリア原住民」として「(絶滅した)先住民」と区別する。

全ゲノム解析によりホモ・サピエンスのアフリカ起源説が揺らいできた

 進化の歴史のなかでは、ホモ・サピエンス(現生人類)にはさまざまな祖先や同類がいた。ラミダス猿人やホモ・ハビルス、北京原人やネアンデルタール人などの化石人類を含めた人類(ホモ族)は、700万〜600万年前にアフリカのどこかでチンパンジーとの共通祖先から分かれた。

 これについては大きな異論はない(あまりに遠い過去で証明のしようがない)が、その後の人類の歴史については、多地域進化説とアフリカ起源説が対立した。

 多地域進化説では、180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの異なる地域で並行的にサピエンスに進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、サピエンスの祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラリア大陸に広がっていった。

 1980年代後半、遺伝学者が多様な民族のミトコンドリアDNAを解析して母系を辿り、すべてのサンプルがアフリカにいた1人の女性から分岐していることを明らかにした。これがミトコンドリア・イブで、約16万年(±4万年)に生存したとされる。この発見によってアフリカ起源説に軍配が上がったのだが、これはサピエンスが10〜20万年前のアフリカで誕生したということではない。

 ライクによれば、この誤解はミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約77万〜55万年前へと大きく遡る。サピエンスの起源は、従来の説より50万年も古くなったのだ。

 そうなると、(最長)77万年前からミトコンドリア・イブがいた16万年前までの約60万年が空白になる。これまでの通説では、その間もサピエンスはずっとアフリカで暮らしていたということになるだろう。

 ところがその後、サピエンスの解剖学的特徴をもつ最古の化石が発見され、その年代が約33万〜30万年前とされたことで、従来のアフリカ起源説は大きく動揺することになる。“最古のサピエンス”はジェベル・イルード遺跡で見つかったのだが、その場所は北アフリカのモロッコだったのだ(正確には石器や頭蓋の破片が発見されたのは1960年代で、近年の再鑑定で約30万年前のものと評価された)。

 アフリカ起源説では、サピエンスはサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡って「出アフリカ」を果たしたとされていた。だが30万年前に北アフリカにサピエンスが暮らしていたとなると、この通説は覆されてしまうのだ。

遺伝学的には「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」がある

 遺伝学的には、サピエンスは「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の大きく2つの系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年ほど前にアフリカを出て世界じゅうに広がっていき、アフリカ系統はそのまま元の大陸に残った。

 この2つの系統は、ネアンデルタール人のDNAを保有しているかどうかで明確に分かれる。ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったため、アフリカにいるサピエンスとは交雑せず、そのためアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。

 従来の説では、ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多く発見されたため、出アフリカ後に北に向かったサピエンスが交雑したとされていた。だが現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5〜2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。

 その後も、単純な「出アフリカ説」では説明の難しい人類学上の重要な発見が相次いだ。

 2008年、ロシア・アルタイ地方のデ二ソワ地方の洞窟で、約4万1000年前に住んでいたとされるヒト族の骨の断片が見つかった。サピエンスともネアンデルタール人とも異なるこの人類は「デニソワ人」と名づけられたが、DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行なわれたいたことがわかった。――ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)デニソワ人と呼んでいる。

 さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。

 ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万〜55万年前)よりもさらに古い140万〜90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したと考えられる。

 約5万年前にサピエンスが「出アフリカ」を遂げたとき、ユーラシアにはすくなくともネアンデルタール人とデニソワ人(アウストラロ・デニソワ人)という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇した。交雑というのは性交によって子どもをつくることで、動物の交配(品種改良)を見ればわかるように、きわめて近い血統でなければこうしたことは起こらない。

 分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万〜38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万〜55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。

 ここでライクは、きわめて大胆な説を唱える。サピエンスもユーラシアで誕生したというのだ。


サピエンスはなぜ他の人類を絶滅させるまでになったのか

 従来の人類学では、人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトス(原人)がユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先やサピエンスなど、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し「出アフリカ」したことになっている。だがなぜ、新しい人類はアフリカでしか生まれないのか? ユーラシア大陸にも180万年前から多くの人類が暮らしていたのだから、そこで進化したと考えることもできるのではないか。

 ライクは古代人のDNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらにサピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐していったのではないかと考える。デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。だとしたら、サピエンスはどこにいたのか。

 ライクの説によると、サピエンスは脆弱な人類で、ネアンデルタール人に圧迫されて中東の一部に押し込められていた。その後、ネアンデルタール人がさらに中東まで進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退せざるを得なくなった。これが、モロッコでサピエンスの痕跡が発見された理由だ。

 ところが5万年ほど前に、そのサピエンスが「出アフリカ」を敢行し、こんどはネアンデルタール人やデニソワ人などを「絶滅」させながらユーラシアじゅうに広がっていく。このときネアンデルタール人は中東におり、サピエンスと交雑した。このように考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多数見つかるのは、サピエンスと遭遇したのち、彼らがユーラシア大陸の西の端に追い詰められていったからだろう。

 中東でネアンデルタール人と交雑したサピエンスの一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑した。その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。

 ところで、ネアンデルタール人に圧迫されて逃げまどっていた脆弱なサピエンスは、なぜ5万年前には、他の人類を絶滅させるまでになったか。これについては遺伝学者のライクはなにも述べていないが、ひとつの仮説として、アフリカに逃げ延びた30万年前から「出アフリカ」の5万年前までのあいだに、共同で狩りをするのに必要な高度なコミュニケーション能力を進化させたことが考えられる。これによってサピエンスは、マンモスなどの大型動物だけでなく、ネアンデルタール人やデニソワ人など他の人類を容赦なく狩り、男を皆殺しにし女を犯して交雑していったのかもしれない。

馬を手にしたヤムナヤの遊牧民がヨーロッパに移動した

 ライクは『交雑する人類』で、DNA分析からヨーロッパ、南アジア、東アジア、アメリカ原住民、オーストラリア原住民、アフリカなどでどのようにサピエンスが移動し、交雑していったのかを説明している。ここではそのなかで、ヨーロッパとインドについて紹介しよう。

 1万年前、中東の肥沃な三日月地帯で農耕が始まると、新たなテクノロジーを手にしたひとびとは農耕可能な土地を求めて東西に移住していった。しかしなかには農耕に適さない森林地帯や草原地帯(ステップ)もあり、そこには依然として狩猟採集民がいた。農耕民と狩猟採集民は、時に交易し、時に殺し合いながら暮らしていた。そうした集団のなかには、今日、DNAにしか痕跡を残さない者もおり、ライクはそれを「ゴースト集団」と呼ぶ。

 遺伝学的には、8000年前頃の西ユーラシアの狩猟採集民は青い目に濃い色の肌、黒っぽい髪という、いまでは珍しい組み合わせの風貌だったと推定されている。ヨーロッパの最初の農耕民のほとんどは、肌の色は明るかったが髪は暗い色で茶色の目をしていた。典型的なヨーロッパ人の金髪をもたらした変異の最古の例として知られているのは、シベリア東部のバイカル湖地帯でみつかった1万7000年前の古代北ユーラシア人(ゴースト集団)だ。

 ヨーロッパの東には中央ヨーロッパから中国へと約8000キロにわたって延びる広大なステップ地帯があったが、5000年ほど前にそこで馬と車輪というイノベーションが起きた。この最初の遊牧民の文化を「ヤムナヤ」と呼ぶ。

 馬という高速移動手段を手にしたヤムナヤの遊牧民は、新たな土地を求めて移動を繰り返した。このうち西に向かった遊牧民が現在のヨーロッパ人の祖先だ。

 ここでライクが強調するのは、遊牧民がヨーロッパの農耕民と交雑したわけではないということだ。DNA解析によれば、彼らは定住民とほぼかんぜんに置き換わってしまったのだ。

 遊牧民が定住民の村を襲ったのだとすれば、男を殺して女を犯して交雑が起きるはずだ。その痕跡がないということは、遊牧民がやってきたときには定住民はいなかった、ということになる。そんなことがあるのだろうか。

 ここでの大胆な仮説は病原菌だ。ペストはもとはステップ地帯の風土病とされているが、遊牧民が移住とともにこの病原菌を運んできたとしたら、免疫のない定住民はたちまち死に絶えてしまったはずだ。こうして交雑なしに集団が入れ替わったのではないだろうか。

 15世紀にヨーロッパ人はアメリカ大陸を「発見」し、銃だけでなく病原菌によってアメリカ原住民は甚大な被害を受けた。興味深いことに、それとまったく同じことが5000年前のヨーロッパでも起き、「原ヨーロッパ人」は絶滅していたかもしれないのだ。

西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じ起源を持つ同祖集団

 馬と車輪を手にしたステップの遊牧民のうち、ヨーロッパ系とは別の集団は南へと向かい、現在のイランや北インドに移住した。彼らはその後「アーリア」と呼ばれるようになる。

 独立後のインドでは、「インド人とは何者か?」が大きな問題になってきた。

 ひとつの有力な説は、ヴェーダ神話にあるように、北からやってきたアーリアがドラヴィダ系の原住民を征服したというもの。この歴史観によると、バラモンなどの高位カーストは侵略者の末裔で、低位カーストや不可触民は征服された原住民の子孫ということになる。

 だがこれが事実だとすると、インドはアメリカの黒人問題と同様の深刻な人種問題を抱えることになり、国が分裂してしまう。そこでヒンドゥー原理主義者などは、アーリアももとからインドに住んでおり、神話にあるような集団同士の争いはあったかもしれないが、それは外部世界からの侵略ではないと主張するようになった。

 現代インド人のDNA解析は、この論争に決着をつけた。

 インド人のDNAを調べると、アーリアに由来する北インド系と、インド亜大陸の内部に隔離されていた南インド系にはっきり分かれ、バラモンなど高位カーストは北インド系で、低位カーストや不可触民は南インド系だ。インダス文明が滅び『リグ・ヴェーダ』が編纂された4000年〜3000年前に大規模な交雑があり、Y染色体(父系)とミトコンドリア染色体(母系)の解析から、北インド系の少数の男が南インド系の多くの女と子をつくっていることもわかった。

 近年のヒンドゥー原理主義は、カーストが現在のような差別的な制度になったのはイギリスの植民地政策(分断して統治せよ)の罪で、古代インドではカーストはゆるやかな職業共同体で極端な族内婚は行なわれていなかったとも主張している。この仮説もDNA解析で検証されたが、それによると、ヴァイシャ(商人/庶民)階級では、2000〜3000年のあいだ族内婚を厳格に守って、自分たちのグループに他のグループの遺伝子を一切受け入れていないことが示された。ジャーティと呼ばれるカースト内の職業集団にもはっきりした遺伝的なちがいがあり、インドは多数の小さな集団で構成された「多人種国家」であることが明らかになった。

 西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じステップ地方の遊牧民「ヤムナヤ」に起源をもつ同祖集団で、だからこそ同系統のインド=ヨーロッパ語を話す。それに加えてライクは、バラモンによって何千年も保持されてきた宗教もヤムナヤ由来で、ヨーロッパ文化の基層にはヒンドゥー(インド)的なものがあることを示唆している。

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ゲノム解析では「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」はグループ分けできる

『交雑する人類』にはこれ以外にも興味深い仮説がたくさん出てくるのだが、それは本を読んでいただくとして、最後に人種問題との関係についてライクの見解を紹介しておきたい。

 ここまでの説明でわかるように、DNA解析は歴史を再現するきわめて強力な手段だ。それがサピエンスとネアンデルタール人の交雑であれば科学的な興味で済むだろうが、現代人の異なる集団の交雑を検証する場合、北インド人と南インド人のケースでみたように、きわめてセンシティブな領域に踏み込むことになる。一歩まちがえば「人種主義(レイシズム)」として批判されかねないのだ。

 ライクはリベラルな遺伝学者で、この重い問いに誠実にこたえようとする。その一方で、科学者として耳触りのいい「きれいごと」でお茶を濁すこともできない。

 リベラル(左派)の知識人は、「人種は社会的な構築物だ」とか、「人種などというものはない」と好んでいいたがる。だが2002年、遺伝学者のグループがゲノム解析によって世界中の集団サンプルを分析し、それが一般的な人種カテゴリー、すなわち「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」と強い関係のあるクラスターにグループ分けできることを立証した。これはもちろん、「人種によってひとを区別(差別)できる」ということではないが、人種(遺伝人類学では「系統」という用語が使われる)のちがいに遺伝的な根拠があることをもはや否定することはできない。

 このことは、もっとも論争の的となる人種と知能の問題でも同じだ。

 ヨーロッパ人系統の40万人以上のゲノムをさまざまな病気との関連で調査した結果から、遺伝学者のグループが就学年数に関する情報だけを抽出した。その後、家庭の経済状況などのさまざまなちがいを調整したうえで、ゲノム解析によって、就学年数の少ない個人より多い個人の方に圧倒的によく見られる74の遺伝的変異が特定された。

 これも遺伝によって頭のよさ(就学年数の長さ)が決まっているということではないが、「遺伝学には就学年数を予測する力があり、それはけっして些細なものではない」とライクはいう。予測値がもっとも高いほうから5%のひとが12年の教育機関を完了する見込みは96%なのに対して、もっとも低いほうから5%のひとは37%なのだ。

 こうした(リベラル派にとって)不都合な研究結果を紹介したうえで、ライクは、「実質的な差異の可能性を否定する人々が、弁明の余地のない立場に自らを追い込んでいる」のではないかと危惧する。私なりに翻案すれば、「扉の陰にいるのは黒いネコであるべきだし、黒いネコに間違いないし、いっさい異論は許さない」と頑強に主張しているときに、白いネコが出てきたらいったいどうなるのか、ということだ。「そうした立場は、科学の猛攻撃に遭えばひとたまりもないだろう」とライクはいう。

 これは「古代DNA革命」の第一線の研究者として、新しいテクノロジーのとてつもないパワーを知り尽くしている者だけがいうことができるきわめて重い発言だ。門外漢の私はこれについて論評する立場にないので、最後にライクの警告を引用しておきたい。

「認知や行動の特性の大半については、まだ説得力のある研究ができるだけの試料数が得られていないが、研究のためのテクノロジーはある。好むと好まざるとにかかわらず、世界のどこかで、質のよい研究が実施される日が来るだろうし、いったん実施されれば、発見される遺伝学的なつながりを否定することはできないだろう。そうした研究が発表されたとき、わたしたちは正面から向き合い、責任を持って対処しなければならない。きっと驚くような結果も含まれているだろう」

27. 中川隆[-10898] koaQ7Jey 2019年4月06日 07:23:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1130] 報告
2019年04月04日
脳の進化過程から人類史500万年を見直す
http://web.joumon.jp.net/blog/2019/04/3453.html


人類史は現在の学説では600万年前とも500万年前とも言われている。

サルが木から下りて2足歩行をできるようになった事が確認されたのがその時代という事で認識されてきた。脳の容量は原人のアウストラロピテクスの段階で375ccでチンパンジーの350ccからわずか25cc大きくなったに過ぎない。サルから人類への進化は2足歩行がまず始まり⇒脳の容量UPという理屈だ。しかし現在の人類の種であるホモサピエンスは最大遡っても30万年前、同様にネアンデルタール人やデニソワ人も同様の時代に登場した。それらの新人に繋がる種(中間種の人類)は見つかっていない。

ホモサピエンスの脳容量は最終的には1350ccとサル時代の脳容量からは4倍以上に大きくなっているが、人類の脳が500ccを超えたのはホモハビルス時代の150万年前〜20万年前の期間に過ぎない。つまり、人類の脳は500万年前から徐々に順調に大きくなったのではなく、約400万年間は殆どサル時代と変わらず、50万年前前後を起点に何らかの要因で急激に大きくなったのである。

人類とサルを分ける最大の違いは2足歩行だろうか?おそらく誰に聞いてもサルと人類を分ける起点は脳の容量であると考えるに違いない。つまり、人類史を500万年前としてよいのか、を改めて脳の進化という観点で見直してみる必要があるのではないか?

下記のブログでも同様な疑問が書かれている。

リンク
http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2017-02-04-1.html

より引用

>人類の進化を脳容量の変化という観点からたどると,興味深いことに,類人猿までの進化には相当手間取ったらしい.

 ヒトに最も近いチンパンジーの脳の容量は400cc.霊長類の歴史では,ここから500ccの大台に乗るのまでに400万年という時間を要した.逆に,それ以降の進化は早い.300〜200万年前のアウストラロピテクス・アフリカヌスの段階で450ccになった後,230〜140万年前のホモ・ハビリスでついに550ccを記録.さらに,150〜20万年前のホモ・エレクトスでは1000ccとなり,40〜2万年前に生存したホモ・ネアンデルターレンシスでは1500ccにも達した.ちなみに現在まで続く新人たるホモ・サピエンスの脳容量はむしろ若干少なく,1350ccである.この進化の過程で,漸進的に顎が後退し,体毛が喪失した。

人類はミッシングリンクといって人類の祖先が進化して現代の人類になった訳ではない。地上に降りたサルが何度も絶滅しては新たな種が登場し絶滅する。その中で生き残ったのが現在の人類に繋がるホモサピエンス(30万年前に登場?)である。人類史を500万年前とする根拠は今のところ見つからない。地上に降りたサルを人類と呼べば別であるが。さらにアフリカを出てユーラシア大陸に向った種も10万年前である。人類はどこで誕生し、どうやって、なぜ脳を拡大し、その後の人類史に繋がったのか、そこの解明が必要だ。

■今回のシリーズは人類史の始まりという視点で下記のテーマに分けて追求していきたい。

1.原人は地上に降りたのか、落ちたのか?

2.ミッシングリンクとは何か?

3.脳を爆発的に大きくさせた要因は何か?何があったのか?

4.言語と脳の関係、精霊と言語の関係。

5.脳の進化史から人類史を改めて設定する。〜何を以って人類と呼ぶか?

http://web.joumon.jp.net/blog/2019/04/3453.html

28. 中川隆[-10750] koaQ7Jey 2019年4月13日 07:42:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1292] 報告
2019年04月11日
人類がチンパンジーと分岐したとする定説は事実なのか?1~1960年以前は人類アジア起源説

人類は、500万年前、チンパンジーとの共通祖先から分岐したというのが定説になっているが、その定説はどのような根拠で成立したのか?
1960年以前は化石を元にしたアジア起源説だったのが、次第に、分子時計を前提とした分子系統学によってアフリカ起源説に塗り替わっていったらしい。

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●1932年、インドのシワリク高原でラマピテクスの上顎・下顎と歯の化石(1400〜800万年前)。歯列や犬歯・臼歯の形や質が類人猿よりも人類に似ていたので、60年代にはラマピテクスが人類の直系祖先とされるようになった。人類はラマピテクス以前に分岐したとされ、当時の人類学の教科書では、類人猿とヒトの分岐は4000〜3000万年前と書かれていた。

●1960年代に分子系統学による種間距離の測定が始まる。

グッドマンは、抗原抗体反応の大きさを使って霊長類種間の免疫学的距離を推定した。
ヒトの血清タンパク質をウサギに注射すると、ウサギはヒト血清タンパク質に対する抗体をつくる。その抗体を含むウサギの血清(抗ヒトタンパク質血清)をヒトやサルの血清と混ぜる。ヒトの血清とは強く抗原抗体反応を起こし沈殿物が多く出る。チンパンジーやゴリラの血清との反応よりも、オランウータンの血清との反応は明らかに弱かった。反応が強いほど、ヒトの血清タンパク質とアミノ酸配列が似ていると考えて、グッドマンはオランウータンよりもチンパンジー・ゴリラの方がヒトに近いと結論づけた。

1967年、サリッチとウィルソンは免疫抗体法で推定したヒトや類人猿の免疫学的距離に分子時計の考え方を導入して、分岐年代を推定した。
ヒト・チンパンジー・オナガザルの血清アルブミン抗体をつくり、ヒトや類人猿、オナガザルの血清と反応させ、ヒト・チンパンジー・ゴリラ・ウランウータン・テナガザルの免疫学的距離を推定、ヒトはオランウータンよりもチンパンジー・ゴリラに近縁であると結論づけた。

さらに、種間の免疫学的距離の常用対数が2種の分岐年代に比例すると仮定して相対的な分岐年代を推定。オナガザルと類人猿が分岐した絶対年代を化石記録から3000万年前と固定。そこから計算してチンパンジー・ゴリラとヒトが分岐したのを500万年前と推定した。

●分子生物学者と化石学者(1400万年前のラマピテクス説)との間で論争が始まるが、次第に分子系統学派が優勢になってゆく。

例えば、1970年代には、雑種DNA形成法による遺伝的距離の測定が始まる。
比較する動物の二本鎖DNAをほぐして一本鎖にし、混ぜ合わすと二種のDNAが組み合わさった雑種DNAができる。二種の動物のDNAでは塩基配列が少しずつ違うので、雑種DNAでは、元のDNAのような結合対は組めなくなり、熱的に不安定になる。熱安定性の低下の度合いを図ることで、DNA塩基が異なっている割合を推定する。これが雑種DNA形成法。

1977年、サリッチとクローニンは、免疫学的距離と雑種DNA形成法による遺伝的距離を測り、オランウータンが分かれたのが1100〜900万年前、ヒト・チンパンジー・ゴリラが分かれたのが500〜400万年と結論づけた。

1978年、パキスタンのポトワール高原でシヴァピテクスと呼ばれる類人猿の顔面と頭蓋片の化石が発見された。化石形状からシヴァピテクスがオランウータンの祖先とされると同時に、ラマピテクスもシヴァピテクスのメスであり、オランウータンの祖先と看做されるようになる。1980年代以降、人類のアジア起源説は廃れ、500万年前アフリカ起源説が学界の定説となった。
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【参考】

『新しい霊長類学』京都大学霊長類研究所 講談社ブルーバックス
『ヒトはどのようにしてつくられたか』山極寿一 岩波書店
『シリーズ進化学5 ヒトの進化』斎藤成也 岩波書店
『DNA人類進化学』宝来聡 岩波科学ライブラリー
『DNAに刻まれたヒトの歴史』長谷川正美 岩波書店
『アナザー人類興亡史』金子隆一 技術評論社
http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/04/3567.html

29. 中川隆[-10706] koaQ7Jey 2019年4月18日 11:04:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1348] 報告

デニソワ人に別グループ、アジアでまた驚きの発見
現生人類と交配した「旧人」は多様だった、現代人のDNAで判明、インドネシア 2019.04.15
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/041500228/


復元された初期人類ネアンデルタール人の鋭い目。デニソワ人の外見は不明だが、ネアンデルタール人に近縁の人類だったと考えられている。(PHOTOGRAPH BY JOE MCNALLY, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

 10年近く前、謎に包まれた初期人類の小指のかけらがシベリアで発見された。この未知の人類は、骨が発見されたアルタイ山脈のデニソワ洞窟にちなんでデニソワ人と名付けられた。(参考記事:「デニソワ人 知られざる祖先の物語」)

 彼らはネアンデルタール人に近い種で、何万年もの間アジアで暮らしていたと考えられている。そこまでわかったのはDNAが採取できたおかげだが、化石は指の骨、数本の歯、頭蓋骨のかけらが1つしか見つかっていない。しかも、発掘された場所はデニソワ洞窟だけと、試料の数自体はきわめて少ない。

 ところが、4月11日付けで学術誌「Cell」に発表された論文により、驚きの新事実が明らかになった。いや、むしろデニソワ人の謎が深まったと言える。東南アジアの現代人のDNAを大規模に調べたところ、デニソワ人は実は1つのグループではなく、独立した3つのグループが存在したことが示唆されたのだ。そのうちの1つは、ネアンデルタール人とデニソワ人の違いと同じくらい、他のデニソワ人と異なっているという。

 さらに、1つのグループは、およそ4万年前に姿を消したネアンデルタール人よりも新しい時代まで生き残っていたかもしれない。論文によると、デニソワ人は少なくとも3万年前、おそらく1万5000年前まで、ニューギニア島で現生人類と共存し、交配していた。この年代が確かなら、デニソワ人は、知られている限り、私たち現生人類以外で最も最近まで生きた人類ということになる。(参考記事:「ネアンデルタール人の暮らし、なんと週単位で判明」)

パプアニューギニアの少数民族アスマット族。インドネシア、西パプア州でのジパエの復活祭に参加するところ。現代パプア人のゲノムには、2つの異なるデニソワ人グループの祖先の痕跡が残っている。デニソワ人は、ネアンデルタール人の近縁種にあたるが謎に包まれた人類であり、わずかな化石と何千もの世代にわたり受け継がれたDNAしか手がかりがない。(PHOTOGRAPH BY JOSHUA IRWANDI)

 近年、古代アジアの人類が驚くほど多様だったことを示す発見が相次いでいる。4月10日にも、フィリピンで新種の初期人類ルソン原人が見つかったと発表されたばかりだが、今回の刺激的な発見もそうした流れに連なるものだ。(参考記事:「解説:新種の人類、ルソン原人を発見、フィリピン」)

「初期人類の多様性の中心は東南アジアの島々だということが、突然表面化したようなものです」と、論文の共著者でニュージーランド、マッセー大学のマレー・コックス氏は、フィリピンやマレーシア、アジアの先の広大な海域に浮かぶその他の諸島を指して言った。


2018年、米ワシントン大学のシャロン・ブラウニング氏らが、デニソワ人と現生人類の交配の波が2度起きていたことをすでに明らかにしていた。今回の論文はそれを拡張するものだが、ブラウニング氏は今回の結果と意味に興奮しつつも、こう注意をうながす。

「人類史のほんの一部にすぎません。でも、こうした小さな発見の積み重ねで、全体が明らかになるのです」

 デニソワ人は、少なくとも40万年前にはネアンデルタール人との共通祖先から枝分かれした可能性が高い。そして、ネアンデルタール人がヨーロッパと中東に広がる一方、デニソワ人はアジアに広がり、やがてアジア系の現代人の祖先と交配した。そのおかげで、デニソワ人の遺伝子の痕跡が現代のホモ・サピエンスに残され、デニソワ人の謎を解き明かす手がかりとなっているのだ。


https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/041500228/?SS=imgview&FD=-861245705

人々の健康から激動の人類史へ

 コックス氏の研究チームは、もともとデニソワ人の多様性を研究していたわけではない。興味があったのは、インドネシアと近隣の東南アジアの島々における医療だった。この地域の病気に関連する遺伝子変異を解明すれば、もっと住民に特化した治療法につながる可能性がある。(参考記事:「遺伝子変異の早期発見、病気予防のカギとなるか」)

「私たちにとっては、とても重要なことです」と、論文の共著者ヘラワティ・スドヨ氏は話す。同氏は、インドネシア、エイクマン研究所のシニアリサーチフェローで、論文の共著者の一人だ。インドネシアの人々の遺伝子は非常に多様だが、「ここインドネシアでは、遺伝子分析の技術がなかなか普及しなかったので、遺伝子研究は行われてこなかったのです」と同氏は述べる。

 こうした多様な遺伝子を調べたところ、はるか昔に初期人類の分離が起きていたことを示す証拠が見つかった。アフリカからやって来た新参者の現生人類ホモ・サピエンスと、その前からアジアにいたより古い初期人類の流れをくむ人々が交配し、その証拠が現代人にまで世代を超えて受け継がれていたのだ。

結婚式の準備をする教師のマリア・フランシスカ(チカ)さん(23歳)。ニューギニア島に住む少数民族アスマット族の一人だ。研究者は、現代パプア人のDNAに残るデニソワ人の遺伝的痕跡を明らかにし、パプア人がより健康的な生活を送れるよう役立てようとしている。(PHOTOGRAPH BY JOSHUA IRWANDI)

 たとえば今日、アフリカ人以外の人の最大2%に、ネアンデルタール人のDNAが見られる。その一部は有益で、感染症を防ぐ人の免疫システムに貢献している。しかし、ホモ・サピエンスが6万4000年ほど前にアフリカを出た後に交配した人類は、ネアンデルタール人だけではない。アジア系の大半には、デニソワ人のDNAがある程度含まれている。しかもニューギニア島を含むメラネシアの人々では特に多く、ゲノムの最大6%にもなる。現代メラネシア人の祖先は、メラネシアの島々へ向かう途中でデニソワ人と出会い交配したと考えられる。(参考記事:「人類の出アフリカは早かった?アラビア半島で足跡」)

 コックス氏の研究チームは、その痕跡を詳しく調べるため、ニューギニア島を含むインドネシア14島の住民161人のゲノムを解析した。このデータと世界中の317人のゲノムのデータを統合し、ネアンデルタール人とアルタイのデニソワ人のゲノムと比較した。ニューギニア島先住民である現代パプア人のDNAのデータからは、デニソワ人の痕跡のピークが1つだけ浮かび上がると研究チームは予想していた。だが、明らかに異なるピークが2つ現れた。

「世界一くだらないデータ処理のミスか、本当に素晴らしい研究成果かのどちらかでした」とコックス氏は話す。


入り混じった遺伝子を解き明かす

 今回の研究で見つかった2つのピークは実に興味深い。これはおそらく、2つの異なるデニソワ人グループの影響を示している。しかも、アルタイ山脈の洞窟で見つかったデニソワ人とは、遺伝的にまったく異なるという。

 その1つであるグループ1は、ネアンデルタール人と枝分かれした後5万年も経たずに、36万3000年ほど前にアルタイのデニソワ人とさらに分かれた。その後、現生人類と交配し、子孫が現在東南アジアからインドにかけて広がっている。

「今回の研究成果を完全に支持します」とカナダ、トロント大学の古人類学者ベンス・ビオラ氏は話す。同氏は、謎に包まれたデニソワ人の化石形態学の第一人者だ。(参考記事:「人類3種が数万年も共存、デニソワ人研究で判明」)

 同氏の研究チームがデニソワ人について初めて報告した2010年の時点で、現代メラネシア人に含まれる初期人類のDNAが、デニソワ洞窟の骨と歯から採取したDNAとは明らかに異なることに科学者たちはすでに気付いていた、と同氏は振り返る。2014年、同氏の研究チームは、デニソワ人が27万6000年前〜40万3000年前に2つのグループに分かれたと推定した。今回の論文の推定年代は、この範囲に収まる。(参考記事:「20万年前の人類の歯、また正体不明、謎深まる」)


デニソワ洞窟。これまでにデニソワ人の化石が見つかっている唯一の場所。しかし、その遺伝的痕跡は、現代人に広く残されており、今後多くの発見が期待される。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK)

[画像のクリックで拡大表示]


デニソワ洞窟で発掘された臼歯。デニソワ人の化石は、わずかに歯3本、小指の骨1本、頭蓋骨の欠片1つしか見つかっていない。他種とは異なる決定的な特徴の1つは、驚くほど頑丈な歯だ。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK)

[画像のクリックで拡大表示]

 しかし、今回の論文で本当に悩ましいのは、第3のデニソワ人グループという説だ。この第3のグループ(今回の論文のグループ2)は、約28万3000年前にアルタイのデニソワから分かれ、現在のニューギニア島先住民の祖先とのちに独占的に交配し、混血したと考えられる。

 この結果に困惑する科学者もいる。理由の1つは、デニソワ人が深くて海流のきつい海を渡る方法を見つけていたと考えられる、と論文の著者が述べている点だ。異議を唱える科学者は、そうした海を渡れるのは船を作れた現生人類だけだと長い間考えてきた。しかし、今世紀になされた多くの発見が、この説を否定している。例えば、体の小さなフローレス原人は、おそらく70万年前にはインドネシアのフローレス島にいた。インドネシアのスラウェシ島で見つかった石器は、11万8000年前〜19万4000年前のものだ。ごく最近では、ホモ・ルゾネンシスと新たに命名されたルソン原人は、5万年前にはフィリピンのルソン島にいたとされる。(参考記事:「解説:約70万年前の超小型原人発見、フローレス島」、「南太平洋の島で謎の石器を発見、現生人類の到達前」)

 とはいえ、これがデニソワ人にも当てはまるかどうかは、まだ議論の余地がある。


「問題は単純で、ニューギニア島やオーストラリアでは、近代以前の人類の考古学的な証拠や化石などが、見つかっていないことです」とビオラ氏は話す。これは、存在しないという意味ではない、と同氏は言う。しかし、「この地域については、わかっていないことがあまりに多いのです」

 最新の分析法を開発している進化遺伝学者ベンジャミン・バーノット氏は、データ分析の仕方についてさらなる懸念を抱く。今回の研究では、現代人のゲノム中にあるデニソワ人の大小さまざまなDNAを特定したにもかかわらず、正確さを期すために、デニソワ人のものと同定された最長のDNAのみに限定して分析した。

 バーノット氏は論文の説には同意しているものの、「何かを分析する必要があり、何万ものサンプルを同定したのに、そのうちの500個だけを選んで分析を行うのであれば、強い疑念を抱かざるを得ません」と話す。

 それでも、バーノット氏や他の研究者たちは、この新たな遺伝子データベースを使って何を研究しようかと前向きだ。今回の研究で収集した遺伝子データは、現在、他の人でもダウンロードして利用できるようになっている。「こうして科学は進歩するのです」と同氏は話す。

 コックス氏やスドヨ氏の研究チームは、現在、デニソワ人のDNAの断片が、現代人の健康にどう影響しているのかの解明に取り組んでいる。さらなる研究が必要だが、一部の遺伝子が、免疫システムと脂肪の代謝において中心的な役割を果たしているという有望な手がかりを、すでにいくつかつかんでいる。一方、コックス氏は、インドネシアの研究から将来何がわかるのかと興奮しているという。

「私の勘では、興味深い説がさらにいくつかこの地域から出てきますよ」

ギャラリー:4万年で「イギリス人」の顔はこんなに変わっていた 写真7点


https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/013000491/


ホワイトホークウーマン、5600年前
小柄でやせた女性で、25歳に達する前に出産が原因で死亡したとみられている(骨盤のあたりに胎児の骨が見つかった)。ブリテン島の新石器時代初期の埋葬地跡であるホワイトホークエンクロージャーで1933年に発掘された。最新のDNA解析により、ここに埋葬されていた人々は、後にブリテン島にやって来たビーカー人と比較して、一般的に肌も瞳の色も濃かったことが示唆された。彼らは、約4400年前にビーカー人に取って代わられた。(COURTESY ROYAL PAVILION & MUSEUMS, BRIGHTON & HOVE)



文=MAYA WEI-HAAS/訳=牧野建志

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/041500228/?P=1

30. 中川隆[-10640] koaQ7Jey 2019年4月22日 01:45:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1423] 報告
2019年04月18日
人類のアフリカ起源説も覆されている
http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/04/3590.html

人類史の定説であったチンパンジー起源説だけではなく、アフリカ起源説も揺らいでいる。

以下、

「今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など 人類史の常識が次々と覆されている」
https://diamond.jp/articles/-/182802


の要約。この論考はデイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)の知見を紹介したもの。

【1】全ゲノム解析によりホモ・サピエンス(現生人類)のアフリカ起源説が揺らいできた。

多地域進化説では、180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ・ヨーロッパ・アジアの異なる地域で並行的に現生人類に進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、現生人類の祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラシア大陸に広がっていったとする。

1980年代後半、ミトコンドリアDNA解析によるミトコンドリア・イブ説が登場。現生人類は約16万年(±4万年)アフリカにいた1人の女性から分岐したとされ、それ以降、アフリカ起源説が常識となっているが、だからと言って現生人類が10〜20万年前のアフリカで誕生したとは言えない。

ライクによれば、この誤解はミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約77万〜55万年前へと遡る。サピエンスの起源は、従来の説より50万年も古くなった。

そうなると、アフリカ起源説では、77万年前〜16万年前までの約60万年間、現生人類はずっとアフリカで暮らしていたということになるが、アフリカ起源説を揺るがす化石が北アフリカのモロッコで発見された。この現生人類の最古の化石は約33万〜30万年前のものとされた。アフリカ起源説では、現生人類はサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡ってアフリカを出たとされていたが、30万年前に北アフリカに現生人類が棲息していたとなれば、アフリカ起源説は覆される。

【2】遺伝学的には、現生人類はアフリカ系統とユーラシア系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年前にアフリカを出て世界中に広がり、アフリカ系統はそのままアフリカに残った。

ユーラシア系統はネアンデルタール人と交雑したためネアンデルタール人のDNAを保有しているが、ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったのでアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。

従来の説では、出アフリカ後に北に向かった現生人類がヨーロッパのネアンデルタール人と交雑したとされていたが、現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5〜2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系の割合はヨーロッパ系より若干高いことがわかった。

【3】その後も、単純な「出アフリカ説」では説明できない発見が相次いだ。
2008年、ロシアのデ二ソワ地方の洞窟で約4万年前の人類の骨が発見された(デニソワ人)。DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行われていたことがわかった。ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)デニソワ人と呼んでいる。

さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万〜55万年前)よりもさらに古い140万〜90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したとされる。

約5万年前にサピエンスがアフリカを出た時、ユーラシアには少なくともネアンデルタール人とデニソワ人という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇し、交雑した。しかし、交雑は極めて近い血統でなければ起こらない(性交によって子を作れなくなった時点で分類学上は別の種になったと見做される)。

ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということになる。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万〜38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万〜55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスが突然ユーラシアに現われ、彼らと交雑できるとは考えられない。

そこでライクは、現生人類もユーラシアで誕生したという説を唱えた。

従来の人類学では、人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトス(原人)がユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先やサピエンスなど、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し「出アフリカ」したことになっている。

だが、新しい人類はアフリカでしか生まれないのか。ユーラシア大陸にも180万年前から多くの人類が暮らしていたのだから、そこで進化したと考えることもできるはずである。

ライクは古代人のDNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらに現生人類(サピエンス)、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐したと考える。

デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。

現生人類は脆弱でネアンデルタール人に圧迫され中東に押し込められていたが、その後、ネアンデルタール人が中東に進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退した。だからモロッコで現生人類の化石が発見される。

ところが5万年前に、脆弱だった現生人類が北アフリカや東アフリカを出て、ユーラシア中に広がる。中東でネアンデルタール人と交雑した現生人類の一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑。こう考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。

その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/04/3590.html

31. 中川隆[-10393] koaQ7Jey 2019年5月03日 09:35:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1697] 報告

2019年04月28日
人類史年表500万年前〜10万年前(定説)

人類の起源を探る前提として、現在の定説となっている人類史年表(500万年前〜10万年前)を掲げる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

500万年 猿人出現。最初の人類(華奢型猿人、アウストラロピテクスなど)
       足の指形から二足歩行の可能性
       脳容積500 ml。一定の道具使用

300万年 地球寒冷化。 氷河時代開始

270万年 頑丈型猿人(パラントロプス)と原人(ホモ・ハビリス)分岐
       原人、言語使用か(左脳ブローカ野痕跡より)

260万年 前期石器時代はじまり
       石器で動物解体。死肉食。オルドヴァイ型石器

230万年 ホモ・ハビリス出現(脳の増大、歯の縮小化)
       狩りではなく、自然死or肉食獣が倒した動物を食べた

180万年 ホモ・ハビリスの出アフリカ。ユーラシアへの拡散

160万年 ホモ・エレクトス

78万年  最新の地磁気の逆転
       概ね70万年前から10万年周期の気候変動(氷期・間氷期)

60万年  アフリカ旧人。ネアンデルタール人と人類分岐

50万年  ヨーロッパ旧人、北京原人

30万年  ネアンデルタール人(30〜23万年前頃。3万年前頃絶滅)
       脳容積1400 ml(ホモ・サピエンス同等以上)、言語使用
28万年  ケニアのバリンゴ遺跡でオーカー出土。顔料使用。石刃。すり石

25万年  中期石器時代(〜5万年前)。尖頭器

23万年  温暖期ピーク。後、緩やかに寒冷化、14万年前頃氷期ピーク

20万年  ホモ・サピエンス出現。
      (16±4万年前のミトコンドリア・イブ。アフリカ出現、10万年前頃ユーラシア拡散)

14万年  氷期(リス氷期)ピーク。後、急速に温暖化
       海産資源の利用。漁。長距離移動・流通

13万年  温暖期ピーク。後、急寒冷化、約11万年前頃から緩上下、氷期へ
       初期のヒト属による火の利用。
      (日常広範囲で火の使用を示す証拠、約12.5万年前遺跡から)

10万年  現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て拡散
      (7万年前との説も)
      (ミトコンドリアDNA分析では現代人の共通祖先の分岐年代14.3万年前±1.8万年)
       赤、黄と茶の中間色のオーカー(クレヨン)出土。線刻。
       イスラエルのカフゼーとスフールで埋葬痕跡

http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/04/3638.html

32. 中川隆[-10392] koaQ7Jey 2019年5月03日 09:37:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1698] 報告
2019年04月28日
サルの進化史年表6500万年前〜500万年前(定説)

人類の起源を探る前提として、現在の定説となっているサルの進化史年表を掲げる。
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6500万年 生物の大量絶滅。恐竜絶滅。隕石落下で環境激変。寒冷化
       原始霊長類の出現。モグラに似た哺乳類が樹上生活に適応
       約5500万年前に現れたアダピス類が初期の霊長類
       プルガトリウス、カルポレステス、プレシアダピス。
       夜行性。鉤爪、親指の発達(対向指へ)。昆虫、果実食
       従来は北米起源説
       中国湖南省で最古霊長類の頭骨化石、アジア起源浮上

5500万年 温暖化。海底火山、マグマ熱でメタンハイドレート爆発
       広葉樹、高緯度まで、樹冠=サルの楽園。原始原猿拡散、繁殖
       ショショニアス:正面に並んだ目→立体視が可能
       原始霊長類より原猿類と真猿類と分岐

4500万年 インド、ユーラシア大陸衝突、ヒマラヤ形成、テチス海消滅

4000万年 南極大陸で氷河の形成がはじまり、徐々に寒冷化。
       高緯度地域の樹林が消え、サルはアフリカ、一部南アジアへ
       カトピテクス:高い視力(眼窩後壁→視細胞集中→明瞭映像)
       真猿下目の狭鼻下目(旧世界猿)と広鼻下目(新世界猿)分岐

3000万年 赤緑色盲に退化した哺乳類のうち狭鼻下目が3色型色覚再獲得。
      (ビタミンCを豊富に含む色鮮やかな果実等の獲得と生存に有利)
       狭鼻下目のヒト上科がオナガザル上科から分岐
       ヒト上科=テナガザル、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、ヒト共通祖先

2500万年 アルプス・ヒマラヤ地帯などで山脈の形成がはじまる。
       最古の類人猿と思われる化石(アフリカ、ケニヤ)

1500万年 急速な寒冷化
       ヒト科とテナガザル科が分岐
       ヒト亜科とオランウータン亜科が分岐
       ヨーロッパ、南・東アジアなどユーラシア各地に類人猿化石

1000万年 アフリカ大地溝帯の形成が始まる(人類誕生に大きな影響か)

700万年  気温が下がり始める
       最古人類化石は中央アフリカ、サヘラントロプス・チャデンシス

600万年  ヒト族とゴリラ族が分岐

500万年  ヒト亜族とチンパンジー亜族が分岐
       猿人の出現。最初の人類とされる。
      (華奢型猿人、アウストラロピテクスなど)
       チンパンジーほどの大きさで、足の指の形から二足歩行の可能性
       脳容積500 ml。一定の道具使用

http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/04/3635.html

33. 中川隆[-10382] koaQ7Jey 2019年5月05日 09:25:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1709] 報告
2019年04月28日
人類史年表10万年前〜5千年前(定説)
http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/04/3641.html

人類の起源を探る前提として、現在の定説となっている人類史年表(10万年前〜5千年前)を掲げる。
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10万年  現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て拡散
      (7万年前との説も)
      (ミトコンドリアDNA分析では現代人の共通祖先の分岐年代14.3万年前±1.8万年)
       赤、黄と茶の中間色のオーカー(クレヨン)出土。線刻。
       イスラエルのカフゼーとスフールで埋葬痕跡
9万年  コンゴのカタンダ遺跡で骨製尖頭器。漁

7.5万年 南アフリカのブロンボス洞窟で赤色オーカーに幾何学模様の線刻
       →世界最古の抽象模様。シンボル操作能力の証左
       貝製ビーズも出土。骨器。錐か槍

7.3万年 スマトラ島トバ火山大噴火。地球気温が数年間3−3.5度低下
      (人類は一万人以下に激減)
      (ヒトDNA解析では遺伝多様性が失われ現人類に繋がる種のみ残った)

7万年  7万年前±1万3000年にヨーロッパ人と日本人の共通祖先分岐
       細石器。ネアンデルタール人、埋葬文化

6.3万年 アフリカ人、東ユーラシア人系統集団、西ユーラシア人系統集団、分岐

6万年  ナミビアのアポロ11遺跡より岩板に動物壁画
       ウクライナのモロドヴァ遺跡でマンモス骨の小屋or風除構造物

5万年  クロマニョン人。ホモ・サピエンスの出アフリカ
       イスラエルのカフゼー遺跡で線刻のある石片。

4.5万年 ケニヤのエンカプネ・ヤ・ムト遺跡よりダチョウの卵殻製ビーズ
       ユーラシアで骨角器。サフルで大型動物絶滅、人類狩猟説も

3.7万年 南仏アルデーシュのショーベ洞窟壁画。(約3万年前)

3.5万年 クロマニヨン人大地母神崇拝(ヴィーナス像)、壁画
       日本で刃部磨製石斧(世界最古)

3万年  約3万−2万年以前 – ヒトがアメリカ大陸へ。氷河期にベーリング海峡は地続き

2.1万年  最終氷期(ウルム氷期)の最寒冷期。気温は年平均で7−8℃低下
       後、温暖寒冷の小さな波、長期で徐々に温暖化

2万年  ラ・ガルマ洞窟。絵、テントのような構造物。

1.6万年 東南アジア、スンダランドが海面上昇で徐々に後退
       ベーリング海峡海没、日本も徐々に島化
       縄文時代の始まり。縄文土器
       ラスコー壁画(約1万8000年−1万6000年前)
       絵の具の配合など、原始的な化学的な操作。石のランプ、松明の使用

1.5万年  アルタミラ洞窟壁画(約1万4000年−1万3000年前)
       BC12,000年頃、中国長江流域で陸稲稲作の開始

1.3万年 日本列島が大陸から完全に離れ、ほぼ今の形に
       中石器文化。マンモス、バイソンはいなくなっていた
       ツンドラステップは北方後退、樹林ひろがる。鹿、猪、鳥、魚介類、木の実
       弓矢の発明、石臼の普及。壁画の伝統は途絶
       BC11000年頃、最も古い神殿跡が、イェリコのテルの最下層から発見。

1.2万年 イスラエル、ヒラゾン・タクティット洞窟遺跡で人々の宴会の痕跡
       BC9,050年頃、シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡で最古級のライムギ農耕跡
       BC9000年頃、パレスチナのイェリコやアスワドでコムギ類とマメ類栽培開始

1万年  最後の氷期(最終氷期)が終わったとされる

9000年 新石器時代
       農耕の開始。この時期より主に磨製石器が使われた
       西アジアから伝わった農耕、牧畜がヨーロッパでも開始
       土器、村落社会、贈与・流通システム、巨石文化
       フリント、石斧、琥珀、貝殻、金、銅、錫など
       BC8800年頃、銅製の小玉がイラクから出土、最古の銅製品
       BC8500年頃 – 長江流域で水田稲作がはじまる
       BC8300−7300年頃 パレスチナ、イェリコで周囲を石壁で囲った集落
       BC8000年頃 – 西アジアでヒツジ・ヤギ・ブタの飼育

5000年 エーゲ文明、エジプト文明、メソポタミア文明など
http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/04/3641.html

34. 中川隆[-10371] koaQ7Jey 2019年5月10日 02:27:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1729] 報告

日本人のガラパゴス的民族性の起源
15-30. チベット高原の高地で生きていた更新世後期のデニソワ人
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-9.htm#4


  2019/5/1のNatureにLetterとNewsでデニソワ人のアジアでの拡大を裏付ける16万年前の顎の化石が標高3300mのチベット高原で発掘され研究結果が報告されました。
  最近の研究論文を3編ご紹介します。興味のある方は原著をお読みください。翻訳はあまりに大変なので、ここでは理解のキーになる図をご紹介します。


1.Nature NEWS 1-May-2019
  Biggest Denisovan fossil yet spills ancient human’s secrets
  (デニソワ人の最大の化石は、まだ古代の人間の秘密をばらします。)

2.Nature Letter 1-May-2019
  A late Middle Pleistocene Denisovan mandible from the Tibetan Plateau
  (チベット高原の更新世中期後半のデニソワ人の下顎骨)

3.Nature NEWS FEATURE 27-Feb-2019
  Siberia’s ancient ghost clan starts to surrender its secrets
  (シベリアの古代の幽霊(デニソワ人)一族は、秘密を引き渡し始めます)

  下顎が発掘されたチベット高原の地図です。発掘現場は3000m以上の高地になります。以前の論文でチベット人の高地適応形質は デニソワ人から受け継いだと学会は推測していましたが、今回の発掘で間違いないだろうと学会は結論づけたようです。


  シベリアのデニソワ洞窟から発掘されたのは指の骨だけでしたが、今回は下記下顎が発掘され分析上も多いに貢献したようです。


  この結果は、現東アジア人の祖先が高地適応という後天的な形質を獲得するはるか前に人類は高地適応形質を獲得していた、それがデニソワ人であり、 遺伝子解析の結果は、デニソワ人の遺伝子はアジア人やオセアニア人集団に受継がれていることを示しており、ネアンデルタール人だけでなく姉妹旧人の デニソワ人(最新の研究ではデニソワ人とネアンデルタール人の混血児の化石も発掘されており、デニソワ人もネアンデルタール人のアジア型であると 推測されています)も我々現生人類と交雑していたことが判明しています。

  下図は記事15-29で紹介されていた図を最新の調査結果で書き直したようです。


  要するにざっくり言うと:


  1.出アフリカを経験していないY-DNA「A」と「B」のネイティブアフリカンは
    ネアンデルタール人の遺伝子が入っていない。

  2.いわゆる欧米人、中近東人、北アフリカ人やインド亜大陸人集団などは
    ネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるが、

  3.東アジアとオセアニアの集団はネアンデルタール人とデニソワ人両者の遺伝子を
    受け継いでいる、

ということのようです。

世界で日本人の中の縄文系Y-DNA「D1b」と最も近い民族集団はY-DNA「D1a」のチベット人であることは当ガラパゴス史観が以前から書いています。 この「D1a」と「D1b」が分化したのは、デニソワ人との交雑後なのかそれ以前なのかは、当ガラパゴス史観でも皆目推論できていません。 推論するだけの情報が少なすぎるからです。

  学会が受け入れている調査結果は、チベット人やシェルパ族の高地適応はデニソワ人との交雑によるということです。 つまりY-DNA「D」の最古の亜型Y-DNA「D*」はアンダマン諸島のJarawa族とOnge族に残っています。 海面上昇が起こる前のインド洋の現アンダマン諸島部分に住みついたY-DNA「D」集団は海面上昇後、 諸島に取り残され古代の原型を現在に伝えることになった事は間違いないようです。

  一方スンダランドから更に北上した「D」集団は二手に分かれ、現中国大陸部分に移動した後の「D1a」集団はどこかの平原部分に住み着いたはずですが、 後から台頭した揚子江流域民で水田稲作集団の「O1」や黄河流域民で陸稲集団出身で中原を制覇した「O2」集団に追われチベット高原に逃げ込み そこにいたデニソワ人の末裔と交雑した、と言うのは年代的にチョッと無理がありますが、高地適応形質をデニソワ人から受け継いだというなら どこかの年代で遭遇しているはずです。 しかも何故チベット人の祖先が数万年前(ネアンデルタール人は3万年前頃に滅びたとされている)に高地に住み着いたのかは 遺跡がまだ発掘されていないため皆目わかりません。

  もし「O」集団に追われた以降だとすると、稲作農耕革命が起きたのがメソポタミアの農業革命と同じ1万2000年前ごろとすると、 その年代までデニソワ人は生存していたことになりますが????!!!!

  一つの推測は、エベレスト登山で有名なシェルパ族がデニソワ人の末裔だとすると、懸案事項は一気に解決するのですが、 果たして?

  二手に分かれたもう一方の後の「D1b」の祖先は数万年前にはY-DNA「C1a」と共に日本列島部分に到達していたと思われます。 中国大陸でデニソワ人と遭遇後に片方はチベット高原に残り、片方は日本列島に移動したと考えるのもチョッと無理があります。

  特異な文明である5000年前頃の三星堆遺跡などの四川文明がデニソワ人の末裔が残した古文化だとすると非常に面白いのですが....

  今後もチベット高原の発掘は続くと思われますので研究成果を期待しましょう。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-9.htm#4

35. 2020年9月27日 12:58:18 : FA4hCefJjA : djJ4akN3SVdGMjI=[10] 報告
雑記帳 2020年09月27日
ネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体での系統関係
https://sicambre.at.webry.info/202009/article_35.html

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のY染色体DNA解析に関する研究(Petr et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。本論文はすでに今年(2020年)3月、査読前に公開されていました(関連記事)。その時と内容は基本的に変わっていないようですが、多少の変更点や私の見落としおよび間違い(平均網羅率など)があるので、それらを訂正しつつ以前の記事を基本的には流用し、以前は掲載しなかった図も取り上げるとともに、その後のネアンデルタール人やデニソワ人に関する知見も取り入れます。


 古代DNA研究により、移住・置換・遺伝子流動など、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)と現生人類(Homo sapiens)の複雑な進化史が明らかにされてきましたが、古代型ホモ属と現生人類の関係の考察は、大半が常染色体に基づいています。一方、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAは、それぞれ母系と父系での単系統のみの遺伝情報を示しますが、性特異的な移住やその他の文化現象のような人口史の多様な側面に独自の視点を提供します。

 ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類においては、mtDNAと常染色体での系統関係の不一致が明らかにされてきました(関連記事)。常染色体ゲノムでは、ネアンデルタール人およびデニソワ人系統が現生人類系統と765000〜550000年前頃に分岐した、と推定されています(関連記事)。しかしmtDNAでは、ネアンデルタール人はデニソワ人よりも現生人類と近縁で、その推定分岐年代は468000〜360000年前頃です。43万年前頃のスペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)集団は早期ネアンデルタール人とされていますが、mtDNAでは現生人類よりもデニソワ人の方と近縁で、常染色体ではネアンデルタール人系統に位置づけられます(関連記事)。

 これらの知見から、ネアンデルタール人は元々デニソワ人に近いmtDNAを有しており、後に現生人類と関連する早期系統からの遺伝子流動経由で完全に置換された、との見解が提示されています。ネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体は、古代型ホモ属と現生人類の間の分岐や遺伝子流動に関する重要な情報を追加できます。しかし、ネアンデルタール人のY染色体のわずかなコーディング配列を除いて、これまでネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体の研究はありませんでした。スペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡(関連記事)やベルギーのスピ(Spy)遺跡およびロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)遺跡(関連記事)のネアンデルタール人のY染色体は解析されてきましたが、Y染色体全体の包括的な研究を可能とする内在性DNAは、じゅうぶんは得られていませんでした。

 本論文は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡のデニソワ人2個体と、スピ遺跡とメズマイスカヤ遺跡とエルシドロン遺跡(エルシドロン1253)のネアンデルタール人1個体ずつのY染色体DNAを改めて解析しました。デニソワ人は、84100〜55200年前頃のデニソワ4(Denisova 4)と136400〜105600年前頃のデニソワ8(Denisova 8)、ネアンデルタール人は、39000〜38000年前頃のスピ94a(Spy 94a)と45000〜43000年前頃のメズマイスカヤ2(Mezmaiskaya 2)と53000〜46000年前頃のエルシドロン1253(El Sidrón 1253)です。Y染色体のうち計690万塩基対(エルシドロン1253のみは56万塩基対)が標的領域とされ、平均網羅率は、デニソワ4が1.4倍、デニソワ8が3.5倍、スピ94aが0.8倍、メズマイスカヤ2が14.3倍、エルシドロン1253が7.9倍です。

 これらの解析の結果、ネアンデルタール人3個体とデニソワ人2個体はそれぞれ単系統群(クレード)を形成する、と明らかになりました。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体での系統関係は、核(というか常染色体)ゲノムとは異なり、ネアンデルタール人と現生人類が近縁と明らかになりました。現代人のY染色体ハプログループ(YHg)で最も早く分岐したのはA00ですが(関連記事)、ネアンデルタール人のY染色体系統は、デニソワ人系統とネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統が分岐した後で、全現生人類系統と分岐したことになります。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体での系統関係は、核ゲノムのそれとは一致せず、mtDNAのそれと一致します。

 Y染色体の各系統の推定分岐年代は、YHg-A00と非アフリカ系現代人系統では249000(293000〜213000)年前頃です。非アフリカ系現代人とデニソワ人とでは、デニソワ8が707000(835000〜607000)年前頃、デニソワ4が708000(932000〜550000)年前頃です。非アフリカ系現代人とネアンデルタール人とでは、スピ94aが353000(450000〜287000)年前頃、メズマイスカヤ2が370000(420000〜326000)年前頃、エルシドロン1253が339000(408000〜275000)年前頃です。父系となるY染色体の推定分岐年代は、現生人類およびネアンデルタール人の共通祖先系統とデニソワ人の祖先系統とが70万年前頃、現生人類系統とネアンデルタール人系統とが35万年前頃、ネアンデルタール人3個体では10万年前頃です。以下、ネアンデルタール人3個体とデニソワ人2個体と現生人類のY染色体系統樹(図2A)と合着年代(図2B)を示した本論文の図2です。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/369/6511/1653/F2.large.jpg

 Y染色体におけるデニソワ人系統と現生人類系統の推定分岐年代は、常染色体ゲノムに基づく推定分岐年代とよく一致しており、現生人類系統とデニソワ人系統のY染色体の分岐は単純な集団分岐の結果と示唆されます。一方、Y染色体におけるネアンデルタール人系統と現生人類系統の推定分岐年代は常染色体ゲノムに基づく推定分岐年代よりもかなり新しく、mtDNAで推測されている、現生人類に近い系統からネアンデルタール人系統への遺伝子流動と一致します。エルシドロン遺跡のネアンデルタール人のY染色体に関する研究(関連記事)では、現生人類系統とネアンデルタール人系統の推定分岐年代は588000年前頃です。一方、本論文ではそれが35万年前頃とかなり新しく、その理由として本論文は、以前の研究ではデータ量が限定的だったことを指摘しています。

 上述のように、ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体における系統関係は、mtDNAのそれと一致し、核(というか常染色体)ゲノムのそれとは一致しません。これは、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と分岐した後の(広義の)現生人類系統において、現代人系統と早期に分岐した(父系においての)絶滅系統がネアンデルタール人系統と交雑し、ネアンデルタール人系統にデニソワ人系統よりも現生人類系統に近いmtDNAとY染色体をもたらした、と考えられます。以前の研究では、現生人類からネアンデルタール人への数%程度とわずかな遺伝子流動が指摘されており(関連記事)、最近の研究ではこの遺伝子流動は30万〜20万年前頃に起き、割合は3〜7%と推定されています(関連記事)。ギリシアでは21万年以上前のおそらくは広義の現生人類遺骸が発見されており、ヨーロッパにおける20万年以上前のネアンデルタール人広義の現生人類系統との交雑はじゅうぶん考えられるでしょう(関連記事)。

 他系統からの3〜7%程度の遺伝子流動という条件において、他系統のmtDNAとY染色体への置換は、通常の進化ではひじょうに起きにくいと考えられます。しかし、有効人口規模が現生人類よりも小さいネアンデルタール人においては、現生人類よりも多い有害な変異の蓄積の可能性が指摘されており(関連記事)、じっさい、ネアンデルタール人3個体のエクソン領域に関しては、現代人よりも有害なアレル(対立遺伝子)を多く有している、と明らかになっています。本論文は、有効人口規模が小さい場合のシミュレーションにより、ネアンデルタール人のY染色体が現生人類のY染色体よりも適応度がわずかでも低い場合、完全置換率に強い影響を与える、と明らかにしました。

 具体的には、現生人類からネアンデルタール人への遺伝子流動を5%と仮定した場合、5万年後の置換率は、ネアンデルタール人のY染色体適応度が1%低いと25%に増加し、2%低いと50%に増加します。こうした予測は、Y染色体と同じく単系統遺伝となるmtDNAにも当てはまります。これらの結果は、ネアンデルタール人におけるより高い遺伝的荷重が、ネアンデルタール人のmtDNAおよびY染色体という単系統遺伝の置換可能性の増加と相関していることを示します。繁殖と受精力におけるY染色体の重要性を考慮すると、Y染色体の有害な変異または構造的多様体が、のシミュレーションよりも適応度にずっと大きな影響を与えるかもしれない、と本論文は指摘します。以下、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の核(常染色体)ゲノムとmtDNAとY染色体の系統関係(図3A)と、Y染色体系統の置換率(図3B)を示した本論文の図3です。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/369/6511/1653/F3.large.jpg

 後期ネアンデルタール人のY染色体は、37万〜10万年前頃の間に、ネアンデルタール人やデニソワ人よりも現生人類系統と近縁な絶滅系統からもたらされた、と推測されます。上述のように、早期ネアンデルタール人である43万年前頃のSH集団は、mtDNAでは後期ネアンデルタール人よりもデニソワ人に近いと明らかになっていますが、Y染色体でも同様だろう、と本論文は予測しています。後期ネアンデルタール人のゲノムから推測される、現生人類からネアンデルタール人への限定的な遺伝子流動を考慮すると、後期ネアンデルタール人におけるmtDNAとY染色体の完全な置換は意外ですが、ミトコンドリアと常染色体の不一致は集団遺伝学理論では予測されており、動物の種間交雑では比較的一般的です。本論文は、2集団間の交雑における単系統遺伝子座の遺伝的荷重の違いが、ネアンデルタール人系統におけるmtDNAとY染色体の置換の要因だろう、と指摘します。

 本論文はひじょうに興味深い結果を提示しており、今後、古代型ホモ属のY染色体DNA解析数さらに増えていくよう、期待しています。デニソワ人と確認されている個体はネアンデルタール人と比較してひじょうに少ないので、古代型ホモ属のY染色体DNA解析は当分ネアンデルタール人が中心となりそうですが、まず注目されるのは、本論文でも言及されている早期ネアンデルタール人のSH集団です。SH集団は43万年前頃と後期ネアンデルタール人やデニソワ人よりもずっと古いだけに、Y染色体DNAの解析は難しいかもしれませんが、何とか成功してもらいたいものです。また、ネアンデルタール人系統内でも核DNAとmtDNAで系統の不一致が指摘されているので(関連記事)、Y染色体ではどうなのか、さらに詳しい研究の進展が期待されます。


 以上、ほぼ以前の記事からの流用ですが、本論文の内容をざっと見てきました。査読前の論文を取り上げた後も、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の関係について、興味深い研究が複数提示されています。たとえば、ネアンデルタール人と現生人類との複数回の交雑を指摘した研究や(関連記事)、ネアンデルタール人から非アフリカ系現代人へと再導入された遺伝子に関する研究(関連記事)です。デニソワ人に関しては、アジア東部の早期現生人類においてデニソワ人の遺伝的影響が指摘されており、これは現代パプア人やオーストラリア先住民の祖先集団の事例とは異なるデニソワ人との交雑事象を反映している、と推測されています(関連記事)。

 ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑も指摘されており、アルタイ地域ではデニソワ人とネアンデルタール人との交雑が一般的だったと推測されていますが、12万〜4万年前頃となるユーラシア西部のネアンデルタール人8個体のゲノムでは、デニソワ人系統は殆ど或いは全く検出されませんでした(関連記事)。非アフリカ系現代人全員のゲノムには、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見された5万年前頃のネアンデルタール人と関連する古代型ホモ属に由来する領域が2%ほどある、と推定されています(関連記事)。ユーラシア西部ではデニソワ人は確認されていないため、ユーラシア西部現代人集団のゲノムには、基本的にデニソワ人由来の領域はない、と考えられますが、アイスランド現代人のゲノムには、わずかながらデニソワ人由来の領域が確認されています(関連記事)。

 アルタイ地域のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)のネアンデルタール人の高品質なゲノム配列からは、非アフリカ系現代人全員の共通祖先集団と交雑したネアンデルタール人集団は、デニソワ洞窟の個体(デニソワ5)に代表される東方系のネアンデルタール人よりもヴィンディヤ洞窟個体(Vindija 33.19)に近いものの、チャギルスカヤ洞窟個体とも同等に密接な関係にある、と示唆されています(関連記事)。つまり、非アフリカ系現代人全員の共通祖先集団と交雑したネアンデルタール人集団を表す個体は、まだ発見されていないかゲノムデータが得られていない、と考えられます。この未知の個体のゲノムには、デニソワ人由来の領域がわずかながら存在する、と推測されます。

 このように、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の関係は複雑で、相互に複数回の交雑があった、と考えられます。mtDNAの違いから哺乳類における雑種の繁殖力を予測した研究では、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人は、繁殖力のある子孫の誕生に重要な生物学的障害を予測できるほど、相互にじゅうぶんには分岐していない、と指摘されています(関連記事)。さらに、現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人の共通祖先と分岐した未知の人類系統が、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統(関連記事)や、アフリカの現生人類(関連記事)と交雑した、との見解も提示されています。今後、新たな手法の開発により、後期ホモ属間の複雑な関係がさらに解明されていくだろう、と期待されます。


参考文献:
Petr M. et al.(2020): The evolutionary history of Neanderthal and Denisovan Y chromosomes. Science, 369, 6511, 1653–1656.
https://doi.org/10.1126/science.abb6460


https://sicambre.at.webry.info/202009/article_35.html

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