"ARに始まって、KLH、ADVENT、ALLISON、EPI……と、多くの亜流を生んだアメリカ・ボストンを中心とした東海岸のスピーカーには、その音の点でひとつの顕著な特色があった。 AR-Acoustic Research スピーカーシステム一覧その1 アコースティックリサーチ http://audio-heritage.jp/AR/speaker/ KLH スピーカー一覧 http://audio-heritage.jp/KLH/speaker/index.html ADVENT 製品一覧 アドベント http://audio-heritage.jp/ADVENT/index.html それは、オーディオの専門家のあいだで「カマボコ特性」と俗称されている、独特の周波数特性からくる独特の音のバランスである。
カマボコ特性というのは、文字どおり、カマボコの断面のように、中央が盛り上がって両端がなだらかに落ちている形の周波数特性のことを指す。 こういう特性の音は、中音がたっぷりとしているかわりに、低音と高音が相対的に抑えられている。単純にいってしまえば低音と高音がよく出ない、ということになる。 ボストンのスピーカーたちがそういう特性に作られたというのは、何も低音や高音を伸ばすことが技術的に不可能だったのではなく、ちゃんとした理由があってのことだった。 まず低音だが、ブックシェルフ型という名のとおり、スピーカーシステムを本棚にぴったりはめ込んだり、そうでない場合でも背面を壁にぴったり近づけて設置すると、低音が増強されることはよく知られている。したがって、あらかじめ低音を抑えぎみに作っておくと、前記のように設置したときに、結果として低音は中音と等しいバランスで聴こえる。 だから、AR型のスピーカーを使うときは、原則として、本棚にはめ込んだり、背面を堅固な壁にぴったりつけるなどして、低音を補うような置き方を工夫する必要がある。 ARおよびその類似のタイプが、必ずしも日本では普及しなかった理由のひとつに、前記のような設置条件が、日本の家屋では十分に満たされなかったため、その良さが出にくかったという事情もあると思う。 さて高音を抑えたほうはどうか。これは、全くのところ、ボストンを中心としたアメリカ東海岸に生まれ育った人たちの、音に対する好み、としかいいようがない。 世界的にみると、その国や地域によって、音の好みは少しずつ違う。例えば 日本人は、概して中高音域のやや張った音でないと納得しない人が多い。 ドイツ人は日本人よりもやや少し高い音域を強調する。 イギリス人はもっと高い、いわゆる超高音域を強調ぎみに伸ばす。 これらに対して、アメリカ、それも東海岸側の人たちは、概して、高音を平らに伸ばした音を好まない。
ちょうど、トーンコントロールのTREBLEのツマミを、マイナス側に数段階絞ったような、つまり高音を下降させた感じの音に仕上げないと、やかましい、とか、きつい、という。 われわれ日本人にはなかなか理解しにくい話だが、しかしこれはほんとうだ。 そのひとつの証明がある。
アメリカ東海岸製のスピーカーで、トゥイーターのレベルコントロールのついたものを調べてみると、いわゆる「ノーマル」ポジションの指定位置では、概して高音が抑えてあるのだ。 私がびっくりしたのは、KLHのある製品で、スイッチでトゥイーターのレベルを切り替えるタイプになっている製品だったが、一方にNORMAL、他方に、なんとFLATと書いてあったのだ! FLATというのは、「平ら、平坦」の意味。つまり高音が平らに、よく伸びているポジションのことをいう。 日本人を含めて世界じゅうのオーディオの専門家の意見をまとめてみれば、高音を平坦によく伸ばした特性、すなわちFLATが、イコールNORMALだと、誰もが考える。 ところがボストンの人たちの感覚では、NORMALというのは、高音を少し落とした特性のことで、FLATの特性はNORMALな音ではない、と彼らには感じられるのだ。 少なくとも、ほんの数年前までは、こういう感覚と、それに基づく考え方が、ボストンのスピーカーメーカーの大半を支配していた。 アメリカ東海岸製のスピーカーを、ほかの国の一流の製品と並べて聴き比べると、明らかに、高音が落ちていることが聴きとれる。 少し前までは、世界的に展望してみれば、アメリカ以外の製品の中にも、高音を抑えた作り方をしたスピーカーが、多少は存在した。しかし現在では、新しい製品を聴いてもなお、高音を抑えて作っていることが顕著に聴きとれるのは、アメリカ東海岸の一部のスピーカーだけ、といい切ってよいように思う。 ただ、面白いことに、本家のAR、および新しいKLHは、ともに、これら世界の新しい流れに敏感に反応して、その新製品は、旧来とは一変して、高音をフラットに広く伸ばした音を作りはじめている。 むしろかつてのARの追従者であったALLISONやEPIそしてARの流れとは少し違うが、同じ東海岸の、ボザークやマッキントッシュが、相変わらず高音を抑え込んだ作り方をして、地方色を濃厚に聴かせるのが興味深い。 * * このように、アメリカ東海岸で作られるスピーカーは、世界という広い場に置かれていると、かなり独特の音のバランスを作っていた。
それはアメリカ東海岸という一地域の、まさに「地方色(ローカルカラー)」といってもよいと思う。 そして、世界のあちこちをみれば、その国、その地域に、それぞれ固有の特色を持った独特の音がある。 同じアメリカでも、東海岸側と西海岸側とでは、ずいぶん違った音を作る。 ましてヨーロッパに渡れば、ドイツ、イギリス、フランス、そして北欧や東欧にまで、それぞれの地方色が濃厚に聴きとれる。 このことに私が気づいたのは、もう一〇年あまりも前になるだろうか。そして、その国、その地方独特の音の共通項を探り出すことは、多種多様な音を聴かせるスピーカーというパーツを解明する大きな鍵になることにもまた気がついて以来、この、いわばスピーカー(に限らずオーディオ機器、さらには広い意味での�音�)を生む〈風土〉の問題は、私のオーディオ研究の大きなテーマのひとつになった。
しかしもうひとつ、スピーカーの音を解く重要な鍵がある。それは、時代の流れに沿って、同じ国の同じスピーカーもまた、ときには気づかないほどのゆっくりした速度で、またときには急速に、その音を新しい時代の流れに合わせてゆく、ということ。この流れとその変化を敏感に感じとらなくてはスピーカーの音を論じるのに片手落ちとなる。 時代の流れというのをもう少し具体的にいえば、第一に技術の発達、第二に人々の音への感受性の変化、を考える必要がある。技術の発達は、録音や放送というプログラムソース側からスピーカーに至るまで、出てくる音、というよりその音を作る機械の性能を大きく変えてしまう。それは、いままで鳴らしたくても鳴らせなかった音を鳴らせる可能性であり、また半面、こういう音を鳴らしたいという人々の要求の変化に応える能力の範囲を広げることでもある。 また一方で、音楽あるいはその演奏のスタイルの変化をみても明らかなように、時代の流れは、常に、新しい音(サウンド)への感受性を刺激する。私たちは自分でも気づかないうちに少しずつ、新しい音を求める。その欲求に、新しい技術が応え、またその結果生まれた新しい音が、再び私たちの感受性を刺激する。この循環は永久に繰り返されて、音を変化させてゆく。 風土と時代、ひとことでいえばこのふたつが、私のテーマである。" "ARは、いっとき、アメリカ国内で最も大きな市場占有率を誇っていたが、そのとうぜんの結果として、ARの追従者が続々と出現した。AR社は、エドガー・M・ヴィルチュアが創設したことは既に述べたが、彼に協力していた Kloss, Low, Hoffman の三人がやがてARを離れて独立して、三人の頭文字をとってKLH社を作った。
このKLHも、アメリカ国内では、いっとき、ARを凌ぐほどの業績を上げるが、一九六五年には、Kloss がそこを離れてさらにADVENT社に参加する。 一時期、AR、KLH、ADVENTの三社は、同じボストンに、互いにほんの数分の距離に社屋を構えて、互いに強力なライバル同士として、アメリカ東海岸のマーケットを激しく競いあった。これを「ボストンの御三家」と私は名づけている。 その後さらにARの流れをくんで、ALLISONとEPIの二社も誕生して、結局、ヴィルチュアの完全密閉型を基本としたスピーカーは、アメリカ東海岸で作られるスピーカーシステムの典型とさえいわれるようになったのだから、ARの影響のいかに大きいかがわかるというものだろう。 たまたま一九八〇年の新年早々、仕事でアメリカに渡った際、AR社も訪問してみたが、スタッフは全く一新されて、技術部長にイギリス人のティム・ホール、そして研究開発のチーフにアメリカのオーディオ界では著名なロバート・バーコヴィッツを迎えて、研究に本腰を入れはじめていた。 エドガー・ヴィルチュア氏はいまどうしているのか、と質問してみると、バーコヴィッツ氏が、「ミスター・ヴィルチュアは、テレダインに会社を売り渡したあと、オーディオには興味を失って、現在は補聴器の会社を作っているが健在だ」と話してくれた。 ヴィルチュアのその後の消息については、これまでよく知られていなかったが、ワーフェデールのブリグス、タンノイのフォンティーン、JBLのランシング等、著名スピーカーの創設者たちが既に他界してしまっている中で、ヴィルチュアが健在だというのはうれしいニュースだ。どこか日本の出版社で、彼を訪問して、ARの創設当時のエピソードを聞き出してみたら、なにか知られていない面白い話が聞けるのではないだろうか。" http://shinagawasn.blog.so-net.ne.jp/2013-09-03-2
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