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作成 1998.5
■■第1章:はじめに
●シオニズム運動とは、パレスチナの「シオンの丘(ZION)」(=聖地エルサレム)にユダヤ人の国家を公的に建設する事を目標とするものである。
一般に、ユダヤ人テオドール・ヘルツルが、シオニズム運動の父として知られているが、広義の意味での“シオニズム運動”の本当の「創始者」ではない。本当の創始者は、ユダヤ教徒ではなく、それより300年前のイギリスに住んでいたプロテスタント・キリスト教徒だったのである。
これは非常に重要なポイントである。
●キリスト教にもシオニズム運動は存在し、ユダヤに劣るとも勝らない強烈なシオニズム信奉者が存在する。
そして、驚くべきことに、現在アメリカのキリスト教シオニストとユダヤのシオニストは「同盟」を結んでいる。この同盟関係を知ると、パレスチナ問題の根がより深いところに根ざしていることに気付く。
●宗教改革以前は、全ての西欧キリスト教徒はカトリックで、聖アウグスティヌスその他が説いた「聖書の中には文字通りではなく寓意的に解釈すべき箇所がある」という見解を普通は受けいれていた。例えば、「シオンの丘(ZION)」は天国、あの世にあって、我々全ての人間に等しく開かれており、この地上にあってユダヤ人だけが住むべき場所ではないという考え方だ。
しかし、宗教改革以後、プロテスタント・キリスト教徒たちが唐突に「ユダヤ人は全てパレスチナへ移住せよ!」などという、およそ正統派キリスト教神学では主流になどなったことのない考え方を支持し始めたのである。
いったいどうしてなのか?
●ここで少し長くなるが、プロテスタント・キリスト教徒たちがこのような主張──「ユダヤ人は全てパレスチナへ移住せよ!」と言い始めるようになったきっかけを、時間の流れに沿って解き明かしていきたい。
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■■第2章:シオニズム運動の本当の創始者はプロテスタント・キリスト教徒である
●宗教改革において、聖書は一般人にも身近に手に入るものになった。これはキリスト教界に非常に大きなインパクトを放った。キリスト教徒たちが初めて聖書を購入するようになって、それに自分自身で解釈を加え始めた。その過程で、イスラエルとユダヤ人とを聖書の預言の中核的要素に格上げし出したのである。
聖書が日常言語に翻訳されると、初期のプロテスタント・キリスト教徒たちは、ユダヤ教またはヘブライの聖書として知られていた『旧約聖書』に目を向け、ヘブライ人の歴史、物語、伝統、律法、そしてパレスチナの地に親しもうとし始めた。彼らは『旧約聖書』の物語をそらんじ、記憶だけで必要な個所を朗読してみせた。
こうしてパレスチナをユダヤ人の国と考え出すプロテスタント・キリスト教徒が増えてきた。
プロテスタント・キリスト教徒たちは『旧約聖書』を特別面白い文学として読んだばかりでなく、歴史解釈のお手本とも見るようになった。彼らはキリスト教以前のパレスチナの歴史過程すべてを、ヘブライ人が来てからの逸話だけに還元してしまったのである。
●こうして、古代パレスチナでは『旧約聖書』に記録されたあいまいな伝説やわずかな歴史物語に、これまたあいまいに記されているだけの出来事以外、何一つ実際に起こりはしなかったと思い込むようにしつけられたキリスト教徒が膨大な数に達したのである。聖書好きのキリスト教徒たちは、『旧約聖書』を中東で重要な歴史を記した唯一の書物と見なすようになってしまったのである。
そして、17世紀半ばまでには、プロテスタント・キリスト教徒たちは「ユダヤ人はすべてヨーロッパを離れてパレスチナへ帰るべきだ」と断定する論文を発表し始めていた。
新たに確立したピューリタン共和国の「護国卿」となったオリヴァー・クロムウェルは、パレスチナにユダヤ人が帰還すれば「キリスト再臨」の序曲になると明言した。
●1655年にドイツに生まれたプロテスタント・キリスト教徒、パウル・フェルヘンハウエファは『イスラエルヘのよき知らせ』の中で、「キリスト再臨」の際にはユダヤ人はイエスを彼らのメシアとして受け入れるだろうと宣言した。これを証明する前兆は、「神が無条件にアブラハム、イサク、ヤコブと交わされた約束で永久にユダヤ人に授けられた彼ら自身の国へ、彼らが永住覚悟で帰還することだ」と書いている。
●また、児童労働者、精神異常者、受刑者らにもっと人間的待遇を与えることを主張する運動を起こして「偉大な改革者」として有名な第7代シャフツベリー伯爵アントニー・アシュリー・クーパー卿は、1839年に「すべてのユダヤ人はパレスチナへ移住すべきだ」と書いた。
彼は『ユダヤ人の現状と展望』という論文を発表、「ヘブライ人種」のことを心配しているものの、非ユダヤ救国に居住する以上ユダヤ人はいつまでも異邦人のままだという理由で彼らをヨーロッパ諸国で同化・解放することには反対したのである。
このクーパー卿は、「キリスト再臨」という「神の計画」でユダヤ人が枢要な役割を果たすと見ていた。彼の聖書解釈では、「キリスト再臨」はユダヤ人がパレスチナに移住し、そこにユダヤ国家を再建しないと実現しないと考えていた。
クーパー卿はすべてのユダヤ人をパレスチナに移住させるという「神の計画」を推進する上で神に手を貸すべきだと確信して、「ユダヤ人は頑固かつ陰険な連中だし、道徳的退廃、頑迷、無知のどん底に落ちて福音の何たるかも分からない始末だが、それでもキリスト教徒が救われる希望を左右する存在なのだ」ということを、イギリス人同胞に叩き込むことを自分の課題にしていたのである。
●しかし困ったことにクーパー卿は、そもそもパレスチナに当時、パレスチナ人が住んでいるかどうかをわざわざ調べようとはしなかったし、自分のものでもない民族や土地を勝手にユダヤ人にくれてやることをまるで気にしていなかった。あっさりとパレスチナの土地が獲得できると書いているのである。
彼の言葉を使うと、パレスチナは「国のない民に与えられるべき民のいない国」というわけだったのだ。後にこの言葉はシオニスト・ユダヤ人によって、「土地のない民に与えられるべき民のいない土地」という言葉に作り変えられた。
●このユダヤ人をパレスチナに移住させようと躍起になったクーパー卿は、時の外相パマーストン卿と姻戚関係にあったので彼をせっついて、エルサレムにイギリス領事館を開設させた。
1839年敬虔な福音派信徒ウィリアム・ヤングをエルサレム駐在の初代副領事に任命した際に、外相は当時オスマン・トルコ帝国の一部だったパレスチナに居住するユダヤ人全員を保護する任務があることを、特にヤングに念を押している。その年パレスチナには総数9690名のユダヤ人が居住していた。元からそこにいた者と外国籍のユダヤ人双方を合わせても、それだけだった。
当時の条約上の権利によれば、イギリス領事の保護が適用される範囲はパレスチナ在住の外国籍ユダヤ人に限定されていた。他方パレスチナ生まれのユダヤ人は依然、オスマン・トルコ帝国の臣民としてスルタンの支配下にあった。ところがイギリス副領事は、パレスチナのユダヤ人にイギリス政府がいかに彼らに親身になっているかを示して感謝してもらおうと、パレスチナ全土のユダヤ人を保護の対象にしてしまったのだ。
フランス政府やスペイン政府がパレスチナ在住の地元カトリック教徒に何ら主権を及ぼせないのと同じで、イギリス政府は地元のユダヤ人に保護の手を差し延べることなど本来は許されない行為だった。イギリス政府の行動は他国への内政干渉だったが、これが同時に全てのユダヤ人の民族的統一を肯定するシオニズムの主要な要石になったのである。
◆
●1841年、中東勤務のイギリス外交官チャールズ・ヘンリー・チャーチルは、ロンドンのイギリス・ユダヤ人代表者会議議長でロスチャイルド家に繋がる実業家モーゼス・モンテフィオーレ宛に書いている。
「あなたの同胞が再び統一国家の下で1つの国民として出発するよう努力される光景をこの目で見たいという、私の切なる願いを、あなたにお伝えせずにはいられません。その目的は完全に達成可能であると愚考致します。しかしそのためには必要なことが2つあります。まず世界中のユダヤ人全員が一致してこの目標をとり上げること、そしてヨーロッパ列強がユダヤ人の目標達成に力を貸すことです。」
●そして4年後の1845年には、イギリス植民省(現・外務連邦省)のエドワード・L・ミットフォードが、「パレスチナに大英帝国の保護領としてユダヤ国家を建設し、同国家が自立でき次第、大英帝国は保護領の権限を放棄すること」を提案している。
彼は、ユダヤ国家ができれば「わが国のレパント地方(地中海東部沿岸諸国地方)における支配権が確立し、同国家を拠点として敵国のわが国封じ込めを抑え、敵を威嚇し、必要とあれば敵の侵攻をはねつけることができる」とも書いている。
●ところが肝心のヨーロッパのユダヤ人たちは、自分らの住み慣れた土地を離れてパレスチナに移住したがる者はほとんどいないか、皆無に近かったのだ!
以後150年間にわたってシオニズムを唱え続けたのは、大半はイギリスで、むろん他のヨーロッパ諸国でもそうだったが、さらに後には驚くほどの規模でアメリカで、もっぱらキリスト教徒だったのである。なかでもプロテスタント・キリスト教徒は、パレスチナはユダヤ人のものなのだから、ユダヤ人は全てそこへ移住し、異教徒と分かれて暮らすべきだと熱心に主張し続けた。
結局、1世紀半もの間、西欧帝国主義運動のリーダーたちであるキリスト教徒らは、このユダヤ不在のシオニズムにユダヤ人からの支持を得られなかったのである!
●レジャイナ・シャリフは『非ユダヤ人シオニズム』の中で、キリスト教シオニストは敬虔さの背後に「政治的動機」を持っており、彼らにとってはこの動機こそ最初から宗教信念より遥かに重要だったと強調している。
●まあ、そんなことがあるにせよ、パレスチナにイスラエル共和国が建国された現在、シオニスト・ユダヤ人たちの多くは、初期のシオニズム運動においてプロテスタント・キリスト教徒がユダヤ人以上に熱心に行動してくれたことに「感謝」しているのである。イスラエル共和国の建国を達成できたのは、キリスト教シオニストらの手助けのおかげだといっている。
(※ この件については、第4章で詳しく取り上げたいと思う)。
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■■第3章:アメリカのキリスト教原理主義者とシオニスト・ユダヤの同盟関係
●アメリカがかたくなに親イスラエル政策を実施する原因として、アメリカがユダヤ系のメディアや政治家などの強い影響下にあるためだと説明される場合がある。
しかし、それだけが原因ではないだろう。シオニスト・ユダヤ人と利害関係を共にするキリスト教原理主義勢力(ファンダメンタル・プロテスタント勢力/キリスト教右翼勢力)がイスラエルを賛美し、アメリカ国内で巨大な勢力を誇っていることも大きな要因になっているといえる。
彼ら「キリスト教シオニスト」たちは、「キリスト再臨」のためには、イスラエルが中東に建国されることが不可欠な要素だと信じこんでいるのだ。イスラエル建国は「キリスト再臨」のための重要な第一歩だと盲信しているである。そしては自分たちこそ神に選ばれた人間(選民)であり、罪深い人間が全て滅ぶようなハルマゲドンが襲来すれば、世界から人類が姿を消した後、自分たちだけが生き返ると信じている。
この彼らの世界観は一般に「天啓史観」と呼ばれている。
●彼ら「キリスト教シオニスト」たちによれば、イスラエル建国は聖書の預言が成就されたものであり、“神”が行なった奇跡の現れだということだ。そして彼らはイスラエルの存在を柱にして信仰心を増幅させ、次に起きる奇跡(核兵器による世界大戦など)を、まだかまだかと待ち望んでいるのだ。
にわかに信じがたいがウソではない。中東が平和であるうちは「キリスト再臨」が来ないと信じているのである。
ここに、パレスチナ問題の複雑さがある。
●カリフォルニア大学の政治学教授スティーヴン・スピーゲルは、次のように主張している。
「ユダヤ人グループがどれだけアメリカの政治に干渉しているかという面ばかりを見るのは誤りで、むしろキリスト教シオニスト・グループのほうが、アメリカ政府の対イスラエル政策形成に真の影響力を持っているのだ。」
●ところで、アメリカにおける「キリスト教シオニスト・ロビー」は「ユダヤ教シオニスト・ロビー」ができる前に存在していた。
アメリカの「キリスト教シオニズム」は、聖書預言会議運動と共に1880年代にやってきた。そして同じ時期にウィリアム・ブラックストーンが、最初のアメリカ・キリスト教シオニスト・ロビーを生み出したのである。
このウィリアム・ブラックストーンの運動には、石油王ジョン・D・ロックフェラーなどが資金を与え、最高裁判事らがメンバーとして名を連ねていた。その目的は、ユダヤ人移住民がロシアのポグロム(ユダヤ人迫害)を逃れることができるように、パレスチナにユダヤ国家を樹立することであった。
●現在、アメリカのキリスト教シオニストとユダヤのシオニストは同盟を結んでいるが、彼らが同盟を結ぶ大きなきっかけになったのは、1967年の第三次中東戦争(6日戦争)である。
もっとも「同盟」とはいっても完全に心を許した仲ではなく、お互い利用しつつ牽制しつつ、微妙なバランスの上で“共生”しあっていると言ったほうがいいかもしれない。
●もともとWASPで構成されていたアメリカのキリスト教原理主義者たちは、反ユダヤ色が強かった。キリスト教原理主義者たちは今でも、ユダヤ人はハルマゲドンで殺されるか、キリスト教に帰依(改宗)してボーンアゲイン・クリスチャンになるか2つに1つの運命だと本気で信じている。彼らの伝統的反ユダヤ主義は、機会あるごとに噴出する。当のユダヤ人たちも彼らのそのような信念をよく知っている。
キリスト教原理主義者たちのイスラエル支持は、具体的なユダヤ人への配慮ではなく、千年王国的な終末論という神学的根拠に由来しているのであって、旧来の教会に存在した反ユダヤ主義の残滓を払拭しようとして積極的に努力している主流派プロテスタントや、とりわけ第2バチカン公会議以降のカトリックなどのユダヤ人に対する姿勢とは本質的に異なるのである。
●かつてアメリカ国内において、ジェラルド・ウィンロッドのようなキリスト教徒は、自ら発行する雑誌『ディフェンダー』で、公然とむき出しの反ユダヤ主義を説いていた。
ジェラルド・L・K・スミス、ウィリアム・ダドリー・ペリー、ウィリアム・カルグレン、ウェスリー・スィフト、ウィリアム・L・ブレシングらのキリスト教原理主義者たちも、「アメリカにユダヤ人がいなければキリスト教国としてより純粋になる」と主張していた。
キリスト教原理主義の白人は、自分たちの優越さを主張するのに、黒人キリスト教徒に対しては肌の色を持ち出したが、ユダヤ人に対しては、ユダヤ人は他の民族同様イエス・キリストの神性受け入れを拒んだので救われなかったのに対して、キリスト教原理主義の白人は他のキリスト教徒同様、キリストを受け入れたため救われているから、ユダヤ人より優位に立つと考えた。
従ってキリスト教原理主義者は、キリスト教こそユダヤ教が完成したものであることをユダヤ人たちに示すことで、ユダヤ人らを間違ったユダヤ教から救ってやらないといけないと信じていたのだ。
●当然、アメリカのユダヤ人エスタブリッシュメントは、このような押し付けがましい「改宗」要求に大反発して、ウルトラ保守のキリスト教原理主義(右翼)勢力とは交渉を持とうとはしなかった。
その代わりにアメリカのユダヤ人エスタブリッシュメントは、同じリベラル派として、リベラル派キリスト教徒と建設的な関係を築いていた。
1948年から1967年にかけて、ユダヤ系アメリカ人のリーダーたちは、約4000万人の信徒を代表する「全国カトリック教徒正会議(CCB)」と約4000万人のプロテスタントを代表する「全国教会会議(NCC)」の幹部たちと、定期的に友好的な集まりを持っていたのである。
●しかし、1967年の第三次中東戦争で万事がガラリと変わってしまった。リベラル派キリスト教徒の中に、イスラエル政府のやり方に対して疑問を持つ者が増えてきたのである。
例えば、「全国教会会議(NCC)」の理事会の一員であるフランク・マリア博士は次のように語っている。
「1967年の第三次中東戦争以前は、アメリカ人はイスラエルに対して別な見方をしていた。イスラエルを圧倒的なアラブ諸国という何人もの巨人ゴリアテにただ一人立ち向かう『ダビデ少年』と見ていたのである。ところがイスラエルはふいに近隣諸国に襲いかかった。パール・ハーバーの日本軍よろしく、エジプト空軍に襲いかかり、敵に迎撃する余裕すら与えず、地上で飛び立てないでいる敵機を破壊してしまった。イスラエル地上軍は西はシナイ半島へ攻め入りガザ地区を占領、東はエルサレムのアラブ地区、更にヨルダン川西岸を侵し、北はゴラン高原を落としてしまった。 〈中略〉
1967年の戦争の間、毎日私はテレビでイスラエル兵がエジプト兵をアリを潰すように殺している光景を見ていた。 〈中略〉 私は、アレンビー橋の上でイスラエル兵がパレスチナ女性とその子供らを短剣で突き刺し、ヨルダン川へ突き落とす場面も、テレビで見ていた。その女性の姿が私の母や妹とダブって見えたものである。ところが、アラブ人たちがイスラエル人に迫害され、殺される光景をテレビで見て、キリスト教徒もユダヤ人も、たくさんのアメリカ人が拍手喝采していたのである。」
「私はアメリカで生まれた。生まれてこのかた良きアメリカ人たろうと努力してきたつもりである。1942年以来、私は中東に親米的な平和政策をとらせる一助にもと、人道主義的教育・政治活動を行なう幾つかの組織で働いてきた。これは私に言わせれば、アメリカが最優先すべき世界政策になるわけである。
そんな私が、キリスト教徒やイスラム教徒が殺されるのを見て拍手喝采しているアメリカ人をこの目で見たのだから、目の前が真っ暗になったのです……」
◆
●第三次中東戦争を境に、リベラル派キリスト教徒がイスラエルを支持しなくなったと警戒するユダヤ人が増えた。
実際は、今日に至るまでアメリカのリベラル派キリスト教徒の指導部は依然として親イスラエルで、イスラエル政府に対して強い異論を唱えることはないのだが、将来、少しでもそれが変わるかもしれないという動きに神経を尖らせるユダヤ人が増えたのである。
そして、イスラエル指導部やユダヤ系アメリカ人のリーダーの多くは、リベラル派キリスト教徒よりも保守派キリスト教徒のほうが、自分たちの権益を確実に守ってくれることに気付いた。保守派キリスト教徒からのほうが熱心な支持を得られることを体感した。
なにしろ、保守派キリスト教徒(キリスト教原理主義者)の4000万人は一致団結して、「神自らがイスラエルに奪える限りのアラブ領土は全ていかなる土地でも奪えと欲しておられる」と、心底から熱心に信じているのだ。そしてキリスト教原理主義者にとってイスラエル共和国は、自分たちの救済と直結した本質的な宗教的関心の対象であり、全ての外交政策問題の中で、彼らはイスラエル共和国に最高の優先度を与えているのである。
イスラエル指導部は、キリスト教原理主義者の狂信的戦闘性に匹敵する“迫力”が主流派=リベリル派キリスト教徒には無いことを深く感じとった。シオニスト国家に問答無用の総体的支持を与える保守派キリスト教徒(キリスト教右翼)のほうが頼もしく見えた。
●このようにして、イスラエル指導部は、1967年の第三次中東戦争を境に、現実的判断でキリスト教右翼とがっちり結びつくようになった。双方のリーダーは共に兵器増産、軍隊増強、軍事力で目標を達成するやり方を信じあった。
ニューヨークのユダヤ系社会のスポークスマンで、ニューヨーク大学大学院の教授でもあるアーヴィング・クリストルは、次のように率直な意見を述べている。
「リベラル派キリスト教徒は守勢に回ったから、ユダヤ系アメリカ人はそれから足を抜くべきだ。我々追い詰められた者は、味方の選り好みをしている余裕はない。キリスト教右翼が強力な親イスラエル姿勢を打ち出しているのなら、ユダヤ系アメリカ人は同胞あげて一挙にキリスト教右翼を支持すべきである。」
◆
●「ADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)」のネイサン・パーラマターは、アメリカのキリスト教右翼とシオニスト指導部が1967年を境にがっちり手を結びあった事情について、次のように本音を明かしている。
「キリスト教原理主義の聖書解釈では、土壇場では全てのユダヤ人がイエス・キリストを受けいれるか、ハルマゲドンで殺されるしかないということになっているのは知っている。しかし、そうはいっても、イスラエルを支持してくれる勢力は貴重な味方だから、誰でも歓迎しないわけにはいかない。 〈中略〉 メシアが来れば、どちらを選ぶかはその時次第だ。今のうちは主をたたえ、弾薬を回してもらおうではないか。」
●「WZO(世界シオニスト機構)」のアメリカ支部理事を務めるジャック・トーシナーも、シオニストがキリスト教右翼と提携するのは当然だという。
「われわれは、キリスト教右翼反動派こそシオニズムの本来の味方だという結論に達せざるを得ない。リベラル派キリスト教徒は味方ではないのだ。」
●「ZOA(アメリカ・シオニスト機構)」会長のアレック・レズニックも、ユダヤ系とキリスト教右翼勢力の同盟を支持すると明言した。1984年6月エルサレムで開かれたZOAの会長・幹部会議で次のように語っている。
「そのようなキリスト教右翼のアメリカ国内での主義主張には関与しないという条件で、われわれはキリスト教右翼のイスラエル支持を歓迎し、受け入れ、感謝したい。」
●イスラエル首相直属の福音派連絡役ハリー・ハーウィッツも、イスラエル政府はキリスト教右翼の支持を歓迎すると強調し、こう断言している。
「キリスト教右翼勢力は強力にイスラエルを支持してくれており、アメリカ国内での支持団体を動員する際には、同派を最優先するつもりである。」
●「RC(ラビ審議会)」もキリスト教右翼勢力との同盟を重視して、連絡役にアブナー・ウエイス・ラビを指名、ヒューストンに正統派ユダヤ教徒とキリスト教右翼の代表約100名を招待、相互の親睦を図った。
◆
●一方、アメリカの著名なキリスト教原理主義者ジェリー・フォルウェルはこう主張する。
「神がアメリカを育てあげられた目的はただ2つ、それはイスラエル共和国をあらゆる敵から守り抜き、世界福音伝道運動の拠点基地とするためだった。この2つの目的を抜きにすれば、アメリカの存在理由は消し飛んでしまうのだ。」
また、レバノン南部に本拠を置くキリスト教原理主義者パット・ロバートソンのテレビ局「希望の声」は、反アラブ・反イスラム声明を盛んに流し、イスラエルのアラブ領土占領を熱烈に支持するようになった。
●同じく、アメリカの著名なキリスト教原理主義者ビリー・グラハムの義父で、『クリスチャン・トゥデイ』を主宰するネルソン・ベルは、第三次中東戦争におけるイスラエルの圧倒的勝利とエルサレム全市の占領に、狂喜し、次のように述べた。
「第三次中東戦争でイスラエルが圧倒的勝利したことにより、2000年以上たって初めてエルサレムが完全にユダヤ人の手に戻ったのを見て、私のように聖書を研究する人々は感激し、聖書の正確さと有効さを再確認したのである!」
●このように、アメリカのキリスト教右翼とシオニスト指導部は1967年の第三次中東戦争を境にがっちり結びついたわけだが、どちらの指導者も、アメリカ=イスラエル両国で核兵器・通常兵器ともども無際限に増産していくことを主張している。
伝えられるところでは、イスラエルは現在、大量の核爆弾を保有しているが、キリスト教原理主義の信徒の中には、イスラエルがもっと核兵器を持ってほしいと答える者が少なくないという。シオニスト・ユダヤ人もキリスト教右翼も、ともに国粋主義的・軍国主義的で、いずれもイスラエルと聖地崇拝を中核とするドグマ、何をおいても最優先すべきドグマを持っているのである。
●このように、イスラエルがアメリカの植民地的軍事国家に変貌し、ウルトラ右翼のキリスト教徒と同盟を結んだために、一部のリベラル派ユダヤ系アメリカ人は帰趨に迷い、居心地の悪い思いをしている。
『新保守』の中でアーヴィング・ハウとバーナード・ローゼンバーグは指摘している。
「ここ数十年間のアメリカにおけるユダヤ系思潮と論調は圧倒的にリベラル派だった。他の民族集団に比べてもリベラル度の高さが目立った。しかし、リベラル派は現在混迷を深め、その混迷の中心にイスラエルがわだかまっている。われわれが確認すべきジレンマは、イスラエルが国家として機能しているかぎり、また機能しないと近隣諸国にすり潰されてしまうのだが、ともかく機能しているかぎり、ユダヤ系アメリカ人はその影響を受けて保守化するばかりでなく、保守化せざるを得ないということだ。」
◆
●さて最後に、念のために触れておくが、シオニスト・ユダヤとキリスト教原理主義者の「蜜月関係」が今後もずっと安泰のまま続くことはないだろう。
ある段階に入れば、両者は血で血を洗う深刻な対立関係になる可能性は否定できない。
なぜならば、冒頭でも触れたが、キリスト教原理主義者たちは今でも、ユダヤ人はハルマゲドンで殺されるか、キリスト教に帰依(改宗)してボーンアゲイン・クリスチャンになるか2つに1つの運命だと本気で信じているためだ。
キリスト教原理主義者たちにとってシオニスト・ユダヤの活動は、長期的に見た場合、自分たちの野心を遂行する上での単なる“駒”でしかないのだ。もっともシオニスト・ユダヤ側も同じことを考えているだろう。両者はお互い利用し利用される“危険な関係”にある。
●この件に関しては、『フィガロ』誌の大記者で国際政治の専門家として活躍しているエリック・ローランが、次のような鋭い指摘をしている。
参考までに紹介しておきたい。
「20世紀後半、シオニスト・ユダヤ人とキリスト教シオニストたちは密接な関係を結んできた。ワシントンのイスラエル大使館はキリスト教組織の指導者と幹部を定期的に招待して、歩調を合わせている。
しかし、これはあいまいな『同盟』である。これらのキリスト教シオニストたちがユダヤ人を支持するのは、ユダヤ人やユダヤ教に敬意を払うからではなく、聖書の預言を信じているからにほかならない。したがって、彼らの友好的な関係の背景には、常に灰色の部分が存在している。」
「テキサス州ダラスで最大のバプテスト教会を預かるW・A・クリスウェルは、『怒れる神はユダヤ人の祈りに耳を傾けるだろうか?』と公然と問いかけ、『答えはNOである』と彼は断言している。」
「キリスト教シオニストたちがイスラエルを支持しようとするのは、それがキリスト教の『最終的勝利』につながると信じているからである。中東の危機は、彼らにとっては、聖書の中で預言されていることである。世界の終末の到来には、ユダヤ人がイスラエルを完全に回復することが不可欠なのである。」
「善と悪との最後の戦いであるハルマゲドンでは、ユダヤ人の多くがキリスト教に改宗し、ユダヤ教徒とイスラム教徒をはじめとする不信心者が地獄に堕ちて滅びることになっている。キリスト教シオニストによれば、自分たち『正しい人間』だけが救世主(メシア)に導かれて天国の門をくぐるという。」
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■■第4章:シオニスト・ユダヤのネタニヤフがキリスト教原理主義者を賛美
●1985年2月6日「イスラエルのために祈る全国朝食会」で、イスラエルの国連大使ベンジャミン・ネタニヤフ(後の首相)は、キリスト教シオニストの存在に関して
「シオニストの夢を実現する上で非常に首尾よく作動した歴史的パートナーシップ」だと賞賛した。そして次のように語った。
長くなるが参考までに紹介しておきたい↓
「最近ではジャーナリズムが、福音派キリスト教徒のイスラエル支持を重視している。彼らにはこれが真新しい友好関係に思えて、当惑と驚きを示す者が多い。しかしキリスト教徒のシオニズムヘの関わりの歴史を知っている者には、世界中の信仰篤いキリスト教徒が一貫してイスラエルを支持してくれたところで何も真新しいことではないし、驚くには当たらないわけです。 〈中略〉
結局シオニズムは何のためにあるのでしょうか? キリスト教徒とユダヤ人双方に、ユダヤ人がイスラエルの地に帰ることを願う共通の伝統が昔からあります。2000年にわたってくすぶり続けてきたこの夢は、ついにキリスト教シオニズムの形で噴き出してきました。」
「イギリスとアメリカの作家たち、聖職者、ジャーナリスト、芸術家、政治家たちすべてが、ユダヤ人を荒れ果てた彼らの故国に帰還させる便宜を図ろうと熱心に唱導してくれるようになりました。例えば1840年代にリンゼー卿はこう書いています。『これまで世界史の中で実に見事に保存されてきたユダヤ民族は、再び国家建設の段階に恵まれようとしている。今一度彼らの故国の所有権を回復しようとしているのだ』。またジョージ・グローラーは1845年に言っています。『パレスチナの農場や畑に、その土壌に根づいた愛着の深さでは右に出る者のいない精力的な人々をどんどん送り込みなさい』とね。」
「キリスト教シオニズムは、単なる理想主義の潮流ではない。ユダヤ人のパレスチナ帰還は実際的なシナリオが現に描かれている。1848年エルサレム駐在のアメリカ領事ウォーダー・クレスンは、イギリスのキリスト教徒とユダヤ人の合同組織の支持を受けて、レファイム渓谷にユダヤ人入植地を建設するのに手を貸した。またキッチナー卿の側近クロード・コンドーはパレスチナを広範囲にわたって調査、『この地域はユダヤ人の手で昔日の隆盛を回復できるだろう』という結論を下している。
キリスト教徒はシオニズムに対して長期にわたる親密な支持を与え、究極的には報われている。例えばジョージ・エリオットのシオニズムについての小説『ダニエル・デロンダ』は、ユダヤ人が『いにしえのごとく、壮大で質実かつ公正なユダヤ新国家、東洋の専制主義の只中に輝かしい西欧の自由を凌ぐ平等さを持ち、平等に国民が保護されるような共和国を』建国することを予言して、読者に大きな感化を与えた。この小説はさらに、『すべての偉大な国民の文化と共感をその胸に抱いているような国が東洋に出現するだろう』とも書いているのだ。」
「キリスト教徒は『全き夢想』をユダヤ国家に実現するのに手を貸した。例えばパレスチナ駐在のアメリカ領事エドウィン・シャーマン・ウォーレスは、1898年にこう書いています。『土地は待っている。人々は来る用意ができた。そして生命と財産の保護が確実になりしだい、やって来るだろう。 〈中略〉 これは実現されなければならない。でないとこれほど明確に告げられたおびただしい予言が、三文の値打ちもないものとして投げ出されてしまうことになる。 〈中略〉 だが世界各地でのユダヤ人の間での動きを見るかぎり、彼らはこれらの予言を信じていることが分かる。彼らの目はかつて彼らの故国だった土地に向けられ、彼らの心は自分たちが一つの民族として安全にその土地に住める日が来ることを熱望しているのだ』。英米のキリスト教シオニストらの書いたものが、ロイド・ジョージ、アーサー・バルフォア、ウッドロー・ウィルスンら今世紀初めの枢要な政治家たちの考え方にじかに影響を与えました。
この人々は誰もが聖書通でした。彼らの想像力はパレスチナヘのユダヤ人帰還という偉大なドラマで火がつきました。そしてユダヤ国家再建の政治的な礎石造りを国際的に行なう上で重要な役割を果たしたのです。こうしてキリスト教シオニズムが西欧諸国の政治家に働きかけてくれたおかげで、その政治家らが現代ユダヤ人シオニズムに手を貸してイスラエルの再建を敢行させてくれたのです。キリスト教シオニストたちは1世紀も前に歴史や詩のセンス、道徳心に触発されて、イスラエルの再建について書き始め、計画を練り、組織作りを始めました。
ですからイスラエルとキリスト教徒の支持者の友好関係がいかにも最近始まったことのように思って当惑する者たちは、自らの無知を露呈しているわけです。しかし私たちはよく知っています。両者の精神的きずなは非常に深く、非常に持続的なものだということを、私たちは承知しております。」
そして、ネタニヤフはこう締め括った。
「キリスト教シオニストたちが、かくも見事に働いてシオニスト・ユダヤ人の夢を実現した歴史的なパートナーシップを、私たちはよく知っているのです!」
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■■第5章:キリスト教原理主義の「終末思想」の実態
●現実の歴史は、人間たちの意図を裏切ってこれといったゴールもなく展開を続けていくが、「聖書の歴史」は最初からシナリオ通りに展開し、「終末」という最終ゴールに辿り着いて終わることになっている。このシナリオは「ヤハウェ(神)」が書いたことになっていて、神が啓示した歴史だから、これを「天啓史観」という。
●初期のキリスト教は、AD64年の大火でローマの半分が焼失したとき、ネロ皇帝から放火の罪を着せられ、最初の大迫害に遭遇した。この惨事から逆に、キリストの再臨は間近という緊張の中で教線を拡大していく。ヨハネの黙示録第13章に登場する「先の獣」、つまり「反キリスト」「666」はネロを指していたと思われる。また黙示録に出てくる大いなる娼婦バビロンとは、ローマ帝国である。
●しかし迫害の極致にありても「再臨」は起らず日増しに迫害は募った。そこで登場したのが、モンタノスである。迫害が特に強かったAD150年代から170年代、今日のトルコにあるフリギアで、「私は旧約、新約に続く第3の聖書の預言者であり、同時に人間の間に下ってきた全能の神である」と称し、モンタノスは「殉教こそ神に至る最も確実な道であり、キリストの再臨を早める。従って殉教は悪との戦いであり、殉教者は『神の兵士』である」と主張した。
この「殉教教団」はたちまちフリギアから北アフリカ、シリア、トラキア、果てはガリアと、主に当時の西方世界へ、燎原の火のように広がった。自身が神なら、なぜ「再臨」を早める必要があるのか、モンタノスの教義は矛盾だらけで、当然異端とされた。しかし「第3の聖書」という考え方は、中世にも生き延び、17世紀にはクェーカー教徒、19世紀には再臨派の分枝、安息日再臨派などに受け継がれている。
◆
●ところで、現在、アメリカには「ハルマゲドン」説を説く人気テレビ説教師が多数存在する。
1985年10月に発表されたニールセン調査は「6100万ものアメリカ人が、自分たちの存命中に核戦争が起こることを防ぐ手立てが全くないと告げるテレビ説教師の番組をコンスタントに見ている」とした。人気テレビ説教師であるパット・ロバートソンの「700クラブ」(連日放映の90分番組)は1600万世帯、全米テレビ所有台数の19%が見ているという。(その放送局は彼のものである)
同様にジミー・スワガートは925万世帯、ジム・ベイカーは600万世帯……などなど、キリスト教原理主義をタレ流すテレビ説教師たちは、アメリカ社会では大人気である。
●彼らキリスト教原理主義者たちは、キリスト教が掲げる人間の原罪からの救済計画のシナリオのうち、「ハルマゲドン」を特別強調する。そしてこの「ハルマゲドン」説の核を作ったのは、キリスト教原理主義のスーパースターであるハル・リンゼイである。
ハル・リンゼイは1970年代に登場、リバーボートの船長からボーンアゲイン・キリスト教徒に転身。「キリストのための大学十字軍」の幹部として8年間全米の大学を巡回説教し、それをまとめた著書『今は亡き大いなる地球』が、全米で1800万部を売るベストセラーとなったのである。続編『1980年代 〜秒読みに入ったハルマゲドン』『新世界がくる』『戦う信仰』『ホロコーストヘの道』などいずれも人気が高く、アメリカ人の意識の底流を作り上げた。
●キリスト教原理主義者の終末思想は、「キリスト再臨」が「千年王国」成立以前に起こるとする「千年期〈前〉再臨説」に集約されている。これと対立するのが、「キリスト再臨」は「千年王国」成立以後とする「千年期〈後〉再臨説」である。
いずれも古くから続いてきた終末思想だが、アメリカの場合は最初は「千年期〈前〉再臨説」が主流だった。魔女裁判を断行、ピューリタニズムの礎を築いたインクリースとコットンのメイサー父子が、指導者だった。
だが彼らに対抗して、ジョナサン・エドワーズが、「千年王国は新世界アメリカでこそ、ハルマゲドンなどの大量殺戮なしに、自然な過程で成立する」と主張し、「千年期〈後〉再臨説」を唱え始めた。南北戦争まではこの「千年期〈後〉再臨説」が多数を占めた。牧師らは同胞だけでなく、アフリカ、中国、日本など世界の非キリスト教地域に伝導、できるだけ多くの人々を改宗させれば、その「伝導の人海戦術」の成果によって、「千年王国」を地上に呼び込めると考えたのである。アメリカの伝導活動の世界展開は、「千年期〈後〉再臨説」を原動力にして初めて可能となったのだ。
●しかしその後、科学的進歩や物質的繁栄を肯定し、このまま穏やかに自然な形で「終末」に向かっていくとする「千年期〈後〉再臨説」は衰え、現実社会を「俗物」として切り捨て、苛烈かつ急激な「終末」を待望する「千年期〈前〉再臨説」が増加してきた。
現在、「千年期〈前〉再臨説」を主張するキリスト教原理主義者によれば、原罪からの人類救済計画のシナリオは、次の順に進展するという。
【1】ユダヤ王国再建 (彼らは1948年イスラエル建国で実現したと解釈)
【2】「携挙(ラプチャー)」の開始
【3】ハルマゲドン開始
【4】キリスト再臨
【5】「千年王国」開始
【6】千年経過後天国に移住
●一般のキリスト教団は、この救済計画を、イエスが見せた奇跡同様、象徴的に解釈するのだが、キリスト教原理主義者たちは文字通り解釈している。
例えば「携挙」とは、ハルマゲドン前に信者だけを天空に緊急避難させることで、ハル・リンゼイは高速道路を走行中に携挙が起こり、運転者を失った車がめちゃくちゃにぶつかり合い、携挙されなかった者らが無残に死んでいく光景を活写している。「千年王国」とはキリストを王に戴き、エルサレムを世界の首都とし、ハルマゲドンを生き延びた信者だけで構成するが、もう一度、サタンにたぶらかされた信仰の弱い信徒団の反逆があり、それを平定してから、キリストは地球をスクラップして別な天体(天国)へ信徒らを移住させるという。
また【1】と【4】の間隔は「一世代後」とあるだけなので、40年説と100年説に分かれ、ハル・リンゼイは前者だった。しかし前者はすでに1988年に訪れたので、ハル・リンゼイは90年代に「延期」した。
また【2】と【4】の間は「大艱難」と呼ばれ、3年半から7年といわれている。
◆
●ところで、既に何度も触れたように、現在、キリスト教原理主義の指導者はイスラエルの政府要人と繋がっている。いわゆる「シオニスト同盟」である。
元来キリスト教は、イエスを殺したユダヤ教徒を憎み続けてきたので、ひと頃ではユダヤ教徒の国と連携することなど思いもよらなかった。しかしイスラエル建国でユダヤ国家再建というシナリオ【1】が実現したと解釈してからは、この一派のイスラエル傾斜は急ピッチとなった。
そして、1967年の第三次中東戦争(6日戦争)でイスラエル軍が圧倒的な強さを世界に見せつけると、アメリカのマスコミは、「無敵のイスラエル人」とか「彼らは間違いを犯すはずがない」といって騒ぎ立てて、ますますキリスト教原理主義者とイスラエル(シオニスト・ユダヤ人)は親密な関係になった。
なにしろ、「ハルマゲドン」はイスラエルの「メギドの丘(ハル・メギド)」が戦場となるのだ。ハル・リンゼイによれば、ここヘ旧ソ連・東欧連合軍、アラブ・アフリカ連合軍、中国が率いるアジア連合軍、「反キリスト」が率いるヨーロッパ連合軍が逐次侵入しては、神の降り注ぐ核兵器で壊滅させられるのである。途方もない巨大な軍勢を迎え撃つイスラエルのユダヤ人も3分の2は壊滅、残った3分の1がキリスト教徒に改宗、「千年王国」の臣民となる。
第3章で触れたように、イスラエルは現在、大量の核爆弾を保有しているが、キリスト教原理主義の信徒の中には、イスラエルがもっと核兵器を持ってほしいと答える者が少なくないという。
●アイラ・チャーナスは著書『ドクター・ストレンジゴッド ─ 核兵器の象徴的意味』の中で言う。
「終末論はキリスト教の中核をなすので、これは当然西欧文明の中核的要素となる。西欧文化に触れる場合、この終末論に則った歴史観に触れずに済ますわけにはいかない。
単純な終末論を基礎にしたテレビ映画『スター・ウォーズ』が、今日最も有名な作品となったのは偶然ではない……」
◆
●さて最後になるが、注意してほしいのは、「終末思想」はユダヤ教やキリスト教だけでなく、イスラム教にもあるという点である。
イスラム教も痛烈な終末思想を持つ宗教である。コーランには「復活の日」という言葉が70回、「その日」が40回出てくるのを中心に、いろいろな形で「終末」が言及されている。
また、「艱難(かんなん)」こそ神の国を接近させてくれるという倒錯が、それぞれの宗教の根幹にある。
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