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クレヨンしんちゃん作者の遺体発見、しかし、幾つかの疑問が!
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/338.html
投稿者 taked4700 日時 2009 年 9 月 21 日 02:33:09: 9XFNe/BiX575U
 

疑問点を述べる前に、まず、二つ記事の引用をします。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090920-545887.htmlより、かなり長い日刊スポーツの記事を全文引用します。

「しんちゃん」作者、荒船山で滑落死か?

 11日に家を出てから行方不明となっていた人気漫画「クレヨンしんちゃん」の作者臼井儀人さん(51)が登ったとみられる群馬・長野県境にある荒船山の艫岩(ともいわ)の下の岩場で19日午前、男性の遺体が見つかった。急斜面のためこの日は遺体収容ができず、身元確認はできなかったが、遺体の服装は家を出た時の臼井さんのものに似ているという。警察では登山中に滑落した可能性が高いとみて、20日朝から遺体収容作業を行う。

 この日午前10時40分ごろ、荒船山(標高約1423メートル)を登山していた埼玉県の男性から「艫岩の下に人らしきものが倒れている」と119番に通報があり、群馬県警の捜索隊50人が現場に向かった。艫岩は200〜300メートルの絶壁が続く巨岩で、北側の登山道近くのがけから約100メートル地点の岩場に人が倒れていた。50〜60度の急斜面のがけのため、捜索隊も近寄ることはできなかったが、すでに死亡していたという。同警では誤って滑落したとみている。

 遺体収容には時間がかかり、日没になってしまうため、この日の収容は断念。20日朝、同警の機動隊からレスキュー隊も参加して、作業を再開。収容は午後になる予定だ。同警によると、遺体の服装は白いTシャツに黒いリュック姿だったが、がけ下に滑落した際に服の一部が脱げかけたようで、靴なども近くに散乱していた。遺体の損傷も激しく、顔も確認できなかったという。服装は臼井さんが11日に埼玉県春日部市内の自宅を出た時のものと似ており、収容後に身元を確認する。

 臼井さんの家族の元にはこの日昼ごろ、同署から「臼井さんに似ている遺体が見つかった」との連絡が入った。家族は20日現場に入ることを希望している。近所の人は「信仰している宗教の教義上、自殺はありえない」と話している。

 登山関係者によると、艫岩は子供でも高齢者でも登れる比較的楽な岩場だという。しかし、展望台から外れて、がけ近くに迷い込んだ場合、滑落の危険性もある。地元観光関係者によると滑落死は「年に1件あるかないか」という。

 臼井さんは登山が趣味で、リフレッシュを兼ねて頻繁に出かけていた。11日朝に「荒船山に行く。夕方には帰る」と言って自宅を出た。しかし、夜になっても戻らず、携帯電話の呼び出し音はするものの、応答がない状態で連絡が取れなくなったため、翌12日に妻が捜索願を埼玉県警春日部署に出した。12日に長野・軽井沢付近、13日に荒船山近くの下仁田町で臼井さんの携帯電話の電波を確認するなど、行動に不審点もあることから春日部署は事故や事件に巻き込まれた可能性もあるとみて群馬、長野両県警に協力を要請。荒船山を中心にヘリコプターや警察犬も動員して捜索していた。

 臼井さんは90年に「クレヨンしんちゃん」の連載を双葉社「Weekly漫画アクション」で開始。00年から同社の月刊誌「まんがタウン」で連載し、10月号の表紙もクレヨンしんちゃんが飾った。双葉社には11月号まで原稿が入っているという。17日には公開中の劇場用アニメを実写化した映画「BALLAD 名もなき恋のうた」に関連する春日部市内のイベントで、主演草なぎ剛も「早く無事に救出されることを願っています」と心配していた。

 ◆臼井儀人(うすい・よしと)本名・臼井義人。1958年(昭33)4月21日、静岡県生まれ。埼玉県春日部市在住。77年に埼玉県春日部工業高を卒業後、デザイン専門学校を経て79年に広告関係の会社に入社。87年「だらくやストア物語」で「双葉社 週刊Weekly漫画アクション新人賞」の佳作に入賞して漫画家の道に進む。90年8月から週刊Weekly漫画アクションで「クレヨンしんちゃん」の連載を開始した。「夢を売る仕事なので」と、マスコミに一切出ないことで知られる。

 ◆荒船山(あらふねやま)群馬県下仁田町と長野県佐久市にまたがる標高約1423メートルの山で、日本二百名山の1つ。南北約2キロ、東西400メートルの溶岩台地で、平たんな頂上部がある山容が荒波を割って進む船を思わせることから、荒船山と名付けられたといわれる。荒船山北端にある艫岩は荒船山を船に見立てた時に船尾にあたり、高さ200〜300メートルの絶壁が続き、幅は約800メートルとされる。

 [2009年9月20日9時1分 紙面から]


http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090917/CK2009091702000120.htmlより、東京新聞の、今度はかなり短い記事の引用

「しんちゃん」作者 長野との県境に? 携帯電話の電波測定

2009年9月17日

 連絡がとれなくなっている人気漫画「クレヨンしんちゃん」の作者の臼井儀人さん(51)=本名・臼井義人=が、十一日に埼玉県春日部市の自宅を出た後、少なくとも十四日まで、群馬、長野の両県境付近にいた可能性が高いことが十六日、埼玉県警などへの取材で分かった。

 埼玉、群馬両県警によると、臼井さんの携帯電話の電波から位置を測定したところ、十四日まで長野県軽井沢町など群馬、長野の両県境付近を移動しているのが確認された。それ以降は、携帯電話はつながらない状態だという。

 また、臼井さんは下仁田町と長野県佐久市にまたがる荒船山(一、四二二メートル)に向かったとみられ、両県警が捜索したが、手掛かりはなく、入山届も出ていないという。

以上引用終わり。

では、疑問点を箇条書きにします。

1.11日に日帰りの予定で荒船山へ行ったと言うのは家族の証言なので事実であるはずだ。そして、その日の内に、山頂の崖から転落し、死亡したということになる。しかし、日刊スポーツの記事の「12日に長野・軽井沢付近、13日に荒船山近くの下仁田町で臼井さんの携帯電話の電波を確認するなど、行動に不審点もある」とか、東京新聞の記事の「臼井さんの携帯電話の電波から位置を測定したところ、十四日まで長野県軽井沢町など群馬、長野の両県境付近を移動しているのが確認された」と言うことは、出発した翌日から翌々日、荒船山付近を移動していたと言うことになる。これは明らかに矛盾する。

2.上に引用した以外の記事もいくつか読んだが、電車で行ったのか車で行ったのかが明確ではない。上に引用した記事でもそのことは触れられていない。まだ50歳台で、自分で車を運転して軽い登山に行くことも可能だと思えるから、車で行った可能性もあるが、それなら、なぜ、車が見つかっていないのか?それとも、電車で行ったのだろうか?それなら、駅の売店などに立ち寄った可能性が高く、防犯カメラなどに映像が残っていそうなものだが、そういった捜査はまだしていなかったと言うことなのだろうか?

3.なぜ、荒船山だったのか?今までに荒船山に行ったことが何回もあったのか、その点についての報道がない。荒船山に行かなければ、多分、今回の崖からの滑落事故自体が成立していないはず。だから、なぜ荒船山を選んだかと言う点も、一応は考えておくべきことだ。

 一応、疑問点は上に挙げた3点です。携帯電話の待受けは数日間はできるのでしょうから、11日の登山初日に滑落したとしても、携帯電話が故障せず、艫岩の崖から落ちた後も電波を受信していたと言うことは十分に考えられるのだとは思います。ただ、それなら、少なくとも、「12日に長野・軽井沢付近、13日に荒船山近くの下仁田町で臼井さんの携帯電話の電波を確認するなど、行動に不審点もある」と言うことはありえないはずです。それに、携帯電話の電波の確認は、正確な時刻の記録が残るはずです。つまり、いつごろまで軽井沢周辺にいて、いつごろ下仁田町へ移動したのか、時刻もわかる筈ですが、その報道がありません。ただ、地図をチェックすると、軽井沢周辺と下仁田町はかなり近い位置にあるので、携帯電波の記録だけでは、移動したのかどうかは判断できないのかもしれません。この点、詳しい方がいらしたら、教えていただけると幸いに思います。  

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コメント
 
1. 2017年5月19日 16:47:25 : wHigBFOvqM : HjHzHaQc@xg[11]
コピペしようとするとすぐ邪魔される。


wantonのブログ
http://ameblo.jp/64152966/entry-11220799413.html


2. 2017年5月19日 17:07:02 : wHigBFOvqM : HjHzHaQc@xg[12]
日ユ同祖論とか興味ないが、↑であまりにも妨害されたからはっとくね。
それと、臼井さんは123便墜落事故の真相も追及していたのかも。。。


黙示録

2009年09月19日

荒船山 アララト山
http://takachika.seesaa.net/article/128412832.html(全文)

行方不明の漫画家の話で話題になってる荒船山。


群馬県と長野県の県境にある山だ。地元的に言うと下仁田と佐久の間にある山だ。


荒船山というくらいなので正に山の上に船が乗っかってる様な奇妙な形をした山だ。


霧深い時に行くと神秘的。


何故、荒船?って思ったり。


山の上に船!


って言うと思いだすのが聖書。


ノアの箱舟だ。


ノアの箱舟は大洪水で漂流した後、たどりついたのがアララト山。


アララト あららと あららと


あらふね?


聖書信仰を持った移民の人達がたどりついて定住したに違いない。


群馬は雷も多い。


旧約聖書の神ヤーベは雷とともに現れる。


聖書信仰の人達が群馬を選んだのも理由がある。


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クレヨンしんちゃん分析録

zoom RSS 日航ジャンボ機墜落事故からちょうど30年です

>
http://crashinsti.at.webry.info/201508/article_7.html(全文)



本日は、日本航空(日航)123便の事故からちょうど30年です。

単独の旅客機としては世界最大の520人の犠牲者を出し、4人が生存したというあの事故が起こったのは、実は私が生まれて5ヶ月弱の時でした。そのため、私はリアルタイムでこの事故の事は当然覚えていませんが、小学生の時に、昔大きな飛行機事故があったと、この日航機の事故を初めて知りました。詳細を知ったのは、ずいぶん後です。

2011年9月11日、臼井儀人先生の慰霊登山のために、荒船山を訪れた際、帰りにはいじまさんの車に乗せてもらい、日航機の事故の詳細について、色々興味深い話を聞きました。数時間過ごした車内があっという間でした。

ちなみに、2010年8月4日に初めて荒船山を訪れた際、帰りのタクシーの運転手さんも、この事故について色々話してくれました。話好きな運ちゃんでしたね。

群馬県下仁田市は事故現場の上野村の「御巣鷹の尾根」に近いようで、下仁田駅から日航機の事故現場に行く人も多いようです。

私は現在、仕事で車の運転をしています。免許を取ったのは大学生の時ですが、長年ペーパードライバーでした。今は車の運転に随分慣れまして(最近、衝突事故を起こしましたが)、今年、機会があったら「御巣鷹の尾根」に行ってみようかなと思ったりもします。もちろん、今年も荒船山にも行く予定です。

今から30年前のこの日、あの「御巣鷹の尾根」は想像を絶する光景が広まっていたのでしょう。それを思うと、胸が痛みます。

しかし、新聞(今日の朝刊)では川内原発再稼働の記事がトップ記事を飾っていまして、日航機の事故はちょっと格下の扱いになっていました。まあ、原発再稼働の方が、ニュースとしては重要でしょうね。第一面だけでなく、数面でも取り上げられていましたし。

ちなみに、夕刊の方では一面トップで取り上げられていました。やはり、ちょうど30年ということもあって、非常に大きなニュースと認識されているようです。なお、テレビの方でも、事故に関する番組が放送されていたようです。


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ひとまずここで投稿する。


3. 2017年5月19日 17:11:36 : wHigBFOvqM : HjHzHaQc@xg[13]

↑の続き(文章から別のページに飛ぶしくみ)


>帰りにはいじまさんの車に乗せてもらい、日航機の事故の詳細について、色々興味深い話を聞きました。
http://www.geocities.jp/crashinsti/arafune2011.html#7(全文)

車内での会話

この後、私はどうやって帰ろうかとなり、タクシーを呼んで昨年と同じく下仁田駅まで行くことも考えていましたが、はいじまさんが車に乗せてくれるとのことでしたので、途中まではいじまさんと一緒になることにしました。ゆうらんせんさんとは、この内山峠でお別れということになりました。

はいじまさんにどこまで送ってもらえるかなと考えていたら、八高線の駅ならどこでも大丈夫と言ってくれたので、私は高麗川駅まで乗せてもらうことにしました。高麗川駅から川越線で川越を経由して帰ろうと思い、はいじまさんの助手席にお邪魔しました。

車の中では、『クレしん』のこと、臼井先生のこと、サイト運営のことなど色々話しましたが、1985年8月12日に発生した日本航空123便の墜落事故についても詳しく話をしました。昨年の登山記にも書きましたが、、下仁田駅は鉄道駅としてはこの事故の現場から最も近い駅とのことだからです(ただし、はいじまさんによると小海線の駅からの方が近い可能性もあるとのことです)。

私自身、この事故には結構関心を持っていた方ですが、はいじまさんは中学生の頃にこの事故に遭遇して大きな衝撃を受け、それで乗り物のメカニズムなどを徹底的に勉強したのだそうです。私もその博識ぶりには驚かされました。この日航機の事故については色々と批判もありますが、これらの批判は全くの筋違いなのだそうです。専門的には、日航機の事故の対応はまさに最善を尽くしたものであり、よく調べれば当時の状況などを考えると、批判する余地など全く無くなるとのことです。

私自身はその手の専門家でもなければ専門知識があるわけでもないので、あまり詳しくは書けませんが、未だにこの事故について、ああすればよかったのではないか、こうすればよかったのではないかという人たちが未だにいることについて、はいじまさんは専門知識があればそんなことなど言えなくなるという事を改めて強調していました。私も大した専門知識が無い故に誤った事を書いて、専門家の方からご指摘をいただいたこともありましたので、自分自身に対する戒めとも捉えました。

日航機の事故に関しては、遺族の方々による団体の8・12連絡会のサイトにも資料が掲載されているので、そちらをご参照するのが良いかと思います。ある程度の専門知識が求められますが。

『クレしん』のテレビアニメに関する話も色々しまして、現在のテレビアニメは原作を基にしていないオリジナルの話ばかりが目立ちますが、はいじまさんは『ドラえもん』みたいに昔の原作をリメイクした話を放映するのが良いのではないかと提案していました。ファンだけでなく声優の方々も喜ぶのではないかと言っていましたが、確かにそれも妙案だと思いました。

それにしても、日航機だけでなく、『クレしん』や他のアニメ、臼井先生の作品などに関してここまで熱く語る方も珍しいと思いました。『クレヨンしんちゃん的ページ』さんのMr.Kさんは、かなり知識はおありですが、ここまで熱く語る方ではありませんでしたし、他のファンの方でも割と熱く語り合える方はいないわけではないですが、はいじまさんほどではありませんでした。おかげさまで、私も『クレしん』に対する視野もかなり広まりました。



帰路

17時40分近くなって、ようやく高麗川駅に到着しました。内山峠を出発してから3時間弱かかりましたが、時間の長さを全く感じませんでした。それだけ、はいじまさんとの話に夢中になっていたのですね。

私ははいじまさんの車を降りて別れを告げた後、駅の改札に向かいました。すると、電光掲示板には41分に川越行きの電車が出るとありまして、改札を出てすぐのところで止まっていた川越線に乗りました。いやはや、良いタイミングでしたね。その後、川越駅で乗り継ぐ際もあまり待ち時間がかからないで、スムーズに進みました。おかげて、予定よりも早く自宅に到着できました。

こうして、私の荒船山登山は幕を閉じました。また来年も登れたらと思いますが、来年の9月11日は平日になるので、ちょっとズレるかもしれません。その時には、クレしんファンの方ともお会いできないものかと思ったりします

>この事故について色々話してくれました。
http://www.geocities.jp/crashinsti/arafune.html#8(全文)

タクシー内での会話(その2)

そして、15時54分、遂に内山峠に到着しました。タクシーは既に止まっており、私はすぐに乗せてもらいました。タクシーの運転手さんは行きとは別の人で、少し若い人でした。とは言っても、50歳くらいの年配の方ではありましたが。

ただ、この運転手さんですが、とにかく饒舌な人でしたね。私はかなり疲労であまりしゃべると少し苦しくなるので、それほど話しませんでしたが、運転手さんの方がやたら色々と話していました。

それで、話の内容は1985年8月12日(月曜日)に発生した日本航空123便の墜落事故がメインとなりました。というのは、実は下仁田駅は鉄道駅としてはこの事故の現場から最も近い駅とのことだからです。実際に、この運転手さんも過去にマスコミ関係者を下仁田駅から事故現場の御巣鷹山の麓の方まで乗せたことがあるようです(Wikipediaによると、実際の事故現場は御巣鷹山から少しずれているらしいですが)。

そして、タクシーの運転手さんも一緒に事故現場に行ったことがあるそうですが、犠牲者の写真が多く貼られた小屋の中などを見た時には涙が出そうになったそうです。身内に犠牲者がいない自分でさえそういう気持ちになったのだから、遺族の方々は本当にやりきれない思いでしょうね、といったことを話していました。

また、事故直後の現場に実際に行ったことのあるマスコミ関係者の人を乗せたこともあるそうですが、その関係者によると、とにかく飛行機の残骸や遺体の損傷が凄まじく、直視しがたいほどの惨状だったそうだとも言っていました。

ちなみに、私はこの話を非常に興味深く聞いていました。というのは、私も123便の事故にはいくらか関心があり、これまでも書籍やテレビなどでこの事故についてあれこれ情報を仕入れていたからです。イギリスに来てからも、英語力を上げるという目的も兼ねて、You Tubeの以下の動画を観賞したりもしました。アメリカのナショナルジオグラフィックチャンネル(Ntional Geographic Channel)が制作した123便事故のドキュメンタリーです。


http://www.youtube.com/watch?v=BbsIcq29rV4
http://www.youtube.com/watch?v=Z9dVwxHpfZE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=G0bvH12vlyY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=g5rK5XNPxrY&feature=related


さて、タクシーが下仁田駅にだんだん近づいきた時、話題は荒船山の方に移ります。クレヨンしんちゃんの作者が亡くなってしまいましたね、という事を運転手さんは行きの人と同じように語っていましたが、その直後に私は「分析録」の記事で書いた、恐るべき話を聞かされました。以下、太字部分は登山の当日に書いた「分析録」の記事からの引用です。


実は、臼井先生が荒船山で亡くなられた後、同じ場所で2、3人の方が転落死していたというのです。ちなみに、荒船山は臼井先生が亡くなられるまでは、少なくとも公的には遭難死した人がいない安全な山とされていました。

ところが、臼井先生の事故の後に相次いで死亡事故が起こり、そのうちの一人は自宅に書き置きを残していたというのです。驚くことにその書き置きの内容が、自分はクレヨンしんちゃんの大ファンだったので臼井先生の後を追って同じ場所で死にます、というものだったそうです。

そのため、死亡事故が相次いで起こった時は警察の方もかなりピリピリしていたんだそうです。臼井先生は著名人なのでニュースでも大きく取り上げられましたが、その後の方々は一般人なので大きなニュースにならなかったため、地元の人々以外ではあまり知られていないんだそうです。

そういうわけで、前述した立札は、実は臼井先生だけでなく、他の死亡事故も含めたうえでの警告だったわけです。

それにしても、臼井先生の後を追って自殺とは。その話をしてくれた運転手さんは、よっぽどクレヨンしんちゃんがすきだったんでしょうねぇと言っていました。ファンと鑑と言えるのかどうか・・・。


以上が引用です。運転手さんによると、艫岩の絶壁の下も昔は登山道が存在していたそうですが、今は整備されておらず、進むのにかなり難しいそうです。臼井先生の遺体は男性客によって絶壁の下で発見されたそうですが、よくそんなところまで行って、臼井先生の遺体を発見することができたものだと思います。

16時25分頃、下仁田駅に到着して、7000円強という高い金を払ってタクシーを降りました。かなり高くついてしまいましたが、貴重な情報を得た代金だとも思っています。



帰路

下仁田駅の時刻表を見ると、16時45分に電車が発車するそうなので、とりあえず自動販売機で飲み物を買い、改札に入ろうとしました。しかし、駅員に止められました。待合室で待っていてくれ、時間になったら呼ぶからとのことでした。そういうわけで、私は地元の高校生らしきアベックと一緒に待ちました。
しかし、電車は予定より少し遅れており、50分頃になって改札に入りました。その後、電車は数分ほどしてから発車しました。

帰りの電車は行きと違って、駅で停車するたびに人が乗ってきて、かなりの人が乗っていました。それでもわずかに空席はありましたが。

17時45分頃に高崎駅に到着しました。行き1時間かかったのに、帰りは若干早く到着しました。まあ、もともと遅れていましたからね。

さて、ここで「おや?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は私、荒船山では何も食べていませんでした。飲み物は飲んでいましたが、食欲が湧かなかったので、朝食を自宅でとってからは、何も食べていませんでした。

そういうわけで、高崎駅に着く頃には空腹の状態になっており、高崎駅の名物「だるま弁当」しました。それを、高崎駅のホームのベンチで食べることにしました。

その後、私はホームに入ってきた湘南新宿ライン快速の国府津行きに乗りましたが、大宮駅の手前の宮原駅で停止してから、全く動かなくなりました。というのは、池袋か新宿で事故か何かが発生し、それで運転を見合わせているとのことで。しかし、上野行きには影響がなかったので、普通に運転されていまして、私は宮原駅のホームに出て、そちらに乗り換えようかと考えましたが、あえてとどまることにしました。(行きと違って)少し遅くなっても良いと思っていたので。しかし、いくら待っても電車が動く気配がないので、私は結局上野行きに乗り換えることにしました。

こうして、19時35分に大宮駅に到着する予定が、20時近くになってしまいました。その後は、順調に自宅へ到着できました。臼井先生も、あの9月11日、私のように自宅へ到着できればと思うと、やりきれない気持ちでありますが。

イギリスに再渡航する直前に、こうして荒船山に登って、今まで私の人生を楽しませてくれた臼井先生の慰霊ができて良かったと思っています。事故当時は新興宗教に入信していたとかどうかという報道もありましたが、私にとっては人生を豊かにしてくれた恩人でありますので。

次はいつ荒船山に登れるかは分かりませんが、機会があれば、できれば命日の9月11日に登れればと思っています。


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また投稿。


4. 2019年3月10日 01:28:33 : EgzrbDEIqc : LllPWVBqaTlLaG8=[1] 報告
クレヨンしんちゃん

って安部晋三がモデルなんじゃないかと思うんだよね。
なんか顔にてるでしょ。

名前もなんか似てるし。

あれは将来日本の悪魔となることが分かってる
安部晋三を馬鹿にしたマンガなんじゃないかな、と思うんですよね。

それで暗殺されたんでしょ。

5. 2020年8月03日 18:42:54 : HZUtrSwWxg : azVLcGM2S2oudDY=[5] 報告
作者に自殺されて声優にも逃げられたんだから野原しんのすけってマジで忌み子だよな
クレしんより権利もってるゴキブリAI上級国民が鬱で死ぬまで叩くほうが面白いってことなんだろうし当然の結果だったのかもな
三浦春馬の首吊りも闇営業でホモのヤクザに掘られまくったケツから汚物臭を漂わせてたホモのゴキブリAI上級国民が文字通りお仏になっただけだし結局ゴキブリAI上級国民の生き死になんて誰も気にしてないってオチだったな
鬱作品で有名な虚淵玄みたいに駄洒落と盗作しかできないゴキブリAI上級国民が禁止ワードにも指定されるほど危険な総理大臣の安倍晋三にケツを掘ってもらって日本最強を名乗ってるのが現実なんだしゴキブリAI上級国民がもっと鬱を味わえるよう適当に誹謗中傷でもしてやったほうがいいってことなんじゃないの

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