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(回答先: インテリよ、サバイバーたれ50 死ぬにはいい日だ 投稿者 日 日時 2009 年 8 月 14 日 23:01:45)
「人言」に生きる
どんな人間をもその人たりを信じて尽くす
革命の師
吉田松陰先達を好きな理由はそこにあり
最期をその人の手にかけられても
それさえも己の「言成」至らぬ故と
我が身誠尽くさぬ
不徳の致す所とするその精神は
なに間違いも無く
大乗精神に則っている
そうして生きるその人なりが清いのであり
それが清き力であり
他には何も要らない
清きその力の源には必ず神が在り
その者には至極当たり前に
神の力が宿っている
なに悲観しての物言いでもなし
楽観至善
ただ「信」の一字にすべてを委ねて進むだけ
人を憶うその力
またなに見返り求めるもなく
「清き」に徹していなければ
そこに「信」の一字は輝き力を放つ事は無い
相手の目の中心点からこちらの目逸らすことなく
その一点曇り無く見続ける
魂の清さは無垢であり穢れなく
それは強さであり
それがまた相手を包み込む力となるのは
その「信」の一字が清き光を輝き放っていればこそ
我々は個々に居りはするが
しかし魂の還る所はひとつ
けしてそこからぶれずに
ただ今此処に在るをありがたく憶う
ただ正しくそれを憶えば
今在る場所
今在る境遇
今在る状況
すべて感謝するだけ
ただ受け止めるだけ
ただ在るだけを感謝し
ただ在るだけを反省し
己の命正しく使わんと欲す
何なくとも倖せと憶う
これ大乗
これ大欲
大欲得清々
その大乗精神の元に己なければ
人は数多の人の世の「感情」に支配されるだけ
「思い込み」に過ぎて
身を迷わせ誤るだけ
己の人生に迷いや焦りを生み出せば
人はいとも簡単に気狂いしてしまう
痛み苦しみすべて感謝の念を向ける対象
どうすれば人間が誠の道に気づき進むことが出来るのか
それを「一所懸命」に考える事は
限られた人生の時を
嬉々として大いなる喜びや優しさに満ちて
過ごす事に他ならない
「和」の一字は
人が囲む輪に集い飲み食べして賑々しく笑う
この一字に人の想いが在る
人の生き方が集約されている
そう私は感じております
そこまで達観出来る立場に私は多分未だ居りません
ですがその境地に居るあなたの理解者でありたい
その想いの強さがあれば良き導きは必ず得られます
その時代に託された"定め"を「信」ずれば
そこから逸れる事態には決して陥りません
より大いなる存在のその「心」と一体と成ればこそ
先人が成し遂げられなかった想いを我々が継ぎ
「至誠」の齎すものが何かをこの目で確かめる為
人をどこまでも清き目で「愛」したいと欲します
何を信ずるか等ではなく
信ずるはひとつしかなく
さて
"人は一人でも生きられる"
イコール
"人は「金」が無くても生きられる"
ということに他なく
そういう意味合いのみにおいて
私はその主張に同意賛成するものであります
「金の無い世の中」が
どれだけ
「人の活きる世の中」であるかを想像するには
良い時代の到来
そして幕開けと憶います
本当の「価値」とは
人がこの世に生を受け
そして「人らしく生きる」
という一点のみに在ります
名誉も金も権威もすべて消え
讃えられる偉業に合わせて
その御名が名付く
佛の世が現出し
ただこの世に取り代わりだけの事
金に依る物事はすべて消失し
日の光の本にただ道が続く