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(回答先: 貴方の発想には媒介という発想が無い 投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 8 月 23 日 20:23:29)
常に我々は試されている
誰に?
己の最終的な目標となる姿に
一人の人体を宇宙として捉える時
一つの宇宙を人体として捉える時
そこでの個とは一体何か?
個々の願望とは何か
個々の倖せとは何か
いずれにせよ個の願望の成就というものは
より上の大きな意思に呑み込まれていく
一つの人体の意思として働く時には
すべて渦となり
大きな流れにのまれていく
ならば自ら
より上の高き意思に意識を集中するのが良いだろう
あなたも長きに渡って
人として生まれて
人の波に呑まれて
翻弄されて激情に駆られて
自身を見失うときもあっただろう
その情をもって
人に恋し
人を憐れみ
己を熱くたぎらせた事が
幾度となく在るだろう
人として生きる事は辛い
考えれば考えれる程辛くなる
すべてがまま成らぬと言う事だから
しかしそれがなくては人は
より高きにある
天上の意思を汲み取る事は出来ない
そこから逃げていては
新たなドアを開く事は出来ないのだ
あなたもまた選ばれた人間
あなたの役目はあなたにしかない
留まっていてはいけない
一つの段階に留まっていてはいけないのだ
我々とて同じ
未だ感情に駆られたり
弱音を吐くことがあれば
それはまだ次が在るという事
何も終わらせてはいないと言う事だ
未だ段階の一に在る
そう感じればすぐにでも
先へと向かわねば成らない
未だ見ぬ恐れや不安に
足を竦ませては成らない
なにくそと奮起し
当然の如くどうどうと
突き進まねば面白くもない
そこにこそ辿り着くべき先へと続く
道筋が在るのだから
「人事を尽くして天命を待つ」
という言葉が在る
これは人がすべき事をすべてやり終えた後に
言える言葉である
そして後は神の責任であるという
しかし果たしてどの段階で
そういえるというのか
やれることとは
道の果てまで続くように思える
現段階において無謀な事に思えるものも
幾多の段階を踏まえて
到達させるものであることは
可能であるように思うが如何か
時の発明家などはひらめきひとつで
人知を超えて成し遂げる
大衆という枠組みの中に於いて
それを発揮しようとする事こそ
無謀であると言える
そこでは卑下してみせたり
余りある情を投げかけてみせたり
かろうじて生きている事を伝えあう
そこは常に情の溢れたストーリに満ちているが
すべて悲哀に満ちたもの
その情に絆されて身を誤る事もまた多いだろう
そこには助け合いがあるだろうが
そこには手段として「金」が介在している
最終的にすべての情を支配するのは「金」だ
そうした世の中に我々は窒息している
段階の一に留まっていては
いずれ窒息するのだ
今まさに息苦しさや痛みをその身に感じていたとしても
それは段階の一に留まりて在るがために起きる
自らを鼓舞し奮起し
その痛みに立ち向かい
先を求めずして道は開かれない
弱音など吐いている暇はない
まだ先は長い
そこにまた愛も在るのだ
その愛もまた何処までも澄み通り
その形は果てしない
そして対峙する敵無くして自分の信念は広がりを生まない
敵もまた不要の要
自分を殺しに来る人間をも快く迎え入れて
相手のその殺意の力を奪うのが和合の力である
華は見るものを拒まず
その余ある美しさをただ人前に見せるだけ
人も又そうあらねばならない
その美しさは人としての強さとも言える
そしてまたその美しさを守らねば成らない
それがより大きな力を手に入れたものとしての責任と役割である
それはまた蓮華に坐すものの姿である
人の想いがすべてを生む
空を飛びたいと思ったから
飛行機が生まれたのである
皆を癒したいと思ったから
ソウルミュージックが生まれたのである
金を儲けたいからという理由は悉く人を愚かにする
故に嘘である
大衆は集えど個々にバラバラな意思は統率出来ない
どうせ集まってもすぐに分断するだろう
統率するにその求心力となるものを
どうやって見つけ
それを維持する事が出来るだろうか
各々欲求する所がバラバラで
また個々の利得に絡むものであれば
それぞれがその欲求を満たす段階に於いて
より本性に見合った力に迎合されていく
先を見ねば成らない
その先を見ねば
すべての人が夢見る事とは何だろう
すべての人にとって倖せを意味する事とは何だろう
個々において意味を為すものでなければ成らない
個々において意味が無ければ
全体にとって意味が無い
世界にとって意味が無ければ
個々において意味が無い
日々に意味が無ければこの世はただの無間地獄
意味が在ればこそ生かされている事を知る
すべては覚悟だ
想い 信念 愛
人生とは前向きに生きる力で満ちていなくては成らない
すべてを呑み込んで先へ進むだけである
人生とはまま成らない
しかしそこで逃げてはいけない
言葉に紡げば数式さえも
曲解誤解を免れる術は無い
それは残念であるが
心を汲み取る側も同じ景色をみずして無理も無いのである
「何故それをするのか」
何をするにも
その命題とも言うべき問いかけが必要なのだ
必要なものは何故必要なのか
不要なものは何故不要なのか
判らぬものは保留すれば良いだけの事
ただ必要なものは満ち足りれば良い
それだけのことである
生命の営みとはあくまで自然観の元に立つべきであるが
それは互いに阻害しあわない基本的な合意の元に
生命活動とは行われるべきであり
一方が利得を生めば一方は損失を被るという図式は
全体にとっての調和の解決には結びつかない
倖せという言葉が
利権の争奪によって成し遂げられるものである筈は無い
「足るを知る」
それが当たり前に出来る環境に
全体が導かれていかなくては成らない
まずそれができて
人々は正常な生命体として
その生命活動を維持し
成長を遂げる事が出来る
追い求めなくては成らないのが
真実であるならば
真実とは人々を
人足らしむるその「想い」である筈だ
人々の根幹に在る想い
それが個々が「ひとつ」を意識するに必要な
「求心力」と成る筈だ
無欠とも言える力が生まれる時というのは
想いが途切れる事無く集中出来たときだけである
進むべき道が見えた時
人は自身の体の痛みや胸の苦しみなどから開放されていくのである
華を思えば華はただ美しい
人を憶えば人もまたただ美しい
人は互いに
そう思うべきなのである
その美しさだけを見て
そう思うべきなのである
それがその見るものの心をより美しくするのである
あるべき正き力がそこに同調せぬ筈は無いのである