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人は誰でも間違った思考に基づいて行動するミスを犯し易い存在である。
しかし間違って行動していても、それがリアルタイムで自分を苦しめる結果とならねば間違いとは認識し得ない。
むしろ正しかったとすら認識し、そして結論した時、思考停止するのだ。
あとはもう何を云っても聞く耳を持たない。
破滅の時まで。
ここ阿修羅でもそんな思考が花盛りだ。
政局、世界情勢、経済、スキャンダル、冤罪、暗殺、...それらすべての現場に居合わせる事は不可能だし、直接には知り得ない他人事ともいえる。
確かにそれはそれで自らの問題と云えなくも無い。悪い奴や陰謀や抹殺を野放しにしろとも云わない。
しかしなんともそれらが呑気な話に聞こえるのは何故だろう?
それらが大変重要な活動としても、己の足元は砂上の楼閣の上にあって、今まさに波に攫われようとしているのではないのか?
精神が狂うとか、アルツハイマーなどで、自己の世界に埋没している人を見る時、有りもしない幻想で現実の事象とは無関係な行動をするのと変わりはない。
水害で家がまさに濁流に飲み込まれようとしている中で食事を取っている様にしか見えない。
これを思考停止と云う。
判断停止とは真実の現場を知り得ない存在に残された最後の正気である。
知りえない事は想定するに留め、結論は保留するしかない。
白黒ハッキリしない事が山ほどある中で、では何を結論し、何に焦点、更には照準を合わせ行動するか。
簡単な事である。
万人に共通する現場があるだろう。
これを蔑ろにして高邁な思想など存在するわけがなく、言論活動だけという活動は活動とは呼ばない。
あなたは今息をしている。そして腹が減り、飯が食いたくなり、糞がしたくなり、眠りたくなり、水を求める存在である事が、あなたの現場を知らない者にもわかる。
己の現象であり、あなたの現象だ。
この現象に基づき、常に密接に結び付きながら活動する事だけが活動になる。
つまり、マンションや都市生活をエンジョイしながら、政局、世界情勢、経済、スキャンダル、冤罪、暗殺を語り、知識を切り売りしているだけのインテリなどに耳を傾ける必要は無いということ。
いずれは全てがご破算になる時事問題などをいくら論じても無駄だ。
本当に必要な事はそんな事ではない。
そしてそこからしか何ものにも揺るがぬ不滅の理想社会に至る道は通じてない。
他の道は全て行き止まり、行っても無駄だ。
一人権力に立ち向かう様は立派に見えても、ポーズでしかない。
そこに虚構を見る。
その道を行くという、判断を停止して、立ち止まれ!
そして己の立脚基盤に立ち戻れば、見破れるものもある。
今余裕のある内に少しでも想定し、訓練し、覚悟を決めておかねばならない事こそ、活動の焦点となる。
その照準は既に書いた。