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一応これは稀代の天才白魔女さんへの問い掛けの形になっていますが、見た所、あまり議論には関心なさそうなので、レスなどは全然期待していないし、求めてもおりません。 ストーカーレスなんて、するのは勿論、される(?笑)のも面倒臭いのは分かっております。 ただ、今回指摘した論点について、何か応えるものがあったとしたら、他の機会にそれとなく示してもらえれば幸甚です。
>市民の参加意識が試されるそうだ。参加のレベルが高ければ良い国になるし、逆に参加がなけ>ればダメになる。これは民主制の古典的な理屈であり
これは民主制というより共和主義との絡みで考えるべきでしょうね。 共和主義の伝統が無いところでは、制度としての民主主義を入れても「仏作って魂入れず」の状態になるんじゃないかな? よく言われる「観客民主主義」とか、逆に積極的に参加する市民に対して「プロ市民」なる罵倒が浴びせられたりするのも、そんなところからじゃないかな?と思います。
中国共産党の創立者陳独秀が「民主主義者」から「共産主義者」に転向したのも、中国人の行動様式に<公共善>的なものの欠如を感じたからかも?と想います。
>民主党は「フェアネス」や「ディスクロージャー」を目指す
これは明治以来の制度の変更という文脈で捉えるべきであって、「フェアネス」や「ディスクロージャー」はその武器ということでしょう。
>近代政治とは、「公正か、不公正か」の対立ではない。
>公正なのは当たり前。情報公開も当たり前。市民が参加するのも当たり前
思考というのは、その「当たり前」が何故当たり前になっていないのか?というところから始まります。 この意味が解らなければ、貴女は単にそれを信じてるに過ぎない、ということになる。 欧米の教科書通りになってないのは現実が悪い(遅れてる)ーというような。
<近代>が終焉に向かってる時に、何だか100周遅れのトップランナーのような感じが、、
>あくまで、路線。グランドデザインの対決が必要なのである。
>どのような路線をとるか」である。グランドデザインというか、ビジョンである。
これは賛成。 でもね、問題はその先っていうか前提になってるもの、つまりその「グランドデザイン」なり「ビジョン」を正当化したり、根拠付けるものは何か?ということじゃないかな。
これは、例えば貴女が今何処に居て、何処かに行こうという時、無意識の内にも、<地図>を描いてるでしょ? その際には大きな拡がりにおいて描いてる訳で、その拡がり(日本大とか世界大)に従って、その上空から観る<眼>=<超越的視点>の位置も変わってるはず。 この<眼>=<超越的視点>が<世界観>であり、それを時間軸で観たものが<歴史観>となります。
つまり「グランドデザインというか、ビジョン」の適否を問う前に、<世界観>や<歴史観>の当否が当然問われなければならない。 もし<世界観>や<歴史観>が誤っているなら、その遠望「グランドデザインというか、ビジョン」は幻影であり、その下で描いた絵図はまさに<絵に描いた餅>になりますからね。
何故こんな一部の人には言わずもがなの事を言うかというと、多くの論者(プロ・アマ問わず)がかかる問題を抜きにした地点で物事を論じてきたからです。 正確に言えば、それは「抜き」にしているのではなく、「自明の前提」としている。 その理由はお分かりでしょう。 ポスト・冷戦の<新自由主義>全盛の時代ーということで、これまで絵図が描かれてきたからです。 だから、<新自由主義>の破産がいよいよ明らかになって以降、絵図が描けないか、描いても絵に描いた餅のように感ぜられる。 従って、貴女が先ず「グランドデザインというか、ビジョン」をと言うのは解るし、正しいとは思うけど、だからこそその前提になってる<世界観>や<歴史観>が今こそ問われなければならない、と思います。
そういった観点から見ると、貴女の論点は疑問だらけのように感じられます。
単に、欧米がやってるからやれという風にしか聞こえず、肝心の、その欧米の行動自体が一体正しい或は妥当性があるのか?という問いまで及んでいない。
欧米目線で物事を観る限り、「グランドデザインというか、ビジョン」はその似姿にしかならず、そうである限り、この20年の軌跡を見れば判るように、そのポンチ絵を描くことにしかならないのではないか?
勿論結論ではありませんが、これまで見て来たところ、貴女は<モダニスト>、それもかなり教条主義的というか原理主義的な<モダニスト>と診立てました、取り敢えず、暫定的にね。