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(回答先: ちゃんと説明します。たぶん理解してくれるでしょう。 投稿者 稀代の天才白魔女さん 日時 2009 年 9 月 08 日 07:24:04)
遺憾ながら、原理主義的な<モダニスト>という診立ては変わりませんでした。
>原理主義的なモダン:公正vs不公正
では、その「(不)公正」を判断する基準、その際のモデル、何よりそれを判定する<主体>(大澤真幸のいう”第3の審級”)は誰(何)なのか?
貴女が「公正」と言った時に(無意識の内に)浮かんでる(唯一無二の)(普遍的な)モデルー果たしてそれは、唯一無二の、普遍的なモノなのか?−誰が、如何なる根拠で、<権利付け>たのか? −そういった事に考えが及んでないのなら、単に、信じ込んでるに過ぎないではないかと言ったのです。
そんな事は(既に解決された)自明の前提とする態度ーそれ以外は考えることをシャットアウトした思考ーそれを僕は原理主義的と言ったのです。
また、そうした「公正」(=欧米モデル)とそれを疎外する要素(不公正=欧米以外)という二項対立に全てを回収する思考(?)こそが原理主義であり、なればこその次の発言でしょう。
>日本にせよ中国にせよ、社会主義圏。東側です。自由主義経済国家だけど、国民の体質は社会>主義のままだよ、という意味です。
>「資格」がこれほど浸透しているのは、中国の都市部と日本だけだと思う。社会主義圏で多い
では、文明終焉の徴として、『壊れゆくアメリカ』(J・ジェイコブズ)で、北米における「高等教育の機能不全」を現す例として「資格偏重主義」を挙げているのは何なのか?
貴女の思い込みとは異なり、アメリカやカナダにおいてこそ、教育がビジネスに堕しているー高等教育がその役割を果たしていないー証左として、この「資格偏重」が浸透していることが告発されているのです。
つまり、本来であれば、「中国の都市部と日本だけ」というのはアメリカナイズ→文明終焉の兆しとして見なければならないのに、貴女におかれては、まるっきり倒錯して捉えられているーそれは貴女が<固着した欧米目線>=教条主義的というか原理主義的な<モダニスト>であることの何よりの証明ではないのか?と観ます。
また、固着した欧米目線で観てるからこそ「小沢グループ=経世会・傍流(前近代)」なる偏見に囚われているのです。
では<モダン>とは何か?<モダニスト>とは?<モダニズム>とはどのように見る(べき)か? −今まで論じられなかった(恐らく)視点から、次回論じてみます。
その際、貴女の他の論点について、又違った角度からも論及出来るものと思います。