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(回答先: 「賄賂性」の意味をいくら考えても大衆との接点は見えてこない 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 5 月 21 日 19:21:03)
ども、ダイナモさん。
くどいようですが、もう一度質問します。
ダイナモさんは「違法性がない」=「賄賂性がない」というお考えでしょうか?
そして、もうひとつ「賄賂性がある」=「賄賂である」というお考えでしょうか?
私が「大衆」に説明して、気付いてもらいたいと思っていることを、まずダイナモさん自身が理解しておられるのかどうか…ということを確かめたかったのです。
ダイナモさんは「大衆(のバカさ加減)をののしっても、何も変わらない」とおっしゃいましたよね。
しかし、これはどうやらダイナモさんご自身の回りくどい「自己弁護」ではないのか?…と思えてきました。
『マスコミに誘導される「大衆」の世論は間違っているかも知れない。だが、その間違いを正そうとしても「大衆」は聞く耳を持たないだろう。』
上はダイナモさんご自身の問題として、以下のように言い換える方が良いでしょう。
『マスコミに誘導される「私」の認識は間違っているかも知れない。だが、その間違いを正そうとしても「私」は聞く耳を持たないよ』
同じように「政治的謀略を訴えれば訴えるほど、逆に大衆はますます信用しなくなる。そんな風に感じられるのです」は「政治的謀略の話が出てくればくるほど『私(ダイナモさん)』は、小沢を信用できない」という事なんじゃありませんか?
要するに、ダイナモさんは貴方ご自身の認識が「大衆」と全く同じか、相当に近しいと想定した上で、「大衆の意向は小沢否定に動く」と予想し、その「意向」自体が正しいかどうかは疑問だが「予想」は間違っていないはずだと強弁されます。
なんのことはない、それは単純に、ダイナモさんご自身の誤認識に対する援護でしかありません。
冤罪疑惑のある事件について議論していると、たまに同じような事を言い出す人がいます。
「あの被告は真犯人じゃないかも知れない。だが、多くの人は被告を犯人だと思い込んでいる。裁判所もこの世論の意向を無視できない。おそらく判決は有罪だろう」
これはただの「予測」に過ぎないのですが、話を進めていくと、そのように予測する人物自体、「犯人は被告に間違いない」と思い込んでいることが判明したりします。
自分自身への批判を躱し、実態の見えない「大衆」を隠れ蓑にして、冤罪の主張をする人々にヤンワリと攻撃をかける。
これを意識してやっているとすれば卑怯だし、意識せずにやっているのなら愚かです。自分の間違いに気付くチャンスを、みすみす逃して、思考停止を正当化することで自分の誤認識を擁護しているだけのことだからです。
ダイナモさんは、私の「賄賂性という言葉の曖昧さを大衆が理解するように説明することが『正しい対策』だと考えます」に太対して、「これは具体的にどうやるのかを考えるとちょっと私には思いつきません」と返されました。
そうですね、思いつくはずありません。なぜなら、私が説明しようとしている対象は「大衆」じゃなく、ダイナモさんご自身だからです。
ダイナモさんが気付いていない間違いを、ダイナモさんが「大衆」に解説するなんてことは不可能でしょう。
私は「大衆」を把握していませんし、広く「大衆」に届く大きな声を持っているわけでもありません。
ですから、ダイナモさんが「把握している」と豪語する「大衆」に、私のメッセージを届けるには、まずダイナモさんにお話すべきだと考えるのです。
ダイナモさんが、事件を深く追及し、検察の不当捜査を正しく認識され、それに対して十分な批判を加えた上で「それでも、政権交代を第一に考えるのであれば、世論の動向を踏まえ、小沢氏は表に出るべきじゃないと思う」とおっしゃるのなら、「そういう戦略も選択肢として考えられる」でしょう。
しかし、ダイナモさんは、事件の実態や本質について、ご自身の理解を深めようとはされず、「誤解しているかも知れないが」と逃げを打った上で、「大衆も、同じように認識してるんだから、迎合した方が得策だ」とおっしゃいます。
これでは、どうにも同意できません。
ダイナモさん自身が誤認識しているという事例を、ひとつ挙げましょう。
>小沢氏が受け取った西松建設からの政治献金はあまりにも巨額であり、
>そのために大衆の多くは疑惑を持っているのです。
「あまりにも巨額」という認識は、「大衆」のものではなく「ダイナモさん」のものですよね。
「」なしで記述されているのですから、ダイナモさんは、献金額が「あまりにも巨額」であることを「事実」として認識されているわけです。
しかし、事実はどうでしょう?
立件された違法献金総額は4年間(2003〜2006年)で3500万円。逮捕容疑では、同期間で2100万円です。
さらに時効間近だった2003年分の700万円を引くと、3年間で1400万円、1年換算すれば500万円にも足りません。
これが「あまりにも巨額」という額でしょうか?
マスコミは、何の根拠も示さず「10年足らずで3億円超」などと吹聴していますが、そうした記述の末尾には必ず「…といわれる」の常套句が付いています。
2007年の政治資金収支報告を見れば、受け取った献金総額ランキングで、小沢氏は全国会議員中60位以下です。企業献金に限っても20位以下。
これだけで、ダイナモさんの認識する「あまりにも巨額」な献金は、事実に基づかない「イメージ」でしかない…ということがお分かりでしょう。
そのことを「大衆」が認識していないのかどうか、私には分かりません。上にも書きましたように、私は「大衆」を把握していないからです。
でも「大衆」を把握していると豪語するダイナモさんご自身が、「あまりにも巨額」という間違ったイメージに捕われているのです。
説得すべきは「大衆」ではなく、ダイナモさん、貴方ご自身であるわけです。
少々、失礼なもの言いになってしまったかも知れませんが、どうかお許しのほどを。
ではでは、今日はこのあたりで筆を置きましょう。