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(回答先: Jesterとしてのマイケル・ムーア(1)-(私の闇の奥)藤永 茂氏のブログより転載 投稿者 めむめむ 日時 2010 年 9 月 13 日 19:35:44)
藤永 茂氏のブログより転載
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/12/jester_21d9.html
ジェスターという英語を覚えたのは、1960年代後半の学園紛争の盛んな頃のことで、私は九州大学教養部の物理の教師をしていました。先鋭な思想の学生たち、それに押される形で、教師たちも、「大学とは何か、社会の中での大学の責務とは何なのか、教師と学生の関係はどのようにあるべきか」などの難問題をかかえて、真剣に悩んだものでした。いろいろな考えが飛び交う中で、ある大学の学長さんが「大学の役割は、かの中世のジェスターであるべきだ」と唱えられました。これがこの言葉との出会いでした。これは私の無知不学のいたすところで、ヨーロッパ中世の宮廷お抱えの道化師のことと分かってみれば、この学長さんのおっしゃる意味もぼんやりと解せました。 ヴェルディーのオペラ『リゴレット』のリゴレットもジェスターですが、シェークスピアの『リア王』に出てくる道化師(フール)もその有名な例です。道化師は、物事をあるがままに正直に見て、思ったことを正直に王様や貴族たち告げます。しかし、その意見や忠告が如何に正しくとも、フールでない普通の家臣がこれを言えば、たちまち牢屋にぶち込まれるか、処刑されてしまう場合にも、言っているのが「馬鹿者」ということで許されました。道化師を抱えるという宮廷の制度のおかげで、リア王もフールから貴重な知恵と洞察を授かることになります。つまり、宮廷でのエンターテインメントとしてだけではなく、宮廷にとっての言論的安全弁の役割のゆえに宮廷道化師の制度が長くたもたれたのだと考えられます。(なお、中世の道化については沢山の論考があります。)
世の中の人々が、社会を支配する権力システムからの処罰をおそれて、権力の耳にさわるようなことは、何も言わなくなってしまうのは、その社会のために大変望ましくないことです。大学の存在価値の一つは、大学が言論的に一種の治外法権的特権を保持することで、率直な権力批判が可能になり、それが、結局のところ、社会を健全に保つことに役立つ、というのが、「大学の役割は、かの中世のジェスターであるべきだ」という主張の中身であったと思います。
マイケル・ムーアのこれまでの行動、映画や著作を通してのアメリカ批判は賞賛に値すべきものです。日本にも彼のファンは多いでしょうし、今度の来日を機会に、マイケル・ムーア礼賛論はますます盛んになることでしょう。彼の行動のパターンと彼の作品には、ジェスター的な面白おかしい要素が沢山含まれています。つまり、優れてエンターテインメント的です。しかも、現代の王侯や貴族の耳に痛いことをズケズケと言ってのける。このあたり、マイケル・ムーアを現代版のジェスターに見立てたくなる私の気持ちを理解して下さる方があれば、幸いです。マイケル・ムーアを馬鹿者としてあざける気持ちはありません。ただ、アメリカ社会の、社会現象としての、マイケル・ムーア現象については、私は警戒心をもって近づきたいと思います。アメリカ社会の一部にはマイケル・ムーアを嫌悪する人々がいるのも事実ですが、強きを挫き、弱きを助ける彼のパフォーマンスは広く支持されているようです。けれども、アメリカでの、また、日本でのマイケル・ムーアの支持基盤をなしているのは、どういった人々でしょうか。私の経験から、アメリカやカナダでは、大学教授や学生たち、日本では、進歩的なインテリ層でしょう。マイケル・ムーアがきびしく告発するアメリカの諸悪に実際に打ちひしがれている五千万人の貧困最下層の人々は、ムービーハウスに出かけて、マイケル・ムーアの辛辣痛快なジョークを楽しむ余裕など、金銭的にも気分的にも、ありません。では、彼の支持基盤をなしている人々には、マイケル・ムーアはどういう影響を持っているのでしょうか? 主要な影響として私は二つのことを考えています。
その第一は、前回のブログ『Jesterとしてのマイケル・ムーア(1)』に頂いたYYTさんのコメントの「こうやってマイケル・ムーアにガス抜きされて・・・・・」という至言に尽きます。問題はこうです。マイケル・ムーアが指摘するアメリカの諸悪については、彼のファンである中流層インテリたちは、彼に教えられなくとも、先刻ご承知なのです。キャピタリズムの残忍性も、『ロジャーとわたし』以来の20年、わかりきった事実です。もし彼等に義侠心が、本当の社会正義の思いがあるならば、日々の生活苦や困難に余りにも酷く苛まれ続けたために、集団的に政治的発言をする気力さえ失ってしまった五千万人の貧困最下層の人々を政治勢力として動員し、出来れば、共和、民主の二大政党が無視することの出来ない、第三の政党をつくる努力を始めることです。それは、アメリカという国の将来にとっても、大変望ましいことだと思われます。しかし、マイケル・ムーアの作品の娯楽性たっぷりの毒舌ぶりに喝采を送っただけで、鬱憤を晴らし(カタルシス)、ガスが抜けてしまった彼等にそれが出来る可能性はゼロです。ABSOLUTELY ZERO!
第二のポイントは、マイケル・ムーアが思ったことを自由に表現できて、しかも人気すら博しているという事実は、アメリカという国が如何によく言論の自由が保たれているかの何よりの証なのだと、多くのアメリカ人は信じ続けていたいと願っているということです。
ハリウッドというキャピタリズムそのもののようなシステムの下で製作した自作映画『Capitalism ~ A Love Story ~』の世界への売り込みを、これまた如何にもキャピタリズムそのものの手法で実行するのは、マイケル・ムーアの自由に属します。しかし、その大規模で派手なやり方を見ていると、「どうも少し何か臭うんだなあ」と感じる方々もおいでなのではありませんか?
現代のジェスター、マイケル・ムーアが果たしている役割は、現代の王侯貴族に彼等の裸のままの姿を覚らせ、ひいては、世の中のためにも尽くすという、中世のジェスターやフールたちが、時折は、いみじくも果たし得た役とはまるで反対方向のベクトルを持っているように、私には、思われてなりません。
次回は、アメリカで、本当のことを、ジョークやエンターテインメントのオブラートに包まないで、しつこく言い続けたら、どんなことになるか、について、具体的にお話しようと思います。
藤永 茂 (2009年12月16日)
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