http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/870.html
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藤永 茂氏のブログより転載
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/12/jester_cab2.html
私が奇才マイケル・ムーアの名前を知ったのは随分昔のことになります。1989年の彼の記録映画監督としてのデヴュー作『ロジャーと私』を無茶苦茶に褒め上げる同僚の化学科準教授が、映画の内容を詳しく話してくれました。彼はカナダの大学に地位を得ても、アメリカ国籍のままの、典型的なアメリカ人インテリでした。アメリカとアメリカの社会状況については、なかなか批判的なのですが、聞き手の私が彼の話に乗りすぎて、本気でアメリカの悪口を言い始めると、不快感を隠しきれないような所がありました。この評判の映画『ロジャーと私』は、結局、今日まで見ていません。ムーアとの次の出会いは彼の2001年の著作『馬鹿な白人(Stupid White Men)』です。日本語訳では『アホでマヌケなアメリカ白人』となっていました。この本の中にも、いかにもマイケル・ムーアらしい発言が散りばめられていましたが、記憶している発言から、二つを選びましょう。一つは、映画の仕事のことでハリウッドに行くと、黒人には滅多に会うことがない、というムーアの発言です。ハリウッドの映画ビジネスは完全に白人(ユダヤ人と言った方がより正確かも)に握られているということです。ハリウッド映画には、ストーリーの中の役としては、あれほど魅力的で頼りになる黒人がたくさん出てくるのに、制作の実際には発言権をもっていないのです。もう一つは、パレスチナの難民キャンプのようにひどい状況に置かれている難民キャンプは、世界中いろいろ見て回ったが、ほかには何処にもない、という発言です。私には忘れがたい重要な証言です。
マイケル・ムーアを本格的に世界のセレブの一人に押し挙げたのは、2002年の記録映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』でした。この映画は、私も、カナダで興味深く鑑賞しました。監督のマイケル・ムーア自身が記録映画の中に、出演者として、のこのこ出てくるという手法にも感心しました。この映画は興行的に大きな成功を収め、2003年度のアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を獲得しました。その受賞場面もテレビ中継で見たのですが、「おやおや、これは何処かおかしいぞ」と、私が思った始まりでした。受賞の挨拶に出てきた舞台の上で、オスカーのトロフィーを振りかざしながら、マイケル・ムーアは、時の大統領ブッシュを、口を極めて罵ったのです。たしかにブーイングも聞こえました。しかし会場全体の雰囲気は、大きなやんちゃ小僧のわめき散らしを楽しむようなリラックスしたもので、マイケル・ムーアは、お祭りの一夕のエンターテインメントの一部に過ぎないように見えました。「いったいこれは何だ」という私の疑問と違和感は、アカデミー賞のお祭りの直ぐ後で、事もあろうに、ブッシュ大統領の政治的基盤であるテキサス州の名門大学、オースチンのテキサス大学からの講演の招待を受け、ご当地に乗り込んで、またまたブッシュ大統領批判をぶちまけたと聞いて、頂点に達しました。「Something is wrong. Definitely wrong」という直感でした。
同じ年、2003年の春、日本で一風かわった月刊雑誌『あれこれ』が発刊になりました。発行人は山中登志子、編集人は本多勝一、創刊の4月号の表紙には「本多勝一 無 責任編集」という文字が踊っていました。私もこの号に『インディアン戦争としてのイラク戦争』と題する一文を寄稿しました。これに続いて、主題はなんでもよいからということで寄稿を依頼されたので、私は、マイケル・ムーアとマイケル・ムーア現象についての、上述の疑点と違和感から出発した「マイケル・ムーア批判」の一文を草して『あれこれ』に送りました。ところが、しばらくして、山中登志子さんから、原稿は没になった旨の連絡がありました。私の原稿の編集を担当した若い方が、『あれこれ』への掲載に断固として反対したからとあり、私の論点の何処が気に入らないのか、その点の説明は付いていませんでした。私のマイケル・ムーア批判のポイントは「マイケル・ムーアは、反体制論者として、本物の反骨ではない」ということでしたから、これが若い編集者の癇にさわったのでしょう。「現職大統領ブッシュを辛辣に揶揄してはばからない、アメリカの反骨の勇者マイケル・ムーアにケチをつけるとは言語道断」ということだったのでしょう。しかし、マイケル・ムーア、あるいは、マイケル・ムーア現象に関する私の考えは、2003年当時から今日まで、変わらないままです。
『あれこれ』の創刊号(2003年4月)に掲載された拙論の一部を引用します。:
■ 本当に問題なのはブッシュデではない。この男がまたがっているアメリカ合州国というシステムである。これを見誤ってはならない。近頃、ブッシュの失言を捕えて揶揄することに気晴らしを求める向きもある。たしかに、この男の人間的資質には滑稽なほど低劣な面があるが、ブッシュをゴアにすげ替えればすむことではないのだ。ノーベル平和賞受賞者カーターを再選したところで何も解決はすまい。自由と平和の民主主義国家アメリカは本来は健全な国家であり、ブッシュ政権は一時的な常軌逸脱だと考えるとすれば、これほど危険な誤りはない。今のアメリカのやり方がアメリカの常軌なのである。■
私のこの考えは、あれから第二次ブッシュ政権、オバマ政権と移行した現在も、全く変わっていません。確信の度は強まるばかりです。
日頃テレビも新聞もあまり見ない私ですが、去る12月3日のNHK番組『クローズアップ現代』に「反骨の映画監督ムーア初来日」とあるのに気づいて視聴してみました。はじめに、何十人もの報道関係者とカメラの群れを引きつけたマイケル・ムーアの人気ぶりに驚かされましたが、テレビのインタヴューでの彼の言動には、彼とマイケル・ムーア現象についての私の考えを改める何らの理由も見出すことが出来ませんでした。次回に詳しく説明します。
藤永 茂 (2009年12月9日)
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