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Jesterとしてのマイケル・ムーア(3)-(私の闇の奥)藤永 茂氏のブログより転載
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/872.html
投稿者 めむめむ 日時 2010 年 9 月 13 日 19:43:54: lmDW19lBDnz8g
 

(回答先: Jesterとしてのマイケル・ムーア(2)-(私の闇の奥)藤永 茂氏のブログより転載 投稿者 めむめむ 日時 2010 年 9 月 13 日 19:41:09)

藤永 茂氏のブログより転載
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/12/jester_eff6.html


ウォード・チャーチル(Ward Churchill、1947年生れ)は、1997年、ボールダーのコロラド大学で終身保証(Tenure)の教授となり、2002年からは民族学学部(Ethnic Studies)の主任を務めていましたが、2006年5月、大学から解雇されました。解雇の公式の理由は「剽窃(盗用)、捏造、偽造など、アカデミックな不品行」ですが、本当の理由は、チャーチル教授が、アメリカ人の耳に痛いことを、歯に衣着せず、言い続けてきたことにあります。特に、2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターが攻撃を受けて崩落し、3千人ほどの人が死んだその翌日の12日に彼が発表した論説が、保守メディアからの凄まじい攻撃を受けたことが、その中心的な理由です。コロラド大学側が、こんな男を雇い続けるのは大学の評判のためによくないと判断したのでした。
 ウォード・チャーチルは、自分はアメリカ・インディアンのマスコジー(クリーク)族とチェロキー族の混血だ、と称していますが、これは真っ赤な嘘で、多分、れっきとした白人です。インディアンに成り済まそうとする白人がいるというのは大変面白い現象で、個人として最も有名なのは、Grey Owl(灰色のふくろう)というインディアンの名を名乗ったイギリス人で、本名はArchibald Belany(1888−1938)、本物のインディアン女性と結婚し、その奥さんまで騙し通したというのですから,たいしたものです。実は、このインディアン化した白人、ホワイト・インディアンの現象は、歴史的に極めて興味深い題目で、アメリカの独立宣言の年(1776年)までの数十年間に数千人の規模で発生したと考えられます。私が出版の希望をかけている拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』の中で詳しく取り上げましたが、興味のある方は、ある意味ではトクヴィルの『アメリカの民主主義』と並ぶアメリカの古典であるクレヴクールの『アメリカ農夫の手紙』(秋山健・後藤昭治、渡辺利雄=訳、研究社、1982年)や、学術書であるジェームズ・アクステルの『内なる征服(The Invasion Within)』(オックスフォード大学出版、1985年)などをご覧になって下さい。
 ウォード・チャーチルの2001年9月12日の論説に戻ります。9・11の翌日に一気呵成に書き下ろされたという事実は、その内容が、つね日頃、彼の中で鬱積していた怒りの突沸であったことを示しています。なにしろ、事件の翌日のことですから、タワーの中で殺された人数が二千人か五千人かはっきりしない状況だったと思われますが、「白いインディアン」ウォード・チャーチルの即時の反応は“アメリカはイラクで何万、何十万と殺しているのだから、仕返しをされるのは当たり前じゃないか”というものであったのです。論考のタイトルは、『Some People Push Back: On the Justice of Roosting Chickens 』。このRoosting Chickens という表現は、辞書によると、例えば、ことわざに“Curses, like chickens, come home to roost.”(人を呪えば穴二つ)とあるように、自分の行為が自分に跳ね返ってくる、しっぺい返しを受ける、ことを意味します。ウォード・チャーチルは、アメリカのイラク人いじめが、父親ブッシュ大統領によって始められた事を指摘します。1991年、アメリカの言う事を聞かなくなったイラクを罰するために、アメリカ空軍は、イラクの浄水施設や下水道システムなどの社会的インフラを狙った空爆を行ないます。それに加えて医薬品の輸入を阻止した結果、約50万人の子供たちが死んだとされていました。これは国連筋でも確認されていた事実です。チャーチルは、これに続いて、アメリカが中東で犯している他のいくつかの残虐行為を列挙して、「こんなことをすれば、しっぺい返しを受けるのは当然だ」と論じたわけで、私としても、全面的にウォード・チャーチルの言う所に賛意を表せざるをえません。
 ここまでなら、ウォード・チャーチルつぶしの狼煙は上がらなかったかもしれません。しかし、彼は、世界貿易センターの中にいたいわゆる民間人たちも、民間人だからといって、イノセント(無罪)とは限らないと言い足します。:
「彼等はアメリカのグローバルな財政金融帝国の将に中核を占めるテクノクラート集団を形成していた。この利益追求の強大な主動力はすでに米国政策の軍事的次元を奴隷化してしまった。」
しかも彼等テクノクラートたちは、自分のやっている事が、遠い所で、どんなにひどい結果を生じているかには、見事に目をつぶり、ツイン・タワーの聖域の中で、まるで小アイヒマン(the little Eichmanns)の集団のように、いそいそとおのが仕事に精を出していたのだ、とウォード・チャーチルは言ってのけたのでした。これがいけなかった。
 ハンナ.アーレントの『イェルサレムのアイヒマン−悪の陳腐さについての報告』(みすず書房、1969年)をご存知の方も多いでしょう。アイヒマンはナチス・ドイツの上級官僚で、その事務的業務処理の結果として、無数のユダヤ人がナチのガス室に消えた、「悪の権化」のような人物と看做されましたが、アーレントは、当のアイヒマン個人は、自分のやっている事務的業務が生んでいる巨大な残虐には目をつぶり、日々の仕事にいそしんだ普通の役人に過ぎなかった、と主張しました。つまり、悪の陳腐さ(banality)です。ウォード・チャーチルには、世界貿易センターの建物の中には、テクノクラートとしては有能だが、自分たちが日々精を出してやっている業務が世界中にもたらしている害悪に就いては何の意識も罪悪の自覚もない、いわば、ちびっ子アイヒマンが沢山いて、その人々は、アイヒマンが有罪であったように、決してイノセント(無罪)な民間人ではない、と思えたのでした。それが、ポスト9・11のアメリカ人の愛国的集団意識の逆鱗に触れ、結局、大学から追い出される結果になったわけです。
 しかし、ウォード・チャーチルは、過去2世紀半の間、アメリカ先住民がアメリカ合州国という暴力国家から、どんな酷い目に遭わされたかを、克明に掘り上げ、記録し、抗議を続けてきました。彼の9月12日の論説は、内容的に大きく拡張されて、2003年、『On the JUSTICE of ROOSTING CHICKENS (ねぐらに戻ってきた鶏たちの正義について)』というタイトルの一冊の本として出版されました。そこには、1776年(アメリカ独立の年)から2003年までの、国内国外でのアメリカの軍事行動が克明に並べ立ててあります。我々の知らない事が沢山列挙されていますが、その中のただ一例だけを挙げておきます。:
「わたしたちは以下の事実を自明のことと考える。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、すべての人は創造主により侵されざるべき一定の権利を与えられている。その中には生命と自由、そして幸福の追求が含まれている」という、アメリカが国是の根本として世界に誇示してやまないジェファソンの文章を含む独立宣言が発表された1776年、6千人以上のアメリカ軍が、今のジョージヤ州やテネシー州で平和に暮らしていた二十数カ所のチェロキー・インディアンの町に襲いかかり、家屋や収穫農産物を破壊し、数知れぬ非戦闘員を殺して、チェロキーたちを、当時スペイン領であったフロリダに追い出してしまいます。彼等が所有していた肥沃な土地が欲しかったのです。つまり、先住民は、アメリカの父祖ジェファソンのいう“創造主により侵されざるべき一定の権利を与えられている。その中には生命と自由、そして幸福の追求が含まれている”はずの「すべての人間」の中には含まれていなかったのです。この点は、現在、すべてのアメリカ学専門家が認めるところです。
 大学を追い出されるずっと以前から、「白いインディアン」ウォード・チャーチルは、インディアン弁護の発言を盛んにやっていました。一昔前の事になりますが、ハリウッドのインディアン映画華やかなりし頃、そのほとんどの虚偽と偽善を鋭くえぐった映画批評を続々と発表していたこともあります。
 ウォード・チャーチルはアメリカン・システムから見事にいびりだされてしまいましたが、マイケル・ムーアの方は、調子良く自作映画のプロモーションをして回っているのは何故でしょうか? ジェスターとしての才能が、つまりエンターテインメントの感覚が、ムーアには有り余るほど備わっているのに、チャーチルには、それが無いからだとも言えましょうが、それだけではありません。去る12月3日のNHKの「クローズアップ現代『反骨の映画監督マイケル・ムーア』」の中に、次のような遣り取りがあります。:
********
国谷裕子
「監督は映画の中でいつも、こんなはずではなかった、なぜアメリカはこんな国になってしまったのか、と考えていますけれども、決して自分の国が嫌いになったということはないですよね」
マイケル・ムーアさん(映画監督)
「いいえ、私はとても悲しいのです。アメリカという素晴らしい国で今起きていることについて深く悲しんでいるのです。これまでずっと上手く行っていたのに、なぜこんなことになってしまったのか、1%の人たちが残りの人々から多くを奪い、人生を狂わせてしまう、そんな横暴がまかり通っています。だからこそ、私は映画の中で同じことを問い続けているのです。なんでこんなことになったんで、ってね」
********
皆さんの多くは「ほんとにブッシュのアメリカはひどかったからな」とムーアさんに賛同なさるだけのことでしょう。しかし、ここには大きな「嘘」があり、それがジェスターとしてのムーアのトリックになっているのです。“アメリカは今まで素晴らしい国だったのに、なぜこんな国になってしまったのか”と大げさに嘆いてみせると、それだけで、アメリカ人はほろりとなり、ころりと参ってしまって、“マイケルさん、あんたの言う通り、素晴らしい国だったアメリカがすっかり駄目になってしまった”と嘆くことになってしまうのです。しかし、それで済ませてはいけません。
「歴史的にしっかりと考えてみて、アメリカが素晴らしい国であったのはどの時期であるか、はっきり特定してみよう」という問いかけを、アメリカ人に対してだけでなく、私たち日本人も、自らに対して行なわなければなりません。
「アメリカが、これまでずっとうまく行っていた、素晴らしい国であったことなど、一度も無い」というのが、ウォード・チャーチルの一貫した答えです。1959年から、シカゴ、サンホゼ、ボルチモアと、足掛け、4年半ほどアメリカで研究生活を経験した頃の私には、アメリカは本当に輝いて見えました。しかし、その頃の私には見えなかったことも多かったのです。いまでは、私も、ウォード・チャーチルのきびしい断定の方が、マイケル・ムーア流の嘆き節よりも、はるかに歴史の真実に近いと考えるようになりました。
 私たち日本人が心酔した、いや、今も憧れているアメリカは一種の虚像です。特に、ウォード・チャーチルのいうRoosting Chickensに関して言えば、彼の主張を裏付ける、学問的にも、ジャーナリスティックにも、しっかりした良書や論考は沢山あります。
 次回には、大学を二度も蹴りだされて、無冠の太夫になったノーマン・フィンケルスタインという人の話をして、マイケル・ムーアについてのシリーズを閉じたいと思います。
藤永 茂 (2009年12月23日)
 

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