★阿修羅♪ > 国家破産66 > 657.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
なぜ日本の製造業はサムスンに勝てないのか【プレジデントロイター】
http://president.jp.reuters.com/article/2009/12/29/3DC5EB14-EADC-11DE-AA5B-6E193F99CD51.php
なまじチマチマした差別化が可能であるばかりに身を滅ぼす
プレジデント 2009年12.14号
経営のあり方を、「当社の現状を考えると、これが当面のベスト」と、あたかも論理武装をさせている、えせ「理詰めの経営」。
東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授 伊丹敬之=文
キーワード: 中国 製造 経営・組織 経営時論 ライバル・競合 Size: ブックマーク戦後あるいは高度成長期の日本、また、現在の中国や韓国において、企業は大きな戦略地図を描き、「坂の上の雲」を目指して投資をしてきた。本田技研工業とサムスンの挑戦を通して、現在の日本企業に欠けているものを説く。
「理詰めの経営」が立ちすくむ理由
チマチマした差別化、ばらまき技術投資、結果として世界的レベルの競争での大きな立ち遅れ。そしてそうした経営のあり方を、「当社の現状を考えると、これが当面のベスト」と、あたかも論理武装をさせている、えせ「理詰めの経営」。
中国や韓国の企業の乱暴にも見える大胆かつ戦略的な行動と比べると、そしてそれをやってしまう彼らのエネルギー水準の高さを見せつけられると、日本企業サポーターとしての伊丹もつい文句を言いたくなる。
理詰めの経営は、大きな戦略的地図を持った人が細部をもゆるがせにしないように気をつけるときには有効でも、戦略的地図も将来の見取り図も頭の中にない人が目先の論理を重箱の隅をつつくように詰めたところで、「立ちすくみ」に終わるのが関の山である。
戦後あるいは高度成長期の日本にも、現在の中国や韓国にも、そうした戦略的地図を描いて「坂の上の雲」を目指して投資を行ってきた企業があった。彼らと今の日本企業を比べるのは酷だとは思いながらも、「なぜ、ここまで違うか」と自問せざるをえない。
今、私は本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏の伝記を書こうと調べているので、とくにそれを感じるのかもしれない。あるいは、この経済危機後のサムスンの回復の勢いが日本の電機メーカーが束になっても敵わないほどのレベルであることを見て、それを感じるのかもしれない。
浜松の町工場(自転車用補助エンジンが最初の事業)として1948年に創立された本田技研工業はわずか10年足らずで日本一のオートバイメーカーになり、そして創業後15年で四輪自動車への参入を宣言する。そうした準備として、創立4年後には資本金600万円の会社にしかすぎなかったのに、4億5000万円の資金をかけて欧米から当時の最先端の工作機械の輸入に踏み切る。大きな戦略地図がなければ、とてもできない決断である。
10月末の日本経済新聞に、サムスンのこの7〜9月期の決算を日本の電機大手の決算と比べる記事が載っていた。サムスンの営業利益約3260億円に対して、日本の国内大手九社の合算営業利益が1519億円。束になってもサムスの半分にならないのである。サムスンは2020年にすべての産業全体でのグローバルトップ1 0を目指し、売上高4000億ドルを目標とするビジョン2020を10月30日に発表したそうである。
サムスン飛躍のカギは「ジャンプアップ作戦」
サムスンは80年代半ばに(つまりたった25年ほど前に)当時世界最強だった日本の半導体メーカーの牙城であった半導体メモリーの世界に本格参入した。韓国の国内市場などないに等しく、当時、無謀だと言われた。私もそう思った。しかしサムスンは日本企業の隙を狙うようなニッチ投資から始め、ついには参入後わずか10年で日本企業をほとんど追い落とすところまで成長した。
そうなってしまった原因には日本企業の対応のまずさもあったが、サムスンの投資戦略も見事だった。半導体がシリコンサイクルという循環をする市況型産業であることをある意味で利用して、不況期になると次の好況期を目がけた大型投資をするのである。その大型投資を横目に日本企業は、「それでは過剰設備の危険があるから、投資は控えめにしなければ、しかも不況期で資金的にも苦しいし」と「理詰めの経営」に見える行動を取った。それで次の好況期がきたときには、供給能力のある企業へと半導体ユーザーは注文を出す。もちろん、設備投資をしなかった日本企業にも需要は回るから、それなりに儲かる。しかし、サムスンは日本企業よりもかなり高い成長を好況期にできるのである。
不況期には、落ち込みは覚悟するが、競争相手よりは小さな落ち込みを狙う。しかし、そこで投資をするから好況期がきたときの成長率を市場平均より高くできる。つまり、縮むときは産業平均より少しよく、伸びるときは平均よりもかなり高い。これを私はジャンプアップ作戦と名づけた。不況期に力を蓄え、好況期に一気にジャンプするのである。
これを好況・不況のサイクルがくるたびに何回か繰り返していると、自然に市場シェアが高まっていく。ついには、トップ企業を追い落とせる。問題は、このジャンプアップ作戦を取れるだけの、戦略的地図と投資余力、そして経営者の決断が企業の側にあるか、である。80年代末から90年代半ばのサムスンには、明らかにそれがあった。そして、その同じパターンを液晶でも実行し、そこでも成功したのである。
この作戦をジャンプアップ作戦と私が名づけたのは、じつはサムスンの戦略を分析したときではない。70年代後半から80年代前半にかけて、日本の半導体メーカーがメモリーの世界でアメリカの半導体メーカーを追い落としていったときの戦略を分析したときである。つまり、半導体でのジャンプアップ作戦の元祖は日本企業なのである。
それを私は半導体産業の日米逆転を分析した本で書いた。88年のことであった。その本はすぐに韓国語に翻訳された。90年代前半にサムスン電子のトップとお会いしたときに、流暢な日本語で「先生のあの本は大変参考になりました」と言われたことを覚えている。
日本企業が今、なぜ、大きな戦略地図を描きにくいかといえば、決断のための財務的体力が弱っているなど、理由はさまざまにあるだろう。産業の構造が細分化されすぎていて、グローバル規模で言えば小さな企業に分かれすぎていることが、一つの大きな原因だろう。大きな戦略を考える視野が足元からは出てこないのである。
だから、産業の地図を再編成し、企業群の合従連衡をきわめて大胆に行うことが、戦略の常道である。それが簡単なことではないことは十分承知しているが、しかしそうでもしなければ全体が衰退する、と言わざるをえない。
日本全体のエネルギー水準が低下していることも大きな原因であろう。国全体の年齢構成が上がっていく中で、しかも豊かになってしまった日本で、それもまた致し方ないことかもしれない。しかし、それでも若いエネルギーをもっともっと多用するべき、と言わざるをえない。
さらに、当面の対策がなんとかできるような、チマチマした差別化の能力が国全体に案外あることが、もう一つの原因であろう。その能力の源泉は、個々の企業の技術者やマーケティング担当者がかなりの能力を持っているからでもあり、また外部の協力企業に質の高い中小企業が多く、彼らの手を借りてなんとか差別化できるからでもある。
そうしたチマチマ差別化能力は、当面の対策を考える際には大変ありがたい。しかし、それがなまじ多少は可能であるばかりに、よりドラスティックな戦略的変革へと人々の目を向けさせないマイナスの働きをもしている危険がある。
芸は身を助ける、と言うが、なまじの芸があるばかりに身を滅ぼすこともある。
チマチマした差別化よりも、大胆な経済合理性。それをわれわれは考える必要がある。本田技研工業の昔の姿が、今のサムスンの姿が、それをわれわれに教えている。