http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/886.html
Tweet |
(回答先: ひとりひとりにとっての、しかもそれがみんなにとっても幸せってなんだろう? 投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2013 年 7 月 31 日 23:01:57)
まず、最初に人間はどうすれば本当に平等になれるのかを考えました。 そして、お金がそれを阻害しているのではと。 それに、ひょっとしたら、お金こそが、今ある諸問題の根源であるのではないかとも、私は思っています。
利己主義の頂点はお金で、利他主義の頂点は本当のボランティア。
私は考えます、確かにこのような社会がすぐに実現できるとは思っていません。 で
も、もし、このような社会ができれば、そこには利害というものが発生しにくく、行動
の動機付けが、直接、問題となっている対象物に向けられるので、より、的確なアクシ
ョンを起こすことも、期待できるのではないでしょうか。 そして、全てが発明、発見
と同時に公共のものに帰属するので、その有用性や、利便を、即時的に、全世界的に享
受することができるでしょう。 そして、最も人類が、個人の視点に立っても、受ける
ことのできる、その最大のメリットは、お金の消滅による、大幅な労働の削減ではない
でしょうか。
もし、これが実現できれば、社会は究極的な共産主義かもしれませんが、大幅な労働削減により、限られた人生の時間に占める、その個々人の自由時間の大幅な増大により、個人の視点から見れば、それは、究極的な民主主義の実現につながるのではないでしょうか。
そこで私はこう、思います、人間にとって、最も大事なことは、お金でもなんでもなく、時間なのではないでしょうか。
皆さん、よく考えてみてください。私たちは死ぬとき、私たちの財産と呼ばれる“モノ”を持っていくことはできません。 そして私たちは、せいぜい生きて80年ちょっとの人生です。 よく、それでも、“いやいや、私の子供の将来ためにそれを残してやる必要があるんだ”と。 でも、これも、もし、今、人類70億近い全員がそれを望んで、実現可能でしょうか。
それに、犯罪動機の主体であるお金がなくなるので、犯罪も極限まで減るでしょう。
私たちは、もう、あの子はだれだれさんのお子さん、その子は、何々さんの子供と考えるのでなく、みんなの子供として考えることができれば、同じ過ちも、繰り返されにくくなるのではないでしょうか。
で、一体、あるべき社会の姿とは、より具体的にどうあるべきでしょう。
- どうして現状を把握できているのに、人は思考停止に陥るのでしょう。 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 2013/8/07 14:20:17
(1)
- あるべき持続可能な、循環型社会と、その、平和的な移行方法に関する考察。 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 2013/8/08 21:19:00
(0)
- あるべき持続可能な、循環型社会と、その、平和的な移行方法に関する考察。 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 2013/8/08 21:19:00
(0)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。