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・[1183]政府紙幣に賛成 投稿者:吉田(Y2J)投稿日:2009/02/04(Wed) 23:58:23
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「政府紙幣」が論議されているとは、驚きました。どうせ実現はしないでしょうが、国民にそのようなオプションもあるのだと考えさせるだけでも有用でしょう。
「政府紙幣」に賛成か反対かといえば、もちろん賛成に決まっている。下記高橋氏は「政府ではなく国会ならいい」と述べていますが、対立点はむしろ「中央銀行 vs 政府/国会」にある。政府が決めようが国会で決めようが、どちらでもいい。国会で議決したあとの実行(行政)は政府であり、結局「政府紙幣」ということになるのだから。
いったい中央銀行が紙幣発行権をもっていることが、そもそも変なのだ。憲法のどこを探しても「銀行」などという言葉はない。なぜわざわざ民間機関である中央銀行に対して、高い利子を支払ってまでも借金をするのか、よくよく考えたらおかしいでしょう。
中央銀行などを介さずに、政府/国会が勝手に紙幣を発行すればよいのだ。そうすれば、国債発行にともなう利子もかからず、国民への負担も減るのだ。
そして、もっとも重要なのは、国民によるコントロールが可能か否かという点だ。もし政府/国会が政策を誤れば、国民は彼らを選挙で落とすことができる。それに対して、中央銀行がなにをどう失策しようが、彼らはまったく罪に問われない。現在の不況だって、世界同時不況なんていっているが、国内需要を喚起する方法ならあるはずで、日銀の失策以外の何者でもない。
ゆえに、「政府紙幣」政策に異議を唱えるのは中央銀行関係者と、その無自覚な手先たちである。私はこの度の白川総裁の「政府紙幣反対論」をすべて集めて読んでみようと思う。もちろん、彼らがいかに核心に触れずに誤魔化しているのかを検討するためである。
〔臭うぞう〜〕
弟子の叛乱と見ることができる。副島隆彦は、政府が思うように国債を発行しそれを日銀に引き受けさせるのは、債権者と債務者が一体となって相殺されるのでおかしいという意味のことをどこかで言っている。巷間で古くから広く流布されている俗流論となんら変わるところはないと思う。
吉田氏の考えは、仲介業を廃止した産地直売だから、内容として副島の考え方と真っ向から対立する(ことになるはずだ)。
そもそも国家の通貨発行権は国民が保持すべきだ。現在の政体では国民の代表である議会や政府が代行することになるのはやむをえない。少なくとも三権分立の外側で、国民の意思が反映しにくいところで通貨の高度な専門家だなどと抜かして一国の人民を愚弄する中央銀行という仕組みがおかしいし、怪しいのだ。
サムエルソンはその『経済学』の中で連邦準備銀行(FRB)は三権分立のどこにも属さないと明確に言っている(その可否については何も言及していないが)。
今の政体に国民の意思が十分に反映しにくいとしても、制度としてはその方がマシなはずだ。このことはヴィクター・ソーン氏も強く主張しているところ。中央銀行が債権者になり、そこから金を引き出す国家が債務者になるという二項対立のロジックがそもそもおかしいではないか。中央銀行は国民主権の埒外にある超国家的機関になってしまう(なっている)。
筆者は議会や政府の管轄のもとに国家の紙幣を発行・制御する制度が良い、と言っているので、今すぐ政府が紙幣を印刷して市中に流すべきとまでは言うつもりはない。そこのところは不勉強である。
・屈折している「リチャード・ヴェルナー」評
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/193.html
投稿者 仁王像 日時 2007 年 7 月 22 日 18:03:32: jdZgmZ21Prm8E